はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その3

2021年07月14日 10時37分10秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮


二日後の満月のために準備を進めねばならない。
劉備の計らいで、孔明と法正は、三日間の休暇を得ることになった。
二日後に古城へ潜り、翌日は体を休める、という算段である。
満月の日にのみあらわれるという不思議な古城への入り口については、緘口令が敷かれ、城内でも、それを知っているのは一握りの人間に限られることとなった。

孔明としては、まだ狐につままれた気持ちである。
野狐そっくりの法正に、だまされているのではとすら邪推してしまう。
しかし、法正も、話が終わったあと、怪しむような目を孔明に向けていたし、さすがにかれの悪知恵をしても、孔明と劉備とに同じ夢を見せる幻術が使えるとは思えないので、ちがうのだろう。
「屋敷に帰る前に、東の市へまわってくれ」
御者に命じて、孔明は馬車でもって、遠回りをして東の市へと向かった。
そこは処刑場としても使われている場所であり、かつて入蜀をはたしたあと、法正がどさくさにまぎれて宿敵とその一族を皆殺しにした場所でもあった。

孔明はいまだに覚えている。
知らせを受けて、馬を飛ばして東の市へ行くと、もうすべての罪人とされた人々が殺された後だった。
法正はおそろしく手回しがよかったのだ。
市のまわりには、死者とつながりがあった人々が、恐怖と悲しみに顔をひきつらせて、懐かしい人の顔がそのなかに入っていないかと確かめている姿があった。
大きな声で泣き叫ぶと、法正につながっている役人が飛んでくるので、みな震える手で口を覆っていた。
その場のだれもが、あまりの暴挙への怒りを共有していた。
その怒りの矛先は、そのまま法正に向けられるはずであったのだが、かばったのは、ほかならぬ劉備だった。
それまで法正はつらい思いをしてきたのだし、勲功もある男を処罰するのはおかしいというのである。

理不尽な決定におおっぴらに異を唱えられない異様な空気が、戦勝気分でもりあがっている成都にはあった。
事実、既存勢力によってながいあいだ苦しめられていた蜀の民の一部は、法正の虐殺を褒めたたえさえした。
これで、蜀は風通しが良くなっただろうと。
蜀は物産が豊かなこともあり、豪族たちが奢侈にふけり、それが目に余るほどのものだった。
法正は、そんな贅沢三昧をして民を省みなかった豪族の一部を粛清したかたちになったのである。
無知な民ほど、法正を支持したようである。
しかし、しばらくも経たないうちに、かれらは、自分たちの上に、豪族の代わりに法正らがのしかかってきたことに気付いただろう。
孔明の仕事は、そんなかれらの重荷をすこしでも軽くしてやることだ。

劉備は、法正がつらい目に遭ってきたというが、その狐に似た風貌と、定まらぬ品行のため、劉璋に疎まれていた程度のことにすぎない。
いまは乱世であるから、法正くらいのつらい目に遭ってきた人間は、ほかにも山ほどいる。
孔明は気づいている。劉備は、自分が蜀の主となったさいに、抵抗勢力の筆頭となりかねない一派を法正が粛清したことを、ひそかに喜んでいるのだと。
気づきたくないことではあったが、しかしまちがえようのない事実であった。
仮に、ここに関羽がいたなら、おそらく、劉備にけじめをつけるよう、きっちりと諫言できたはずだ。
しかし、関羽は荊州を守っていて蜀にはいないし、関羽とおなじくらい存在に重みがある人間も、蜀にはいない。
『わたしも子龍も、益徳どのすら、雲長どのには代われないのだな』
そう思うと、歯がゆさもある。

東の市は、いまは人々が往来しているだけで、もうあの日の血だまりはなくなっているし、ひどい死臭も消えて、なくなっている。
あまりに一度に大勢が殺されたので、市の周囲だけではなく、そのさらに遠くまで、異臭がしていたと、あとから聞いた。
あの日、孔明は市に法正の姿を見なかった。
法正は、殺されていった人々のむくろを見なかったのではないかとすら思っている。
あの男でも、あの日の光景は、正視に耐えなかったのではないか。

