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柚月麻子「BUTTER」を読む(追記あり)

2025年05月25日 | 読書

(2025/5/25追記)

当ブログで女性の痩身願望のことを書いたが、今日の読売新聞に「女性の低体重 健康を損なう極端なやせ願望」という社説が出た(こちら)、それによれば若い女性のやせすぎは月経周期の異常、貧血のみならず糖尿病になりやすく、生まれてくる赤ちゃんも低体重や糖尿病になりやすいなどの大きなリスクがあるという

社説ではSNSの体験ダイエット動画などの影響が指摘されているが、テレビの影響が一番大きいのではないか、ニュースの女性アナウンサーやお天気姉さんに太めの女性は一人もいない、私の良く見るアメリカのPBSNewsには太めの女性キャスターもちゃんと出ている、そこから直していくのが一番手っ取り早いと思うけど・・・

(2025/5/9当初投稿)

どういう理由だったか覚えていないが、柚月麻子「BUTTER」(新潮文庫)を買って読んでみた、彼女の本を読むのは初めて

柚月麻子は1981年生まれ、大学時代より脚本家を目指してシナリオセンターに通い、ドラマのプロットライターを務め、卒業後、製菓メーカーへの就職を経て塾講師や契約社員などの職のかたわら小説の賞に応募し、2008年に第88回オール讀物新人賞を受賞して頭角を現し、その後、数々の受賞歴を誇る人気作家

本書は2017年4月 新潮社から出版されたもので2017年の直木候補作にもなり、英訳されて海外でも出版、2024年11月に英大手書店チェーンのウォーターストーンズが2024年の「今年の一冊」に「BUTTER」英訳本を選んだと発表した

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中高年の男たちに次々に金を貢がせ、3件の殺害容疑で逮捕された女、梶井真奈子(カジマナ)が主人公、彼女が世間を賑わせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿だったからだ、週刊誌で働く30代の女性記者・町田里佳はカジマナへの取材を重ねるうち、欲望に忠実な彼女の言動に振り回されるようになっていき・・・

物語は殺人犯のカジマナ、記者の里佳、里佳の親友伶子が中心となって展開していく、そして食に関する考えが一つの大きなポイントとなる、カジマナは日本の女性たちの痩身願望をあざ笑い、女性はもっとバターを使った美味しい料理を好きなだけ食べるべきで、太ることを気にしたらダメだ、そして男たちはそういう美味しい料理を作ってもてなしてくれる女を望んでいるんだと言う

この小説は、首都圏連続不審死事件(木嶋佳苗事件)をモチーフにした作品、作中の人物はフィクションであり、事件の再現ではないとされている、木嶋事件をちょっと調べると確かにこの小説のモデルと似ているし、木嶋の周りに登場する人物も小説の登場人物と似通ったところがあるが、巻末の解説を書いた山本一力によれば、途中から現実の事件とはかけ離れた展開になるという

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読後感

  • なかなか面白かった、物語の展開が一本調子ではなく、意外な場面転換が適当なタイミングで入り、その複数のプロットが最後で連結して結末を迎えるという面白い小説の作法をしっかりと展開していたと思った
  • 小説の中での意外性という点では、伶子が疾走した理由と失踪中にやっていたこと、伶子や里佳がカジマナから受けた衝撃的な言葉の2点がある、山本一力が言うように途中から実際の事件や登場人物から離れて、これだけ豊かな内容を作り出す著者の力量はたいしたものだと思った
  • 特に伶子や里佳がカジマナから受けたショックの大きさはよくわかる、そしてそのショックの大きさをよく描ききれていると思った、今まで自分がやってきたことを全否定されるようなことは長い人生では起こることもあるでしょう、最近のネット証券口座乗っ取り詐欺で大きな被害を受けたシニアは里佳と同じように茫然自失となるのではないか
  • 本書を読んで里佳の仕事に対する取り組み姿勢など共感できる部分も多かったが、私生活についてはついていけなかった、かなり深い仲になった男性の誠との関係を最終的には断ち、仲間に囲まれながら一人で生きていく決意をしたのが最後の場面だ、仲間や母親が気軽に来れるような中古マンションを購入し、女性が生涯一人で自立して生きていくライフ・スタイルをとる決意をする・・・「こういったライフ・スタイルもある」ということが小説、テレビドラマなどを通じて世の中に広まっていくことに懸念を感じた
  • 多様な生き方があるのは当然であり、それぞれ尊重されるべきでしょうが、若い夫婦でも自分の子供には良い人を見つけて結婚し、子供を作って楽しい家庭を築いてほしいと願っている人が大部分ではないか、結婚しない人や子供がいない夫婦を差別や一人前扱いしないことは反対するが、生涯独身が多様な生き方の一つとしてたびたび世上に登場することが如何なものかと思う、何か進歩的な女性の一つの生き方みたいに言っているようにも感じ、そういう生き方に誘導さえしているのではないかと感じ、感化される若者もいるのではないか
  • もともと日本人は何事につけ奥手で、恥ずかしがり屋で、特に男女関係については断られたら恥ずかしいと思い、異性をデートに誘うことや気持ちの告白をためらい、ずるずる年を重ねて婚期をのがしてしまう若者が多いのではないか、そういう若者たちが小説やテレビドラマで里佳のような生き方を見て「ああ、一人でもいいんだ」と無理やり自己を納得させてしまうのが心配だ、本書も最後は誠とよりを戻して新たな歩みを開始するとしてほしかった
  • 一方、カジマナが言っていることに同意できる部分もあった、それは若い女性の痩身願望に対する批判である、最近医師が若い女性がやせすぎで危険である旨警告したとのニュースを聞いたが、その通りであろう、若い女性の痩身願望をあおっているのがテレビだ、テレビの女性アナウンサーなどはみな一律にモデルのようなウエストラインだ、昔は痩身は貧困を意味していた、男性がそういうスタイルを望んでいると勘違いしているのではないか、若い女性のスタイルについてもテレビは積極的に得意の多様性を発揮してもらいたい
  • 本書のタイトルになったバターは物語の一つの象徴だが、作中でバターに関する記述で共感できるところもあった、例えば、カジマナはエシレのバターとカルピス・バターを里佳に勧めるが、私もカルピス・バターの愛好者である、このバターは上品な薄味で色もどぎつくない、有名なレストランでも使用していると聞いたことがある、そしてスーパーでは売っていないことが多くデパートの食品売り場でないと買えないし値段も高めだ

  • そして、熱いご飯の上にカルピス・バターを一切れ乗せ、醬油を2、3滴立たらし、バターが溶けない間に食べると非常においしいことが書かれている、私はバターご飯は好きではないが、トーストの上にスライスしたカルピス・バターを乗せて、カジマナが言うようにバターが溶けない間にトーストを食べるのが大好きだ、バターの味がよくわかるからだ

面白い小説だと思った


渋谷ゆう子「揺らぐ日本のクラシック」を読む

2025年05月19日 | 読書

どういう理由で読んでみようと思ったか覚えていないが、渋谷ゆう子著「揺らぐ日本のクラシック」(NHK出版新書)を読んでみた

著者はクラシック音楽の音源制作、コンサート企画運営をしている方で、本書では日本のクラシック音楽はどう成り立ってきたのか、今はどのようになっているのか、未来につなげることはできるのか、について書いてみたいと述べている

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本書で著者が述べているいくつかの大事な点と思われるところを書いてみると

  • オーケストラや楽団、劇場の経営は厳しい、国の支援や寄付に大きく依存している
  • 芸術の質の向上と採算の確保とは相矛盾するところがあり難しい
  • 短期的な採算改善というビジネス視点と長期的なクラシック音楽ファンの増加とは別視点で考えるべき
  • 長期的にはクラシック音楽の都市集中を改善し、教育分野へのアウトリーチ(音楽リベラル・アーツ教育)や、市民活動と連携した地域に根差したアウトリーチ(音楽祭など)でファンを増やしていくことも一つのアイディア
  • これらのアウトリーチ活動を支える組織・団体が必要

