ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

アーティゾン美術館で山口晃の展覧会を観る(その3、完)

2023年09月30日 | 美術

(承前)

山口氏の作品を鑑賞して大いに感心したが、違和感を覚えたものもある。

例えば、「当世壁の落書き 五輪パラ輪」という作品だ。これは2020東京オリンピック・パラリンピックのポスター制作を国から依頼されたとき、引き受けるべきか断るべきか、氏の心の葛藤をメモしたものだ。オリパラの政治利用に協力したと言われたくないようだ。

国から依頼された仕事をするのが画家の立場を危うくすると思っているようだが、そのような考えを持っているなら断るべきでしょう。引受けておいてこのような言い訳がましいことを展示することの方が画家の評価を下げるでしょう。

また、愛知トリエンナーレについて、「平和の少女像」をめぐって悪質な曲解による妨害等相次ぐ、などのメモが展示されている。慰安婦像を少女像と言い、昭和天皇の写真を焼いて足で踏みつけるビデオを流してそれらが芸術として展示された。これは芸術の政治利用ではないのか。

 

さて、同時開催の展覧会は「創造の現場、映画と写真による芸術家の記録」と「石橋財団コレクション選」だ。これらも全部観て歩いたが、鑑賞時間は2時間になり疲れた。1,200円でここまで見せてくれるのだから有難い。が、全部ゆっくり観ていたら1日つぶれるでしょうが、それも現実的ではないだろう。当日券は1日の中で入退場自由にしてくれたら、昼食を挟んで午前と午後に分けて観られるのだが。

1,200円で十分楽しめた展覧会であった。

(完)

 


アーティゾン美術館で山口晃の展覧会を観る(その2)

2023年09月29日 | 美術

(承前)

この展覧会を観て、感心したことなどを述べてみよう。

  • 展示室に入ると、いきなり「汝、経験に依りて過つ」というインスタレーションに度肝を抜かれる。これはその部屋に入ると部屋全体が右に何度か傾いているのだ。直ぐに立っているのがおぼつかなくなり、気分が悪くなる。山口氏の説明によると立っている地面の傾斜と重力のかかる方向が異なることによるバランス感覚の喪失と言うことらしいが、結構強烈に気持ち悪くなった。トリックアート美術館などに同じようなものがあった気がするが、ここまで気分が悪くなることは無かった。
  • 作品を順に見ていって、これは面白いと感じたのは、趣都日本橋編「月刊モーニング・ツー」、という作品だ。これは漫画であり、東京の日本橋の上を通る首都高速が景観を損ねるとして地下を通すことが決定されたことについて、大人と子供が話をするものである。その話がうんちくに富んでいて面白い。
  • 首都高を撤去した後の今の日本橋は平坦なので橋があるのが分からないとか、太鼓橋でないので舟が通りにくいとか、壊さないで首都高の上に楼門をつけたら良いとか、今でもいずれか一方から見ると実は空が大きく見えるとか、今の首都高の上にそれを跨ぐ大きな太鼓橋を架けてはどうか、など、面白い。

  • 大きなキャンバスに精緻な筆致で、過去と昔がごっちゃになったような地図を描いた東京圏1・0・4輪之段という作品には驚いた。山口氏がカバーしている芸術の範囲の広さを感じた。
  • セザンヌや雪舟の絵の描き方などが氏のハンドライティングで詳しく解説してある、が、結構専門的で難しかった。しかし、画家がいかに多くのことを考えて他の画家の絵を見て理解しているかよくわかった。

(その3)に続く


アーティゾン美術館で山口晃の展覧会を観る(その1)

2023年09月28日 | 美術

東京のアーティゾン美術館で開催中の展覧会「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」を観に行った。1,200円。最近は美術館入場料も2,000円くらいするものが多いが、日本人画家と美術館コレクションからの展示なので安くできるのだろうか、有難い。

今日の展示は写真撮影OKであった、セザンヌや雪舟なども原則すべてOKである。これは評価できる。

ジャム・セッションとは、石橋財団のコレクションと山口晃氏との共演、という意味だそうだ。サンサシオンとは、フランス語で「感覚」と言う意味で、セザンヌがよく用いていた用語。絵描きが目を開いたときにビビッとくる、そんな感情である。

