「偉度さまは、変わっておられる」
そういう景であるが、偉度の着替えを手伝うその様子は、鏡越しに、どこかしら、うきうきとしているように見える。
景はどこから用意したのか、さまざまな色の、瀟洒な絹の衣裳を持ち出して、髪を解き、薄物一枚のほかは、ほとんど素肌をさらしている偉度の肩に、これはどうか、これは似合わない、などと、あれこれ選別をしている。
「まさか、お前が着ているものではなかろうな」
さすがに偉度がいうと、景は、例の、声を立てずに肩を揺らす笑い方をして、答えた。
「わたくしめの物ではございませぬよ。わけあって、手元に置いているものでございます」
「その、わけ、とやらは聞きたくないな」
「それが賢明かと」
景は、どこか得体のしれない笑みをうかべて、肩を揺すった。
景は、さいごに、薄い桃色の衣を持ち出すと、偉度さまの肌には、これがいちばんお似合いだとつぶやいて、それにあわせて衣裳を一式、調えた。
この男は、洛陽で宦官をつとめていたときも、こんな役目をしていたのかと、ふと思う。
調えられた衣裳、帯、領巾、簪、首飾り、どれも互いに目立ちすぎず、地味にならず、ほどよく中身が引き立つように選ばれている。
景の、太く白くやわらかな指に手伝ってもらいながら、偉度は衣裳を手馴れたふうに身にまとう。
解いた髪に香油をさして、当世の流行にあわせて結ってみる。
蛇のようにくねって束ねられた髪に、銀色の簪を挿す。
白粉を肌にはたき、鮮やかな紅を差す。
自分がどんどん別のものに成り代わっていくのが鏡に映る。
その変わり行く姿を見るたびに、偉度は、笑いがこみ上げてくる。
変装をするのは好きだ。
もともと、自分にはこうした趣味があるのかな、と恐ろしくなったときもあったが、実のところ、老婆に化けようが、商人に化けようが、何に成り代わろうと、そうなる手前の瞬間で、偉度は快感をおぼえている。
『孔明の主簿』というのだって、実は周りを欺き、化けているようなものだ。
むしろ、こうして闇の顔を取り戻しているときのほうが、素なのかもしれない。素を取り戻せるので、偉度はうれしくなって笑うのか、そのあたりは自分でも判然としないし、はっきりさせるつもりもなかった。
ほどなく鏡の前には、橙色の明かりに照らされた、いささか盛りの過ぎた、それでもなお、銀花のように美しい妓女の姿があらわれた。
偉度はくるりと一回転して、袖と領巾を優雅に揺らして、自分の姿を確かめると、眉をしかめて、景を真正面から見た。
「この界隈にいるにしては、不自然なほど、上等な女に見えないか」
景は、おだやかに首を振り、もの静かな笑みを浮かべたまま、言う。
「いいえ、このあたりに最初に漂い落ちる者は、最初はみな、このように『まとも』でございますから」
「笑いながら恐ろしいことを言うやつだな。まあ、目立てればよいか」
言いながら、偉度は愛用の短刀を懐に隠し、領巾を身に纏いなおす。
いまでこそ、明かりがあるから女装した男だと、すぐにばれるであろうが、暗がりに潜めば、月明かりの魔術によって、男らしさの痕跡は消えうせる。
そして、偉度は、その気配を消すことに長けていた。
「高く売れそうかい?」
と、一見すると大人しそうな美しい妓女は、不敵な笑みを、にっ、と景に見せる。景はやはり、にこにこと、おだやかに笑うばかりで、答えない。
景が、なにを考えているのかということは、いまの偉度には関係なかったから、景の反応の曖昧さに、肩をすくめると、さらに鏡を覗き込み、化粧をあらためる。
すると、またも鏡越しに、景が言った。
「あまり、遊びすぎてはなりませぬよ」
「遊ぶ? そんなふうに見えるかい」
そういう意味ではない、と景は首を振る。
「偉度さま、正義というものは、毒を含んだ美酒でございます。あまり呑みすぎてはなりませぬ。悪酔いをして、いつか良識というものが潰されてしまう。気づくと鬼になっている。そうして潰れてきた『善きひと』を、わたくしは何人も目にいたしました。
