ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

日本橋高島屋アルポルト・カフェでランチ

2024年07月22日 | グルメ

日本橋に映画を観に行ったとき、映画の前に高島屋でランチをとった、今回は高島屋本館地下のアルポルト・カフェに行ってみた。

11時から開店なので、ちょうどその時間に行ってみると、ウェイティングの行列はなし、すぐに入れた。人気シェフなので行列ができていたら8階の特別食堂の野田岩にでも行こうかと考えていたが杞憂に終わった。

このレストランは、東京西麻布「アルポルト」オーナーシェフであり、イタリア料理界の重鎮、片岡護シェフが経営するレストラン、2002年開店のようだ、西麻布の方は高いかもしれないが、高島屋の方はリーズナブルな価格設定だ。片岡シェフはメディアにもよく取り上げられている人なので名前は知っていたが、片岡シェフのレストランに行くのは初めてだ。

店のwebページによれば、片岡シェフは、少食な日本人向けに開発した「懐石風イタリアンコース」のコ ンセプトが多くのお客様に支持され、TV番組や著書も多く、本場イタリア料理を日本に広めた 立役者の一人として有名、とある。

店内は64席あるようで結構広く感じた、中ほどの場所の二人掛けのテーブル席に案内されて座る。メニューを見て、ランチコースもあったが後に映画が控えているので、今月のパスタ「緑黄色野菜たっぷりの菜園風ソースパスタセット(パンとサラダ付き)」2,090円を注文した、最近行った池袋西武の落合務シェフのイタリアン・レストランで食べたペペロンチーノと比べてみようと思ってペペロンチーノを探したら、ここではなかったのが残念だ。

私が入店した後も若干のお客さんが来店したが座席に余裕があるため店内は静かで、クラシック音楽が流れていた。

料理が出てきてさっそくいただいてみると、パスタは細麺、ソースはトマトソース、確かに細かく刻んだ野菜が入っていた、また、パスタの上には粉チーズがかかっていた。パンも野菜サラダもおいしく、じっくり味わって頂きました。

おいしかった、ご馳走様でした。なお、30分ちょっと滞在したが、店は満席ではなく、店を出るときにも外に行列はできてなかった。

 

 


テレビで「ダニール・トリフォノフ ピアノ・リサイタルⅠ、Ⅱ」を観た

2024年07月21日 | クラシック音楽

テレビで放送されていた「ダニール・トリフォノフ ピアノ・リサイタルⅠ、Ⅱ」を観た(NHKクラシック倶楽部)

2010年ショパン国際ピアノ・コンクール第3位、2011年ルービンシュタイン国際ピアノコンクール第1位、チャイコフスキー国際コンクールでも第1位を受賞し、世界から注目を集めるピアニスト、ダニール・トリフォノフの2024年4月11日サントリーホールでの公演の放送。

曲目

  • 新しいクラヴサン曲集RCT5(ラモー)
  • ピアノ・ソナタヘ長調K.332(モーツァルト)
  • ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調、作品106「ハンマークラヴィーア」(ベートーヴェン)

ダニール・オレゴヴィチ・トリフォノフ(1991年3月ソ連生まれ)はロシア出身のピアニスト。ネットを見ても彼の情報はあまり多くないが、彼自身のホームページを見ると、今後の彼の演奏スケジュールが出ており、例えば8月の演奏会の予定から少し引用すると

2024年8月21日、タングルウッド音楽センター

  • ベートーヴェン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第4番イ
  • 短調作品23 プーランク:ヴァイオリンとピアノのための
  • ソナタ ブラームス:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ト長調作品78
  • バルトーク:狂詩曲第1番

2024年8月28日、ザルツブルク音楽祭

  • ラモー組曲 イ短調
  • モーツァルト ソナタ第 12 番 ヘ長調 332
  • メンデルスゾーン 変奏曲シリーズ、 332 54
  • ベートーヴェン ソナタ第29番 変ロ長調 106 (「ハンマークラヴィーア」)

2024年8月29日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

  • ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番
  • ベルリオーズ「幻想交響曲」

これを見ると結構、ベートーヴェン、モーツアルト、ブラームスなどがありドイツ物が好きなのかもしれない、また、今回放送したサントリーホールでの演目と重なるものもあり、その辺を得意としているのかもしれない。

番組の中で彼は演奏に当たっては一つの解釈にとらわれずにいろいろな演奏を試していると述べている、また、ホールの音響や自身の心境によっても解釈は違ってくるとも述べていた。

