No Room For Squares !

レンズ越しに見えるもの または 見えざるもの

琵琶湖の憂鬱

2014-11-27 | 過去写真(フィルム)




このカテゴリのことを、すっかり忘れていた。要は以前撮った写真をスキャンしたものを、昔を思い出しながら掲載するだけのカテゴリである。写真は琵琶湖。当時は京都の東端に住んでいて、琵琶湖には行き易い環境にあった。時間と余裕があれば別の所に行くので、僕が琵琶湖に行くときは、時間かお金(あるいは両方)がない時とか、遠出できない事情がある時が多かった。いわば妥協して行く場所だったのだ。
だから、失礼ながら琵琶湖には気分的にパッとしない憂鬱なイメージが強く残っている。残っている写真もそんな写真ばかりである。今だったら、喜んで琵琶湖に行くのだが・・・。


EOS-3 / EF28-135 F3.5-5.6 IS /AGFAのリバーサル(型名不明)
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記憶

2013-12-12 | 過去写真(フィルム)

「20世紀写真」というカテゴリは、以前にフィルムで撮った写真をスキャンして掲載しようという目論みで作成した。今のところ、スキャンは遅々として進まず、死ぬまでかかっても終わらないと思われる。ネガとプリントがバラバラだったりして整理すら覚束ない。だが時に、こうして予期せぬ懐かしい写真が出てくることもある。
この写真は、3年前(もう3年になるのか!)に亡くなった家の猫。撮影年度も機材も今となっては分からない。恐らくEOS-3であることは間違いなく、標準レンズにしては距離が近いので、先代のマクロレンズ(手振れ補正なし:その後買い替え)で撮ったものと思われる。この猫の写真は、色々なところから出て来て驚かされることがある。嘘みたいな話だが、2年ほど放置されていた未現像フィルムを、試しに現像してみたら、この猫の写真が出て来たこともある。それは、我が家に3代目の猫が来た直後のことだった。
この写真は、イケメン盛りの若い頃なので、恐らく2001~2002年頃のものではないかと想像している。僕はまだ、この猫のことを克明に覚えている。鳴き声も、毛並みの触感も、抱き上げたときのずっしりとした重さも・・・。それでも、記憶の克明さは、年月と共に徐々に、かつ確実に失われていくだろう。忘れ去られていたプリント写真に出会うことで、忘れつつあった感情も喚起されていく。

プリントからスキャン


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KYOTO

2013-09-12 | 過去写真(フィルム)

僕は結構色々な街に住んだ経験がある。静岡、千葉、東京、岡山、京都、そして今は秋田県である。京都に住むことになった時、無知だった僕は、街中に舞妓さんや芸妓さんが闊歩しているものと期待していた。繁華街を歩いている華やかな衣装の舞妓さんは、舞妓体験の観光客がほとんどであると気づくまで暫く時間もかかった。それでも、お仕事前の奇麗どころ達が、地味な衣装で買い物をしている姿は見かけるし、知り合いのツテでそういう宴席に参加する機会だってないことはなかった。いつの日か、自分のお金で舞妓さんを呼ぶような粋な旦那になりたいものだと思ったが、かなわないまま現在に至った。
さて、写真の芸妓さんはホンモノであるが、昼間にこんな姿で散策していることはあり得ない。これは京都のカメラ屋さんが開催した撮影イベントでの一齣である。確か1999年だと思う。現在は、そのようなイベントに参加しようなんて思うことはないが、当時は珍しくて素直に参加していたようである。イベントとはいえ、京都だからこその場面であった。

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暑中お見舞い

2013-07-31 | 過去写真(フィルム)
暑中お見舞い申し上げます。皆様くれぐれもご自愛下さい。
ここ、秋田県は未だ梅雨も空けておりません。昼間はそれなりに蒸し暑いものの、夜はエアコンいらずで、朝方になると寒いくらいです。このままいけば、真夏の盛りが来ないうちに、秋になってしまうのではと心配しております。写真は、過去写真シリーズのバリ島の写真。ウブドゥの山奥のホテルのプール。真夏には少し早く、プールに入ると冷たくて脚は吊るわ、顔面蒼白になるわ・・・・。今年の東北地方の冷夏のなか、当時のことを思い出した次第です。