孔明はしずかに瞑目した。
そして、こころで呼びかけた。
『法孝直には、蜀の実権は渡さぬ。なにが邪魔しようと、きっと、渡さぬ。だから、みな安らかに眠れ』
答えはない。ただ、東の市を、秋風が通り抜けていくばかりである。

つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/14)

★ お待たせしました、活動再開です! 
あらためて、新連載、よろしくお願いしまーす(^^♪

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その2

2021年07月07日 06時52分32秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮
孔明はぐっと黙った。
たしかに、昨日も、おとといも、同じ議論を繰り返していた。
そのたびに物別れになり、孔明と法正の仲はいま、こじれにこじれている。

「いつかは意見を一致させてくれるのではと期待していたが、それはムリなようだな。しかし、だからといって、おまえたちはどちらも大事なわしの家臣だ。このままいがみ合わせておくわけにはいかん」
劉備はゆっくりいうと、頬杖をやめて、立ち上がり、群臣たちに命じた。
「すまぬが、しばらくわしと孝直と孔明だけにしてくれぬか。内内の話があるのだよ」
なにごとにもおおっぴらな劉備が、このように秘密を作ろうとするのはめずらしい。
孔明はおどろき、法正と劉備の間に連絡があったのかと様子をさぐるが、法正のほうも目を丸くしているので、そうではなさそうだと判断した。

家臣たちは、不満そうに、あるいは、不毛な論議から解放されて安どした顔をして、ぞろぞろと大広間から出て行った。
やがて、劉備と孔明と法正の三者だけになった。
劉備が近づくようにと手招きをするので、両者ともに、いうとおりにする。
法正もまた、劉備と孔明の間に連絡があるのでは、自分は仲間外れにされたのでは、という疑念をもっているらしく、一瞬、するどく孔明をにらんできた。
性悪なきつねそっくりの目でにらまれて、孔明もいい気はしない。
しかし、しらぬ顔をして、劉備にたずねる。
「いったい、内々のお話とは、なんでしょうか」
「うむ、じつは、昨晩、奇妙なできごとがあったのだ」