今回放送された演目のラモーの「新しいクラヴサン曲集RCT5」は、バロック期のフランスで活躍したラモーが当時の鍵盤楽器クラヴサンのために作曲したもの、モーツァルトのピアノ・ソナタK332はトルコ行進曲と同時期の作品、ハンマークラヴィーアは、実験的な作品で、技巧的にも音楽的にもピアノの可能性を限界まで押し広げた作品

私は今回の演目のうちラモーは初めて聴く曲だし、モーツアルトとベートーヴェンの作品も何度も聴きこんだ作品ではない。今回、この3曲をじっくりと聞いてみると、一番印象に残ったのは何と初めて聴くラモーの曲だった

ジャン=フィリップ・ラモー(1683 - 1764)は大器晩成型であったらしく、39歳の1722年にパリに出てそこでその年に「和声論」を出版して、音楽理論家として有名になる。しかし、最初の成功作は抒情悲劇『イポリートとアリシー』 で、そのとき彼はすでに50歳であったという。

ラモーは活動の初期には教会オルガニストやクラヴサン曲集などを出していたが、50歳以降20曲ほどのオペラを書き劇場用作曲家としての名声を得た。

今回聴いたのは、そんな彼のクラヴサン曲集をモダン・ピアノで演奏したもの、これは組曲で、内容は以下の通り

① アルマンド (Allemande)
② クーラント (Courante)
③ サラバンド (Sarabande)
④ 3つの手 (Les trois mains)
⑤ ファンファリネット (Fanfarinette)
⑥ 勝ち誇った女 (La triomphante)
⑦ ガヴォットと6つのドゥーブル (Gavotte et 6 doubles)

初めて聴く曲なので、あまり期待もせずに聞いていたら、最後の⑦に入ったところで、ガツンと頭を叩かれるようなショックを受けた、⑥までは何となく退屈な曲だなと思っていたら、⑦に入ると、美しく、そして劇的な展開を見せる曲に大転換したからだ。

この⑦ガヴォットは、これだけで単独で演奏されることもある8分くらいの曲、YouTubeでこの曲をどんな人が弾いているのか調べてみると、日本人の若手ピアニスト務川慧悟(1993生れ)がQueen Elisabeth Competition Piano 2021年の Semi-finalで弾いた曲であった(その時、彼は3位入賞)。

こんな素晴らしい曲は知らなかった、トリフォノフの演奏も務川の演奏も素晴らしかった。偶然だが、この曲に巡り合えたことを喜びたい。

音楽ホールに聴きに行くときも、テレビの放送を見るときも自分の好きな曲がある公演のみを選ぶ傾向があったが、これでは膨大な作品数のあるクラシック音楽の良さを十分に味わえないな、と感じた。

Rameau Gavotte et six doubles | Keigo Mukawa - Queen Elisabeth Competition 2021


森村泰昌「生き延びるために芸術は必要か」を読む

2024年07月20日 | 読書

森村泰昌(1951年生れ)「生き延びるために芸術は必要か」(光文社新書)をKindleで読んでみた。なぜ、この本を読みたくなったのかは覚えていない。失礼ながら著者のことは知らなかった。美術ファンとして一度読んでみるのも悪くないと思ったのかもしれない。

本書で著者が主張しているところと、自分が感じたことを書いてみたい

第1話 生き延びるのは誰か

  • いくつかのSF映画を出して、人間の行く末にはAIが人間より優位になることがあることを示唆しており、「生き延びるのは誰か」の主語から人間を外して考えてみることが必要と説く

第2話 私が生き延びるということ、フランスシスコ・ゴヤの場合

「カルロス4世の家族(1800年)」

  • 王妃マリア・ルイーサと夫のカルロス4世の間に空間が空きすぎている意味は?マリア・ルイーサをありのままに醜く描いた意味は?これでゴヤが宮廷画家としてどうして生き残れたのかについて考察している、そしてゴヤが画家として生き残るためにやってのけた一種の賭けとは何かを書いている
    コメント
    この絵について以前読んだ堀田善衛著「ゴヤ」(集英社文庫)での説明を思いだした、堀田氏いわく、この家族の絵は、一時代の死という不吉なものがかくも絢爛豪華な意匠(ママ)をまとって描かれたものであり、描かれている家族の人数も13人という不吉な数だ。時代が1800年ということを考えればその意味がわかろう。

