はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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梁甫のギンギラギン 2 ~なぜわたしは再び天下を夢見るに至ったか~

2019年09月21日 09時40分33秒 | 臥龍的陣・番外編 梁甫のギンギラギン
蝋燭の火を消すことはなかろうと趙雲は判断し、寝台にてその細長い体を横たえる軍師の体に布団をかけてやり、自分は、あしたのための荷造りをはじめた。
趙雲は、後悔をしていた。
孔明のいうとおり、狭い室内にいて悶々としていると、どうしたって気持ちが塞ぐ。
そのために、理不尽な苛立ちを孔明にぶつけてしまったのだ。
孔明が自分を嫌っているはずはないと知っていたのだから、あんな厭味を言うのではなかった。
 
諸葛孔明という人物は、わかりやすそうで非常にわかりにくい。
見た目の派手さと名前の印象がつよすぎて、きらびやかで鼻持ちならない生意気な若造、と誤解されがちであるが(事実、趙雲も最初はそう思っていた)、実は純粋で責任感がつよく、情が深いのである。
鼻持ちならないのは虚栄ではなく、自分に愛情をそそいでくれた人々を信頼しているからだ。彼らの期待にこたえるために、かれらの理想の形に向かって、孔明は日々、努力をしつづける。
凡人が、「自分は自分なのだ」と常套句に逃げ込んで、努力をやめてしまうところを、孔明はやめない。たとえその姿が滑稽だと笑われても、気にしない。
孔明は努力する、という能力にかけての天才なのである。はじめから、天分に恵まれて、なにもかもこなすことのできる天才なのではない。
劉備の軍師になってからも、必死で見えない努力をつづけてきた。
わずか数ヶ月の間に、これほど人格、能力ともにみずからを成長させた人間を、趙雲は知らない。
だからこそ、築き上げてきたものが、他者によって崩されようとすれば、その怒りも強くなるはずである。
だが、孔明はすこしもそんな素振りをみせない。
 
「莫迦だな」
そうつぶやいて、答があるわけではないが、趙雲は荷造りの手を止め、眠る孔明のほうへ目を向けた。
実は、孔明にはあえて話していないことがある。
朱季南と遭遇した夜、じつは、もうひとり、知り合いに会っていたのである。
とはいえ、その人物は、『壷中』にはまるで関連がない。だから黙っていた。

趙雲が遭遇したのは、馬良であった。
見間違いようのない、特徴のある顔である。
その色素の薄い眉はそのままで、新野の町を、兄弟らしい、面差しのよく似た少年と肩をならべて歩いていた。
趙雲が声をかけると、それまでほろ酔い加減であった馬良は、たちまち顔を強ばらせた。
そうして、第一声がこうだった。
「孔明は、ここにいるのですか?」
「いいえ、軍師はおりません」
と、趙雲が答えると、馬良は、安堵した顔となった。が、それもつかの間、ふたたび顔を曇らせると、縋るようにして、訴えてきた。
「趙雲どの、どうかわたしと会ったことは、孔明には言わないでください」
「なぜです?」
そうして、馬良は、とつぜん夢から覚めたように、はっとなった。
馬良は、いまのいままで酔っていたのだ。
孔明に言うな、ということも、酔った上での失言だった。
趙雲は、馬良の態度に、直感的に不快感をおぼえた。
心に疚しさを抱える者特有の、どこか媚びるような眼差しを送ってきたからだ。
馬良はしどろもどろになりつつも、趙雲に言った。
「不躾なお願いをするやつと蔑んでおられることでしょう。じつは、孔明には弟が病で、その看病で出仕できぬと話をしてあるのです。今日は、その、久方ぶりにお表の空気を吸おうと押し切られて…いえ、もちろん、体によいわけではないのですが…」
趙雲は、馬良のうしろにひかえる、どこか驕慢そうな少年をちらりと見た。
まだ年若いのに世慣れた雰囲気があり、酒が入っているためか、桜色に頬が上気している。その眼差しは鋭く、並みの少年とは思われないほどの風格であったが、趙雲はひと目見て、嫌悪感を抱いた。
少年は、趙雲はめったに人を好悪の感情で振り分けないのであるが、その少年はちがった。
なんだかしらないが気に食わない。