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読後の感想などを述べてみたい

  • クラシック業界発展のために何をしたらよいかについての見識は持ち合わせていないが、業界として改善してほしいなと思う点はある
    ①公演会では、演奏をするだけではなく必ずトークを入れる、演奏前の時間でも演奏の合間でもよい
    ②終演後には指揮者、演者らがすぐにホワイエに出てきて、希望する人にサインしたり、話をしたり、写真撮影に応じる
    ③日ごろから各個人がSNSでの発信を強化する
    ④公演のカーテン・コール時の写真撮影を常に許可する
    ⑤プログラム・ノートやチラシはペーパーレスにし、公演前閲覧を可能にする
  • カラヤンは当時新しく出てきたCDという音楽媒体を最大限使用して業界の発展に貢献した、今それはネット、SNS、ストリーミングなどのIT技術であろう、そこが日本のクラシック音楽業界は著しく遅れている
  • 古今東西、およそ芸術には国家やパトロンによる金銭的な支援が必須である、芸術とビジネスは両立しな面があるからだ、国や地方の予算が制約がある中で次にその支援の担い手になるのは経済的に成功した人たちであろう、そういう人たちに支援してもらうよう働きかけてもらいたい、例えば、ZOZO創業者で巨額の富を得た前澤友作氏などはまだまだ金はいっぱい持っているでしょう、是非クラシック音楽業界にも貢献してもらいたいし、ビジネスマンとしてのアイデアも出してもらいたい
  • 本書の中で幸田露伴を兄に持つ幸田延の話が出てくる、創設されたばかりの音楽取調掛で学び群を抜いた才能を開花し、1889年に第1回海外留学生に選ばれウィーンなどで勉強し、帰国すると滝廉太郎や山田耕作などの後進を指導し、日本のクラシック音楽教育に大きな足跡を残した女性であるが、当時の新聞「日本」は延が高額所得者であることを批判的な論調で紹介したため東京音楽学校の校長らとの軋轢を生じ、さらに「東京日日新聞」では彼女を有害な存在として取り除くべきとの長文の記事を書いたため休学を余儀なくされたとある、今に続く新聞による富や成功者を妬んで敵視する報道であり、読んでいて気分が悪くなった
  • 本書では、外国から招へいした指揮者に対する報酬が高いことが書いてある、もういい加減にこういうことはやめた方がよいのではないか、サッカー日本代表の監督ももう日本人ではないか、高い報酬を要求する外人指揮者は中国や韓国に行ってもらえば良いと思う、有能な日本人指揮者や奏者はどんどん海外に出て活躍すればよく、そうすれば優秀な若者がどんどんこの業界に入ってくるでしょう

参考になった、著者の言う通りやり方によってはまだ改善の余地はあると思った


竹内 洋「教養主義の没落」を読む(2/2)

2025年04月25日 | 読書

(承前)

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5章 文化戦略と覇権

  • 教養主義は修養主義、鍛錬主義をオリジンとし、都市中産階級のハイカラ文化とは言えなかった
  • 都心のハイカラ文化に引け目を感じた農村の若者が高等教育に進学してインテリになるというのは垢ぬけた洋風生活人に成り上がることでもあった、知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識人のハイカラな生活の連想の中で憧れと説得力を持った
  • 岩波文化と講談社文化は通底しあっていた(ハイカラな知識人も元は泥臭い刻苦勉励の田舎出身者である)
  • 学校的教養である教養主義が近代日本で文化戦略たりえ覇権を持つに至ったのか、それは近代日本の上流階級の華族が徹底して西欧文化に転換したからだったからだ
  • その後、学歴エリートと上層中流階級との文化的隙間が生じる、旧制高校生的理想主義に潜む堅苦しく、重い雰囲気がブルジョワ文化と相容れなかった
  • そうしてブルジョワ文化を超える文化が必要になり、マルクス主義こそそうした新しい文化となり、ブルジョワ文化を「腐敗し、衰退する」と貶めることにより上位に立つことができた、「天皇も貴族もブルジョワも叩き殺せばいい」という労働者階級の過激な言葉は学歴エリートの「腐敗し、衰退するブルジョワ文化」という言葉と文化洗練階級への憎悪の感情で通底していた
  • 高等教育文化の解体や教養主義やマルクス主義が抑圧されたからあの戦争があったのだとの主張が戦後の新制大学のキャンパスに甦った、そして戦後日本の教養主義がマルクス主義と著しく接近した
  • サルトルに倣って当時の日本のマルクス主義的教養主義者が「首尾のよい居場所」(共産党の知識人でもなく右派知識人でもない)をオーソライズした

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終章 アンティ・クライマックス

  • 1960年代後半から学歴エリートたちの未来や教養主義に軋みが出てきた、大卒者のただのサラリーマン化が進んだからだ、彼らの人生航路からみると、教養など無用な文化である、教養はもはや身分文化ではなくなった
  • 彼らは教養エリートの教授を団交に引っぱりこみ、醜態をさらさせた、彼らの不安と怨念抜きには理解できない、そして教養エリートを過酷に相対化した吉本隆明に共感をもった
  • 教養主義エリートのノン・エリートに対する境界の維持と差異化が前景化した
  • この結果、教養エリートを中核とする大学文化は解体されレジャーランド化した、ビジネス面でも企業は文科系教養ではなく計量経済学などリサーチ系のビジネス技術学を重視しだした
  • 日本型革新思想は日本近代化のための政策理論ともなり、生産力理論となり翼賛体制に貢献したが、それも先進国と並び始めると無力となっていった、そして思想インテリから実務インテリに、抵抗型から設計型知識人への転換が行われた
  • しかし、農村人口の衰退という教養主義の覇権を成立させたインフラが崩壊したことにより、教養主義は崩壊すべくして崩壊した、刻苦勉励的エートスの崩壊である、日本と西洋の文化格差の消滅も崩壊に貢献した
  • かつての全共闘世代は教養主義への愛憎併存から来る一種絶望的な求愛運動だったが、ポスト全共闘世代の大学生にとっては教養主義に代表される知識人文化はもはや執着の対象ではなくなった、彼らは教養主義に対する露骨な反逆はせず、大学卒の資格だけは欲しがるしたたかな対応をした、これが60年代から70年代にかけて起こった、この結果、大衆文学の文庫本が売れ、総合雑誌は売れなくなった
  • こうした教養主義排除統一戦線の影のイデオローグはビートたけしだ、全共闘世代は丸山眞男ら教養エリートを崩壊させるために吉本隆明を必要としたが、レジャーランド大学生はプチ教養主義を解体するためビートたけしの知識人殺しを歓迎した、優等生を優等生の論理で揶揄した
  • 努力や頑張るという言葉が光を失い、苦労人が人を鍛え、世情に通じさせるという苦労人物語も衰退した
  • 教養主義崩壊の積極的要因は、70年代後半以降の新中間大衆社会の構造と文化だ、ホワイトカラーだけでなく、ブルーカラー、自営業、農民まで含んだ新中間大衆だ、新中間人は上下の距離の意識を希薄化させ、隣人と同じ振る舞いを目指し、すべての高貴なものを引きずり降ろそうとする「畜群(衆愚)」道徳(ニーチェ)に近く、凡庸が凡庸であることの権利を主張する、サラリーマン文化の蔓延と覇権が教養主義の終わりをもららした社会構造と文化である
  • いまの学生のキョウヨウは、軋轢を避け、円滑な人間関係を目指したもの、大衆文化への同化主義だ、サラリーマン文化への適応戦略だ
  • いまこそ、教養とは何かを考えるべき、一つのヒントは、大正教養主義は教師や友人などの人的媒体を介しながら培われたものであるということである、対面的人格関係は大事にしたい視点である