第3話 私が生き延びるということ、ベラスケスの場合

「ラス・メニーナス(1656年)」

  • この絵には、やはり画家が生き残るということについての深い態度表明があるとしている
  • ラス・メニーナスの中には国王フィリッペ4世は奥の鏡の中に小さく描かれているが、実は、この絵の中心は国王である、すなわち国王の執務室から執務室の椅子に腰かけた国王の目線で見えた隣室にいる娘の王女を描いたものだ
    コメント
    参考になる見方だと思った

第4話 華氏451の芸術論(忘却とともに生き残る)

  • レイ・ブラッドベリの書いた「華氏451」というのは、この温度になると紙が燃えるという限界点で、それに絡めて、本が燃やされる、焚書という、近未来を描いたもの
    コメント
    焚書に関連して著者は、今日ではさすがに本を燃やすというような下品なパフォーマンスはあまりやらないと述べているが、ちょっと前に開催された愛知トリエンナーレにおいて、本ではないが昭和天皇の写真を焼いて、足で踏みつける画像が作品として展示され、これに税金が使われた
  • アンナ・アフマートワというロシアの詩人(1889年生まれ)はスターリン体制下の過酷な時代を生きた、そして多くの犠牲者を鎮魂する詩を作ったが、それを書いて残さず、友人とともに記憶して残した、こうすれば焚書できない、そしてスターリン時代が終わってから出版した
    コメント
    この話を読んで、昨年観た映画「ラーゲリより愛をこめて」を思いだした。シベリア抑留で過酷な体験をし、現地で病気になり日本の家族に遺書を残すが、引揚時に没収される可能性があったので同僚たちが分担して記憶し、帰国してから家族に口頭で伝えに行くという話(その時のブログはこちら)

第5話 コロナと芸術(パンデミックを生き残る)

  • アメリカの1829年以降の不況対策のニューディール政策として芸術家への支援が行われた、それに関連して、著者は芸術家を支援するには鉄則があるとし、それは支援する側(国であれ民間であれ)「お金は出すが口は出さない」ことだという、もちろん支援を受ける側が好き勝手になんでもやっていいというのはあまりに傲慢だという。支援する側と支援される側の間に緊張関係がある相互リスペクトが必要という
    コメント
    これはその通りだろうが、「金は出せ、口は出すな」が鉄則だなんて、著者が言う通り傲岸不遜であろう。同じことは学問の世界にも言える、鉄則だけが独り歩きし、「金は出せ、しかし人事や研究範囲には干渉するな」とか言いたい放題だ。納税者からすれば、芸術家や学者に無条件で多額の支援するなんて如何なものかと思うが、一方、そこに彼の国が入り込んできてはいまいか、その時こそちゃんとこの鉄則が貫けているのか
  • コロナにより美術展が中止された、しかし例えば演劇というものはもともと神に見せるものだし、古墳の内部に描かれた絵は人間に見せることを前提としていない、人間に評価してもらえる絵を描くことと自分が描きたい絵を描くということは別だ、それをコロナは再認識させた。
    コメント
    なるほど著者の指摘はその通りだろう、しかし、人間には承認欲求というものがあり、自分の描きたいものだけ描いて貧しく暮らすより、多くの人から評価される絵を描いて豊かに暮らすほうを選ぶのが普通だ。これは芸術家が悩み、避けて通れない問題で、例えば、クラシック音楽の世界、陶芸の世界でも同じ問題があったことを以前のブログで書いた(こちらの7番を参照)

第6話 生き延びるために芸術は必要か

  • 芸術とは作品であり、作品とは商品と違って「こんなの有り得ない」というものである、ゴッホの「星月夜」を例に挙げて、この作品はゴッホには夜空がこう見えていた、というものだが普通の人はこんな夜空は「有り得ない」と思う。
    コメント
    大変参考になった

第7話 芸術家は明治時代をいかに生き延びたか・その1

  • 著者は明治の様相を司馬遼太郎の「坂の上の雲」を引用しながら、個人の目標と国の目標が一致した高揚していた時代と紹介し、対極にある漱石の考えと対比している
  • 漱石は明治の高揚していた雰囲気を冷笑し、「三四郎」の広田先生、「それから」の代助、画家の青木繁や坂本繁二郎などの考えや画風を紹介している、漱石はメランコリア(わだつみのいろこの宮)の青木繁、牛(うすれ日)の坂本繁二郎を評価していた

