雑種犬みね侍の赤鼻DIARY(withちよ

愛犬ミネジを亡くし失意の日々・・・。たまに千代も出てきます。

四半世紀

2020-01-17 19:33:03 | 自然現象のこと
阪神淡路大震災から25年。
もうそんなに経つのですね・・・。

覚えているのは30代以上の世代…。
まぁ東日本大震災ですらもう9年前のことで、
今小学生以下の子達は知らないのですものね・・・。


まぁ日本は火山も活断層も多数ですし、
若い世代も長生きすればいつかは…経験することになるでしょうけど・・・。


私は1度体験したのでもういいかなと思ってますが(^-^;
自然はそんなに甘くないでしょう。
一応覚悟はしていますよ。。。。(泣)






25年前の今日…
当時、私は中学生でした。
寝ていたら突然体を揺り動かされる感覚がして、てっきり母が起こしに来たのだと思いました。
もうちょい眠らせてくれ~と手を払ったつもりがそこには誰もいなくて
あら??と思って目を開けると
家がガタガタガタガタ~!!!!!!と大きな音を立てて揺れていました。
え????
何が起こっているのか…全く分かりませんでした。
母の「地震だー!」という声を聞いて初めてこれは地震なんだと理解しました。
怖くて布団をかぶり震えていました。
母はすぐそばにあった大きな洋服ダンス2つを必死で押さえていました。
布団の隙間からふと見るとあの大きなタンスが底が床から浮くらい揺れているのが見えました。
揺れてるというより・・・
まるで踊っているようでした・・・。

揺れがおさまり、テレビをつけ速報が出るのを待ちましたがなかなか出ませんでした。

その間、近所のブーちゃんちのおばちゃんが駆け込んできました。
ブーちゃんの散歩中だったそうです。
母とおばちゃんが話している間、私は理科の教科書を引っ張りだしてきて
地震の項目を見てみました。
確か震度1~7まで段階的にこの程度の揺れだとこの数値だと表になっていました。
それを見て確実に震度5は揺れたなと思いました。
テレビの速報は結局5分後くらいに出たのかな。
この辺の記憶はあいまいです。
とにかくテロップが出るまでめちゃくちゃ長く感じました。

隣りの部屋にはいろんなものが散乱していました。
タンスの上に置いていたダンボール箱も落ちていました(確かひな人形を入れていた)

外に出ると屋根瓦も沢山落ちていました。

何より玄関の扉が開かなくなっていたのが一番の大打撃でした。
元々古い家で築100年以上と言われていたので(^-^;
建てつけが悪くなっていたというのもあるかもしれませんが…。
(今もその玄関は開かないままです)
裏の出入り口や他の窓はちゃんと開いたので安心しました。

平日だったのでいつも通り登校しました。
地面に沢山亀裂ができていてそれをひぃふぅみぃと数えながら歩きました。
(肝心の数は忘れましたが30個以上はあったように思います)

学校のテレビで神戸の街が燃えている光景を目にし・・・ショックを受けました。
自分の街も同じようになるのだという恐怖で授業どころではありませんでした。
(それでもその日の授業はちゃんと最後まで受けましたが)

とまぁ…
強烈に覚えている記憶はこんな感じです。



25年の節目にとりあえず覚えていることを書き出してみました(^-^;


ちなみにその後発表された徳島県の震度は4。

当時震度計は徳島市にしかなかったようで
私の住む市にはなかったらしい…。
というわけで一緒くたに震度4にされてるのですが…。

ぜーったいあの揺れは4なんかじゃなかったです。
震度5強?いやそれ以上か…
ともすると6弱くらいあったかもしれません。


というのも2013年の春に再び淡路が震源の地震がありまして(最大震度6弱)
この時うちの親父が入院していてたまたま実家に泊まり込んでいたんです。
この時も結構揺れましたが、
体感として阪神大震災の時に比べると
やや小さいなという感じがしました。
この時発表された震度が5弱だったのです。

というわけであくまで私の体感的にはですが
阪神大震災の時は震度5強もしくは6弱だったと思います。



同じようにちゃんとした震度が出てない地域
多分他にも沢山あるのでしょうね…。


なんだかなぁーって感じですが、
とにもかくにもまたいつ起こってもおかしくない大地震…

ちゃんと備えておかないといけないなと改めて気を引き締めています。










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