かつての趙雲もそうであった。
公孫瓚のもとにいたとき、言われつづけたのである。
ただひたすら、上長の命令を聞け、他の言葉に耳をかたむけるな、それこそがわが君に対する忠義の証しであると。
しかし趙雲は、公孫瓚の見かけよりもずっと柔弱な性質や、潘季鵬の妄執的な性格が見えた。
そして、かれらの掘った落とし穴に気づけたから、まだよかったのだ。
嘘も技術なのである。
公孫瓚時代の潘季鵬は、少年であった趙雲に見抜ける程度の『嘘』しかつけないでいた…自分ではもとより嘘などとは信じていないのだが。
だが、嘘を重ねているうちに、その技術が磨かれて、もっともらしい『真実』に聞こえるように説得できるようになってしまった。
相手が子供ならば、騙すのはたやすかろう。
これまで、どれだけ多くの子供たちが、その嘘をよすがに、死んでいったのだろう。
連日のように潘季鵬に嘲弄され、殴られているうちに、趙雲の内側は、確実に変化しはじめていた。
まだわずかにあった、潘季鵬に対する負い目は、すっかり無くなったのだ。
そのかわり、いま、胸のうちに、いまにも噴き出しそうな感情がくすぶっている。
「俺の話と、潘季鵬の話、どちらがほんとうか、おまえたち自身のあたまで、ゆっくりでいい、樊城の隠し村に着くまでに考えるのだ。
心の声に耳をすませろ。嫌だと思うことを誤魔化さず、なぜに嫌なのか、そしてなぜそう感じるのか、考えるのだ。
そして、どちらかを選べ」
「選べ、って? それでは、もしおれが潘季鵬さまの言うことを信じたら?」
張著が不安そうに言うと、他の子どもたちが抗議の眼差しを向けたようである。
しかし、趙雲は笑みをうかべ、張著のほうを見た。
「その質問が出るということは、おまえの中で、すでに答が出来上がっている、ということではないのかな」
「うん…でも、子龍さまのおはなしは、すこしむずかしいです」
「俺は口下手だからな。
あいつなら、もっと優しく判りやすいことばで、おまえたちに説明できるのだが」
「諸葛孔明という方?」
子供たちは、しょっちゅう、趙雲が孔明の名を持ち出すので、その珍しい姓名もあいまって、会ったこともないうちから、すっかりその存在に慣れていた。
「そうだ。あいつは口から生まれたようなやつだからな」
「その方が、わたしたちを助けてくれるのでしょう?
そして、その方のところに、子龍さまは連れて行って下さるのでしょう?
ですから、わたくしは子龍さまを信じます」
そういって、軟児は、九歳の少女らしい純真な笑みを浮かべて言った。
子供を持たぬ趙雲は、真っ直ぐな信頼を受け止めるのに照れてしまう。
「おまえは名前のとおりの子だな」
思わず言うと、軟児は首をかしげる。
「おまえの父は、おまえのことをとても慈しんでいたのであろう。おまえを名付けたであろう父君は、おまえが優しい娘になるようにと、軟児という名前をつけたのであろう」
他の子供たちは、親からもらった名の意味を聞く暇もなく攫われた者、あるいは、だまされてつれて来られた者がほとんどであったらしく、紅一点の軟児に、いいなぁ、と言う。
趙雲としては、純粋に名前の美しさを誉めたつもりであったのだが、それを聞くや、軟児は涙をぽろぽろこぼして泣き出した。
「父さんに会いたい。
文字もなにも覚えなくていい。
父さんにもう一度会いたい」
ああ、しまった。
だから俺は配慮が足りぬと己を叱りつつ、後ろでがりがりと縄を削り続ける真面目な子玲少年に、手を止めるように言って、それから涙をこぼす軟児に言った。
「泣くな。かならず、俺はおまえを父親のもとへ連れて行ってやろう。
だから、それまで泣いてはならぬ。
泣くと力が削がれるからな。笑っておれ」
「笑う?」
少女は怪訝そうに、しゃくりあげながら趙雲を見上げる。
その痛ましい声に、己をさらに責めつつ、趙雲は大きく肯いた。
つづく
公孫瓚のもとにいたとき、言われつづけたのである。
ただひたすら、上長の命令を聞け、他の言葉に耳をかたむけるな、それこそがわが君に対する忠義の証しであると。