偉度さま、あなたさまが鬼になる様を見たい気もいたしますが、やはり、貴方様は、陽の当たる場所へ向かわれるべきお方でございますよ」
陽の当たる場所か、と苦くつぶやきつつ、ふと、蕭花と、薛、そして許婚であったという三人の、ほんとうに『善きひと』を思い出していた。
彼らになんの咎があったという。
正義とはなんだ。運命とはなんなのだ。
「景よ、おまえはわたしを『善きひと』だと誉めてくれたようだが、それはちがうよ。わたしは、『悪』なのだ。『悪』であるから、常ならばせぬ、このような衣裳をまとい、男を誘う仕草もしてみせる」
「それは、縁も所縁もない、あまたの女たちの恨みを晴らすため、でございましょう」
「いいや、単に黄元の息子が気に食わないからさ。おまえにわかるだろうか、これは純粋に、縄張り争いなのさ。わたしの目の光るところで、愚か者が、親の威光を笠にして、下劣な真似をして威張り腐っている。これは叩きのめさねばならぬ。狼がそうするように、わたしも迷い込んできた愚かな狼を牙にかけにいく。それだけのことだ」
すると景は、肩を揺らして、声を立てずに笑いながら、そういうことにしておきましょう、と言った。
景の家を出ると、まさにそこは天と地のごとき差をみせる暗闇の世界が広がっている。
当初、ここへ来たときは怖じたものであるが、偉度はもはや、うつむきも、目を逸らすこともしなかった。
さながら女神のように傲然と、歩みを進めて、泥と汚物の混ざり合った界隈をあるく。
目のうつろな人々、なにかを求めて、するどくあたりを睥睨するもの、意味のない言葉をぶつぶつとつぶやき、まるで天空からだれかに操られているかのように、ぐるぐるとあてもなく周囲を回っている者。
たまに、つよく肩をつかまれ、引き止められそうになったが、偉度は、それをきつく跳ね除けた。
求めているのは、その手ではない。
偉度は、おのれの美貌を見せつけるように、うつむきかげんに路地にさまよう人々を、堂々と見据えた。
日が昇れば、この界隈の人々は、夜に目を開いていた分を取り戻すために、陽光から逃れるようにして日陰に隠れ、そこで眠る。
安宿があって、薄汚い部屋に、ネズミのよう肌を寄せ合って、そこで眠るのだ。
そうして夜になると、ふらふらと表にあわれて、己の正体を曖昧にさせてくれる闇に身を浸して、幽鬼のように、常人のまえに姿をあらわす。
かれらを、哀れとは思わない。
かれら自身は、なるべくしてなったのではない、仕方がなかったのだ、と叫ぶだろう。
しかし偉度からすれば、彼らは、やはり自ら選んで、闇に住まい、身をかがめた人々であった。
いくつもいくつも、踏みとどまるきっかけはあったはずだ。
差し伸べられた手はあったはずだ。
かれらの目が眩んでいただけ、耳が塞がっていただけだ。
血反吐を吐くような思いをして、なんとか陽光の容赦ない明るさに身を照らし、おのれの恥や弱さと向き合う努力を、なぜ、おまえたちは放棄した。
おまえたちは救われない。自分で自分を救おうとしないからだ。そして自ら死んでいく。
路地に彷徨う者は、男も女も関係ない。
老いた者、子供でさえ関係がない。
ふと、憎憎しげに自分を睨みつけている少年と目があって、偉度は逆にその目を厳しく見据えて、逸らさせた。
勝った、とは思わなかった。
むしろ、自分の目から逃れない勇気が、その少年にあったほうが、偉度は救われたであろう。
その少年は、ちょうど樊城にいて、ちがう名前を与えられ、自堕落に生きていた自分と同じくらいであった。
「やたら高そうだな。ここいらの相場とは釣りあわねぇだろう」
偉度は振り向かず、やれやれ、と小さくため息をついて、場に似合わぬ、むしろ、その界隈の人々が、避けて散っていくほどに、明るい声に振り返った。
そこには、やたらと周囲から浮き上がっている、赤い頭巾が立っていた。
「なぜここに? 景が、使いを寄越したのですか」
