ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

吉祥寺でお買い物

2024年08月31日 | その他いろいろ

吉祥寺に行ったので、いつもの通り、買い物をして帰ろうと思った、真夏の酷暑、家に帰るまでに1時間以上かかるので、溶けたり、腐ってしまう可能性のあるものは避けなければいけない、そこで今日はLIBERTÉ PÂTISSERIE BOULANGERIEのパンと、いせやの焼き鳥のテイクアウトにしようと思った

その前に、どこかで休憩をと思い、久しぶりにベーカリー/カフェのリンデ(Linde)に立ち寄り、コーヒーを注文して2階のカフェで休憩した、ここは穴場で、静かに休めるので重宝している

店内ではドイツの宗教音楽のようなものが流れており、天井も高く、教会でゆっくり休んでいる雰囲気になった

さて、休憩後は、同じ北口のLIBERTÉ PÂTISSERIE BOULANGERIEに行ってみた

いつもはクロワッサンを買って帰ることが多いのだが、最近はバケットの味を覚え、おいしいので、今日もバケットを買うことにした、長いバケットとハーフサイズがある、前回はハーフサイズを買ったが、翌朝の朝食で直ぐに全部食べてしまったので、今回は長いほうを買ってみた、400円、クロワッサンや他のパンよりかなり割安だと思った

バケットは翌日の朝食で食べたが、おいしかった

次に南口に行き、いせやに行く、遠くから見ても焼き鳥を焼く煙がもうもうと出ているのがわかる、むかしからの雰囲気が全く変わっていない貴重な店だ

いつもの通り、正面脇のカウンターに置いてある伝票に注文する焼き鳥の種類毎に数を書き込む、タレと塩の区別も、それを店のお兄さんに渡して支払いをし、しばし待つ、今日は10本くらいたのんだか、代金は1,000円ちょっと、ホント安いよ、ここは

10分以上待っただろうか、焼き上がりのものをもらい、帰宅の途に、ここで買う難点は帰宅途中の電車で焼き鳥の匂いが漏れてくることだ、通常のレジ袋は匂いを通すので、家からマイバッグを持参して、レジ袋をそれに入れて帰宅した、これでだいぶ違う

帰宅後、夜の食事で焼き鳥丼を作り食べた、相変わらずおいしかった

今日は満足しました、ご馳走様でした


映画「エターナルメモリー」を観た

2024年08月30日 | 映画

映画「エターナルメモリー」を観た、シニア料金1,300円、小さな部屋だったが満席に近い盛況ぶりだった、観に来ているのはやはり中高年だった、2023年、85分、チリ、原題La memoria infinita(永遠の記憶)、監督マイテ・アルベルディ

本作は、アルツハイマーを患った夫アウグストと、困難に直面しながらも彼との生活を慈しみ彼を支える妻パウリナの幸せにあふれる暮らしと、ふたりの愛と癒しに満ちた日々を記録したドキュメンタリー、すなわち実話である

著名なジャーナリストである夫アウグスト・ゴンゴラ(1952年生れ)と、国民的女優でありチリで最初の文化大臣となった妻パウリナ(1969年生れ)は20年以上に渡って深い愛情で結ばれ、読書や散歩を楽しみ、日々を丁寧に生きていたが、ある時、アウグストがアルツハイマーを患い、少しずつ記憶を失い、最愛の妻パウリナとの思い出さえも消えはじめると・・・

鑑賞後の感想を書いてみたい

  • 夫がアルツハイマーになってからも妻のパウリナは働き続け、彼女の職場に夫を同伴することもあった、それは彼女の仕事の効率を落とすことになるが、それを問題だと思ったり、夫を恥じたりしなかったのは立派だと思った
  • 夫のアウグストは、ジャーナリストだった。独裁政権時代、主要メディアが事実を報じなかった時に、国内の出来事を内密で扱うニュース報道「テレアナリシス」の一員として、重要な役割を果たし、仲間のジャーナリストと街に出て、起きていることすべてを記録しながら、人々にインタビューし、テープを配布したりした、都合の悪い事実を見て見ぬふりをする日本のジャーナリストは見習うべきでしょう
  • 妻のパウリナは、演劇、映画、テレビで活躍した女優として有名で、彼女の名前はよく知られており、政治活動でも認知されている女性とのこと。チリの文化省が設立されたとき、最初の大臣になったそうだが、夫婦そろってすごい人たちだと思った
  • 配偶者がアルツハイマーになったら、実際の生活は大変で、映画では描かれてない悲惨な場面が多くあったと思う、普通は介護施設に入ってもらわないと共倒れにもなりかねないが、夫婦が大物すぎたので美しい愛情物語にしたのではないかと感じた
  • 映画のパンフレットを見ると、「ドクトル・ジバゴ」、「カサブランカ」、「愛、アムール」・・・どんな名作ラブストーリーもこの真実の愛の物語には適わない、と書いてある、このうち「愛、アムール」はミヒャエル・ハネケ監督が老夫婦の奥さんの方がぼけてしまうという老々介護をテーマにした映画であり、私も観たことがある、私はハネケ監督の映画はアルツハイマーをこの映画のように美談には描いていないところが真に迫っていると思うがどうであろうか、最後があまりにも衝撃的だ、ちなみに「愛 アムール」はアマゾンプライムで検索しても出てこないが、「ピアニスト」見れるようになったようだ