昨晩の記憶を孔明はさぐった。
たしか昨晩は、満月に近い、真ん丸な月が出ていて、曇りがちな成都の空もめずらしく雲がほとんどなく、一晩中そとが明るかった。それを愛でて、劉備が宴をしていたはずである。
孔明も呼ばれていたが、都合があって、断っていた。
それはたしか法正もおなじで、宴には出席していなかったはずである。
「宴があったのは知っているな。その宴の席で、酒が回ったのか、わしはうたた寝をしてしまった。そこで、奇妙な夢をみたのだよ」
夢、と聞いて、孔明は、はっとした。
というのも、孔明も朝方に奇妙な夢を見ていたからである。
「夢の中で、わしは武坦山の森のなかにいた。そこで、しばらくさまよっていると、なんと前方に、いかにも徳のありそうな、小柄な老人がわしを手招きしているのだ。わしは表現するのがうまくないが、あの不思議な顔つきといったらない。静かで、それでいて、目は雷を発するがごとしだ。白糸の滝のようなきれいな白いひげをたくわえていて、いかにも神秘的な、大きな薇のような杖を片手に持っていた。
その老人に、わしは吸い寄せられるようにふらふらと近寄っていった。そして、自然とその前に跪いていた。只者ではないというのは、老人が声を発した瞬間にわかったね。頭のなかになだれ込んでくるような、大きくて、それでいて静かな不思議な声だった。それでいて、威圧感はなく、穏やかなのだ。
老人は、なんと、自分を南華老仙だと言った。そりゃあ、おどろいたのなんの。自分が夢の中にいるということは、夢の中のおれは知らないから、これは吉兆だと思った。
ほら、いい政治をしていると麒麟がやってくるというような、ああいうめでたいことなのだろうと思った。しかし、南華老仙は言うのだ。
『玄徳よ、おまえは蜀の地を手に入れたは良いが、人民はいまだ落ち着かず、不安のなかで暮らしておるぞ。それというのも、おまえが諸葛亮と法正、この両者をどっちつかずの状態で明確にどちらの味方にもならず、ただ争わせているからだ。
内政を優先させよという諸葛亮、外征を優先させよという法正、おまえはどちらを選ぶべきか、まだ迷っておるな』
ずばり、心の内を読みあてられたわしとしては、左様でございますとしか言えなかった。
すると、南華老仙は、森の中にある大きな岩を指さした。そうさな、大きさは、高さは十尺、横幅は十五尺、ずんぐりと丸い白い岩だった。おどろいたことに、森の小枝の隙間から漏れる月光が岩を照らすと、そこに洞窟の入り口らしいものがぼおっと浮かび上がっていたのだよ。
なんですか、これは、とわしが南華老仙にたずねると、答えはこうだ。
『おまえとおまえの家臣の団結のため、この入り口を使うといい。この地下には古城がひろがっていて、その一番奥の階には、天下一品の宝が眠っている。その宝は、得れば天下を取れる唯一無二のものなのだ。それを使って、天下を取るのだ』
わしは涙が出てきそうになった。
わしのこれまでの行いをみて、南華老仙が助けに来てくれたのだと思ったのだ。
さらに南華老仙はおっしゃった。
『おまえに提案なのだが、この宝を得られた家臣を、おまえは一番に重用するというのはどうだろう。そうすれば、国内に無用の争いはなくなり、人民は安らかになる』
よいお考えです、とわしは答えた。じっさいに、いい考えだと思ったからだ。
南華老仙はわしの返事を聞くと、よろしい、とうなずいて、それから言った。
『この古城の入り口は、満月の夜にのみ開かれる。いまおまえに見せたのは、あくまでおまえの意志を試すため。よいか、玄徳、目が覚めたなら、諸葛亮と法正、この両者に古城の件を伝え、天下一品の宝を得るべしと伝えよ。両者のうち、最初に宝を手にしたものが、蜀の地においての最も優れた賢者となる』
とまあ、そういうわけだ」

長い劉備の話のあいだ、孔明は唖然として立ち尽くしていた。
こんなことがあるだろうかという思いのなか、法正を見る。法正もまた、口をあんぐりとあけて、劉備を見つめていた。
その法正の顔をみて、孔明は自分も口をぽかんと開けたままだったことに気づき、あわてて口を閉ざした。

法正が、おどろきで目を見開いたまま、劉備から目線をはずし、孔明を見た。
その目の色には、あきらかに驚きのほか、恐怖がある。
いや、畏怖、というべきだろうか。
孔明はその目線を受け止めつつ、自分もどっこいどっこいの顔をしているだろうなと頭の隅でかんがえていた。

というのも、孔明もまた、劉備とおなじく、南華老仙に古城へ行くようにと指示を受ける夢を、昨晩に見ていたからだ。
そして、法正の探るような、恐怖のまなざしを受けて、わかってしまった。
法正もまた、まったく同じ夢をみたにちがいない、ということが。