第8話 芸術家は明治時代をいかに生き延びたか・その2

  • 青木繁と坂本繁二郎、年齢も故郷など似たものどうしだが、絵の作風や歩んだ道はずいぶん違っていた
  • 青木は「海の幸」で華々しく画壇に大きな衝撃を与え、短時間で走り抜け、29歳で亡くなったが、坂本繁二郎は青木からバトンを受け、長い道のりをゆっくりと走り、87歳で世を去り、二人を通して日本美術史に大きな足跡を残した

おわりに

  • 著者は大学で「私が私であること」というテーマで講義をし、自身の体験的知識として「自分のアイデンティティの空白」を紹介し、別人のアイデンティティで自分を満たそうとする、と話すと、学生から批判され、やはり生き延びるためには、より勇ましくあれと自分自身を鼓舞すべきなのだろうかと自問する
    コメント
    私はこの自問がかなりずれていると思う、大事なのは自分自身のアイデンティティを大事にしろと言うことであり、勇ましくしろということではない、そしてそのアイデンティティが侵されそうになったら戦ってでも守る、ということではないか、これが今の日本に一番欠けているところだ
  • 著者は、最後に、本書の問題提起「芸術は生き延びるために必要か」についての結論を書く、曰く、芸術には世界をリードしたり、人類を救う力はないが、生き延びることができなかった人や出来事にまなざしをたむけることだと。
    コメント
    この結論には何となく同意できるが、日本の芸術の来し方を振り返ると、例えば、ピカソは「ゲルニカ」を描いて世の中に大きな影響を与えたが、日本人画家は「ヒロシマ」や「ナガサキ」を書かなかったし、「東京大空襲」も書かなかった、これが残念である
  • そして、三島由紀夫の金閣寺を引き合いに出して、生き延びるために求められた「美」や「勇ましさ」であったはずが、それゆえに生き延びることができなくなるとし、最初から自分は「生き延びるために勇ましくあってはならない」との結論に達する
    コメント
    勇ましくある必要はないが、生き延びるためには自分のことは自分で守る、という考えと備えは必要でしょう。現在の日本の安全保障環境は非常に悪化しているのに、このようなお考えをお持ちとは・・・こういう考えを持つ日本人が増えることを我が国周辺の独裁者たちはさぞかし喜ぶでしょう

いろいろ参考になった本であった


GOLF5かさまフォレストでゴルフ

2024年07月19日 | ゴルフ

茨城県笠間市のGOLF5かさまフォレストでゴルフをやってきた。費用は二人で12,500円、今年2回目の訪問だ。前回来た時は費用が19,000円かかったのに今回はだいぶ安かったのはどういうわけか、最近はゴルフ場も強気の価格設定のコースが増えていると思っていたが、何かあったのか。

このコースは、1985年(昭和60年)タイホーCCとして開場、設計は安田幸吉、ベント2グリーンの18ホール。車ワックス用品のクリンビューで有名なタイホー工業が経営母体であったが、平成16年5月、民事再生法の申請、その後、紆余曲折があり、2015年(平成27年)から経営は全国にスポーツ用品販売店等を展開する東証上場のアルペングループとなり、名称も今の名称となった。

プレーはリモコン付き乗用カートだがキャディ付きプレーもできるようだ。カートにはナビがついている。今日のグリーンはAグリーン、コースは変化に富んでおり、適度なアップダウンがある、また、グリーン周りのバンカーが結構大きくてプレッシャーになる。狭く感じるところはあまりなく、池があるのはわずかなホールのみ。ラフがある程度伸ばしてある、ディボットやグリーンのボールマークはそれほどひどくはなかった。練習はしないが、練習場は広々してよさそうだ。

ただ、この日はプレーの進行がイマイチであり、毎ホールティーショットで待たされ、ハーフで2時間20分くらいかかったのでストレスがたまった。

そして、昼食であるが、この日のプランは鰻重、ステーキが追加料金なし、という食事つきプランで、嫁さんと二人とも鰻重をたのんだ。ただ、中国産の鰻であった。

今日は嫁さんが夕方用事があるというので、どこにも寄らずに帰った、お疲れ様でした


浦和のカフェ·ド·カファでコーヒー

2024年07月18日 | カフェ・喫茶店

浦和に映画を見に来た時、映画が始まる前に時間があったので、どこかカフェに入ってみようとも思い、ネットで調べたら、この店がよさそうな雰囲気だったので入ってみた。

浦和駅から歩いて5分くらいか、電車の高架線下にあるが、電車が通る音はあまり気にならなかった、店の外にメニューの表示があったのは親切。また、ガラス張りで中の雰囲気がわかるのもありがたい。