高齢化社会を反映して、このような映画は今後もどんどん出てくるのではないかと思った


吉祥寺「まめ蔵」でカレーを食べる

2024年08月29日 | グルメ

今日は吉祥寺でランチ、どこにしようか考えたが、「まめ蔵」に久しぶりに行ってみることにした、11時開店で、11時10分ころに到着、早めに来ないと混むと思った、中に入ると、大きめのテーブル席に案内される、何人かの客が既に入っていた

メニューを見て何をたのもうか迷っていると、周りのお客さんに運ばれているカレーが全部同じような種類に見え、かつ、メニューの表紙にあるカレーの写真にそっくりなので、「これは何というカレーですか」と店員さんに聞くと、スペシャルカレーです、とのことなので、それを食べてみることにした、1,350円、肉がビーフとかポークなどから選べるので、チキンにした

店内は落ち着いており、結構収容能力は多いと思った、私の滞在中にもどんどん客が入ってきた、若い人が多かったのは、ここらあたりが学生街でもあるからか

運ばれてきたカレーを見ると、ご飯の上にゆで卵が載っている特徴ある盛り付け、カレーには、ミニトマトや焼きナス、豆などが入っていた、カレーの味は少し辛めで、スパイシー風の味付けで、自分の好みに合っていた、ご飯の量は若い人には少ないかもしれないが、大盛にするのでしょう

おいしく頂きました、フロアーの店員さんはみんな若い女性で、付近の大学の学生のアルバイトかなと思った、明るい愛想のよい女性ばかりだったのには好感を持った

ご馳走様でした

 


ジャズ喫茶「いーぐる」に行く

2024年08月28日 | カフェ・喫茶店

四谷にあるジャズ喫茶いーぐるに行ってきた、年に何回か行きたくなる良い雰囲気のジャズ喫茶、私にとってジャズ喫茶と言えばここだ

四谷の駅からすぐ、ビルの地下にあるのもジャズ喫茶らしい、なぜかジャズは地下で聴くものというイメージがある

ドアを開けて中に入ると、好きな席にどうぞと言われ、真ん中から奥の方の座席に腰掛ける、全体の半分くらいのテーブルが埋まっていたか、今日はオジサンのジャズファンだけではなく、若い女性も来ていた

ドライフルーツとアイスコーヒーのセット850円を注文、テーブルは大きく、シートはゆったりしていて長居しても疲れない感じ、奥の二つのスピーカーからちょっと大きめの音でジャズナンバーが流れている、会話禁止ではないのだろうが、一人で来ている人ばかりで、皆さん静かにジャズを楽しんでいる

滞在中に流れていたナンバーをShazamで調べると

  • Status Seeking(エリック・ドルフィー)
  • A Night in Tunisia(アート・ブレイキー)
  • Captain Jetter(ズート・シムズ&アンリ・ルノー)

ステレオルームの前に今かかっているアルバムが掲示してあるので、それを見ても曲目はわかるが、最近はアプリで調べるのが便利だ

今日は若干冷房の効きが弱かったように感じたが、1時間15分くらい滞在して、次の目的地に向かった、また来ます

 


映画「箱男」を観る(2024/8/27追記あり)

2024年08月27日 | 映画

2024/8/27 追記

昨日、吉祥寺のUPLINK吉祥という映画館で映画を観た際、映画館のロビーで先日観たばかりの「箱男」のプロモーションであろうか、本物そっくりの段ボール箱が飾ってあり、しかも、映画のようにそれをかぶってよいというサービスをしていた、その場にいた人は次々と面白がって「箱男」、「箱女」になって写真を撮ってもらっていた