いいや、と赤頭巾は首を振ると、偉度のつま先から頭のてっぺんまでをじっくり眺めて、一瞬だけ、困ったように笑い、それから、それから胸を張った。
「わしは、なんでもお見通しなのだ」
「嘘をおっしゃい。景が使いを寄越したのではない、というのなら、ご自分で、事態をなんとかしなければと、こんなところに、一人でやってきたのでしょう」
赤頭巾は、嬉しそうに目を細めて、お、察しがいいじゃねぇか、などと喜んでいる。
しかし、その全身から、まさに陽気とも言おうか、陽光の燦々とした翳りのない光が、全身からにじみ出ているがゆえに、どっぷりと泥のように沈み込む闇の世界に、赤頭巾はまったくもってなじまずに、浮き上がっていた。
「お帰り下さい」
偉度が言うと、赤頭巾は、頭巾の中で口を尖らせた。
「なんでだよ」
頭が痛くなってきた。
偉度は、銀の簪の音をしゃらん、しゃらんとさせながら、首を振る。
「周りをご覧なされませ、周りを! あなたさまは目立ちすぎる。これでは、わたくしの苦心も、水泡に帰してしまいます。いうなれば、邪魔です」
偉度の、容赦のない、邪魔、のひとことに、赤頭巾・劉備はぐっさりときたようであった。
「でもよ、これは、わしも首を突っ込んだことなのだぜ?」
正直なところ、偉度は自分のこの姿を見られたことを恥ずかしく思ったし、同時に、劉備のような陽性の男が、黄元の息子の淵とやらをどう処罰するのか、せいぜいが捕らえて説教して、黄家に対して、なんらかの制裁を加える程度だと踏んでいたから、なおさら邪魔であった。
仕方がない。
「では、主公、その目立ちすぎる頭巾をなんとかして、それから、物陰に隠れて、黄淵とやらがやってくるのを見張ってはいただけませぬか」
見張り、と聴いて、劉備は退屈そうだと思ったようで、気乗りがしないとくずっていた。
だが、それでも確かに、偉度がひとりでうろうろしていたほうが、黄淵を釣れそうだと判断し、なんてヤツだよ、とぶつぶつ言いながら、おとなしく朽ちかけた板塀の後ろに隠れていった。
つづく……
そういう景であるが、偉度の着替えを手伝うその様子は、鏡越しに、どこかしら、うきうきとしているように見える。
景はどこから用意したのか、さまざまな色の、瀟洒な絹の衣裳を持ち出して、髪を解き、薄物一枚のほかは、ほとんど素肌をさらしている偉度の肩に、これはどうか、これは似合わない、などと、あれこれ選別をしている。
「まさか、お前が着ているものではなかろうな」
さすがに偉度がいうと、景は、例の、声を立てずに肩を揺らす笑い方をして、答えた。
「わたくしめの物ではございませぬよ。わけあって、手元に置いているものでございます」
「その、わけ、とやらは聞きたくないな」
「それが賢明かと」
景は、どこか得体のしれない笑みをうかべて、肩を揺すった。
景は、さいごに、薄い桃色の衣を持ち出すと、偉度さまの肌には、これがいちばんお似合いだとつぶやいて、それにあわせて衣裳を一式、調えた。
この男は、洛陽で宦官をつとめていたときも、こんな役目をしていたのかと、ふと思う。
調えられた衣裳、帯、領巾、簪、首飾り、どれも互いに目立ちすぎず、地味にならず、ほどよく中身が引き立つように選ばれている。
景の、太く白くやわらかな指に手伝ってもらいながら、偉度は衣裳を手馴れたふうに身にまとう。
解いた髪に香油をさして、当世の流行にあわせて結ってみる。
蛇のようにくねって束ねられた髪に、銀色の簪を挿す。
白粉を肌にはたき、鮮やかな紅を差す。
自分がどんどん別のものに成り代わっていくのが鏡に映る。
その変わり行く姿を見るたびに、偉度は、笑いがこみ上げてくる。
変装をするのは好きだ。
もともと、自分にはこうした趣味があるのかな、と恐ろしくなったときもあったが、実のところ、老婆に化けようが、商人に化けようが、何に成り代わろうと、そうなる手前の瞬間で、偉度は快感をおぼえている。
『孔明の主簿』というのだって、実は周りを欺き、化けているようなものだ。