劉備は長いはなしのあと、卓のうえにあった杯を手にとって、のどを潤した。
そして、孔明と法正が、たがいに沈黙のまま、にらみあっているのを見て、言った。
「反応がないな。それは仕方ない、あまりに荒唐無稽な話だからな。しかし、わしはうたた寝から覚めると、子龍といっしょに武坦山まで行ってみたのだよ。古城の入り口はなかった。二日後の満月の夜にのみ開く、と南華老仙は言っていたから、そういうものなのだろう。ただ、あの岩は、たしかに山の中にあった」
「なんですって」
「あったのですか」
と、孔明と法正がほぼ同時に叫ぶ形になった。そこへきて、はじめて劉備も気づいたようである。目を丸くして、たずねてきた。
「おまえたちも、まさか、同じ夢を見たのか」
「恐れながら」
「わたしもです」
うなずくと、劉備はおどろきと、それから喜びがこみ上げてくるものらしく、笑った。
「そうか、では、天下一品の宝というのは、ほんとうに古城の地下の奥とやらに眠っているのだな。ふたりとも喜べ。天下を取れる宝が蜀の地に眠っている。そいつを取ってくれば、わしらの勝利は確実だ」
「しかし主公。天下一品の宝というのが、どういう形状のものかはわからないのでしょう。それに、われらの夢に出てきた南華老仙が本物かどうかは、まだわかりませぬ」
孔明が反論すると、法正が、また器用に唇の片方だけをくっとまげて、言った。
「とすると、軍師将軍は、われらがそろって狐にでも化かされたと思っているのか」
きつねにそっくりな法正に、狐に化かされたのではといわれるのは奇妙なものだと思いつつ、孔明は口を尖らせる。
「残念ながら、その可能性は探るべきでしょう。得れば天下を取れる宝など、あまりに安易にすぎませぬか」
「張角にすら力を差し伸べた南華老仙だぞ。われらにも力を貸してやろうと思ったにちがいない」
「しかし」
「まあまあ」
と、劉備が割って入った。
「孔明が疑うのもわかるが、証明するのはかんたんだ。二日後の満月の夜に、そろって古城の入り口があるかどうか、確かめてみればいいだけの話じゃないか。
それで、入り口がなかったら、きつねに化かされたということで笑い話にすればいいし、あったらあったで、宝を取りに行けばいい」
「おっしゃるとおりです、主公」
と、法正が劉備を持ち上げる。
劉備はまんざらでもない、という顔をした。
見ている孔明としては、ほんのすこし疎外感をおぼえる。
劉備は法正と気が合っているのはまちがいない。

「そこで、だ。おまえたち、二日やるから、古城へ行く準備をそれぞれ進めておけ。古城がどんなもので、どんな規模で、危険はあるのかないのか、さっぱりわからぬが、そこも含めて、互いの知恵の出しどころという意味なのではと、わしは思っている。
そうときまれば、いまから勝負始め、だ。がんばれよ」
応援されたところで、孔明としては乗り気になれない。
たしかに、三者が同じ夢を見たというのは不思議なできごとだが、だからといって、怪しげな古城とやらに入って、さらに怪しげな宝を取ってこなくてはならなくなるとは。

法正のほうはすっかり乗り気になっていて、鼻息をも荒く、
「南華老仙がわれらの夢に共通してあらわれた。これはまちがいなく吉兆。必ずや、主公のために宝を得てまいります」
などと言っている。
それを目の当たりにすると、ぼやぼやしていられないかもしれない、と思う。
仮に化かされたのではなく、本物の南華老仙の命令だったなら、大変だ。
法正に後れをとったなら、蜀の主導権は奪われる。
どころか、法正の風下につく毎日が待っているかもしれないのだ。
孔明もまた、劉備に言っていた。
「正直申し上げますと、いまだ半信半疑なのですが、もし本当ならば一大事。主公のため、天下のため、宝を取ってまいります」
劉備は満足そうに、うむ、とうなずいた。

つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/07)

幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮 序章 その1

2021年07月04日 10時59分58秒 | 幻界古城~臥龍と残酷策士の地下迷宮
田畑の刈り入れも無事終了し、落穂ひろいもあらかた終わった秋のこと。
色づいた柿の木の枝のうえで、雀の子が、冷え始めた風をよけるように、身を寄せて止まっていた。
柿の木はうまそうに熟していて、あざやかな橙色に照っている。すでに熟しきって地面に落ちてしまったものもあり、その蜜をもとめて蝶があつまってきていた。