また、映画館は地下2階だが、そのエレベーターのドアにも「箱男」が描かれていた

2024/8/24 当初投稿

封切直後の映画「箱男」を観た、シニア料金1,300円、120分、監督石井岳龍、比較的広い部屋だったが30人くらいが来ていた

作家・安部公房が1973年に発表した同名の小説を映画化したもの、この映画は1986年に石井監督が安部公房から映画化を託され、1997年に製作が正式に決定、スタッフ・キャストが撮影地のドイツ・ハンブルクに渡るも、クランクイン前日に撮影が突如頓挫、幻の企画となってしまった経緯がある

今回、悲劇から27年経って、奇しくも安部公房生誕100年にあたる2024年、石井監督は遂に「箱男」を完成させた

映画のパンフレットには、「箱男」それは人間が望む最終形態、ヒーローかアンチヒーローか、とある

ストーリーは、オフィシャルサイトによれば、

「ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏、1966年生れ)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信、1973年生れ)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市、1960年生れ)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈、2002年生れ)・・・果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか・・・)」

鑑賞した感想を述べてみたい

  • 安部公房の小説は「砂の女」だけは読んだこともあるし、その同名の映画を観たこともあり、面白い作家だなと思っていたところだ
  • 何も予習しないで観に行ったら、ストーリーがよくわからなかった、帰宅後、オフィシャルサイトやレビューコメントを見て、「ああ、そういうことなのか」と何となくわかった
  • アマゾン(本)の「箱男」の説明の中に、本の解説を書いた平岡篤頼氏(文芸評論家)の解説が載っており、そこに「箱男」の狙いのようなことが書いてあるので引用してみると、
    「考えてみればわれわれ現代人は、隅々まで約束事や習慣や流行や打算に支配され、その上、この小説の主人公がかつてそうであったように、「ひどいニュース中毒」に罹っている。「自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。」もしもそういうものをすべかなぐり捨てたら、世界はどう見え、われわれはどんな存在になるだろうか。風景が均質になり、いままで大切に思っていたものも、無価値と思って無視してきたものも、同等の価値をもって目にはいって来る。それと同時に、こちらの方向感覚、時間感覚も麻痺し、われわれ自身でなくなって、「贋のぼく」が現われる」
  • なんだか難しいが、そんなことを描こうとした映画なのかと、理解したが、実際の映画では前後関係が時系列では描かれないので、ストーリーがわかりにくいのだと思った
  • 結局、この箱男というのは、安部公房の時代では、ラジオやテレビから離れられない「ひどいニュース中毒」になっている人、現代では、スマホ/SNS、ネットから離れられない生活をしている孤独な、匿名な存在の人たちである、ということなのでしょうか、この先、AIやロボットが発達してきたら一体どういう「箱男」、「箱女」が出現するだろうか

  • 映画では冒頭に箱男を、完全な孤立、完全な匿名性な存在であり、一方的にお前たちを覗く、と説明されている、この箱男には孤独で匿名なスマホ中毒という面と、箱の窓から外界を覗き見、という要素がある、そして主人公の本物の箱男は元カメラマンだから覗いて写真を撮ったり絵を描いたりしている、本作はラストで、実は「箱男はあなたです」と言い、社会はその箱の窓からお前(視聴者)を覗いていたのだ、という逆説が強烈なパンチとして効いてくるというオチがあったように感じた、違うかもしれないが
  • 安部公房の問題提起自体は深刻だろうが、映画では本物の箱男と偽物の箱男の戦いなど、滑稽な場面や謎の女のエロスなどもあり楽しめるところもある映画だった
  • 映画のエンドロールの中で、音楽「マーラー交響曲第5番アダージェット」と出ており、エンドロールの時にそのアダージェットがピアノ独奏でが流れていたように思われた、普段聴くオーケストラの音楽とだいぶ違って聴こえたので勘違いかもしれないが(映画の途中で流れていたとすれば、気付かなかった)、なぜマーラーなのかはわからなかった

難解な映画でした


ダンデライオン・チョコレート ファクトリー&カフェ蔵前に行く、帰りにパンのペリカン

2024年08月27日 | カフェ・喫茶店

蔵前にあるカフェ、ダンデライオン・チョコレート ファクトリー&カフェ蔵前に行ってみた、初訪問、場所は以前訪問した喫茶半月の裏にある

ダンデライオン・チョコレートは、webページの説明によれば、「2010年に創業したBean to Barチョコレートのファクトリー&カフェ。現在サンフランシスコのミッション地区にあるファクトリーでは、カカオ豆の選別から、焙煎、摩砕、テンパリングを行い、ひとつひとつのチョコレートバーを手作業で型に流し入れて成形し、包装までを行っている。チョコレートを丁寧に製造することによって、それぞれの豆の独自のフレーバーやニュアンスを引き出している。蔵前が初の海外出店の場となった」