少年は、趙雲と目が合うと、やれやれというふうに、口を挟んだ。
「兄上、そちらの方はどなたなのですか?」
馬良が説明しようとするより先に、趙雲は口をひらいた。
「おれの名は趙子龍。諸葛孔明の主騎だ。貴殿が病身の弟御か。夜遊びができるほどに回復してなによりだな」
趙雲の言葉に、馬良は顔を真っ赤にしてうつむき、弟のほうは、まずった、というふうに顔をしかめた。
「他言はいたさぬ。軍師の職務の邪魔になるからな。弟御の病が完全に治られてから、軍師のもとへ来られるがよい」
そうして、馬良に背を向けた趙雲であるが、そこへ、弟のほうの声が追いかけてきた。
「お待ちを、趙将軍。兄を足止めしているのは、このわたくしです」
趙雲は振り返り、近づいてきた弟を見た。
しおらしい言葉を吐いて、あわれっぽく訴えてくる。
趙雲は、ふざけるなと怒鳴りたくなるのを我慢しなければならなかった。
少年の態度には誠実さの欠片もなく、どういう言葉を吐けば、相手を意のままにできるか、そのことばかり考えているような類いの、実際の努力はなにひとつしない人間のそれであったからだ。
「兄を責めないでやってください。兄の身を心配するあまり、嫌がる兄に無理を言って、軍師に嘘をつかせたのはこのわたくしなのです」
まだ若いだろうに、これでは先が思いやられるな、とむしろ同情しつつ、趙雲は忍耐力を示して答えた。
「事情はあいわかった。おれの言葉は変わらぬ」
「兄を軽蔑しないでください。悪いのは、このわたくしなのですから」
それを聞いて趙雲は、吹き出すのをこらえるのに苦労した。
馬良の弟は、健気なことばを口にするのであるが、その表情が、まるで言葉に似合っていないのだ。
その表情は、あきらかに本音を語っていた。
『おまえのような猪武者に、わが兄弟の世渡りがわかってたまるか』
と。
くだらぬ。心底、くだらぬ。
「貴殿が悪いのであれば、兄君も悪い、ということではないかな。貴殿のように浅知恵をふるう弟を、野放しにしておられるのであるから」
「な」
馬良の弟が絶句したついでに、趙雲はついでに馬良に言った。
「おれに口止めをする前に、おのれの行動を反省なさるがよろしいでしょう。わが君にお仕えするには、相当の覚悟を要します。ですから、二の足を踏まれる貴殿のお心はわからないでもない。しかし、病気の弟の看病をすると嘘をついたのであれば、最後までその嘘を完璧に通されたら如何か。病身であるはずの弟と、夜歩きをするなどもってのほか。なにごとも半端というものは、不様きわまりない」
「嘘を突き通せ?」
「左様。主公にお仕えすることに、まだ迷いがあるのなら、なぜ率直に軍師に打ち明けないのか、それがおれには理解しかねるところだが。しかしそれが貴殿らの世渡りの仕方というのであれば、おれが口を出すところではない。おれは他言せぬ。他言したところで、軍師が悲しまれるだけだ」

ほんとうに、がっかりするだろうな、と趙雲は思った。
孔明が新野で孤軍奮闘しているのは、周知の事実である。
糜芳や孫乾などの古参の文官たちが、孔明の実力を知り、だんだん協力的になってきてはいるが、しかしまだ人が足りない。
孔明が、馬良が幕下に加わってくれるのだ、と語ったときの、うれしそうな様子を思い出すと、だんだん腹が立ってきた。