山口晃氏(1969年東京生れ)は、作家個人は美術館行政など、美術に関する制度に絡め取られてはいけないと考えている。そして、サンサシオンを内発し、愚直に続けることがそれに対する防波堤となるとしている。これはその通りだろうが、現実には難しい。漱石が言うように、芸術と商業主義とは本来、相矛盾するものだからだ。

この展覧会では、セザンヌ、雪舟など山口氏が好きな画家の作品を展示すると同時に、それらに対する氏の観察、氏の作品、模写、インスタレーションなどが展示されている。2019年に放映されたNHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニングタイトルバック画となった《東京圖1・0・4輪之段》や、2021年7月に完成した東京メトロ日本橋駅のパブリックアート《日本橋南詰盛況乃圖》等、話題を呼んだ作品の原画が初公開されてる。

また、山口の作品を見るにも、雪舟やセザンヌを見るにも、ましてや日本近代絵画を見るにも、私たちの視覚認知機能によるところがあるが、その視覚認知機能を改めて意識すべく、山口の追体験的なインスタレーション群が展示されていた。

いずれを見ても面白い作品ばかりだった。

(その2)に続く


人形町「そよいち」でビーフかつれつ

2023年09月27日 | グルメ

今日は人形町のビーフかつれつが売りの「そよいち」で昼食をとった。初訪問である。ここは人形町交差点近くのカウンターだけの洋食屋「キラク」の分かれ、だそうだ。キラク自体、閉店しているようだが、いずれも訪問したことは無かった。

この「そよいち」もカウンターだけの店。11時からやっているが11時半くらいに到着、店内に待合用の椅子が数席あり、2人が腰かけて待っていた。だが、直ぐに席に案内された。回転は速いようだ。

注文は最初から看板メニューのビーフかつれつに決めていた。味噌汁(豚汁か)がついて2,000円はチョット高め。自信の表れであろう。ハーフ1,250円というのもあった。女性客を意識しての設定であろう。カウンター席から目の前で料理を作っているところが見られるのはうれしい。店員も数名おり、テキパキと仕事をしている。

10分ちょっとで料理が出てきた。ソースはウスターと中濃と2種類用意されているが、それぞれ半分ずつ使ってみた。どちらもうまかった。

かつれつの焼き具合はミディアムレアーという感じ。赤身がかなり残っている。私はウェルダンが好きだが仕方ない。食べてみると、普通のトンカツのような味では無く、何かスパイスが肉にすり込まれているようだ。これはこれでおいしい。かつれつを食べると、簡単にかみ切れる。サラダもおいしい。サラダ大盛りというのをたのんでいる人もいたが、そういう注文もできるらしい。辛マヨしいたけなどの一品料理を追加する人もいた。

おいしかったのであっという間に平らげた。1つだけ注文を言えば、豚汁の味噌汁はお椀が小さめで、さらに少ない量しか入っていなかった。大きなお椀でたっぷりしたものを出してもらえれば最高なんだが。

ご馳走様でした。


カウリスマキの映画「街のあかり」を再び観る

2023年09月26日 | 映画

昨日に続いてカウリスマキの映画を観た。今日は彼の敗者三部作の最後の作品「街のあかり」を観た。2回目。2007年、フィンランド、原題はフィンランド語Laitakaupungin valot、英語Light in the Dusk)

カウリスマキの映画は以前はAmazonやNetflixでは観られなかったと思うが、昨日チェックしたらAmazonPrimeで観られるようになっているではないか。それも無料なのはうれしい。それで連日観ているわけだ。

夜間警備員として働く孤独な男コイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は、「警備会社勤務のままじゃ終わらない」と夢は大きいが人付き合いが下手な不器用な人間。ある日、魅力的な女性ミルヤと出会う。しかしミルヤは、百貨店強盗をもくろむ悪党リンドストロンの女だった。

ミルヤは勤務中のコイスティネンにアプローチして宝石店のボタン式施錠の暗証番号を盗み見る。まんまと利用されたコイスティネンだったが、惚れたミルヤをかばって服役する。リンドストロンはそこまで読んでコイスティネンを狙ったのだ。

なじみのソーセージ売りアイラ(マリア・ヘイスカネン)の思いには気づかぬまま、刑期を終え社会復帰を目指すコイスティネン。だがある日、リンドストロンと一緒のミルヤと居合わせた彼は、自分が利用されていたに過ぎないことに気づき、リンドストロンを刺し殺そうとするが失敗し、どんどん転落していく。