この場所も半月などと同様に、以前は別の用途に使っていたビルを改造してチョコレート工場とカフェに変えたのでしょう、外観は普通のテナントビルのような印象がある、ガラス張りの正面から1階の中に入ると、奥の方はチョコレート工場になっていて、焙煎機などの生産用の機械があり、中ほどではチョコレートの成型などをやっているように見えた

1階の受付兼レジで飲み物とチョコレートを使ったスイーツを注文して、2階にあるカフェスペースで飲んだり食べたりする仕組みのようだ、1階は工場があるせいか、結構ある種の匂いが強烈に漂っていた、多分カカオの匂いか

受付で飲み物リストを見るとホットチョコレートなどチョコレートを使ったメニューが多かったが、今日はアイスラテ600円とスモア620円を注文した

2階に上がってみると、広々している、テーブルや椅子など木目調の落ち着いた雰囲気、二人掛けの座席はほとんど埋まっていたので、大きなテーブル席に腰掛けた、こちらはすいていた、来ている客はすべて若いお嬢さんたちだ、男性はカップルで1人だけ来ていた、オジサンは私だけ、場違いな感じがしたが、私の子供よりも若そうな娘さんたちは話に熱中しているせいか、私を女性専用車両に間違えて乗ってきたオヤジを見るような視線で見たりはしなかったのにはホットした

アイスラテはおいしかったが、よくわからないでたのんだスモアというスイーツは甘すぎてダメだった、ブラウニーやチョコチップクッキーをたのめばよかったと後悔した

コーヒーを飲みながらゆっくり本を読めた、窓が大きいので室内は明るく、読書をするのには好都合であった

ここはやはりチョコレート好きの女性に人気のトレンディー系カフェであるように感じた、チョコレート製造とセットになっているところが洒落ていて、ユニークで、人気なのかなと思った

ゆっくり寛げました

さて、この日は、近くのパンのペリカンに行って、ロールパン5つ入りを買って帰った、翌朝の朝食で食べたが、相変わらずおいしいパンだった

 


岡田暁生「R・シュトラウス(作曲家、人と作品シリーズ)」を読む

2024年08月25日 | 読書

「ばらの騎士」や「最後の四つの歌」の作曲者、リヒャルト・シュトラウスについて少し勉強しようと思って岡田暁生著「R・シュトラウス(作曲家、人と作品シリーズ)」を読んでみた

著者は西洋音楽史の研究者である、あとがきを読むと、卒論・修士博士論文、初めての国際学会での発表論文など、どれもR・シュトラウスがテーマだった、そして、本書の執筆を通じて、シュトラウスが一般にそう思われているよりはるかにスケールの大きい、けた違いの「大作曲家」であることを改めて認識したとしている

以下に、読後の感想と彼の生涯に関するポイントとなった点などを書いてみたい、本書は大きく「生涯編」と「作品編」の二つのパートで構成されており、作品編は技術的解説も多く、理解できない部分も多いので、生涯編を中心に書いてみたい

(生涯編)

Rシュトラウス(1864‐1949、85才没)という意味

  • 彼は19世紀ヨーロッパ市民社会の黄金期に生まれ、戦争を経て没落していく時代に生きた
  • 彼の人生後半は20世紀の現代音楽の時代になったが、19世紀の古典派・ロマン派音楽にこだわり、晩年に「カプリッチョ」、「メタモルフォーゼン」、「最後の四つの歌」などの素晴らしい音楽を残した

市民にしてブルジョワ、そしてバイエルン人(シュトラウスの気質をめぐって)

  • シュトラウスの故郷は昨年旅行に行ったミュンヘンであり、私も歩いたミュンヘン中央駅から市庁舎に向かうノイハウザー通りに面したところに母の実家があった
  • シュトラウスは職人気質は、ホルン奏者であった父、市民気質のビール醸造業者の娘だった母の影響が大きい、計算高いと揶揄される彼の性格は母方の影響、また、典型的バイエルン市民芸術家であった

幼少時代から若人の時代まで(1864-1884、20才まで)