ドアを開けて中に入ると、横に広く、結構な収容力がありそうだが、この時は先客は3名か、空いている席にどこでもどうぞ、と言われカウンター前の外が見えるテーブル席に腰掛けた。

店内は落ち着いた雰囲気、カンターの背後はコーヒー豆やカップなどを収納する家具になっており、好きな雰囲気。

メニューを見るといろんな種類のコーヒーがあり結構値段も高め、その中から酸味の少ないフレンチ・ブレンドコーヒーを頼んだ、600円。この日は女性店主が一人で営んでいるようだった、注文が入ってから豆を挽き、抽出していた。

出てきたコーヒーを見ると上品なカップに入れてあるが、カップの大きさは少し小さめ、私は少し大きめのカップが好きだが、コーヒーを飲んでみると結構深入りで味が濃いので、量は少なくて良いかなと思った。

その後、お客さんが2名入ってきたが、座席は余裕があり、長居してもいい雰囲気を感じた、そういう雰囲気の店が好きだ。音楽はジャズだと思うが、落ち着いたメロディーのものが流れていたのも好感を持った。

外を眺めながらゆっくりコーヒーを飲み、30分くらい滞在した、あとに映画が控えているので、そこで切り上げ、映画館に向かった。

ご馳走様でした


浦和「山崎屋」で鰻重を食べる

2024年07月17日 | グルメ

浦和の映画館に午後からの映画を観に行ったとき、映画の前に食事をしようと思って、せっかくなら鰻で有名なところなので、鰻重を食べたくなり、「山崎屋」を選んで行ってみた。

浦和は江戸時代から周辺に沼地が多く、川魚が生息し、宿場町の浦和宿では中山道を通る人たちに鰻の蒲焼を提供していたという。その名残で今でも浦和には鰻屋が多い、その中で江戸時代から続いているのが山崎屋であるというので、そこに行かねばと思った。山崎屋では昭和天皇や今の天皇陛下も鰻を召し上がったことがあるなど、浦和の鰻を象徴する名店とのこと。

事前に調べてみると駅から歩いて5分位のところ、開店は11時半から、ちょうどその時間に行ってみた。雨の日だったこともあるのか、すぐに中に入れた。1階は駐車場で、店は2階にあり、店内に入ると靴を抜いて靴箱に入れると、左側に広い座敷がありテーブルが何席もある、その中の二人掛けのテーブルに案内される、掘りごたつ式で、座るのが楽なのがいい。先客が既に3組くらいはいたが、広いので空いている席の方が多かった。

注文は上鰻重4,200円を選んだ、鰻の量が200g相当、肝吸いとお新香付き。部屋は外光を多く取り入れており明るくてよい雰囲気、ほかの客もどんどん入ってきたが、お金に余裕がありそうなご婦人方が多かった。

注文してからちょうど10分経って鰻重が運ばれてきた。このお重の蓋を取る瞬間が何とも言えずに興奮する、ほぼお重いっぱいにおかれた蒲焼のおいしそうなこと、山椒をかけて、先ずは肝吸いをすすり、さてと、鰻をほお張る瞬間、幸せな気持ちになる。

若い時からゆっくり味わって食べることができないせっかちな性格、一気に食べてしまう早食いの癖は治らないが、まあいいか。蒲焼は関東風の焼きと蒸しの両方で調理したもので、やわらかくておいしい。肝吸いもお新香もおいしかった。

さて、蒲焼の調理の仕方であるが、ある鰻屋さんのwebの説明を読むと、次の工程を経るという

①活漫を割く
②串刺しにする
③焼く(白焼き)
④蒸す
⑤タレをつけて再び焼く
⑥お重に盛り付ける

これを注文を受けて①からやると1時間以上かかるというので、ほとんどの店では営業上の理由から、③又は④まで事前に仕込んでおいて、注文が入ってから残りの工程をやるという。④の蒸しもやり方によるが結構時間がかかる場合があるとのこと。

今日の山崎屋は注文後、10分で出てきたということは、おそらく④まで仕込んでおいたのだろうと想像した。①から④は多分当日朝に仕込みをするのだろうから、注文を受けて①から調理しないと本物ではない、ということはないだろう。

注文を受けて①からやっている店も若干ではあるが残っているかもしれない、行ったことはないが、南千住の尾花などは注文してからかなり待たないと出てこないとネットで読んだ記憶があるからそうかもしれない、出てくるまでは酒とつまみで時間をつぶしてくれということでしょうし、鰻重の値段も高くしないと採算は取れないでしょう、それが好きな人はそこに行けばよいと思う。