むしろ、こうして闇の顔を取り戻しているときのほうが、素なのかもしれない。素を取り戻せるので、偉度はうれしくなって笑うのか、そのあたりは自分でも判然としないし、はっきりさせるつもりもなかった。
ほどなく鏡の前には、橙色の明かりに照らされた、いささか盛りの過ぎた、それでもなお、銀花のように美しい妓女の姿があらわれた。
偉度はくるりと一回転して、袖と領巾を優雅に揺らして、自分の姿を確かめると、眉をしかめて、景を真正面から見た。
「この界隈にいるにしては、不自然なほど、上等な女に見えないか」
景は、おだやかに首を振り、もの静かな笑みを浮かべたまま、言う。
「いいえ、このあたりに最初に漂い落ちる者は、最初はみな、このように『まとも』でございますから」
「笑いながら恐ろしいことを言うやつだな。まあ、目立てればよいか」
言いながら、偉度は愛用の短刀を懐に隠し、領巾を身に纏いなおす。
いまでこそ、明かりがあるから女装した男だと、すぐにばれるであろうが、暗がりに潜めば、月明かりの魔術によって、男らしさの痕跡は消えうせる。
そして、偉度は、その気配を消すことに長けていた。
「高く売れそうかい?」
と、一見すると大人しそうな美しい妓女は、不敵な笑みを、にっ、と景に見せる。景はやはり、にこにこと、おだやかに笑うばかりで、答えない。
景が、なにを考えているのかということは、いまの偉度には関係なかったから、景の反応の曖昧さに、肩をすくめると、さらに鏡を覗き込み、化粧をあらためる。
すると、またも鏡越しに、景が言った。
「あまり、遊びすぎてはなりませぬよ」
「遊ぶ? そんなふうに見えるかい」
そういう意味ではない、と景は首を振る。
「偉度さま、正義というものは、毒を含んだ美酒でございます。あまり呑みすぎてはなりませぬ。悪酔いをして、いつか良識というものが潰されてしまう。気づくと鬼になっている。そうして潰れてきた『善きひと』を、わたくしは何人も目にいたしました。
偉度さま、あなたさまが鬼になる様を見たい気もいたしますが、やはり、貴方様は、陽の当たる場所へ向かわれるべきお方でございますよ」
陽の当たる場所か、と苦くつぶやきつつ、ふと、蕭花と、薛、そして許婚であったという三人の、ほんとうに『善きひと』を思い出していた。
彼らになんの咎があったという。
正義とはなんだ。運命とはなんなのだ。
「景よ、おまえはわたしを『善きひと』だと誉めてくれたようだが、それはちがうよ。わたしは、『悪』なのだ。『悪』であるから、常ならばせぬ、このような衣裳をまとい、男を誘う仕草もしてみせる」
「それは、縁も所縁もない、あまたの女たちの恨みを晴らすため、でございましょう」
「いいや、単に黄元の息子が気に食わないからさ。おまえにわかるだろうか、これは純粋に、縄張り争いなのさ。わたしの目の光るところで、愚か者が、親の威光を笠にして、下劣な真似をして威張り腐っている。これは叩きのめさねばならぬ。狼がそうするように、わたしも迷い込んできた愚かな狼を牙にかけにいく。それだけのことだ」
すると景は、肩を揺らして、声を立てずに笑いながら、そういうことにしておきましょう、と言った。
景の家を出ると、まさにそこは天と地のごとき差をみせる暗闇の世界が広がっている。
当初、ここへ来たときは怖じたものであるが、偉度はもはや、うつむきも、目を逸らすこともしなかった。
さながら女神のように傲然と、歩みを進めて、泥と汚物の混ざり合った界隈をあるく。
目のうつろな人々、なにかを求めて、するどくあたりを睥睨するもの、意味のない言葉をぶつぶつとつぶやき、まるで天空からだれかに操られているかのように、ぐるぐるとあてもなく周囲を回っている者。
たまに、つよく肩をつかまれ、引き止められそうになったが、偉度は、それをきつく跳ね除けた。
求めているのは、その手ではない。
偉度は、おのれの美貌を見せつけるように、うつむきかげんに路地にさまよう人々を、堂々と見据えた。