再び観た感想

  • 昨日観た「浮き雲」と同様、映画の中でヘルシンキの街が多く出てきて、現地を旅行している感覚になりよかった。
  • コイスティネンは貧乏暮らしだが、やはりアパートの部屋はカラフルに装飾されている。街もヨーロッパの街特有の曇り空、雨で濡れた路面、枯れ葉が舞う殺風景な印象があるが、部屋の中や店などはカラフルだ、が、高級ではない。安アパートなのにカラフルなのだ。カウリスマキの趣味か。
  • 出演者はコイスティネン以外も皆、寡黙で、余り話さないのは「浮き雲」と同じだ、そして滅多に笑わない。日本人以上だ。
  • 日本では海外に行ったら自己主張しなければダメだ、などと言われているが、ずけずけと言いたいことを言い、大声で話したり笑ったりするのは主にアメリカ人と中○人(1字略)だけじゃないか。言うべきことは言わないといけないが、声高に自己主張するやり方に日本人が合わせる必要は無いと思う。寡黙な日本人が学ぶべきは、イギリス人のユーモアセンスの方であろう。
  • この映画も社会の底辺で働く孤独な人の生き様を描いているが、「浮き雲」と同様、最後には救いがある。ソーセージ売りの娘アイラと街の黒人少年だが、それがカウリスマキ流なのだろう。
  • この映画はそんなに遠くない過去であるが、みんな、結構タバコを吸っている。欧州ではアメリカほど禁煙が徹底されていなかったが、さすがに最近はこの映画のようなことは無いと思うが。
  • 日本にはアメリカのニュースが多く入ってくるが欧州のニュースはそれに比べると少ない、禁煙でもそれが世界のトレンドだと勘違いして直ぐにマネをするのが日本である。よくもあるが思考停止でもある。同じような状況は至る所にある、環境問題などもそうだろう。世界は1つではないことを知るべきだ。日本にないものがあると直ぐに「世界ではこうだ」などと説明されるが、そんな場合はじっくり考える癖をつけたいものだし、報道するメディア自体がそうなってほしい。
  • この映画ではカティ・オウティネンの出番はほとんどないが、スーパーのレジ係でチョットだけ出ていた。

カウリスマキらしい映画だった。


フィンランド映画「浮き雲」を再び観る

2023年09月25日 | 映画

フィンランド映画の「浮き雲」を再び観たくなった。1996年、フィンランド、監督アキ・カウリスマキ、原題:Kauas pilvet karkaavat。原題をGoogle翻訳で「遠くに雲が逃げる」とでた。日本の成瀬巳喜男の映画に同じような題名の「浮雲」があり、大好きな映画だが、カウリスマキの「浮き雲」もなかなか良い映画だったとの印象がある。

JALが発行している雑誌に「アゴラ」がある。以前は毎月送ってきていたが、最近はオンラインで見るようになった。だいぶ前のアゴラに作家の村上春樹が書いた紀行文「シベリウスとカウリスマキを訪ねて、フィンランド」というのがあった。

その中で、村上氏がフィンランドの映画監督アキ・カウリスマキが好きで、彼の作った映画は全部見ていると書いていたので興味を持った。フィンランドと聞いて何を思い浮かべるかと自問し、1にアキ・カウリスマキ、2にシベリウスと書いてあった。

それでアキ・カウリスマキの映画を片っ端から見たことがあったが、結構良い映画が多かった。カウリスマキは1957年生まれの今年66才、兄のミカ・カウリスマキと一緒に映画製作をしている。監督だけでなく、脚本・俳優もこなす。彼の作る映画はフィンランドを舞台にした、社会の底辺にいるフィンランド人の生活を描いたものが多い印象がある。

「浮き雲」はカウリスマキの敗者三部作の第一作目、第二作は「過去の無い男」、第三作は「街のあかり」。

中年夫婦の亭主ラウリ(カリ・ヴァーナネン)は路面電車の運転手をし、奥さんのイロナ(カティ・オウティネン)はレストラン“ドゥブロヴニク”の給仕長をしている。亭主はリストラされ、奥さんもレストランのオーナーがチェーン店に経営権を譲渡し、社員は全員クビになってしまう。夫婦そろって失業し、職探しをするがなかなか見つからない。イロナが元同僚からレストラン経営をやらないかと持ちかけられ、プランを立てるが銀行が資金を貸してくれない、自動車を売ったりするがとても足りない。その時、イロナがパート先の美容院で偶然に“ドゥブロヴニク”の元オーナーと再開し、身の上を話すと、金を出してくれることになり計画は一気に進む。