  • シュトラウスの音楽教育は父が行った、この時代のミュンヘンは古典主義の牙城であり、ロマン主義真っただ中にあって親モーツアルト、反ワグナーであった
  • 11才から作曲も始め、友人たちのために作曲した、これが室内楽的親密さとして彼の本質的部分となった
  • ベルリンに長期旅行に出てハンス・フォン・ビューローに出会い支援を受けた

若きカペルマイスターの修行時代(1885-1894)(21才~30才)

  • 長くシュトラウスにつきまとう悪癖をブラームスから指摘される、同じ三和音の上に単にリズムのコントラストをつけただけの複数の主題を重ねすぎる、旋律の彫琢不足を華麗な響きで塗りたくってごまかす。
  • 若き日のシュトラウスは、最初は父フランツ、次にビューロー、続いてリッター(無名の作曲家)が庇護者になった
  • 若い時代の3つの交響詩、「マクベス」、「ドン・ファン」、「死の浄化」、はショウペンハウアーのペシミズムに影響された、若きロマン派の詩人そのものだった
  • この時代、マイニンゲン、ミュンヘン、ワイマールの順で指揮者、作曲家として活躍した、ワイマール時代はバイロイトの呪縛下にあった
  • ワイマール時代にストレスがたまり、ギリシャ、エジプト旅行をし、ショウペンハウアーから離反し、ニーチェ的な生の肯定に傾いた
  • コジマ・ワーグナーを通じてワーグナー家と近くなり、バイロイトで指揮もしたが、やがて離反していった、両者はあまりにも体質が違った

第二次ミュンヘン時代(1894-1898)(31才~34才)

  • 故郷に戻り第一指揮者になったが処女オペラ「グラントラム」の大失敗により歌手、オーケストラ、批判家を敵にまわし、故郷の保守体質に嫌気がさし、ベルリンからオファーがあるとそちらに乗り換えた
  • この時期からシュトラウスの音楽の特徴は「反権威主義的な笑い」と「力の誇示」である、誰よりも高いギャラを取り、バイロイトとも完全に決別した
  • 指揮者としての活動の場が広がったのがこの時代、マーラーがライバルだった
  • 彼の指揮は省エネスタイルで、左手を動かさない、汗をかかないなど

疾風怒濤のベルリン時代(1898-1904)(34才~40才)

  • ベルリン時代は以後20年に及び、創作の頂点、「サロメ」、「ばらの騎士」などはこの時代の作品
  • 高いギャラを要求し、巨万の富を手にした、これは当時の指揮者が歌手に比べまだギャラが安いことを改善するため
  • 作曲でも自分を英雄とした「英雄の生涯」などを作曲、自己顕示欲が強く、金に執着した、オーケストラも大規模にした、これらは当時のドイツ帝国主義、人口増加などを背景にしていた
  • 自己顕示欲を表す一方で嘲笑と哀愁に満ちた要素を含み、終結部はピアニッシモが多かった

「サロメ」から第一次世界大戦、そしてヨゼフ伝説(1904-1914)(41才~50才)

  • 「サロメ」は20世紀のアヴァンギャルド芸術の起点となった、「エレクトラ」はさらに前衛的であった、これが「サロメ」ほどの人気を得なかった理由
  • 無調音楽のシェーンベルクと交流していたが最後は決裂した
  • 生涯最大のヒットが「ばらの騎士」であった、「サロメ」など病的な音楽に市民の嫌気があった、オペレッタやワルツを使用したが、これは一つの時代の終わりであった、この評価は阪 哲朗氏がびわ湖ホールで「ばらの騎士」の指揮をした際のテレビのインタビューでも述べていた(その時のブログはこちら)
  • 「ナクソス島のアリアドネ」はシュトラウスが次の時代を切り開くことができた最後の作品である、1920年代の新古典主義の先駆けだった
  • バレエの「ヨゼフ伝説」はシュトラウスの老化を認めた最初の作品

時代からの凋落(1914-1918)(51才~54才)

  • 第一次大戦ではイギリスの銀行に預けてあった預金が没収され全貯蓄を失った
  • 戦争中にあってもシュトラウスは芸術至上主義で、娯楽的音楽の「アルプス交響曲」を作曲するなど、政治音痴だった、
  • 戦時中に力を入れた「影のない女」はシュトラウスの悪癖の出た創作力の衰えを象徴
  • 息子の出征などで苦悩する中で作曲したのが「小商人の鑑」だ、苦痛に満ちた極端な転調、憂いを含み、澄んで甘美な旋律がシュトラウスの晩年様式の萌芽となった

戦間期の停滞(1912-1933)(55才~69才)