日が昇れば、この界隈の人々は、夜に目を開いていた分を取り戻すために、陽光から逃れるようにして日陰に隠れ、そこで眠る。
安宿があって、薄汚い部屋に、ネズミのよう肌を寄せ合って、そこで眠るのだ。
そうして夜になると、ふらふらと表にあわれて、己の正体を曖昧にさせてくれる闇に身を浸して、幽鬼のように、常人のまえに姿をあらわす。
かれらを、哀れとは思わない。
かれら自身は、なるべくしてなったのではない、仕方がなかったのだ、と叫ぶだろう。
しかし偉度からすれば、彼らは、やはり自ら選んで、闇に住まい、身をかがめた人々であった。
いくつもいくつも、踏みとどまるきっかけはあったはずだ。
差し伸べられた手はあったはずだ。
かれらの目が眩んでいただけ、耳が塞がっていただけだ。
血反吐を吐くような思いをして、なんとか陽光の容赦ない明るさに身を照らし、おのれの恥や弱さと向き合う努力を、なぜ、おまえたちは放棄した。
おまえたちは救われない。自分で自分を救おうとしないからだ。そして自ら死んでいく。
路地に彷徨う者は、男も女も関係ない。
老いた者、子供でさえ関係がない。
ふと、憎憎しげに自分を睨みつけている少年と目があって、偉度は逆にその目を厳しく見据えて、逸らさせた。
勝った、とは思わなかった。
むしろ、自分の目から逃れない勇気が、その少年にあったほうが、偉度は救われたであろう。
その少年は、ちょうど樊城にいて、ちがう名前を与えられ、自堕落に生きていた自分と同じくらいであった。
「やたら高そうだな。ここいらの相場とは釣りあわねぇだろう」
偉度は振り向かず、やれやれ、と小さくため息をついて、場に似合わぬ、むしろ、その界隈の人々が、避けて散っていくほどに、明るい声に振り返った。
そこには、やたらと周囲から浮き上がっている、赤い頭巾が立っていた。
「なぜここに? 景が、使いを寄越したのですか」
いいや、と赤頭巾は首を振ると、偉度のつま先から頭のてっぺんまでをじっくり眺めて、一瞬だけ、困ったように笑い、それから、それから胸を張った。
「わしは、なんでもお見通しなのだ」
「嘘をおっしゃい。景が使いを寄越したのではない、というのなら、ご自分で、事態をなんとかしなければと、こんなところに、一人でやってきたのでしょう」
赤頭巾は、嬉しそうに目を細めて、お、察しがいいじゃねぇか、などと喜んでいる。
しかし、その全身から、まさに陽気とも言おうか、陽光の燦々とした翳りのない光が、全身からにじみ出ているがゆえに、どっぷりと泥のように沈み込む闇の世界に、赤頭巾はまったくもってなじまずに、浮き上がっていた。
「お帰り下さい」
偉度が言うと、赤頭巾は、頭巾の中で口を尖らせた。
「なんでだよ」
頭が痛くなってきた。
偉度は、銀の簪の音をしゃらん、しゃらんとさせながら、首を振る。
「周りをご覧なされませ、周りを! あなたさまは目立ちすぎる。これでは、わたくしの苦心も、水泡に帰してしまいます。いうなれば、邪魔です」
偉度の、容赦のない、邪魔、のひとことに、赤頭巾・劉備はぐっさりときたようであった。
「でもよ、これは、わしも首を突っ込んだことなのだぜ?」
正直なところ、偉度は自分のこの姿を見られたことを恥ずかしく思ったし、同時に、劉備のような陽性の男が、黄元の息子の淵とやらをどう処罰するのか、せいぜいが捕らえて説教して、黄家に対して、なんらかの制裁を加える程度だと踏んでいたから、なおさら邪魔であった。
仕方がない。
「では、主公、その目立ちすぎる頭巾をなんとかして、それから、物陰に隠れて、黄淵とやらがやってくるのを見張ってはいただけませぬか」
見張り、と聴いて、劉備は退屈そうだと思ったようで、気乗りがしないとくずっていた。
だが、それでも確かに、偉度がひとりでうろうろしていたほうが、黄淵を釣れそうだと判断し、なんてヤツだよ、とぶつぶつ言いながら、おとなしく朽ちかけた板塀の後ろに隠れていった。
つづく……