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二日後の満月のために準備を進めねばならない。
劉備の計らいで、孔明と法正は、三日間の休暇を得ることになった。
二日後に古城へ潜り、翌日は体を休める、という算段である。
満月の日にのみあらわれるという不思議な古城への入り口については、緘口令が敷かれ、城内でも、それを知っているのは一握りの人間に限られることとなった。
孔明としては、まだ狐につままれた気持ちである。
野狐そっくりの法正に、だまされているのではとすら邪推してしまう。
しかし、法正も、話が終わったあと、怪しむような目を孔明に向けていたし、さすがにかれの悪知恵をしても、孔明と劉備とに同じ夢を見せる幻術が使えるとは思えないので、ちがうのだろう。
「屋敷に帰る前に、東の市へまわってくれ」
御者に命じて、孔明は馬車でもって、遠回りをして東の市へと向かった。
そこは処刑場としても使われている場所であり、かつて入蜀をはたしたあと、法正がどさくさにまぎれて宿敵とその一族を皆殺しにした場所でもあった。
孔明はいまだに覚えている。
知らせを受けて、馬を飛ばして東の市へ行くと、もうすべての罪人とされた人々が殺された後だった。
法正はおそろしく手回しがよかったのだ。
市のまわりには、死者とつながりがあった人々が、恐怖と悲しみに顔をひきつらせて、懐かしい人の顔がそのなかに入っていないかと確かめている姿があった。
大きな声で泣き叫ぶと、法正につながっている役人が飛んでくるので、みな震える手で口を覆っていた。
その場のだれもが、あまりの暴挙への怒りを共有していた。
その怒りの矛先は、そのまま法正に向けられるはずであったのだが、かばったのは、ほかならぬ劉備だった。
それまで法正はつらい思いをしてきたのだし、勲功もある男を処罰するのはおかしいというのである。
理不尽な決定におおっぴらに異を唱えられない異様な空気が、戦勝気分でもりあがっている成都にはあった。
事実、既存勢力によってながいあいだ苦しめられていた蜀の民の一部は、法正の虐殺を褒めたたえさえした。
これで、蜀は風通しが良くなっただろうと。
蜀は物産が豊かなこともあり、豪族たちが奢侈にふけり、それが目に余るほどのものだった。
法正は、そんな贅沢三昧をして民を省みなかった豪族の一部を粛清したかたちになったのである。
無知な民ほど、法正を支持したようである。
しかし、しばらくも経たないうちに、かれらは、自分たちの上に、豪族の代わりに法正らがのしかかってきたことに気付いただろう。
孔明の仕事は、そんなかれらの重荷をすこしでも軽くしてやることだ。
劉備は、法正がつらい目に遭ってきたというが、その狐に似た風貌と、定まらぬ品行のため、劉璋に疎まれていた程度のことにすぎない。
いまは乱世であるから、法正くらいのつらい目に遭ってきた人間は、ほかにも山ほどいる。
孔明は気づいている。劉備は、自分が蜀の主となったさいに、抵抗勢力の筆頭となりかねない一派を法正が粛清したことを、ひそかに喜んでいるのだと。
気づきたくないことではあったが、しかしまちがえようのない事実であった。
仮に、ここに関羽がいたなら、おそらく、劉備にけじめをつけるよう、きっちりと諫言できたはずだ。
しかし、関羽は荊州を守っていて蜀にはいないし、関羽とおなじくらい存在に重みがある人間も、蜀にはいない。
『わたしも子龍も、益徳どのすら、雲長どのには代われないのだな』
そう思うと、歯がゆさもある。
東の市は、いまは人々が往来しているだけで、もうあの日の血だまりはなくなっているし、ひどい死臭も消えて、なくなっている。
あまりに一度に大勢が殺されたので、市の周囲だけではなく、そのさらに遠くまで、異臭がしていたと、あとから聞いた。
あの日、孔明は市に法正の姿を見なかった。
法正は、殺されていった人々のむくろを見なかったのではないかとすら思っている。
あの男でも、あの日の光景は、正視に耐えなかったのではないか。
孔明はしずかに瞑目した。
そして、こころで呼びかけた。
『法孝直には、蜀の実権は渡さぬ。なにが邪魔しようと、きっと、渡さぬ。だから、みな安らかに眠れ』
答えはない。ただ、東の市を、秋風が通り抜けていくばかりである。
つづく
(Ⓒ牧知花 2021/07/14)
★ お待たせしました、活動再開です!