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著者の主張を簡単にまとめれば、

  • 維新後、戦後の一時期まで、近代化のため人口の多かった農村の若者が刻苦勉励して西洋文化を規範とする教養を高め、マルクス主義と親和し、岩波文化と相互依存しながら文化的な覇権を獲得して権勢を誇った
  • 彼ら左傾化した成り上がり上流階級は、皇室、大企業、石原慎太郎的ブルジョワ上流階級を敵視し、侮蔑し、攻撃した
  • 戦後、企業は赤化学生を警戒し、学生も卒業時には転向し、農村人口の衰退や社会の西欧化の進展、サラリーマン文化の蔓延などにより教養主義が衰退した

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全体的な読後感

  • 大正時代的教養主義が50年代半ばまで全盛を誇ったのは終戦後の占領政策によりアカデミズムから保守派が一掃されたことも大きな要因だと思う
  • 教養主義衰退に手を貸しているものに会社がある、彼らが学生に求めるのは教養ではなく組織への従順さ、チームプレー、運動部的猛烈さなどだ、大学も企業のニーズに合う学生を輩出し、学生に教養の大事さを教えてない
  • 教養主義が衰退した結果、進歩的文化人も岩波書店も影響力を失った
  • 教養主義や進歩的文化人は衰退したが、隠れマルクス主義左翼はリベラルなどと名前を変えていまだにマスコミやアカデミズムに多くいる、彼らは反戦、平和、反核、環境、平等、人権、人道、共生、性的少数者、男女共同参加、多様性などのきれいな言葉で自分たちを偽装し、日本の伝統や天皇皇族を嫌い、戦前・戦中を悪と決めつけて先祖を侮辱し、何かというと「差別だ」「戦争美化だ」などと騒ぐが没落は時間の問題でしょう
  • 左派教養主義の没落は喜ばしいが、本来の意味での教養(リベラル・アーツ)はもっと重視すべきだ、若い時にすぐには役に立たないが長い目で見れば必ず人格形成などに役に立つ古今東西の文学、音楽や美術などの芸術、哲学、宗教、歴史などの本をいっぱい読んで先生や友と語りあいたい、日経新聞に「リーダーの本棚」という特集があるがリベラルアーツ系の本が少ないと思うことがある、年をとっても教養的なものに接し続けたいものだ

たいへん勉強になった

(完)


竹内 洋「教養主義の没落」を読む(1/2)

2025年04月22日 | 読書

竹内 洋「教養主義の没落」(中公新書)を読んでみた、ミュージシャンの米津玄師さんが「社会学者の竹内洋さんの『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』という本がべらぼうに面白かったですね」と述べていることを何かで知り、興味を持った、発刊されたのはずいぶん前の本だ

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竹内 洋氏は、1942年(昭和17年)生まれの83才、関西大学東京センター長、京都大学名誉教授、関西大学名誉教授、専門は教育社会学、『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書、2005年)、『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、2011年)、『メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却』(中央公論新社、2012年)など著作を多数出しているが存じ上げてなかった

この本で「教養主義」とは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度であるとしている

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著者の主張の主要な部分を引用し、最後に自分なりに要約し、読後感を述べたい

序章 教養主義が輝いた時

  • 1970年代ころまでの日本の大学キャンパスでは大正時代の旧制高校の発祥地として、教養と教養主義の輝きがあった
  • それがその後、没落していった、その軌跡をたどることでエリート学生文化のうつり行く風景を描き、教養主義への鎮魂歌としたい
  • 著者は自身を教養主義に憧れるがそれになりきれないプチ教養主義者としている

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1章 エリート学生文化のうねり

  • 旧制高校的教養主義はマルクス主義や実践と双生児だった、旧制高等学校こそ左傾の培養基だった
  • 大正時代の終わりには、もっとも頭の良い学生はマルクス主義を、二番目の連中が哲学宗教を研究し、三番目のものが文学に走り、最下位に属するものが反動学生と呼ばれた、ジャーナリズム市場は左傾化するほど売れた
  • 左傾化した学生は享楽型、体制同調型、実利型の学生を批判対象とした

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2章 50年代キャンパス文化と石原慎太郎

  • 大正末期から昭和初期をみれば、旧制高校的教養主義はマルクス主義的教養主義であり、戦後、清水幾太郎や丸山眞男などはマルクス主義が弾圧されながらも、マルクス主義関係文献を読んでいた世代、戦後、旧制高校的教養主義はマルクス主義と同伴しながら復活した
  • 55年頃のキャンパス文化は教養主義とマルクス主義に席捲されていた
  • 大卒を採用する企業は過剰なほど赤化学生を警戒した
  • 60年代になると組合は穏健化したが学生は運動を熱心にやっていた、しかし就職となると転向した
  • 左翼文学が濃厚なキャンパスでは石原慎太郎の「太陽の季節」は通俗小説として貶められた
  • 三島は「石原は全ての知的なものに対する侮蔑の時代を開いた」と述べたが、それは知的ならざる勢力が知的なものを侮蔑ているのではない、「知性の内乱」である、それは言説の背後にある教養知識人のハピトゥスへの違和感と憎悪である、ハピトゥスとは、態度や姿勢を意味し、出身階級や出身地あるいは学歴などの過去の体験によって身体化された生の形式

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3章 帝大文学士とノルマリアン

  • 文学部はアカデミズムや教養主義の「奥の院」だった、文学部の学習時間や書籍購入費、図書館閲覧数が多いのはその証明である
  • 教師の半数以上は帝国大学出身の文学士で、その教師に感化された学生が文学部に進学し、その後教職について、教養主義を再生産する循環が成立した
  • 50年代半ばから新聞、放送、出版などのマスコミが求人を拡大して文学部の就職先が増えたが大企業は少ない
  • 帝大文学部学生は農村出身者、地方出身者、貧困層が多く、スポーツ嫌いで虚弱であった
  • 仏エリート高等教育機関中の名門校であるエコール・ノルマン・シューベリウールの卒業生をノルマリアンというが、文系ノルマリアンの出身階級は上流で、都会出身者が多かった
  • 教養も卓越さも学校で習得される文化というよりも上流階級のハピトゥスに親和性を持っており、帝大文学部の学生と反対になっている
  • 都市ブルジョワ文化の中で育った石原慎太郎にとって、日本の知識人文化である教養主義の奥底にある刻苦勉励的心性は相容れない、日本の教養主義はノルマリアンと違いハイカルチャーの紛い物、これこそ石原の教養主義に対する生理的嫌悪の背後にある心理と論理だ