この映画を見直した感想を述べてみよう。

  • 結末に希望があるのは救いだ。ただ、うまくいきすぎ、という感じもする。これがフィンランド人にうけるのだろうか。最後の場面まで出演者は皆、寡黙で、議論したり抵抗する感じではない暗いイメージで描かれてるが、これがフィンランド人気質なのだろうか。
  • 夫婦の生活は苦しいはずだが、家の中はカラフルに装飾されている、壁紙やソファーがカラフルだ、イロナのコートも赤の派手なものである。部屋の壁には絵がいっぱい掛けてある。犬も飼っている。大型アメ車に乗っているのが違和感ある。これだけ見ると結構豊かな生活に見える。ただ、ソファーや本箱、カラーテレビは全部ローン返済中である。
  • イロナが勤めていたレストラン“ドゥブロヴニク”もカラフルな内装の店だったのでこれがフィンランド人の好みなのかなと考えたが、最後にイロナ達が経営することになったレストランは全然カラフルではなく普通の内装であった。
  • 冒頭にイロナが働くレストランで黒人がピアノでジャズのナンバーを歌っている場面があるが、英語で歌っていた。これもちょっと違和感ありだ。また、最初の30分くらいのところではチャイコフスキーの交響曲悲愴が流れていたのはこの映画の主人公の悲惨な状況に合う曲として選んだのか。
  • イロナが失業して生活に困窮したとき、ふと棚にあった小さな子供の写真の前で悲しい顔でたたずむ場面があった、夫婦には子供がいたが亡くなったのだろう。これがこの夫婦になんとなく暗い影を投げかけているのだろう。
  • カティ・オウティネンは1961年生まれのフィンランド人、カウリスマキ映画の常連女優である。美人ではないし、役柄上、暗い感じのする役が多いが、なんとも言えない味がある女優であり、私は好きだ。
  • 通貨の呼称がマルクになっていたが、ネットで調べると旧通貨はマルッカ(markka)なのでこれがマルクと聞え、そのまま字幕翻訳したのかもしれない。

他のカウリスマキ映画ももう一度観てみたい。


映画「コンフィデンシャル国際共助捜査」を観る

2023年09月24日 | 映画

近くのシネコンで韓国映画「コンフィデンシャル国際共助捜査」を観た。2022、韓国、監督イ・ソクフン、原題Confidential Assignment 2: International。シニア料金1,300円、それほど広くない部屋だったが、半分は入っていただろうか。女性が多かった。

韓国映画は今までほとんど観てこなかった。ところが昨年、挑戦してみようと思い、「パラサイト、半地下の家族」と「モガディシュ」の2つの韓国映画を観たら大変面白かったので、機会があったらまた挑戦してみようと思っていたところ、最近、新聞の映画評論の欄でこの映画が封切りされたことを知り、観ようと思った。

映画のストーリーは、北から逃亡したテロリストと、彼が持ち逃げした北の10億ドルを取り戻すことを使命として北から韓国へ派遣されてきたエリート捜査員リム・チョルリョン(ヒョンビン)と、それに協力して北の魂胆を探る韓国の破天荒なベテラン刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)が共同で犯人を追い、戦う。さらにこれに麻薬捜査で同じ犯人を追っていたアメリカFBIの凄腕捜査官(ダニエル・へニー)も絡み、三国・三者で犯人と格闘することになるが・・・、というもの。

犯人の追跡、銃撃戦、だましあいなどのアクション映画お決まりのシーンが数多くあり、確かに迫力はあり、派手である。そして、北の捜査員チョルリョンに惚れているジンテの義妹ミニョン(イム・ユナ)、ジンテとその妻・娘たちとの関係などがおもしろおかしく絡む。

全体的にシリアスなアクション映画と言うよりも、アクション・コメディ映画であった。その点で、昨年観た2つの韓国映画とは異なり、期待通りではなかった。アクションシーンなど、よく撮影されていると思うが、コメディが絡んでくる時点で、この映画がターゲットにしている人は学生や若者、韓流ファンの女性たちだなと思った。