と、不意に城の中から甲高い声がして、それが天を破かんばかりにひびきわたった。
おどろきのあまり雀の子らは飛び散っていった。
この甲高い声の主は法正、あざなを孝直といって、この蜀の地において、蜀郡太守として実権をにぎり、なんでもほしいままにふるまっている男である。
性質はきわめて残酷で打算的。国の内外で恐れられている男だ。
徳の人といわれる劉備が、なぜこの男を寵愛しているのか、心ある人はいつも疑問に思っている。

劉備の片腕としてはたらいてきた孔明は知っている。法正もまた、劉備の魅力にとりつかれた一人。劉備もそれに応えて寵愛を与えている。そこまではいい。
さらに、かれは便利なのだ。劉備のためなら、どんな恐ろしいことでも平気でやれる男なのだ。
恐ろしいことのなかには、もちろん汚れ仕事も入っている。
法正も、自分がなにをしているかについては自覚的で、おのれの業績を誇って威張り散らす悪い面があり、法正ほどに汚れられない孔明は、挑戦的な態度を我慢するしかない。

今日もまた、法正の強硬な主戦論にたいし、劉備は咎めることなく、むしろ楽しそうにそのことばを聞いている。
逆に、孔明が語る、内政重視の提案には、乗り気ではないようだ。
その気配がわかるのだろう。法正は居丈高に言った。
「軍師将軍ともあろうものが、なんと弱気な。臆病風に吹かれたか」
およそ、男子に向かって言ってはいけないことばのひとつは臆病だと思われるが、法正は気にせずそれをぶつけてきた。
孔明は、ぴくりとこめかみが動くのをおぼえつつ、冷静さをよそおって答える。
「漢中の張魯は降伏したのです。曹操の兵のほとんどは士気の高いまま温存されている状態であり、これに挑戦するのは愚の骨頂。むやみに貴重な兵を失う結果になるだけです」
孔明がいうと、法正は馬鹿にしたように、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「蜀の兵の士気も高いままじゃ。なにせ、張魯が降伏したのと同様、劉璋も降伏したのだからな」
「しかし、蜀に入るまで、長く戦をつづけており、兵は疲労しております。ここで休ませねば、兵の不満が爆発するのは目に見えております」
「その爆発を抑えるのが、貴殿の役目ではないか、そうでございましょう、主公」
同意を求める法正に、劉備は、あいまいに、そうだなあ、と答えた。

どうも最近の劉備は優柔不断だ。
いや、もっといってしまえば、法正に弱い。
孔明としては歯がゆくてしかたない。
劉備は、この残酷で薄情なこの男のどこがよいのか。この男は旧主の劉璋を裏切っている男なのだ。また裏切り行為を働きかねないというのに。

孔明はあらためて法正を観察した。
見れば見るほど、狐によく似た逆三角形の顔。目は狡すっからく吊り上がり、薄情そうな薄い唇はいつも曲がっている。
目の下にはクマがでてきるのは、きっと短い間に、大量の蜀の豪族や官吏を一族もろとも虐殺したせいに決まっている。悪い夢をみるので眠れないのだろう。
同情はしない。女も幼子も老人も、容赦なく殺したからだ。
年は、三十四になる自分より、すこし上くらい。
そのわりには、老けて見えるなと孔明は思う。孔明はおのれの若々しさに自信があるため、そこは優越感のもとである。
しかし、法正の容姿にも見るべきところはあって、老け顔のわりに肌はつやつや、髪の毛もくろぐろ。いい食事をしているためだろう。
着ている衣にしても、意外にも蜀錦をおしゃれに着こなしており、色合いもこげ茶色を中核にして、渋くまとめている。
曹操が、衣装に縁取りのあるものを着た、息子の曹植の妻女を贅沢だと言って斬ったという話がつたわってきていたが、法正も孔明も、そこには頓着していなかった。
げんに、孔明と法正がならんでいると、対極的な最新流行の服のお手本に見えるだろう。
派手なほうが孔明で、渋いのが法正。
孔明は、自分が派手に衣装をまとめているのは、蜀錦を宣伝するためと主張している。
もちろん、荊州にいたころから派手にしていたことは、みな知っているのだが。