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4章 岩波書店という文化装置

  • 1938年に岩波新書が刊行され、岩波書店は教養主義の文化エージェントとして確立した、これは岩波茂雄の一高人脈によって漱石などとつながった社会関係資本によるもの
  • 野間清治が雑誌「雄弁」を刊行したが記事が左傾化することを好まず、大衆的な講談社文化色を鮮明にした、野間は岩波と同等のハピトゥスがあったが、その運用のしかたにおいて利のある事業にすることによって成功した
  • 岩波出版物の狙っている点は進歩的か反動的かより先に、文化一般という抽象物についてのその水準がいかに高いかにある(思想家 戸坂潤)
  • 戦前の岩波文化は政治や経済に対する蔑視、もしくはそれに対する超然たる態度があった、史観として見れば、歴史の意味を文化を中心に考える文化史観が支配的だった、戦前の岩波文化はマルクス主義に対して慎重な姿勢をとっていた
  • 戦後の「世界」を顔とした岩波書店の出版活動や岩波知識人の別名が進歩的文化人であるが、清水幾太郎、丸山眞男、都留重人らはオールドリベラリストや共産党からも距離を置いた絶妙なバランスによっていた
  • 岩波出版物に占めるマルクス主義関係の書籍の割合は多いとは言えない、左翼出版の本舗は雑誌「改造」の改造社や弘文堂、白揚社などだった、また他社によって刊行されてから数年後の刊行だった、この微妙なバランスと時差が岩波文化を単なるジャーナリズム以上のものに押し上げ、民間アカデミズムの地位を獲得した
  • 岩波文化は東京帝大教授や京都帝大教授の著作を出版することで官学アカデミズムによって正当性を付与され、官界アカデミズムは自らの正当性を証明するために民間アカデミズムの岩波文化に寄りかかり、文化の正当性の相互依存が成立した
  • 岩波茂雄は明治天皇の五箇条の御誓文にのっとって先進国の知識(マルキシズム)を国内に配達することを重要な使命と考えた、主義の主張ではなく飽くまで学問的、研究的なもの
  • そして、大義名分なき戦争を食い止めることができなかったことへの素直な反省がなされ、このたびの戦争への突入は文化の世界的水準が低かったからであり、岩波は文化の配達夫でありたいと述べた
  • 岩波文化における欧米翻訳文化偏重は官学アカデミズムの学問ヒエラルキーと共振していた、官界アカデミズムでは欧米の学説研究がもっとも威信が高く、日本社会についての実証的研究はもっとも威信が低かった、かくて欧米学者の学説研究は帝大教授の官学教授が担い、私学教授が日本社会の実証的研究をするという学問的ヒエラルキーができ、つい最近まで持続してきた

(続く)


高階秀爾「日本人にとって美しさとは何か」を読む(2/2)

2025年04月08日 | 読書

(承前)

Ⅲ 日本人の美意識はどこから来るのか

漢字と日本語

  • 西洋では絵と文字は別物だが、東洋では書画と「書画」というように交差し融合したもの
  • これは東洋では絵と文字ともに筆を使うこと、文字が造形性に富んでいるから
  • 漢字が難しいというのは誤り、アルファベット一文字は意味を持たないが漢字は持つ、アルファベットは組み合わせて語彙にして意味を持たせるから漢字より難しい
  • 中国から漢字を取り入れたが、中国にはない仮名文字と「やまとことば」の訓読みを導入した

余白の美学

  • 余白という言葉は英語やフランス語に訳しにくい、西洋画に余白はない
  • 余白は「余計なものは排除する思想」で日本人の美意識の一つ、光琳の「燕子花図屏風」や等伯の「松林図」、京都御所の紫宸殿の庭は花壇や噴水はなく白い砂礫を敷きつめただけのもの、「燕子花図屏風」や「洛中洛外図」の金地の背景や金雲は余計なものを排除するために利用されている

名所絵葉書

  • 西洋のは凱旋門の絵葉書のように余計なものは切り捨てているものが多く、日本の名所絵葉書は「桜の清水寺」や「高雄の紅葉」のように自然景色やそれと一体となっているものが多い、浮世絵も同様だ、モニュメントは建造物ではなく富士山や東山など自然のものだ

(コメント)
先の余白の議論と真逆の日本の特徴となっているのが理解できなかった

受け入れられなかった雅楽

  • 日本は模倣が得意で外国のものを何でも巧みに取り入れるが独創性に欠けると批判されるが、そうでもない、例えば、山本七平氏は日本が中国から模倣しなかったものとして「科挙、宦官、族外婚、一夫多妻、姓、冊封、易姓革命」などを挙げている
  • 宮中の雅楽もそうだが、このような「受け入れなかったもの」の検討を積み重ねることによって日本の、日本人の徳性を明らかにできるし、それが日本の独自性というものだ

実体の美と状況の美

  • 西洋の美はギリシャ彫刻のように実体物として美を捉えるが(永遠不変の美学)、日本人は季節の移り変わりや時間の流れなど自然の営みと密接に結びついている、そしてそれは満開の桜や秋の夕暮れのように長くは続かない(うつろいの美学)

伝統主義者福沢諭吉

  • 諭吉が西洋文明の摂取を主張したのは、近隣諸国が植民地化されているのを見て、日本が本来の姿で独立して西欧諸国と相対するためだと信じたからであり、それは西欧を視察してそれぞれの国が過去の歴史が生み出した貴重な芸術遺産を大切にし、そこに郷土への愛と誇りを謳い上げているのを眼の当たりに感じ取ったからだ
    (コメント)
    諭吉の西欧文明摂取の考えの背後にある思想に同意する、そして、本書には書いてないが諭吉は脱亜入欧を言い出す前にアジアの近代化を支援していたことも忘れてはなるまい

解釈は作品の姿を変える

  • 20世紀の芸術においてはシュルレアリズムのように作者の意図に加え、音楽なら演奏家や聴衆、絵画なら観客の解釈が作品を最終的に完成させる、謎めいた不可解なイメージを提示することによって見る者の想像力に働きかけるという手法、この背景にはキリコの存在がある、日本では昔から俳句のように作者の提出した句をいろんな解釈をしている

(コメント)
キリコは展覧会を昨年鑑賞した(こちら参照)、また、最近の欧州のオペラの新演出などはまさにこの路線なのでしょう、「解釈はまた一つの創造行為に他ならない」とは高階氏の言葉であり、うまい表現だと思った

きらめく朦朧体

  • 明治期の日本画は日本美術院さえあればよい、日本美術院は菱田早春一人いればいい、早春が果たした歴史的役割は、過去の伝統を受け継ぎながら新しい時代にふさわしい清新な表現を達成した点にあった、日本画の革新である、盟友大観と手を携えておし進めた「朦朧体」がその例である、朦朧体は見る者に深い感慨を呼びさますような暗示性を具えている

(コメント)
少し前に読んだ土方定一「日本の近代美術」でも早春や大観が進めた朦朧体を多く取り上げ、好意的に書いていたが、高階氏も同じ評価だと思った、この動きに異を唱え、狩野派の伝統をかたくなに守ったのは澤田瞳子が小説にした河鍋暁斎・暁翠たちだった(こちら参照)

たいへん参考になった本である、上に記したのは高階氏の美術に関する知見であるが、この本にはそれ以外の日本と他国との比較文化論に及ぶ論文がある、例えば「襲名の文化」、「旅の東西」、「東京駅と旅の文化」、「ロボットと日本文化」、「世界文化遺産としての富士山」などだ、そこにおける論評も示唆に富み、いろいろ啓発されるところが多かった

なお、本書の体裁などについては少し不満が残った、例えば、①引用している絵画がすべて白黒であること、②ⅠとⅡの体裁とⅢの体裁が異なること、前二者は縦書きのページの下部(ページ全体の4分の1くらい)を引用絵画のためのスペースとし本文は上4分の3としているが、下の4分の1の部分に余白が多くページが有効利用されてない、写真も小さくて見にくかった

(完)


高階秀爾「日本人にとって美しさとは何か」を読む(1/2)

2025年04月07日 | 読書

昨年、高階秀爾氏の書籍「名画を見る眼」を読んで感銘を受けた(その時のブログはこちら)、その後、たまたま本屋で高階氏の新刊本「日本人にとって美しさとは何か」(筑摩書房)が出ているのを見つけたので買い求め、さっそく読んでみた

「名画を見る眼」は西洋画を解説したものだが、本書は西洋画のみならず日本画についても多く解説したものであり、高階氏のカバーしている研究対象がいかに広かったか知るところになった