今まで、アメリカ映画を多く観てきたが、ここ10年くらいはヨーロッパ映画を中心に観てきた。そして、これからはこれらに加えて、韓国・インド・ベトナム・タイなどのアジア映画もなるべく観て、映画ファンとしての視野を広げて行きたいと思っている。

 

 


国立劇場「妹背山婦女庭訓三幕<第一部>」を観る

2023年09月23日 | 歌舞伎

初代国立劇場さよなら特別公演を観に行った。今日は、3等席、4,000円のチケット。国立劇場は10月の公演で閉場になる。9月と10月の2ヶ月にわたり「妹背山女庭訓」の通し上演をやると言うので、両月とも観に行ってみようと思った。今月は第一部。座席を見渡してみると観客の入りは半分くらいか。さよなら公演にしては寂しい状況だった。人気俳優がでていないためか。

松竹の歌舞伎座公演では、いわゆる通し上演をやるのは滅多にない。それはこの演目にしてもそうだが、通しになると時間がかかり、1日がかりとなるからであり、午前の部だけ、午後の部だけ見るというのが難しくなり、興行的に採算が取れないからであろう。したがって、ある演目の人気のある幕だけをアラカルトで上演するいわゆる「みどり狂言」となる。

芸術性を重視して「通し上演」をあえてしているのが国立劇場である。民間でなく国立だからこそできることだろう。その姿勢は評価できるし、その存在意義は大きいと言えよう。今回の演目の通し上演は平成に入って以降、数えるほどしかないと言うのでさよなら公演としては価値がある演目であろう。

通し狂言 妹背山婦女庭訓三幕<第一部>
近松半二=作、戸部銀作=脚本、高根宏浩=美術

序 幕  春日野小松原の場
二幕目  太宰館花渡しの場
三幕目  吉野川の場

太宰後室定高:中村時蔵(68、萬屋)
太宰息女雛鳥:中村梅枝(35、萬屋、時蔵長男)
大判事清澄:尾上松緑(45、音羽屋)
久我之助清舟:
中村萬太郎(34、萬屋、時蔵次男)
(※ 太宰と大判事は境界を接し、仲が悪いフリをしている)
蘇我入鹿(皇位を狙う逆臣):
坂東亀蔵(45、音羽屋、彦三郎と兄弟)
腰元小菊:
市村橘太郎
采女の局(帝の恋人、鎌足の娘、逃走中):坂東新悟(32、大和屋、彌十郎の息子)

この演目を観るのは初めてかもしれない。奈良時代を舞台にした話で、歌舞伎作品の中でも一番古い年代を扱っている作品。序幕と二幕目はそれぞれ20分から30分程度の短い幕、三幕目の吉野川の場が今回のメインであり、2時間弱の幕である。

だいたいのストーリーとしては、宮廷をクーデターで乗っ取った蘇我入鹿が不和な太宰と大判事両家の娘雛鳥と息子久我之助が恋仲なのを知り、さらに久我之助が自分のお目当ての采女の局をかくまっているのを突き止め、両家に娘と息子を自分のところに差し出せと命じる。両家はこれを拒否するために、娘と息子を自ら殺さざるを得なくなる、と言う悲劇。不和にある両家の子供どおしが恋仲になる、というのは「ロミオをジュリエット」を思い出させるが、それに負けないくらい奥深いストーリーになっている。

メインの吉野川の場は、吉野川を挟んで妹山、背山を背に両家の屋敷が向かい合う構図、この舞台景色は、尾形光琳の紅白梅図屏風を連想させるが、舞台に咲いているのは紅白の梅ではなく、満開の桜である。悲劇の舞台ではあるが、華やかな設定になっている。そしてこの場の特徴は、舞台が吉野川を挟んで2つに別れているのに合わせて、花道も左右両側にあると言うことだろう。

この演目は数えるほどしか演じられてこなかったが、主役の定高(さだか)と大判事は、過去においてはそうそうたる顔ぶれの役者が演じてきた。今回、定高は時蔵、大判事は松緑が演じたが、いずれも初役である。二人に取っては名誉なことであろう。そして定高の娘雛鳥は時蔵の長男梅枝が、大判事の息子久我之助は次男の萬太郎が演じた。時蔵としては最高の舞台となったと言ってよいだろう。自身も定高を非常にうまく演じていたと思う。