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写生の少女

2013-07-12 | 過去写真(フィルム)
このシリーズは昔撮った写真のネガからアップしている。スキャンは細々と行っているが、正直、箸にも棒にもかからない写真ばかりで、傑作が埋もれている可能性はないだろう。アップする写真も「これ、いいんじゃない?」というものを選ぶわけではない。あんな所に行ったなあ、とか、こんなことしていたんだ、という記憶の琴線に触れたものを載せている。
今回は、チューリップをスケッチする少女。少女というよりも、この頃、僕は結構な確率で花の写真を撮っているのである。マクロレンズ(先代モデルで手振れ補正なし)も買ったし、チューリップとかコスモスとか、名前の分からない花とか、花の写真のオンパレードである。自分でいうのもなんだが、どれもこれも見れたものではない駄作ばかりだ。とにかく意味不明な前ボケを入れた写真が多く、うんざりする。そして恐らく21世紀を迎えた頃、さすがに自分でも見切りをつけ、花写真を追求することを諦めたのだと思う。この写真は、他の花写真に比べれば少しマシだが、作風が年寄り臭い気もする。


EOS-3 / EF100mm F2.8 / Fuji

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Blue Blue Blue

2013-07-06 | 過去写真(フィルム)





京都でのサラリーマン時代に撮った写真を見ると、気づくことがある。土地柄的に、寺社仏閣や町並みの写真、桜と紅葉の写真が圧倒的に多い。だが、長期の休暇となると、海とか空の青い場所を求めて出かけていたようなのである。京都は暑い場所だが、その暑さはスカッとしたものではなく、曇った空の下の強烈な蒸し暑さなのだ。僕が郷里の静岡で少年時代に経験した暑さ、つまり太陽の下では強烈に暑く、日陰に入ると涼しい。そういう清清しさはなく、逃げ場のないような暑さだった。しかも京都市内から海まで出かけるのも一苦労だ。海まで歩いて数分のところで育った僕には、違和感十分な環境である。

多分その辺りの事情が、海と空が青い「南の島」に行こう、という行動に繋がっていたのだと思う。そして、その「青さ」を撮った当時の機器、上段はフィルム一眼レフにリバーサル。下段は初期のデジタル一眼レフ。上段はただスキャンしただけの無加工。下段の写真は、これでも画像加工済で色を濃してある。こういう青さは当時のデジカメでは無理があった。一方リバーサルフィルムは、PLフィルター無しで、この青さ。昨今では、デジタルカメラでも難なくこの位の描写はこなすようになったが、当時はこんなものだった。
それにしても、あの頃はいつも疲れていて、アクティブに動きたいというよりも、リゾートでプールかビーチで寝転んで、何もせずに過ごしたい。ゆっくりしたい、そんなことばかり考えていたような気がする。

2002/ サイパンのホテルの窓から
上段 EOS-3 / Tokina 19-35mm / RDP3  
下段 EOS10D / Tokina 19-35mm

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南の島のリバーサル

2013-06-20 | 過去写真(フィルム)
ちょっと古い写真を、少しづつではあるが、スキャンしている。やろうやろうと思いつつ10年以上経つ。スキャンしていても、何の写真なのか分からないことも多くなった。そんな写真をたまにブログにアップしてみようとの思いから、「20世紀写真」というカテゴリを作った。必ずしも20世紀の写真とは限らないけど。

一回目は、マレーシアのランカウイ島に行ったときの写真。確か2001年だったと思うので、いきなり20世紀ではない写真だ。でも、こういう写真を改めて見ると、南国に行きたいな、と思う。当時は、京都に住んでいた。京都も暑い所で、ランカウイの空港に降り立ったときに、僕が最初に感じたのは「京都よりも涼しい」だった。とはいえ、からっとした空気や、陽射しの明るさ、空と海の青さ、それらは明らかに南国のものだった。また、この当時は、デジタル一眼なんてもの持っておらず、CanonのパワーショットG1(初代)をかなりの金額で購入したが、それが初めてマトモに使えたデジカメだった。リバーサルの描写は、ほとんど今と変わっていないようで、当時のフィルムのアドバンテージが理解できるというものだ。それにしても、たった10年ではあるが、隔世の感があるほど、デジタルは進歩した。


EOS-3 / EF28-135 F4-5.6 IS / RDP3

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