以下に本書を読んで教えられたところを引用して、必要がある場合にはコメントを付けてみた、順序は本書の目次のとおり

Ⅰ 言葉とイメージ 日本人の美意識

  • 文字と絵は別々のものだが、実はその両方にすべての日本人の表現に共通する美意識があり、それは西洋と比べかなり大きな違いがある
  • 日本では昔から文字と絵はつながっていた、最近でもケータイの絵文字が何種類もあるが海外ではこれだけのものは見られない
  • 日本人の美意識を最初に伝えているのは10世紀の「古今和歌集」だ、それは誰でも歌を詠む、漢文でなく「やまとうた」という伝統、勅撰という天皇の命令で集めた和歌集というところに特徴がある、日本の美学の宣言である
  • 古今和歌集にはお祝いの場で歌を詠んで屏風に書いた、歌と絵のつながりがある、平安朝末期にも絵の上に法華経の文字が書いてある国宝の「扇画法華経冊子」がある
  • 蕪村が残した手紙にも絵文字がある、傘を絵で表現している、俵屋宗達の絵の上に本阿弥光悦の書を書いた「鶴下絵和歌巻」があるなど絵と文字が合体した作品が多くある

(コメント)

NHK「日曜美術館」で開催中の「ミロ展」を取り上げ、「絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)」(1925年)という作品を紹介し、この絵には「栗毛の彼女を愛する幸せ」という文字が書かれていた、そしてミロの「私は、絵画と詩をまったく区別していない」とのコメントを紹介していた、ミロは意識せず日本人と同じ発想になったのか日本画の影響があったのか

さらに、音楽などをモチーフに描いた星座シリーズの絵を3点紹介し、絵画の中の線の動きが指揮棒を振っているような感じがする作品や、楽譜やト音記号のような線がある作品が紹介され、「20年代に詩が担っていた役割を音楽が担っている」とのミロの考えが紹介されて、これは詩と音楽と絵画の融合であるとしていたのは興味深い

Ⅱ 日本の美と西洋の美

東と西の出会い

  • 18世紀末以降、日本と西洋の美術関係の交流が始まり、それぞれにおいてそれまでに知られることのなかった異国の新しい芸術の表現様式に魅了された
  • 表現形式として日本画では歌麿の絵のように中心となる人物以外の要素をすべて大胆に排除する「切り捨ての美学」、狩野永徳の檜図屏風のように幹の上部を画面の縁で切り落とされたかのように描く「クローズ・アップ」がある
  • 日本の画家たちは三次元の世界を再現することは考えず、「洛中洛外図屏風」のように平面性を尊重した、西洋画の一つの固定した視点から眺められた絵を描くかわりに、複数の視点から眺めた様々な部分を画面上に並置した
  • このような日本と西欧の表現上の差は、両者の芸術に対する哲学の違いによって説明することも可能、西洋の一つの視点による描き方は、一つの中心を絶対的な価値とする西欧の一元的思想に対応し、日本は客体(描かれるもの)が尊重され、それぞれの対象にふさわしい視点が採用されるのは、互いに矛盾するさまざまな価値の共存を認める日本文化の多様性に並行するものだ

(コメント)
日本は異国文化を十分検討の上、必要な部分は取り入れるなど多様性が高度に発達した国である、今でも西洋の方が多様性があるとは言えないだろう、そして「日本らしさ」を失わない範囲での多様性であるということが大事でしょう

和製油画論

  • 明治初年の時期に従来の日本絵画とは違う西洋絵画の特質が認識された、それは陰影法と遠近法などの表現技法である
  • 和製油画という名称で対象とするのは黒田清輝を中心とする新派に対し旧派と呼ばれたもっぱら日本でのみ学んだ画家たちである、旧派も陰影・遠近の技法を学んだが、彼らが追及したのは陰影だけだった
  • それは西洋の遠近法が一つの統一的視点ですべての対象をとらえるのに対し、彼らはその視点の固定化による距離感を無視し、常に対象に密着させる江戸期以来の琳派の日本人のものの見方やその遺産を受け継いだから
  • 和製油画を書いた画家たちは西洋の製作法を忠実に学び実践したが、新派は明るさを重視するあまり画面の耐久性を損なうような制作をした
  • 明治20年代から西洋化の動きが伝統復帰に大きく変わり「歴史画」が多く登場してきた、これは単なる欧化政策に対する反動や懐古趣味ではなく、立憲国家形成にあたって国際社会の中で独自の文化的「伝統」を有することが一等国になるために不可欠とする岩倉具視、伊藤博文らの認識があったから
    (コメント)
    伊藤らの考えには賛成である、どの国も自国の文化的伝統を大事にするもので、それを破壊するような政策は採用しないものだ、これは現在で言えば単に進歩政策に対する反動や懐古趣味ではない、どこの国でもある国民意識である

(続く)


谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」を読む

2025年03月22日 | 読書

谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」(新潮文庫)を読んでみた、きっかけは忘れたが、この2つの小説のいずれかが素晴らしいと新聞か何かで取り上げられていたのを読んで手に取ったのだと思う、谷崎は好きな作家だ、「痴人の愛」や「細雪」などいくつかの本を読んできた

この本は2つの小説が入っている、最初の「吉野葛」は80ページくらいの短編でもう一つの「盲目物語」が150ページくらいの中編である、このうち「吉野葛」は、大和の吉野を旅行してその風物自然を写し、その土地の歴史伝説を語っていく随筆風の書き物で、一緒に旅行している津村という友人の生い立ちを挿入して津村の母への思慕の情を主題として設定した小説であるが、実は読んでもあまり響いてこなかった

ところがもう一つの「盲目物語」が素晴らしく、感動した、これは戦国時代に材をとった歴史物語で、これを盲人坊主(弥一)の懐旧談の形をとって書かれたものである、主人公は信長の妹で浅井長政の妻「お市の方」であり、彼女の悲劇的生涯を中心に、この時代を生きた武将らの喜怒哀楽を描いたものである

戦国時代に信長や秀吉が近江の浅井・越前の朝倉勢を滅ぼしたことは司馬遼太郎の小説などを読んで知っていたが、大きな歴史物語のほんの一部でしかなく、詳しいことは思い出せない程度の知識しかなかった、しかし、今回「盲目物語」を読んでこの間の詳しい物語を知り大変勉強になった