お家のため、主君のため、自分の子供さえ犠牲にするのは歌舞伎ではよくある話である。「寺子屋」の松王丸は世話になった菅丞相の息子を助けるため自分の子供を身替りに殺し、「熊谷陣屋」の熊谷直実は敵の若武者・平敦盛を殺したことにして実は自分の子供を殺して主君に敦盛を殺したと報告する。ただ、だからといって歌舞伎が演じられたこの時代(江戸時代)にそのようなことが当たり前に行われていたか、と言えばそうではないようだ。町人相手の歌舞伎では、武士は大変だなあ、と言うことを見せるためにそのようなストーリーにしたと言うことのようだ。

さて、今日は劇場近くの先日行ったパン屋さんル・グルニエ・ア・ パン 麹町本店でサンドイッチを買って劇場内の休憩所で昼食を取った。

 


「芸劇ブランチコンサート~名曲リサイタル・サロン~」を聴きに行く

2023年09月22日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で開催された「芸劇ブランチコンサート~名曲リサイタル・サロン~」を聴きに行ってきた。2,400円。芸術劇場の大ホールに来たのは久しぶりである。時間は1時間の予定だが実際は1時間10分くらい。観客は平日昼間と言うこともあり、ほとんどがシニア。ホールの30%か40%程度埋まっていたか。

出演
新倉瞳(チェロ)、佐藤卓史(ピアノ)
ナビゲーター:八塩圭子

プログラム
サン=サーンス:白鳥
フォーレ:シシリエンヌ
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
ショスタコーヴィチ:ジャズ組曲 第2番 より ワルツII
ショスタコーヴィチ:チェロソナタ

このコンサートは毎奇数月に有名ソリストを招いて、八塩圭子のナビゲーターで開催しているようだ。お昼時に1時間という短い時間だが、クラシック音楽が聴けるというのも良いアイディアであると思う。最近は、会社でも時間単位の有給休暇が取れるので、働いている人でも聴きに来れるかもしれないが、それらしき人は全然いなかった。

チェリストの新倉瞳はテレビのクラシック倶楽部に出ていたので知っていた。彼女は、ドイツに住んでいた8才の時にチェロをはじめ、桐朋学園音楽大学からスイスのバーゼル音楽院に進み、現在はヨーロッパと日本を行き来している。国内外での受賞歴も多い。テレビでは、歌舞伎とのコラボ、演奏家のためのドレスのプロデュースなどでも幅広く活躍、と紹介されていた。

ピアノの佐藤卓史は自身のHPによれば、1983年秋田市生まれ。4歳よりピアノを始め、高校在学中の2001年、第70回日本音楽コンクールピアノ部門で優勝、とある。その後も数々のコンクールに入賞したり優勝したりしている第一人者だ。ライフワークとしてシューベルトのピアノ曲全曲演奏に取り組んでいるそうだ。シューベルトファンとしては今後彼の公演を是非聴きに行ってみたい。

今日の公演を聴いた感想を述べてみよう

  • 今日の公演では司会が付き、二人にいろんなインタビューをしていた。面白い試みだと思う。演奏家の二人のプラベートな話まで含めて、いろんな話を聞けて大変よかった。新倉さんがスイスの物価の高さを嘆いていたのが面白かったし、二人の演奏家が出会うきっかけ、二人で演奏旅行に行ったときの食事の話など、面白かった。司会なしでできるようになればもっとよいと思う。
  • 新倉さんのCD販売をしており、買ってくれた人には終演後サインをしてくれると張り出してあったし、インタビューでも本人が宣伝していた。良いことだと思う。
  • 曲目ではメインのショスタコーヴィチのチェロ・ソナタがやはり難解であった。先日再読した中川右介氏の「冷戦とクラッシック」でもショスタコーヴィチのことがかなり書かれているが、彼は冷戦時のソ連という国に翻弄された音楽家であった。独裁国家ならではの密告と保身と裏切りの協奏曲が展開され、昨日まで国家を代表する英雄だったショスタコーヴィチ、プロコフィエフたちが形式主義者、個人主義者だとして批判されたと思えば、その後復権したりした。
  • チェロ・ソナタは難解で会ったが、一方で、ジャズ組曲は面白い曲だった、新倉さんから説明があったが、何か日本の音楽のような哀愁のある、こぶしがきいているところがあったりの、親しみやすい曲だった。
  • アンコールで「クレズマー(東欧の伝承曲)より、ニグン」が新倉さんにより演奏されたが、この曲は冒頭、彼女の歌で始まり、その後チェロの演奏に移るいい曲であった。新倉さんの歌まで聴けるとは彼女が多芸であることがわかった。
  • 今日の公演で、新倉さんは紙のスコアではなくタブレットPCを見て演奏していた。これは良いことだ。新しいことに挑戦するのはさすが若い人だ。ただ、楽章が変る都度、タブレットの画面にタッチしていたように見えたが、すべてバックステージで操作できないのだろうか。