「軍師将軍は兵を休ませてなにをさせるつもりかな。まさか、曹操にならって、屯田でも始めるつもりか」
「屯田。それも結構。だが、われらにはやらなくてはならない急ぎの仕事がほかにございましょう」
「なんであろう」
「都江偃の修復です。長年、蜀の地をおさめながら、劉璋は土木工事にほとんど手を付けていなかった。というよりも、劉璋を支えていた家臣たちは、劉璋に土木工事の進言をほとんどしてこなかった。いったい、かれらはなにをしていたのでしょうね」
孔明の嫌味に、劉璋のむかしの家臣たちは顔を烏瓜のように赤くしたが、もっとも赤くなっていたのは、法正であった。
法正はその狐そっくりの容姿や、残酷な性質が劉璋にきらわれて、窓際においやられていた男である。
そのため、劉璋を裏切って劉備に走ったのだが、だからといって、劉璋の元にいた事実が消えるわけではない。
窓際だったから提言をできなかったとは口が裂けても言いたくないであろうし、かといって、黙って流すことができる性質でもない。
案の定、口をとがらせて抗議してきた。
「なんという嫌味っ。言葉が過ぎるぞ、軍師将軍」
「事実なので仕方ありませぬ。都江偃は李冰が整備した状態のまま、何百年ともちこたえてきた。ですが、そろそろ手を加えねば、益州の人民はその恩恵にあずかれなくなってしまう。
現に、わたしのところにも農民たちから陳情が寄せられております。都江偃からの水路の水が細くなっているようだと。おそらく、途中で土がたまっている箇所が増えているのでしょう。早急にこれを整備しなくてはいけない。
農地が痩せ細れば、それはそのまま、兵糧の維持が難しくなることを意味します。そうすれば、あなたの大好きな戦ができなくなりましょう」
法正はカッカしたまま、唇を大きくゆがめた。
「わたしのところには、そのような陳情は来ておらぬ。そなたのでっち上げかもしれぬ」
「農民たちも人物をよく見て陳情に来るのではありませぬか」
「な、なんと生意気なっ。そなたは戦を後回しと言うが、それで、時機を逃し、曹操に漢中を獲られたままだとどうなるか、わかっておるのか。漢中は蜀の喉元。ここを曹操に抑えられているかぎり、われらはつねに侵攻の脅威におびえておらねばならぬ。
だからこそ、いま一気に攻めたほうがよいと、わたしは言っておるのだ。まして、いま都でも、政変が置き、おいたわしいことに皇后さまが廃される騒ぎになっているという。曹操の足元にも火がついている状態だ。
ならば、都にわれらの動きに呼応する者も出て来るやもしれぬ。いまが時機にちがいない。これを逃し、もし二度と漢中を獲れなくなったら、そのときはそなたが責任をとるか、どうだ」
「どうだ、と申されましても、責任は負いかねますな。だいたい、都で政変が起こったとおっしゃいますが、すでにそれは平定されて、皇后の座には、ずうずうしくも曹操の娘がついたという話。もう都は落ち着いております。
それに、われらの動きに呼応する者がいるかもしれないなどというのは、希望的観測にすぎませぬ。そのようなあやふやな期待に賭けるより、確実さを狙うべきです。まずは、国力を安定させ、民を落ち着かせるのです」
「だから、それが臆病と申しておるのだ」
「臆病はやめていただきましょうか」
「事実ではないかっ」
「なんですって」
いまにも取っ組み合いになりそうな言い争いに、群臣たちはだれも発言せず、息を詰めて見守っている。
椅子のうえの劉備だけが、悩まし気な顔をして頬杖をしていた。
聞いているのかな、と孔明が不安になったころ、劉備が口をひらいた。
「おまえたち、その議論、いつ決着がつくのだよ」

つづく

(Ⓒ牧知花 2021/07/04)

いよいよ始まりました、新シリーズの新連載!
これからしばらくお付き合いくださいませ!

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