しかし趙雲は、公孫瓚の見かけよりもずっと柔弱な性質や、潘季鵬の妄執的な性格が見えた。
そして、かれらの掘った落とし穴に気づけたから、まだよかったのだ。
嘘も技術なのである。
公孫瓚時代の潘季鵬は、少年であった趙雲に見抜ける程度の『嘘』しかつけないでいた…自分ではもとより嘘などとは信じていないのだが。
だが、嘘を重ねているうちに、その技術が磨かれて、もっともらしい『真実』に聞こえるように説得できるようになってしまった。
相手が子供ならば、騙すのはたやすかろう。
これまで、どれだけ多くの子供たちが、その嘘をよすがに、死んでいったのだろう。
連日のように潘季鵬に嘲弄され、殴られているうちに、趙雲の内側は、確実に変化しはじめていた。
まだわずかにあった、潘季鵬に対する負い目は、すっかり無くなったのだ。
そのかわり、いま、胸のうちに、いまにも噴き出しそうな感情がくすぶっている。
「俺の話と、潘季鵬の話、どちらがほんとうか、おまえたち自身のあたまで、ゆっくりでいい、樊城の隠し村に着くまでに考えるのだ。
心の声に耳をすませろ。嫌だと思うことを誤魔化さず、なぜに嫌なのか、そしてなぜそう感じるのか、考えるのだ。
そして、どちらかを選べ」
「選べ、って? それでは、もしおれが潘季鵬さまの言うことを信じたら?」
張著が不安そうに言うと、他の子どもたちが抗議の眼差しを向けたようである。
しかし、趙雲は笑みをうかべ、張著のほうを見た。
「その質問が出るということは、おまえの中で、すでに答が出来上がっている、ということではないのかな」
「うん…でも、子龍さまのおはなしは、すこしむずかしいです」
「俺は口下手だからな。
あいつなら、もっと優しく判りやすいことばで、おまえたちに説明できるのだが」
「諸葛孔明という方?」
子供たちは、しょっちゅう、趙雲が孔明の名を持ち出すので、その珍しい姓名もあいまって、会ったこともないうちから、すっかりその存在に慣れていた。
「そうだ。あいつは口から生まれたようなやつだからな」
「その方が、わたしたちを助けてくれるのでしょう?
そして、その方のところに、子龍さまは連れて行って下さるのでしょう?
ですから、わたくしは子龍さまを信じます」
そういって、軟児は、九歳の少女らしい純真な笑みを浮かべて言った。
子供を持たぬ趙雲は、真っ直ぐな信頼を受け止めるのに照れてしまう。
「おまえは名前のとおりの子だな」
思わず言うと、軟児は首をかしげる。
「おまえの父は、おまえのことをとても慈しんでいたのであろう。おまえを名付けたであろう父君は、おまえが優しい娘になるようにと、軟児という名前をつけたのであろう」
他の子供たちは、親からもらった名の意味を聞く暇もなく攫われた者、あるいは、だまされてつれて来られた者がほとんどであったらしく、紅一点の軟児に、いいなぁ、と言う。
趙雲としては、純粋に名前の美しさを誉めたつもりであったのだが、それを聞くや、軟児は涙をぽろぽろこぼして泣き出した。
「父さんに会いたい。
文字もなにも覚えなくていい。
父さんにもう一度会いたい」
ああ、しまった。
だから俺は配慮が足りぬと己を叱りつつ、後ろでがりがりと縄を削り続ける真面目な子玲少年に、手を止めるように言って、それから涙をこぼす軟児に言った。
「泣くな。かならず、俺はおまえを父親のもとへ連れて行ってやろう。
だから、それまで泣いてはならぬ。
泣くと力が削がれるからな。笑っておれ」
「笑う?」
少女は怪訝そうに、しゃくりあげながら趙雲を見上げる。
その痛ましい声に、己をさらに責めつつ、趙雲は大きく肯いた。
つづく
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WBCの準々決勝の勝利の余韻にひたっているわたくし…
しかし、長丁場で選手も大変ですね。
プロは体力があるというか、鍛え方が違うのだなと感心しきりです。
わたしもがんばらねば!
というわけで(?)みなさま、今日もよい一日をお過ごしくださいねー('ω')ノ