読んでみた感想などを書いてみたい

  • この小説の内容は全部史実ではないだろう、脚注でそれを指摘している部分もある、この語り手の盲目の僧侶も架空のものであろう、しかし、それは司馬小説でも同じであり、目くじら立てるようなことではないでしょう
  • 浅井家は、信長が「朝倉は責めない」との約束を破ろうとした時、朝倉を支援するかどうかの岐路に立たされる、主君長政は織田の運勢と力を見抜き「織田に逆らっても勝ち目はない」と主張したが隠居していた久松が「信長の裏切りを見ず、親の代からの恩を忘れ、加勢しなかったとあれば末代までの恥である」と言い援軍することにした結果、信長に敗れ両家は滅亡した、これは現代にも通ずる重要な事例だ、大義や恩義にこだわり現実を無視した決断をすれば国や会社は亡ぶ、そういう教訓だ、また、集団的自衛権を発動しても滅びることもあるという事例でもある
  • その過程の信長との戦いでも長政と久松とはことごとく対立し、軍議に時間がかかり、動きが早い信長勢にやられてしまう、これも現代に通用する大きな教訓であろう、今流に言えばガバナンスの欠如であり、長老支配の弊害、スピード感の欠如が命取りになるなどだ
  • 浅井家は滅びたがおいちは生き延びた、そのおいちを秀吉と勝家のどちらも手に入れようとしたが、おいちは秀吉が夫の領土を奪い取り、息子のまんぷく丸をだまし討ちで串刺しにたとして、勝家と再婚した、しかし、勝家は1年後に秀吉から攻められおいちともども自害して果てる、このおいちの決断は人生の悲哀であり皮肉でもあった、誰だっておいちの決断を支持するだろうが、その結果、おいちは死を早めた
  • おいちは秀吉の求愛を拒んだが3人の娘は秀吉側に引き取られ出世した、長女の茶々は秀吉の側室(淀殿)になって秀頼を産んで出世した、次女のお初は京極高次と結婚し、三女の小督は徳川秀忠の妻となり三代将軍光圀を産んだ、歴史の皮肉であろう、この三人の娘たちは母や兄まんぷく丸の非業の死をどう思っただろうか
  • その茶々であるが淀殿と呼ばれ幼少の秀頼の母として大坂の陣で豊臣家を事実上支配するが、それが豊臣家の滅亡をもたらしたのは皮肉であろう、谷崎も小説中で「亡きお袋様の思し召しに背き、親の仇のところにご縁組みをあそばされたのが、不孝のばちをお受けになされた」と言わせている、そして「おふくろ様も、お子さまも、二代ながら同じようにお城をまくらにご生害なされましたのも、思えば不思議なめぐりあわせでございます」と弥一(盲目の坊主)に語らせている
  • この小説では浅井家と柴田家の落城の模様を詳しく書いているが、そこには双方ともに「滅びの美学」があると思った、長政は小谷城が多数の秀吉軍に取り囲まれ、もはや万策尽き、秀吉からの降伏のすすめも拒否し、妻や娘と別れの盃を交わし、自分の石塔を作らせ戒名を得て籠城中の家臣に焼香を上げさせたうえで自害した
  • 勝家も秀吉軍から攻められ劣勢になると、加勢していた利家公に「それがしへの誓約はもはやこれまでに果たされているから、以来はちくぜんと和睦して本領を安堵なされたがよい、このほどのじゅうの骨折りは勝家うれしく思います」と言って別れた、敗戦がほぼ確定すると、同盟国まで道連れにしない配慮が素晴らしい
  • そして翌日の羽柴軍の総攻撃の前夜、籠城中の家来や女中で希望するものが落ち延びることを認め、敵方の人質を解放し、城内の要所ゝゝに枯れ草を山のごとく積み、いざと言えば火をつけるように手はずを整え、城内にあるだけの名酒の樽や珍味を出させて家来や女中らに最後の晩餐をふるまい、翌日総攻撃が始めると天守に登り自害した
  • 勝家が自害する前に幸若舞「敦盛」の一節「人間五十年・・・」を歌って舞ったとある、テレビで信長が本能寺の変で自害する前にもこの「敦盛」の一節が歌われていたのを見たことがある、本書では信長が桶狭間の戦いの前にやはり「敦盛」のこの一節を舞ったとあるがChatGPTで質問するといずれも史実ではないという、しかし、信長がこの一節を好んでいたことは事実らしいし、この一節は日本人には響いてくるのでしょうし私も好きだ
  • 谷崎は勝家敗戦の原因を勝家公の先鋒、佐久間玄蕃の油断にあったと書いている、勝家がある時点で「軍を引き備えを固めよ」と指示したのを無視し、深入りして敗戦の原因を作ったことを指している、ここにも敗戦する国の指揮命令系統の破綻が見られる

壮大な歴史ドラマであった、谷崎による脚色もだいぶあるだろうがそれは構わないと思う、何か事実かはわからない面が多々あるのが歴史であり、小説家が書く歴史はこのようなもので大いに役立つと思う


Colleen Hoover「Reminders of Him」を読む

2025年03月12日 | 読書

アメリカの女性作家コリーン・フーヴァー(1979年 )の最新作「Reminders of Him」を読んでみた、洋書は以前は丸善で選んでいたが時間がかかるので最近はアマゾンでレビュー数の多いものから適当に選んでいる、彼女のこの本は297千レビュー数と驚異的な数字になっていた

彼女がアメリカのロマンス小説・ヤングアダルト小説家だとは後で知った、たまにはロマンス小説も良いでしょう、彼女は2023年にタイム誌によって世界で最も影響力のある100人の1人に選ばれた、海外で売れてる本を原書で読むのは語学の勉強になるし、日本以外の情報ソースを持つ意味もある

現職の米国副大統領のJ.D.Vanceの書いた「Hillbilly Eregy」も英語で読んだことがあり、彼が副大統領になった時はびっくりした 、日本のメディアは彼やトランプに関して偏った情報ばかり取り上げ、いろんな角度から検討し政策の真意を探ったり、読者に多様な見方を示し考える材料を与えることをせず批判ばかりが目立つ、それに感化されてる人も多いでしょうが、新聞のこのような報道は往々にして間違っていた、国際情勢や他国情勢を見抜く取材能力・分析能力のない新聞を読んでいる日本国民は不幸でしょう

この本「Reminders of Him」の英語のレベルは初級から中級程度でそんなにの難しくはなかった、わからない時は例によってKindleの辞書か翻訳機能を使えばたちどころに翻訳してくれるので意欲さえあれば誰でも読める、この本の日本語翻訳もすでに出版されているがKindleがあれば原書だけで大丈夫だと思う

さて、この小説だが(以後、若干のネタバレあり)

  • 全部で42章あり、各章はKennaかLedgerが一人称で交互に語る形式になっている
  • 悲劇的な過ちで5年間服役した後、Kenna Rowanは服役中に生まれた4歳の娘Diemが住む町に戻り再会することを望むが、娘の周りのすべての人は彼女を憎み、締め出す、そんな中で彼女への扉を完全に閉ざしていない唯一の人物が地元のバーのオーナーであり娘と数少ないつながりを持つLedgerであった、KennaとLedgerはバーで知り合い、会話が始まる、そしてLedgerが徐々にKennaの人生で重要な存在になりかけるがそれ以上進むと二人とも自分にとって大切な人全員の信頼を失う危険がある、どうしたら良いのか・・・

Kennaが5年前に犯した罪とは何なのかが一つの大きなポイントになるが、それは小説を読んでいてもなかなか出てこない、最後の方になってKennaが書いた亡きパートナー宛の手紙がその罪の状況を詳細に物語る、その内容を読んだ人たちは・・・

読んだ感想としては、ちょっとストーリーが冗長な感じがした、そしてKennaとLedgerが何であんなに簡単に認め合う仲になってしまったのか飛躍があると思った、そして恋人同士になるとけっこう簡単にsexをしてしまうのも何だかなーと思った、sex描写も露骨で、コンドームなどの用語が良く出てくるのは好きになれなかった、しかし、最後はやはり感動した、読了後再びKennaの書いた問題の日の状況を語る手紙を読み返し、自分もKennaの行動に納得したが、その中で問題が起こって夜中の道路に這い出てきて助けを求めたが何台もの車が通り過ぎたという説明が不自然だと思った

女性向きの小説ではないかと感じた


鈴置高史「韓国消滅」を読む

2025年03月08日 | 読書

鈴置高史著「韓国消滅」(2024/9刊、新潮社新書)を読んでみた、鈴置氏は韓国観察者、1954年生まれ、日本経済新聞社ソウル特派員、香港特派員、経済解説部長などを歴任し2018年に退社、2002年、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞

本書の記載順に従って鈴置氏の所論を紹介したい、そして、最後に私の読後感などを書きたい

はじめに

  • 21世紀に入ってからの韓国は内紛に明け暮くれた末に滅んだ李氏朝鮮を思わせるものがある、出生率が日本を下回ったというのに一向に危機感が高まらない、韓国メディアは日本を笑うばかりで同じ病に罹った自らを省みなかった
  • この本は韓国が混迷期に入ったことを伝えるのが目的

第1章 世界最悪の人口減少

1、日本より急な少子高齢化

  • 韓国の出生率は2021年時点で0.81とOECDでワースト1を記録していた、生産年齢人口比率で日本を下回る
  • 急激に縮む韓国を日本が正しく見据え、適切に対応しているとはとても言いがたい、岸田政権が日本の先端技術の成果を平気で教えるのは「衰退する日本は躍進する韓国と手を組むしかない」との判断がある
  • 出生率の低下は徴兵制の韓国では兵力の減少につながるため、核武装論にも弾みをつけた
  • 「韓国の中国化」も見落とせない、韓国は日本と同比率で外国人を受け入れているが中国人が5割を占める、中国人居住者が増えるのは必至、これを見ても韓国を日米側に引きつけるために譲歩するという岸田政権や外務省の対韓外交は破綻する