「半端な覚悟で主公の側にいられては、軍師の負担が増えるだけだ」
「われらが劉予州にとって、不要な人材だと? あなたはご存じないかもしれないが、わたしは…」
「馬家の五良。その末の弟君であろう。しかし、もっともよしと謳われる兄上すら、斯様にこそこそと夜道を歩く人間であるならば、その程度もしれる、ということではないのかな」
趙雲の言葉に、馬良は真っ赤になってうつむいている。
気の弱い男だな、と趙雲は思った。
見たところ、気の弱い兄を、負けん気の強い弟が、いいように言いくるめているように見える。
もし馬良が孔明ならば、傲然と面をあげて、真正面から双眸を見据えて、堂々と反論してくるだろうに。
「たかが武人になにがわかるというのです。諸葛孔明は、われらの同輩。水鏡先生の塾でも、成績は兄上のほうが上だったのですよ。それでもわれらが劉予州にとって不用だと申されるのか」
馬良の弟が憤慨して問うてくる。
趙雲は深くうなずいた。
「これ以上、くだらぬ問答に付きあわせないでくれ。軍師はわれらに必要な人間だが、貴殿らはそうではない。それだけの話だ。それでは、失礼する」
「もしかしたら、わたしは諸葛孔明より優れた人間かもしれませんよ!」
馬良の弟はまだ議論をふっかけてきたが、もう趙雲は相手にしなかった。
答えるまでもなかった。
塾の成績とやらはどうだかしらないが、そもそもの、人間としての器からしてちがう、と。
 




もしかしたら孔明は、馬家の事情を知っているのかもしれないな、と趙雲は思った。
孔明は、人の心の動きには、おどろくほど敏い。
知っていながらも、黙って飲み込んでいるのかもしれない。
趙雲が、馬兄弟と会ったことを話しても、
「知っていたとも」
のひと言で終わるような気がする。
拍子抜けした趙雲の顔を見て、孔明は笑うだろう。
だが、実際は心の内で泣いているのだ。 





もし、孔明ともっと若いころに出会っていたなら、自分はどうなっていただろう、と趙雲は想像してみる。
もっと若くて、怖いもの知らずのときに出会っていたら、孔明を担ぎ出し、江東の小覇王のように、天下を目指して打って出ただろうか。
危険な夢想であったが、趙雲は、すでに色あせ、残滓すらない過去の風景に、孔明がいたならば、と考えて見る。
それは、劉備の代わりに、自分が孔明を得ていたら…という夢想でもあったが、当然、趙雲の中には、劉備にたいする叛意など微塵もない。
しかし趙雲の夢想を咎めることができる人間などいるだろうか。
男子として生をうけて、この乱世に生まれ、抜群の武芸の才にくわえ、兵卒を率いる才能にもめぐまれたなら、だれでも夢見るだろう。
つまり、天下を取ってみたい、と。
趙雲の場合、その野望は、少年期において断念されていた。
公孫瓚の、あまりに無残な滅亡を目の当たりにしたからである。
そして、劉備に出会ったことも原因のひとつであった。
とても、あの巨大な器に追いつけるとは思えず、圧倒されてしまったのだ。
自分は天下の器に届かない。
だが、もっと早い時期に孔明と出会っていたなら…この龍の中にある、劉備に勝るともおとらない大器を見出していたならば、これを守り育て、天下を目指したのではないだろうか。

しかし、趙雲は、袞服を身にまとった孔明を想像することが、どうしてもできなかった。
さぞ似合わないだろうな、とさえ思った。
孔明の夢想する天下を、現実のものとして見てみたい気がしたが、やはり皇帝としての孔明の姿は、頭の中で立ち上げることができなかった。
趙雲は、孔明をうまく皇帝という枠にはめようと、あれこれ頭の中で苦心するおのれに苦笑した。
莫迦だな、ともう一度、趙雲はつぶやいた。
自分は、こんな無意味な空想に熱心になれる男ではなかったはずだ。
  
趙雲は、寝台の傍らの壁に背中をつけ、孔明を守るようにしてすぐそばに座り込んだ。
間近で孔明のやすらかな寝息が聞こえた。
自分の守る者の存在を闇の向こう側に感じつつ、趙雲は目を閉じた。


おわり

孤月的陣・花の章へつづきます。

(サイト初掲載年月日 2005/8/7)


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