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TVで「N響第1986回定期公演」を観る

2023年09月07日 | クラシック音楽

日曜日のNHKクラシック音楽館を録画して観た。今週のプログラムは、

【曲目】

1.交響組曲「3つのオレンジへの恋」(プロコフィエフ)
2.ピアノ協奏曲第2番(プロコフィエフ)、ピアノ=ベフゾド・アブドゥライモフ(ウズベ、32)
3.歌劇「蛇女」からの交響的断章(日本初演)(カゼッラ)

【演奏】

指揮=ジャナンドレア・ノセダ(伊、59)、管弦楽=NHK交響楽団

 

今週の曲目で注目したのは「3つのオレンジへの恋」と「ピアノ協奏曲2番」だ。ともにプロコフィエフ作曲だ。

「3つのオレンジへの恋」に注目したのは、私がクラシック音楽を聴き始めたきっかけとなった宮城谷昌光氏の本「クラシック千夜一曲」で氏が紹介している10曲の一つに選ばれているためである、が、今までほとんど聴く機会が無かった。

氏がこの曲が好きになったのは、高校生だったとき昼休みに放送劇「アイヴァンホー」がながれ、その始まりの音楽がこの組曲の中の行進曲だった、そしてそれが大変魅力的に聞えたからだ。それ以来、3つのオレンジへの恋の行進曲とアイヴァンホーが分かちがたく結びついて、曲を聴くとアイヴァンホーを自然と思い浮かべるようになった、と紹介されている。ただ、アイヴァンホーとこの曲はなんの関係もない。

氏の本ではプロコフィエフの生涯も簡単に紹介されており、それによれば、1891年ウクライナ生まれ、ペテルブルグの音楽院に入学しピアノを勉強する、在学中にピアノ協奏曲1番を書き上げる、そして「ピアノは打楽器である、打楽器のように演奏すべき」と言う。1917年に革命が起きるとアメリカに行く、その途中、日本に立ち寄り2ヶ月滞在、リサイタルをする、3つのオレンジへの恋はアメリカにいたとき作曲した。のちにソ連に帰国、1953年に亡くなる。

ここでちょっと面白いことに気づいた、この「ピアノは打楽器だ」という考えは、最近どこかで聞いたな、と思って思い出してみると、最近読んだ恩田陸「蜜蜂と遠雷」の中で「バルトークはピアノは旋律楽器であると同時に打楽器である、と繰り返し述べている、鍵盤を弾くのではなく叩くのだ」と書ているところがあったのを思い出した(こういう時、Kindleで読んでいるとすぐに探せるので大変便利だ)。プロコフィエフとバルトークが奇しくも同じことを言っていたのか、どちらかの作家が勘違いしているのか。

「教えてgoo」でベストアンサーとなっているのは、「ピアノを初めて打楽器として扱ったのはバルトークが最初です。その理由は、新たな音色、新たな音楽を求めて、です。その後、ピアノを打楽器的に扱うことで、今までにない急進的な試みができる、ということに多くの作曲家が気がついて、ピアノの鍵盤を腕を使って押しつぶしたり、ピアノの横を太い棒を使って叩いたり、ピアノの弦の部分を指でひっぱたり(弦楽器的な扱い)、様々な音楽が生まれたことは確かです」。どうやらプロコフィエフも同時代人のバルトークが広めた考えに共感していた、と言うことでしょうか。

次に、プロコフィエフのピアノ協奏曲2番だが、この曲に興味を持ったのは、上でちょっと触れた「蜂蜜と遠雷」で、栄伝亜夜が本戦で弾いた曲がこの曲だったからである。本戦に残った6人にピアニストのうち、プロコフィエフのピアノ協奏曲を選んだのは亜夜ともう一人優勝したマサルだ。マサルは3番を選んだ。亜夜が2番を選んだ理由は、天才少女ともてはやされていた当時、母が急逝し、その後のコンサートで母の死を乗り越えて聴衆の前で弾く予定だったのが2番だった、そして、弾くことができずに姿を消した・・・そのトラウマをずっと背負って生きてきた亜夜が、本戦で選んだのが同じ2番だった。

そういったこともあり、この2番協奏曲に興味があっががこれまで聴いたことがなかった。番組の解説では、プロコフィエフ自身がこの2番を評して、信じがたいほど難しく無慈悲なまでに人を疲れさせる作品、としている。

以上の2曲をじっくりと聴いた。指揮者もピアニストも知らない人だし、曲も初めて聴くので、すぐには理解できないので、3回聴いてみた。3つのオレンジへの恋の行進曲は、なんとなく良い曲だと感じたし、協奏曲2番はアブドゥライモフのピアノを弾く手の動き、汗だくになって弾いているというか鍵盤を叩いている姿を見て難しい曲で、ピアニストや聴いている人を疲れさせる曲だというのはよくわかった。

折に触れて聞き直してみたい。