2、IFM通貨危機が諸悪の根源

  • 韓国の急激な少子化は「生きづらさ」が原因であるため解決が容易ではない
  • これには「社会の競争圧力」と「経済的な困難さ」が背景にある
  • IFM危機が激しい競争社会を生んだ、IFM危機を機に韓国企業の多くが従業員解雇を躊躇しなくなった、40才定年制になった、非正規雇用の比率も一気に上昇した、OEDC加盟国の自殺率もワースト1である
  • 競争圧力を感じて子供の数を絞り教育投資を集中するようになった
  • 2019年に生産年齢人口がピークになりマンション価格が急騰し、家計債務も急増したが、最近の金利引き上げにより家を手放す人が相次ぎ、破綻予備軍も多い

3、なぜ、危機感に乏しかったのか

  • 21世紀初頭に出生率が落ち始めたのと時を同じくして異様な高揚感に包まれた、「日本に勝った」、「韓国が上だ」、「我々は世界一の民族だ」と喝采し、政権やメディアも「世界に冠たる韓国」を煽った、美しい自画像に酔い、厳しい現実を直視しなかった、1000年以上の鬱屈の歴史ゆえか
  • 少子化にとどまらず民主主義が早くもぐらついている、米中対立が増す中での安易な二股外交にまい進して孤立を招いた自覚がない

第2章 形だけの民主主義を誇る

1、「先進国」の称号ほしさから民主化

  • 民主化は文人が軍人から権力を奪い返した事件であり、理念ではなく党派の争いだ

2、半導体を作る李朝

  • 韓国の大統領は不本意な形で任期を終えるか、退任後に貶められるのが定番だ、これが21世紀に入ってから対象がいっきに広がった、そもそも乏しかった妥協の精神は韓国の政界から完全に消え、保守と左派の生存をかけた争いが日常化した、日本の植民地に転落する原因となった李氏朝鮮と同じ構図である

3、手つかずの「経済の民主化」、革命リスクを培養

  • 韓国の上場企業は殆どがオーナー会社だ、オーナー一族専横の企業風土だ
  • 韓国に左派が多く残るのも悪しき資本主義の象徴である専横なオーナー一族が存在するからだ

4、台湾の民主化は進んだのに・・・

  • 台湾の民主化は自分たちの運命は自分たちで決めたいという思いがある、韓国は庶民の怒りと先進国ブランドが欲しさに民主化した、李氏朝鮮以来、儒教を統治原理にしたことも韓国民主主義の後退の原因
  • 民主化前に多くの国民は「妥協のできない韓国人は強いリーダーシップで率いるしかない、民主化しても合意を生めるどころか混乱するだけ」と語っていた

第3章 米中の間で右往左往

1、李承晩時代は「坂の上の雲」になるか

  • 司馬遼太郎の「坂の上の雲」に相当する小説「太白山脈」が韓国に出たがこれにより反米感情を育てた
  • 反米に一気に火が付いたのが1997年の通貨危機だ、米国と日本は韓国を救わなかったためIFM管理という屈辱を受けたが、それは当時の金泳永三政権の従中政策のせいだ

2、従中を生む「底の浅い民主主義」

  • 韓国はなぜ、中国にすり寄るのか、①長い間属国だったから、②経済的に中国に深入りしすぎた、③それと民主主義への思いの浅さに起因する

3、中国の台頭に思考停止

  • 1987年の民主化以来、政権が代わる都度、韓国外交の根本姿勢が揺れ続け、米中の間を右往左往し、国益を大いに棄損した
  • 露骨な二股外交のため韓国は米国から信頼されてなく、国を危うくしている、米中対立がこれほど激しくなると予想していなかった
  • 韓国が中国を仮想敵とみなさなければ米韓同盟も長続きしない
  • なぜ、21世紀初頭の韓国人は現実を直視しなかったのか、それは韓国には「自決」の歴史がないからだ、三国の時代から大国に小突きまわされ、19世紀の西洋のアジア侵略が始まった時もそうだったし、1948年独立後の朝鮮戦争の時もそうだったからだ
  • そもそも、韓国人は決定的な局面で米国に裏切られたという集団の記憶を持つ、1905年の桂・タフト協定で日米両国は米国によるフィリピン統治と、日本の韓国に対する保護・監督権を相互に承認した、1882年の米朝修好通商条約で米国から保護の約束を取り付けていたと思っていたからだ

第4章 日本との関係を悪化させたい

1、日本を見下し「独立」を実感

  • 韓国人に「反日」というと怒るようになった、劣等感の現れだからだ、現在は「卑日」に変えた
  • 過去の反日は日本に甘えた行動だったが21世紀に入ってから対日姿勢は変わった、日本を貶めることにより韓国が上だと確認しあう国民的行事となった、日本が衰退期に入ったと見るや態度をがらりと変えた
  • 「卑日」が定着したのは2つの理由がある、1965年の日韓国交正常化以降日本からの経済援助と技術協力があって北朝鮮に対抗する国力を持てたから日本の鼻息を窺わざるを得ないとの鬱屈、台湾はそれが無かったからはるかに良好な対日観を持つ
  • もう一つの理由は米中対立だ、日本との関係が悪いので米韓日の軍事協力に入れないと拒否した、対日関係を悪化させることで中国包囲網の結成を邪魔する、それは中国が怖いからだ

2、植民地になったことなどなかった

  • 日韓の関係が良くなることなどまず、ないであろう、日本の植民地になったことなどなかった、厳密には日本による統治は不法と思いたいのでさまざまな罠を仕掛けてくるだろう、慰安婦問題、徴用工問題、佐渡金山の世界文化遺産登録などだ
  • 尹政権は日本に植民地支配を不法と認めさせ、何とか金を出させるために「未来パートナーシプシップ基金」を作らせ、この基金を徴用工向け賠償金に振り向けさせる作戦を出してきた、こんな見え透いた罠に日本はまるわけないが、韓国側はあきらめない、日本側に呼応する勢力がいるからだ、朝日新聞は繰り返し社説で日本側の出資をさりげなく訴えてきた、政治家にも韓国へさらなる謝罪を訴える人がいる、石破茂議員である

3、「アメリカの平和」に盾突く覚悟はあるのか

  • 2015年の安倍政権戦後70年談話にも介入し、侵略・植民地・反省という3つのキーワードを使えと言ってきたが安倍政権は巧妙な論理構成でその意図には沿わず、むしろ韓国を揶揄した、よほど皮肉屋で答弁技術に熟達した役人が書いたのだろう
  • 今さら韓国が日本の植民地になったことなどないと主張するなら、サンフランシスコ講和条約を否認し、米国が定めた戦後秩序に異議を唱えることになる
  • コロナ禍で韓国紙が一斉に「西洋の没落」を謳い上げた、西欧の諸国やそこに加わった日本には韓国人の心の奥底は容易にはわからないのだ

あとがき

  • IFM危機が無かったら左派の金大中が大統領になることはなかった、危機を引き起こした保守に絶縁状を叩きつけ韓国初の左派政権を誕生させた、これ以降、韓国は保守と左派が政権を交代する時代に突入する、そして金大中政権は北朝鮮への援助に乗り出し、瀕死の北朝鮮は生き返り、核開発に邁進する
  • IFM危機は米国が中国にすり寄った金泳三政権にお仕置きをした面が強い、これで米国は韓国を中国・北朝鮮側に押しやった、IFM危機が無かったら朝鮮半島は今ほど不安定になっていなかっただろう

