初代国立劇場さよなら特別公演を観に行った。今日は、3等席、4,000円のチケット。国立劇場は10月の公演で閉場になる。9月と10月の2ヶ月にわたり「妹背山女庭訓」の通し上演をやると言うので、両月とも観に行ってみようと思った。今月は第一部。座席を見渡してみると観客の入りは半分くらいか。さよなら公演にしては寂しい状況だった。人気俳優がでていないためか。
松竹の歌舞伎座公演では、いわゆる通し上演をやるのは滅多にない。それはこの演目にしてもそうだが、通しになると時間がかかり、1日がかりとなるからであり、午前の部だけ、午後の部だけ見るというのが難しくなり、興行的に採算が取れないからであろう。したがって、ある演目の人気のある幕だけをアラカルトで上演するいわゆる「みどり狂言」となる。
芸術性を重視して「通し上演」をあえてしているのが国立劇場である。民間でなく国立だからこそできることだろう。その姿勢は評価できるし、その存在意義は大きいと言えよう。今回の演目の通し上演は平成に入って以降、数えるほどしかないと言うのでさよなら公演としては価値がある演目であろう。
通し狂言 妹背山婦女庭訓三幕<第一部>
近松半二=作、戸部銀作=脚本、高根宏浩=美術
序 幕 春日野小松原の場
二幕目 太宰館花渡しの場
三幕目 吉野川の場
太宰後室定高:中村時蔵(68、萬屋)
太宰息女雛鳥:中村梅枝(35、萬屋、時蔵長男)
大判事清澄:尾上松緑(45、音羽屋)
久我之助清舟:中村萬太郎(34、萬屋、時蔵次男)
(※ 太宰と大判事は境界を接し、仲が悪いフリをしている)
蘇我入鹿(皇位を狙う逆臣):坂東亀蔵(45、音羽屋、彦三郎と兄弟)
腰元小菊:市村橘太郎
采女の局(帝の恋人、鎌足の娘、逃走中):坂東新悟(32、大和屋、彌十郎の息子)
この演目を観るのは初めてかもしれない。奈良時代を舞台にした話で、歌舞伎作品の中でも一番古い年代を扱っている作品。序幕と二幕目はそれぞれ20分から30分程度の短い幕、三幕目の吉野川の場が今回のメインであり、2時間弱の幕である。
だいたいのストーリーとしては、宮廷をクーデターで乗っ取った蘇我入鹿が不和な太宰と大判事両家の娘雛鳥と息子久我之助が恋仲なのを知り、さらに久我之助が自分のお目当ての采女の局をかくまっているのを突き止め、両家に娘と息子を自分のところに差し出せと命じる。両家はこれを拒否するために、娘と息子を自ら殺さざるを得なくなる、と言う悲劇。不和にある両家の子供どおしが恋仲になる、というのは「ロミオをジュリエット」を思い出させるが、それに負けないくらい奥深いストーリーになっている。
メインの吉野川の場は、吉野川を挟んで妹山、背山を背に両家の屋敷が向かい合う構図、この舞台景色は、尾形光琳の紅白梅図屏風を連想させるが、舞台に咲いているのは紅白の梅ではなく、満開の桜である。悲劇の舞台ではあるが、華やかな設定になっている。そしてこの場の特徴は、舞台が吉野川を挟んで2つに別れているのに合わせて、花道も左右両側にあると言うことだろう。
この演目は数えるほどしか演じられてこなかったが、主役の定高(さだか)と大判事は、過去においてはそうそうたる顔ぶれの役者が演じてきた。今回、定高は時蔵、大判事は松緑が演じたが、いずれも初役である。二人に取っては名誉なことであろう。そして定高の娘雛鳥は時蔵の長男梅枝が、大判事の息子久我之助は次男の萬太郎が演じた。時蔵としては最高の舞台となったと言ってよいだろう。自身も定高を非常にうまく演じていたと思う。
お家のため、主君のため、自分の子供さえ犠牲にするのは歌舞伎ではよくある話である。「寺子屋」の松王丸は世話になった菅丞相の息子を助けるため自分の子供を身替りに殺し、「熊谷陣屋」の熊谷直実は敵の若武者・平敦盛を殺したことにして実は自分の子供を殺して主君に敦盛を殺したと報告する。ただ、だからといって歌舞伎が演じられたこの時代(江戸時代)にそのようなことが当たり前に行われていたか、と言えばそうではないようだ。町人相手の歌舞伎では、武士は大変だなあ、と言うことを見せるためにそのようなストーリーにしたと言うことのようだ。
さて、今日は劇場近くの先日行ったパン屋さんル・グルニエ・ア・ パン 麹町本店でサンドイッチを買って劇場内の休憩所で昼食を取った。