会社の昼の接待で、注文を受けてから①より調理をする店に、予め到着時間を知らせておき、その時間に合わせて鰻重を出してくれるように頼むということもやったが、ずうずうしいような気もする

おいしかった、ただ、私は蒲焼がもうちょっと熱くて、少し息をフーフーかけながら食べるくらいの方が好きだが、これは好みの問題でしょう。

ご馳走様でした


浅草アンダーグラウンドに行く

2024年07月16日 | 街歩き

浅草は何度も行っているが、最近NHKテレビで「浅草アンダーグラウンド」という番組を見て、そこに是非行ってみたいと思った。長年浅草に行っているのにその存在を知らなかったからだ。

テレビでは、「浅草の地下に“日本最古”と言われる不思議な地下商店街がある。階段を下りていくと、そこはまるで別世界。69年前に出来たという、その古びた地下街にはユニークなお店がいっぱいある。60年近く営業してきたという焼きそば屋さんや、占い、理髪店など。老舗がある一方で、若い店主が開いた新しいお店もある。観光客でにぎわう地上のけん騒を離れて、どんな人が地下へとやってくるのだろう。地下の世界に3日間、潜ってみた。」という内容。

麻布台ヒルズから地下鉄を乗り継ぎ、銀座線の終点、浅草で降り、一番先頭の改札を出ると、通常はそのまままっすぐ、松屋と東武浅草駅の方に向かうが、改札を出てすぐに左に折れると、そこに浅草アンダーグラウンドはある、日本最古の地下街とも言われているところだ

全長40メートルくらいか、突き当りのちょっと前を左に曲がると、地上に出る階段があり、新仲見世通りに出る。

また、先ほどの地下鉄の改札を出たすぐのところに、アンダーグラウンドと改札を直進する道を結ぶ通路があり、その角には立ち食い蕎麦屋があるが、その後ろにも地上に出る階段がある。そこを上がると雷門通りから浅草駅に向かってきて東武浅草駅に入るために信号を渡ったところだ。

アンダーグラウンドの通りの両側には昭和の時代を思わせる店がびっしりと並んでいるが、この日は12時を過ぎて、オープンしている店は半分もなかった。場末感満載、ディープすぎる。見ていると結構、地元の人や観光客が通る。店に入る人はほとんどいない、みんなどこかに行く近道として利用しているような感じに見える。

知らなかった、こんなところが浅草にあったとは、感動しました、また来ます

さて、この後帰宅するのだが、その前に松屋浅草店で言問団子3個入750円を買って帰った。

お疲れ様でした。

 

 

 


映画「大いなる不在」を観た

2024年07月15日 | 映画

映画「大いなる不在」を観た、浦和のユナイテッドシネマでシニア料金1,300円、チケット購入はIT化されてなく遅れているなと思ったが、年齢を証明するものを見せろと言われて感心した。テストベースのチェックかもしれないが実施していないところがほとんどなので、これには納得した

この映画のタイトルは1964年のフランス映画「かくも長き不在」を思い出させる。戦争から夫が帰還しないまま長い年月が過ぎたとき、妻(アリダ・バリ)の営むカフェの前に夫と思われる男が毎日通り過ぎるようになるが、彼は記憶喪失になっていた、映画の中で男が口ずさんでいたのが「セビリアの理髪師」のある一節、妻はカフェのジューク・ボックスにあるセビリアの理髪師のレコードをかけて夫の記憶をよみがえらせようとするが・・・確かそんな映画だった、もう一度観たくなってアマゾンプライムで調べるともう見れなくなっていた

さて、「大いなる不在」であるが、この映画は、2023年制作、133分、監督は近浦啓(1977)、映画の内容から来ている人は皆、同年配の自分の老後を心配していそうな人たちに見えた。高齢化、少子化社会の問題点をえぐった映画は今後とも増えるでしょうね

ただ、先日もNHKのクローズアップ現代でおひとり様の死後の手続きを代行する会社の実態を取り上げた番組を見たが、この手のものを見ると、暗澹たる気持ちになるのが難点だ。