  • 戦後、シュトラウスはウィーンに戻り、破格の待遇でウィーン国立歌劇場の芸術最高監督になったが、歌劇場監督シャルクと衝突し、1924年にマーラーと同様、喧嘩別れ同然の形で歌劇場を去った
  • 1920年代は作曲家として低調だったが活動の中心が指揮だった、多くのギャラを稼いだ
  • 「泡立ちクリーム(バレエ)」と「インテルメッツオ(自伝的オペラ)」はシュトラウスの没落を揶揄されるきっかけとなる
  • 戦間期に例外的にシュトラウスの天才がかつての輝きを取り戻したのは「アラベラ」である、「アラベラ」は「ばらの騎士」の二番煎じではなく、シュトラウスの晩年様式への最初の第1歩がある、シューベルト的・リート的なものへの接近だ、切なく寂しい澄んだ余韻だ

ナチス台頭 楽天家の悲劇的晩年(1933-1945)(70才~81才)

  • 1933年にナチスが政権を取ってからシュトラウスはナチスに無警戒で、帝国音楽局総裁に就任するなどした、彼は芸術のために良いことをしていると思っていた
  • 1933年、1934年のバイロイトではナチスに抗議してバイロイト(反ユダヤ主義)をキャンセルしたトスカニーニに代わって「パルジファル」を指揮して批判を浴びた
  • オペラ「無口の女」では台本にユダヤ人のツヴァイクを使用してトラブルとなり、帝国音楽局総裁を辞任した
  • 最期のオペラ「カプリッチョ」は「ばらの騎士」の再来だが音楽様式は驚くべき変容と深化を見せた、美しい一つの時代に終止符を打つ自覚があった、それはフィナーレの伯爵夫人の長大なモノローグに表されている
  • 第二次大戦末期のシュトラウスの人生は破滅的な悲劇の連続だった、ゲッペルスと衝突したり、息子の嫁がユダヤ系だったり、ウィーンの邸宅が爆撃で崩壊、思い出の劇場のドレスデン、ベルリン、ウィーンの歌劇場が空爆で破壊、ミュンヘンも壊滅的破壊を受けた
  • そんな中で作曲した「メタモルフォーゼン」は、弦楽器のみのモノクローム、複雑な対位法などハーモニーや色と官能を断念したレクイエムである

戦後(1945-1949)(82才~85才)

  • 戦争で再びすべての財産を失った
  • 戦後、連合国側からはシュトラウスはフルトヴェングラーと並ぶナチスの御用音楽家だと非難される、仇敵のシェーンベルクは彼を擁護した
  • 絶筆「最後の四つの歌」は1948年9月に完成、その1年後にシュトラウスは亡くなる、そしてその9日後、「最後の四つの歌」はフラグスタートとフルトヴェングラーによってロンドンで初演された
  • 「最後の四つの歌」は文字通りシュトラウスの最期の作品となった、ここで歌われるのは死の予感と諦念である、褶曲「夕映えの中で」で歌われるのは、伴侶とともに手に手を携えて歩いてきた人生の終わりである
  • 「最後の四つの歌」を浸しているのは、シュトラウスの代名詞とも言うべき濃厚な官能の芳香であり、それは妻のパウリーネではなく、元帥夫人、アラベラ、侯爵夫人のイメージであり、青春時代に熱愛したドーラではないか

作品編

(作曲技法)

  • シュトラウスの音楽には一聴してすぐそれとわかる独特の響きがある、これを象徴するものがナチュラル・ホルンである、シュトラウスの父はホルン奏者だった
  • シュトラウスのフォルムの特徴は、「尻すぼみ」にある、シュトラウスにベートーベン的な勝利のフォルムは無縁であり、むしろ「尻すぼみ」なフォルムによってニヒリズムや諦念を表現する点にこそ、彼の独創性がある、この意味でシュトラウスは「余韻の人」であり、彼のフォルムの本質は残響である
  • シュトラウスの自己引用癖は良く知られている、「英雄の生涯」のフィナーレにおいて、次々と自分がそれまで書いた曲が引用される、また自作だけではなく過去の様々な様式を引用する、ウィンナワルツ(「ばらの騎士」)など
  • シュトラウスは実直な職人気質であり、自作に対して客観的な評価を下す人だった
  • 劇場支配人としてシュトラウスは極めて現実的であり、オペラは受けなければ何も始まらないことを知り尽くしていた

(創作時期)