また機会があったら二人の演奏会に行ってみたい。

さて、今日は12時過ぎに公演が終わったので、ランチを取ろうと思って東武のレストラン街に行ったら、混んでいたので、東口付近で何か食べるものがないかとブラブラしたが、結局、めぼしいものはないので、久しぶりに富士そばでさっと済ませた。冷し肉富士そば梅干し入り650円。おいしかった。こんなクオリティーのものが650円で食べられるなんて、マックバーガーが1,000円以上する他の先進国では考えられないだろう。


「東洋軒 東京ステーション」でランチ

2023年09月21日 | グルメ

東京駅近くで用事を済ませて、ランチを取ることにした。どこが良いか考えたが、先日読んだ「魯山人陶説」のブログに関連して川喜田半泥子のことを少し調べたら、東洋軒(洋食屋)のことが出てきた、そして東洋軒は東京駅に店舗があると知って行ってみようと思った。東京の店舗は東京駅の「グランスタTOKYO」の中にある。

東洋軒のHPによれば、「東洋軒の創業は明治22年、伊藤耕之進が『今福』の名で三田四国町に開業したのが始まりです。明治30年、伊藤博文や歴代の閣僚の薦めもあり、「今福」の隣に開業したのが「西洋御料理 東洋軒」でした。初代社長の伊藤耕之進は才能ある料理人を雇い入れ育成に努め、東洋軒から優秀な料理長を多く輩出しました。当時は東洋軒、精養軒、中央亭などが日本の洋食文化の草分けで、その中でも東洋軒は宮内省御用達として皇居内の晩餐会等出張しておりました。」とある。

そして、百五銀行の川喜田頭取との関係では、「津の東洋軒初代 猪俣重勝は大正13年より東京丸の内日本工業倶楽部調理部入社、後に東京芝区東洋軒本社入社。昭和3年川喜田百五銀行相談役と時の宮田貴族員議員の薦めにより県下初のビルディングであった百五銀行の4階に「東京東洋軒」出張所を開設。」とある。

なかなか由緒ある洋食レストランのようであるが知らなかった。混んでいるかなと心配して行ってみると、すぐに入れた。案内されたのは長いカウンターのような一人客用の席。前が壁ではなく、ビル内の大きな通りに面していて、曇りガラスの間から通りが見えるので圧迫感はない。混んでないので、2つの席を一人で利用させているのでスペースに余裕があったのはうれしかった。

ここはブラックカレーが有名なので、松阪牛を使ったブラックカレーのランチセット3,300円をたのんだ。2,420円の同じブラックカレーのランチセットがあるので何が違うかきいたところ、肉の量が多いか少ないかの違いとのこと。今日は奮発して高い方を選んでみた。

このブラックカレーというのも川喜田半泥子の提案でできたもの。「ブラックカレーが昔も現在も愛されている理由は、上質な松阪牛脂と小麦粉、秘伝のスパイスを手間暇かけてじっくり炒めた香ばしさと旨みのある“ブラック・ルゥ”にあります。真っ黒になったルゥは、松阪牛本来の甘みや旨みを強調し、口に入れたとたん、その見た目からは想像できないまろやかな味わいを奏でます。手間ひまかけた比類なき一品です」としている。

早速食べてみると、非常に上品な味であった。スパイスが強烈に効いているというわけでもなく、肉の味が目立つと言うわけでもなく、ビーフシチューのようなまろやかな味であった。高級ホテルでカレーをたのむとこんな味のカレーが出てくるな、という感じであった。また、カレー用の皿もなんとなく趣味の良さそうなお皿であったのは陶芸家の川喜田半泥子が関係していたからかと想像した。

食後は小コーヒーか小アイスとのことなのでコーヒーをたのんでゆっくり飲んでくつろいだ。

ご馳走様でした。