オフィシャルサイトによるストーリーの説明を若干補足して引用すると

「小さい頃に自分と母を捨てた元大学教授の父の陽二(藤竜也、1941生れ)が、警察に捕まった。連絡を受けた息子の卓(たかし、森山未來、1984生れ)が、妻の夕希(真木よう子、1982生れ)と共に久々に九州の父の元を訪ねると、父は認知症で別人のようであり、父が再婚した義母の直美(原日出子、1959生れ)は行方不明になっていた。卓は、父と義母の生活を調べ始めるが・・・

父と義母の間に何があったのか?すべての謎が紐解かれた時、大海のような人生の深みに心が揺さぶられる、サスペンス・ヒューマンドラマ」

ストーリーの補足も含めて、観た感想を述べてみたい

  • 1回の鑑賞で全部を理解できていないが、この映画は日本の映画にしてはめずらしく、結論のはっきりしない、何となくもやもや感の残る、観る人を考えさせる映画だと思った
  • その原因の一つは、再婚した直美がなぜ陽二のもとを去ったのか、という点だ、私の印象では、陽二の認知症が進んできて、ある時、一緒に出掛けて別々に買い物をして直美が買い物を先に済ませて陽二が終わるのを待っていた時に発作を起こし倒れた、その時、戻ってきた陽二は、それに気づかず直美がいないと思うや、すぐに自宅に帰ってしまった、これを直美は倒れていながらも見ていた
  • また、その後、直美が故郷で入院して療養しているとき、直美の妹が陽二の家に住み込みで世話をに来て、陽二から乱暴されケガしたことも原因か
  • 息子の卓が最後の方で直美の故郷を訪ね、直美の妹に会い、父の無礼なふるまいのお詫びをしたとき、妹はなぜ卓を直美に会わせようとしなかったのか、その時、既に直美は亡くなっていたのか、直美が砂浜で海に向かってどんどん歩き進む場面があるがそれは彼女の死を暗示していたのか、それとも・・・
  • オフィシャルサイトには、「手探りで父という謎を探っていく息子の心情を、細やかな表情の陰影で表していく」とあり、息子の卓が父がどういう人だったかを、義母の残した日記に張り付けてあった父から義母への手紙などを読んだり、義母の実の子供と話したりして掴もうとする、その結果、「父と義母の間に何があったのか?すべての謎が紐解かれた時、大海のような人生の深みに心が揺さぶられる」とあるから、父と義母との間に何があったのか分かったのだろうか、私にはよくわからなかった、サスペンスと言っているのはこういうところがあるからか?
  • そして、卓は陽二を許したのだろうか、そこもはっきりしないように思ったがどうだろうか、映画の中では最後の方で老人ホームか市役所の職員に曖昧にしていた陽二に延命治療を受けさせるかどうかについて、「なるべく寿命が長くなるようにしてくれ」と回答する場面が出てくる、この時の卓の表情を見ると陽二を許しているようにも思えるが、点滴と胃ろうで延命させるのは苦しんで死んでもらうためだ、ともとれる、観る人が解釈していい、ということか

  • 夫や妻を捨てて、他の人のもとに走った人は、世を憚って生きていくものだというのは昔の話なのだろうか、例えば、漱石の「それから」、「門」などのように。しかし、この映画では陽二は栄達する、その代わり最後は呆けて再婚相手に逃げられ、老人ホームに・・・
  • この映画がすっきりと理解できないのは、物語が時系列で進まないからだ、現在と過去が交互に映される、よくある手法だが、若干混乱するかもしれない
  • 陽二は大学教授として栄達したが、純情でもあった、むかし好きだった女が忘れられず、お互い結婚もしたのにまだあきらめきれない、こんなことがあるのだろうかと思った。お互いの別れた配偶者はどうなったのだろうか、陽二が捨てた最初の妻と卓の面倒はちゃんと見たのだろうか、それもわからなかった
  • 純情とは怖いものだ、と思った。普通は、年齢を経て、若い時の俺は純情だったな、と回想するのが普通だと思うが、そうではない人も当然にいるのでしょう。今の若い人がこの映画の陽二を見たらどう思うであろうか

良い映画でした、監督の実体験をもとに製作した映画であるとの説明なので、リアルさが出たのだろうが、こういう映画を作った近浦啓監督の腕はたいしたものだと思った

さて、この日映画を観たユナイテッド・シネマだが、浦和駅前のPARCOの6階にある。このPARCOは内装がすごくきれいで洒落ていた。そして映画館があるフロアーからは眼下に浦和駅と駅前が見下ろせ、景色が非常に良かった。