  • 第一次ミュンヘン時代、ヨーロッパの大国の軍拡競争を連想させるような、管弦楽の肥大化があり、シュトラウスの巨大管弦楽は19世紀を通じて進行した「音楽のショー化」の究極の帰結とも考えられる
  • 「サロメ」と「エレクトラ」は、速度とショックの原理を結び付けた一種のホラーオペラである、ポスト・ワーグナー時代に求められていたのは「速度」である
  • 「最後の四つの歌」はシュトラウスの創作の総仕上げである、これは「ばらの騎士」のもっとも甘美な瞬間を蒸留して、エッセンスだけにしたような音楽である、そして生涯の終わりに当たって、機械を自在に操作する技術の熟練の果てに、リートの精髄であるところの内面性を、ついにフル・オーケストラを用いて表現する境地にたどり着いたのである

本書を読んでみて、何となくR・シュトラウスの来歴、人物像、作品の特徴などが理解できたが、本書で言及されているシュトラウスの作品については、まだ記憶に残るほど聴きこんでいないものも多い

本書には技術的な解説も多いので、本書を参考にしながら彼の作品をもっと聴いて彼を深く理解していきたいと思った

(注)「最後の四つの歌」の独語はVier letzte Lieder、英語はFour Last Songsで(POCG-3601のCDより)、両方とも語順どおり訳すれば「四つの最後の歌」となるが、本書のでは著者の考えなのだろう、「最後の四つの歌」と書いてあるので、本ブログも著者の表記に従った


玉造GC捻木コースでゴルフ、帰りにKAITSUKAに

2024年08月24日 | ゴルフ

茨城県行方市の玉造ゴルフ倶楽部捻木コース(PGM)に行ってきた、久しぶりだけど何回か来たコース、天気は晴れで猛暑、日中の最高気温は35度以上だった

このコースは、1987年10月(昭和62年)に玉造ゴルフ倶楽部捻木コースとして開場、大洋緑化グループの経営だったが平成16年2月に会社更生法を申請、スポンサーにローンスターを選定した、平成17年4月に会社更生計画案が可決し、認可決定を受けた、その後、平成23年12月にPGMの傘下に入った

コースは18ホール、設計は大洋緑化、18ホール、ベントワングリーン、カートのフェアウェイ乗り入れ可能だが、この日は前日の雨で乗り入れ不可であった、カートにはナビがついていた、コースは変化があって面白い、池が絡むホールが何ホールかあり、コースを難しくしている、アップダウンはそれほどない、この日のグリーンスピードは8.8ftとなっていたが、それよりも遅く感じた、猛暑のため短く刈れないのでしょう、仕方ないか

コースの手入れは比較的よかったが、やはりディボット跡の修復、グリーンのボールマークの修復がイマイチであった、プレーの進行はまずまずであり、大きなストレスは感じなかった

クラブハウスからはインコースのスタートホールと最終ホールが広々と見渡せ、良いムードであった、食事はまあまあだった、お風呂にヘアリキッドがなかったのは残念だった

熱中症にならずに無事にラウンドできてよかった

さて、この日も帰りに焼きいもで有名なKAITSUKAに立ち寄った、そして、芋の味がするソフトクリーム(開店4周年で増量サービス中)と、冷蔵の焼きいも4本入りを購入した、今日はイートインが満席だったので、車に戻って車中でソフトクリームを味わったがおいしかった

お疲れ様でした


高島屋日本橋特別食堂(野田岩)で昼食

2024年08月23日 | グルメ

この日は日本橋で昼食をとることになり、前回訪問時と同様に吉野寿司に行ってみたら開店直後にもかかわらず行列ができており、断念。それではと行ったのが高島屋8階の特別食堂、行ってみるとすぐに入れた。

ここは何回か利用したことがある、作家の池波正太郎氏がここの野田岩のうなぎを好んで食べていたことを知って、自分も行ってみたくなったからだ、また、池波正太郎氏は帝国ホテルのシャリアピンステーキも好物であったため、ここをよく利用していたようだ、私も食べたことがある

今回は久しぶりである、一人だったが案内されたテーブルは4人掛けのテーブル、「入口から比較的近い席ですが良いですか」と受付けて聞かれ、大丈夫ですと答えた

中は結構客が入っている、値段は高めだが需要はあるのでしょう、高級百貨店にふさわしい食堂で良いアイディアだと思う、一人で来ている客も結構いた

今回は最初から野田岩の鰻重と決めていた、メニューを見るとやはり値段も特別で、鰻重の一番安いのから2つ目の梅を注文した、6,171円。

座席のテーブルの間隔は少し余裕があるが、隣のテーブルの声の大きいおばさま方の会話が聞こえてくるのが耳障りだ、曰く、「今日は赤ワインを飲もうかしら」などと言っている、昼間からワインかよ・・・