いろいろ参考になりました、著者の指摘には同意できる点が多かったが、「韓国の中国化」など今の日本にも当てはまる点が少なくないと感じた

読後に改めて我が国の今後の韓国との関係を考えてみると

  • 対韓外交はアメリカの意向次第であろうが、付かず離れずの態度で接するのが良いと思う、軍事的協力や経済的支援(スワップ協定や技術供与等)などはすべきでないと思う
  • 我が国の長年の友好や支援、保護に反感を持ち続け、我が国元総理大臣を暗殺し、竹島を不法占拠し、過去の両国の合意を何度も反故にし、何度謝罪してもなお謝罪・賠償を要求する反日、卑日国家とは距離を置いて接するのが賢明であろう


澤田瞳子「星落ちて、なお」を読む

2025年02月23日 | 読書

澤田瞳子著「星落ちて、なお」(文春文庫)を読んだ、この本は第165回(2021年上半期)直木賞受賞作だが知らなかった、著者は昭和52年/1977年生れ、直木賞受賞前にも「若冲」で第9回親鸞賞(平成28年/2016年)受賞などの業績がある

絵師・河鍋暁斎(きょうさい、1831-1889、59才没)の娘とよ(1868-1835)は、暁翠(きょうすい)の画号をもつ絵師、父亡き後、仲がよいとは言えぬ腹違いの兄・周三郎(暁雲)と共に洋画旋風の中、狩野派由来の父の画風を守ろうとする、江戸末期から明治大正期にかけての激動の時代、家庭の生活を担いつつ、絵師として母として、愚直に己の生を全うした女の一代記、とある

物語は暁斎がなくなった明治22年から書き起こされ、大正13年までの35年間にわたるとよの人生を綴っている、出てくる人物は全て実名であると思われる、フィクションはないでしょう、それだけに美術ファンの私としては単なる小説ではなく美術の教科書的なものとして読んだ

とよ(暁翠)の人生は葛藤の連続であった、いくつかそのわけを書いてみると

  • 父の暁斎は画鬼と呼ばれるほどに絵に狂った存在、生家の火事すら人の命を顧みず写生し、血を分けた子供たちでさえ絵の技量で推し量った、暁斎が真に家族と考えていたのは自分の筆で描いた絵のみ
  • 画家になった異母兄の周三郎ととよは父と「血でつながっている」というよりは「墨や一本の筆でつながっている」親子であり、父は画の師匠でしかなかった、だからこそ暁斎の死後もなお憎み、嫉まずにいられない、暁斎は獄、自分と兄は彼に捕らえられた哀れな獄員、絵を描くというのは父にとらわれ続けることだ、二世画家の悩みが一生付いて回った
  • 維新後、西洋画の手法が導入され、狩野派の画風の父の絵は時代遅れになった、兄が父と同じ病気で他界したため、とよだけが父の画風を継承する画家となった、しかし、兄と違って自分は父や兄のようにはなれないとも思っていた
  • とよは結婚もし、子供も授かった、父の画風を引き継いだ絵を追求しても金にならないため挿絵などを書いて家に金銭的負担がかからないようにしていたが、ついに自分が父を引き継ぐ立場になり、画家と家庭の板挟みになる

とよはこれらの葛藤に終始悩んだが、最後は若いころ自分を援助してくれた鹿島清兵衛の生き様を見て、話を聞いて、示唆を受け克服する

読後感

  • 自分は絵画鑑賞を趣味にしているが日本画は必ずしも詳しくなかったため、河鍋暁斎・暁翠親子のことは知らなかった、そして著者の澤田瞳子も知らなかった、今回彼女の本を読んでいろいろ勉強になった
  • 画鬼と呼ばれるほどの絵師であった父を持つ女性絵師として長年悩み葛藤するとよ(暁翠)であるが、そのようなことは歌舞伎や他の伝統芸能の世界でも当たり前のようにあると思うがどうであろうか
  • この本には河鍋親子以外にも何人かの画家や彫刻家が実名で出てくるが、一番多く出てくるのが当時の日本画壇の権威、橋本雅邦だ、昨年川越の山崎美術館を訪問したら、雅邦の絵を多く所蔵していた、そしてオーナーである和菓子の龜屋の歴代当主は雅邦の絵の保存に力を注いできた(その時のブログ)
  • 同じく昨年、土方定一著の「日本の近代美術」を読んで、日本近代美術の歴史を少し勉強した(その時のブログ)、その本でも橋本雅邦が多く出てきた、雅邦は西洋絵画技法を日本画にも導入し画壇の頂点に君臨したが、本書では「もとは狩野派の門人のくせに西洋かぶれした朦朧体画家どもの師を気取っている男だ、おれはこういう腹のすわらない絵描きが一番きらいだ、新しい物好きな世間にふわふわと流され、雑種(あいのこ)の絵など描きあがって」と周三郎に言わせてる、一方、土方の本では河鍋親子のことは全く触れられていなかったのは残念だ、河鍋暁斎は当時の最高人気作家であったのにだ
  • 橋本雅邦や横山大観、下村観山、菱田早春、植松松園らのように時代の変化に合わせて自分のやり方を修正して売れる絵を描くのが良いのか、暁翠のように自分が継承者を自認して昔ながらの教えをかたくなに守って売れない絵を描くのが良いのか、芸術家は常に悩むのでしょう、同じ問題は恩田陸著の「蜜蜂と遠雷」でコンクールに出るピアニストの話としても出たし(こちら参照)、樋口一葉の「うもれ木」の陶芸家でも出てた(こちら参照)
  • 暁翠は平凡な男性と結婚し、娘も一人授かったが、父を承継する決意をしてからは画業に専念するために別宅にこもって絵を描き続けたため、夫婦仲が疎遠になり離婚せざるを得なくなった、この暁翠の生き方は共感できなかった、何とか家庭と両立できなかったのだろうか、生き方が器用ではなかった
  • また、自分が長い間、父と兄との間で悩んだため自分の娘は画家にしなかったが、娘さんはどう思っていたのか知りたいと思った、母のようにはなりたくないと思っていたのだろうか
  • 兄の周三郎が百画会(展覧会)を神田明神境内脇の料亭「開花楼」で開いた、この「開花楼」だが、宮尾登美子の小説で十一代目市川團十郎をモデルにした「きのね」で雪雄(團十郎)の初婚の相手がこの「開花楼」(小説では「満開楼」)の令嬢ということを思い出した、なお開花楼は現在は新開花という名称になって営業を継続している
  • その「開花楼」の百画会に橋本雅邦が押しかけて周三郎とひと悶着があった、それは画家の才能があると見込んで雅邦の娘の婿にした男が周三郎の嫁お絹の妹と遊蕩のあげく身を持ち崩し、離縁する結果となったことに怒り、怒鳴りこんできたのだ、この追い出された婿は西郷孤月という画家だ
  • 弟の記六の彫刻の先生の門下生である北村直次郎が東京勧業博覧会の運営に激怒する場面がある、曰く、「この展覧会には審査委員を務めるお偉い方の作も多く出展されているんですが、噂によれば褒賞の一等は、ほとんどそいつらが取ると内々に決まっている、今までも審査委員が知り合いの作品に手心を加えたり、自作に高い評価を付けたとのうわさが囁かれた」、昨年読んだ恩田陸の「蜜蜂と遠雷」でも音楽コンクールの審査委員が弟子の審査をすることが書いてあった、そのような「利益相反」は結果に信頼性がないとされるが美術界や音楽界は業界の特殊性として今でもそうなっているのだろうか、ただ本書では「東京勧業博覧会での直次郎の自作破壊事件の反省を受け、実作者のみならず美学者や美術行政官を審査員として迎え、公平な審査を旨とする展覧会として知られる」と書いてあったから少しは改善されたのかもしれない

良い本でした