あらためて、新連載、よろしくお願いしまーす(^^♪
二日後の満月のために準備を進めねばならない。
劉備の計らいで、孔明と法正は、三日間の休暇を得ることになった。
二日後に古城へ潜り、翌日は体を休める、という算段である。
満月の日にのみあらわれるという不思議な古城への入り口については、緘口令が敷かれ、城内でも、それを知っているのは一握りの人間に限られることとなった。
孔明としては、まだ狐につままれた気持ちである。
野狐そっくりの法正に、だまされているのではとすら邪推してしまう。
しかし、法正も、話が終わったあと、怪しむような目を孔明に向けていたし、さすがにかれの悪知恵をしても、孔明と劉備とに同じ夢を見せる幻術が使えるとは思えないので、ちがうのだろう。
「屋敷に帰る前に、東の市へまわってくれ」
御者に命じて、孔明は馬車でもって、遠回りをして東の市へと向かった。
そこは処刑場としても使われている場所であり、かつて入蜀をはたしたあと、法正がどさくさにまぎれて宿敵とその一族を皆殺しにした場所でもあった。
孔明はいまだに覚えている。
知らせを受けて、馬を飛ばして東の市へ行くと、もうすべての罪人とされた人々が殺された後だった。
法正はおそろしく手回しがよかったのだ。
市のまわりには、死者とつながりがあった人々が、恐怖と悲しみに顔をひきつらせて、懐かしい人の顔がそのなかに入っていないかと確かめている姿があった。
大きな声で泣き叫ぶと、法正につながっている役人が飛んでくるので、みな震える手で口を覆っていた。
その場のだれもが、あまりの暴挙への怒りを共有していた。
その怒りの矛先は、そのまま法正に向けられるはずであったのだが、かばったのは、ほかならぬ劉備だった。
それまで法正はつらい思いをしてきたのだし、勲功もある男を処罰するのはおかしいというのである。
理不尽な決定におおっぴらに異を唱えられない異様な空気が、戦勝気分でもりあがっている成都にはあった。
事実、既存勢力によってながいあいだ苦しめられていた蜀の民の一部は、法正の虐殺を褒めたたえさえした。
これで、蜀は風通しが良くなっただろうと。
蜀は物産が豊かなこともあり、豪族たちが奢侈にふけり、それが目に余るほどのものだった。
法正は、そんな贅沢三昧をして民を省みなかった豪族の一部を粛清したかたちになったのである。
無知な民ほど、法正を支持したようである。
しかし、しばらくも経たないうちに、かれらは、自分たちの上に、豪族の代わりに法正らがのしかかってきたことに気付いただろう。
孔明の仕事は、そんなかれらの重荷をすこしでも軽くしてやることだ。
劉備は、法正がつらい目に遭ってきたというが、その狐に似た風貌と、定まらぬ品行のため、劉璋に疎まれていた程度のことにすぎない。
いまは乱世であるから、法正くらいのつらい目に遭ってきた人間は、ほかにも山ほどいる。
孔明は気づいている。劉備は、自分が蜀の主となったさいに、抵抗勢力の筆頭となりかねない一派を法正が粛清したことを、ひそかに喜んでいるのだと。
気づきたくないことではあったが、しかしまちがえようのない事実であった。
仮に、ここに関羽がいたなら、おそらく、劉備にけじめをつけるよう、きっちりと諫言できたはずだ。
しかし、関羽は荊州を守っていて蜀にはいないし、関羽とおなじくらい存在に重みがある人間も、蜀にはいない。
『わたしも子龍も、益徳どのすら、雲長どのには代われないのだな』
そう思うと、歯がゆさもある。
東の市は、いまは人々が往来しているだけで、もうあの日の血だまりはなくなっているし、ひどい死臭も消えて、なくなっている。
あまりに一度に大勢が殺されたので、市の周囲だけではなく、そのさらに遠くまで、異臭がしていたと、あとから聞いた。
あの日、孔明は市に法正の姿を見なかった。
法正は、殺されていった人々のむくろを見なかったのではないかとすら思っている。
あの男でも、あの日の光景は、正視に耐えなかったのではないか。
孔明はしずかに瞑目した。
そして、こころで呼びかけた。
『法孝直には、蜀の実権は渡さぬ。なにが邪魔しようと、きっと、渡さぬ。だから、みな安らかに眠れ』
答えはない。ただ、東の市を、秋風が通り抜けていくばかりである。
つづく
(Ⓒ牧知花 2021/07/14)
★ お待たせしました、活動再開です!
あらためて、新連載、よろしくお願いしまーす(^^♪