出てきた鰻重に期待が高まる、お重のフタを開けると何とも言えないうれしい気持ちに、さっそく食べてみると、鰻が熱々でおいしい、関東風の焼きと蒸しでできた蒲焼でやわらかい、天然鰻が売物の野田岩だが、このメニューは養殖物、「追加で1,000円弱だったか払うと天然ものにグレードアップできますが」と聞かれたが、養殖で結構ですと言った、私は特に天然物にはこだわらない、天然物のうなぎにはまれに釣り針が入っていることがあるなどと注意書きがあった。

久しぶりに食べてみて、何となく蒲焼の厚さが薄いような気がしたが気のせいだろうか、もうちょっと厚い蒲焼の方が良いのだが、しかし、味は大変おいしかった、満足しました

ご馳走様でした、何となくリッチな気分も味わえました


映画「たそがれ清兵衛」をテレビで観た

2024年08月22日 | 映画

テレビで映画「たそがれ清兵衛」を放送していたので録画して観た、2002年、129分、監督山田洋次、原作は言わずと知れた藤沢周平の小説

明治維新の直前の幕末、庄内・海坂藩の下級武士である井口清兵衛(真田広之)は妻を病気で亡くし、幼い娘2人や年老いた母と貧しくも幸せな日々を送っていた。家族の世話や借金返済の内職に追われる彼は、御蔵役の勤めを夕方に終えると同僚の誘いを断ってすぐに帰宅してしまうため、“たそがれ清兵衛”と陰口を叩かれていた。ある日、清兵衛はかつて思いを寄せていた幼なじみの朋江(宮沢りえ)を酒乱の元の夫の嫌がらせから救ったことから剣の腕が立つと噂になり、上意討ちの討手に選ばれてしまう・・・

藤沢周平は好きな作家である、と言っても熱烈な藤沢ファンのように彼の小説を全部読んだわけではない、「蝉しぐれ」や「三屋清左衛門残日録」、「隠し剣秋風抄」、「用心棒日月抄 」などいくつかの小説を読んだだけである、この程度読んだだけで彼の作品の論評はできないが、読んでさわやかな感動を覚える小説だとの印象がある。今回もそういう感動を与えてくれるだろうと期待して観た、ただ原作は読んでいない

観た感想を少し述べたい

  • 期待にたがわず良い映画であった、良い物語であった
  • 清兵衛は妻を病気で亡くしたが、結婚中も朋江のことは忘れたことはなかったと朋江に告白する、これは50石取りの下級武士の清兵衛に150石取りの家から嫁に来た先妻が苦しい生活になじめず、夫婦仲は良くなかったことも原因かと想像したがどうだろうか

  • 清兵衛は普段は下城してからも内職をやって糊口をしのぐ生活をしていたが、実は剣の達人であったという設定に無理があるような気がする、毎日剣の稽古をしているわけでもないが凄腕は変わっていないところに違和感を覚えた、ただ、そこは小説だから良いのでしょう
  • 清兵衛は同僚の武士である朋江の兄から、「いまは時代の転換期だから京都に出てチャンスを掴め」と言われると、「自分は武士が無くなっても百姓をやって暮らす」と言う、この時代にこういう性格の武士も珍しいのだろうが、司馬遼太郎の歴史小説に出てくる主人公とは正反対の日陰の存在に光を当てて描くのが藤沢小説なのでしょう

  • 朋江役の宮沢りえ(1973年生れ)の演技が素晴らしかった、美人過ぎて清兵衛と全然釣り合っていないし、武家の娘であるにも関わらず家事をテキパキこなすなど有り得ない設定だが、これも許されるでしょう。ただ、朋江は清兵衛の子供たちを町人の祭りにも連れて行き、兄はいつも武士の給金は百姓たちの働きによって賄われていると、子供たちに説明しているところを見ると、実は武家であってももう昔のような生活はできない家だったのかもしれない、宮沢りえの出演した映画「紙の月」(2014年)を昨年のちょうど今頃観たが、この映画は「たそがれ清兵衛」からだいぶ後の映画だ(その時のブログはこちら)
  • 本当は惚れていたけど好きだとは言えずに長い間、別の道を歩んだ二人が再び出会って愛を告白しあう、と言うこの筋は「蝉しぐれ」と同じではないかと思った

良い映画でした