そして、ユナイテッド・シネマの内部も立派な内装になっていたが、座るシートの背中が後に傾きすぎて座り心地が悪かった。座り心地は個人差があるだろうが、映画スクリーンは座席より下の方に見えるが、シートは後方にかなり傾いているのはおかしくないかと感じた。

このPARCOのビルであるが、8階にさいたま市の中央図書館が入っており、映画の帰りにちょっと寄ってみた。私の自宅の近くにも市の立派な図書館があるが、こちらも非常に立派な図書館であった。新聞や雑誌はほとんどのものが置いてある。私も最近は、読みたい記事がある文芸春秋、新潮、文春などは立ち読みではなく図書館でゆっくりと読んでいる

楽しめた一日でした

 

 


麻布台ヒルズ「パーラー矢澤」でランチ

2024年07月14日 | グルメ

麻布台ヒルズを見物に行ったとき、ランチで「パーラー矢澤」に入ってみた。ここは、黒毛和牛を用いたハンバーグ、ステーキが人気で行列の絶えない五反田「ミート矢澤」の系列店。店を運営するのは黒毛和牛卸「ヤザワミート」

ヤザワミートは黒毛和牛の仕入れ、卸し、小売り、黒毛和牛を使った飲食店の経営をしている、「焼肉ジャンボ白金」、「とんかつ あげ福」などの人気店もこの会社の経営のようだ。ここパーラー矢澤はそのヤザワミートの一番新しい店。精肉店、総菜屋に併設してイートインがあるという感じ。イートインは、カウンター席中心だが、ビル内の通路沿いにテーブル席がいくつかあり、まだ空いていたので、そちらのテーブル席に案内された。

五反田のミート矢澤はずいぶん前だが、一度訪問したことがある。結構行列が並んでおり、入るのに時間がかかった記憶がある。そして、東京駅の大丸のデパ地下にも出店しており、そこではハンバーグ弁当などが買えるので、一度買って帰ったことがある。

さて、今日は席に腰掛け、メニューを見ると3種類だったと思うがランチプランがあり、値段はどれも2、3千円。店の案内には、ハンバーグ、ソーセージ、エビフライののった「大人のお子様ランチ」などを提供とあるので、その大人のお子様ランチ「パーラー矢澤プレート」2,500円を注文した。

その後もイートインには来客があり、帰るときには行列ができていたので、11時の開店直後に入って正解だった、そして帰りがけに他の人が食べているものを見ると、みんな私と同じランチプレートを食べていた。やはり若い女性客が多いか。

食べてみると、やはり、ハンバーグが一番おいしかった、さすがの味だと思った。ハンバーグランチでもいいと思ったし、ステーキランチもきっとおいしいでしょう。

値段は安くなかったが、場所柄、仕方がないでしょう。ご馳走様でした。


麻布台ヒルズに行く

2024年07月13日 | 街歩き

この日は、都心に昨年末に完成した新しいビル、麻布台ヒルズの見物に行ってみた。開業したばかりの時は見物客で混んでいるだろうから、少しずらして今回行ってみることにした。純然たる「お上(のぼ)りさん」である。

地下鉄日比谷線の神谷町駅を降りて、案内に従ってビルの方に進んでいくと、そこはもうヒルズの地下に直結している。朝10過ぎに到着した。麻布台ヒルズは森JPタワー、レジデンスA/B、ガーデンプラザA/B/C/Dに分かれているので、全容を把握するには時間がかかるが案内のパンフレットが置いてあった。

先ずは、森JPタワーの34階にあるHills Houseというカフェに行ってみた。JPとなっているのは、かつて日本郵政グループ飯倉ビルがあった所だから。ここは完成当初は無料の展望台になっていたが、カフェ(夜はバー)に入らないとダメになった。1階から直結のエレベーターがある。

カフェではアイス和紅茶850円を注文、これにチャージフィー500円がかかるが、これは展望台の入場料のようなものだろう、合計で1,350円、展望台に来たと思えば安いか。どこが景色が良いかと聞くと、階段を降りた下のフロアだと教えてもらい、降りていくと、そこは広々とした展望フロアであった。4人掛けのテーブルがいくつか置いてあるが、先客は1組だけ、意外と空いていた。

景色は抜群であった。この日は晴れだが雲が結構あった。見えるのは浜松町方面から東京タワー、田町、目黒方面から六本木ヒルズあたりまでの180度。東京タワーが近くに見えて迫力満点だった。

30分位いたが、あとから続々とお客さんが入ってきた、外人さんもいるが日本人も多い。子供連れの家族もいる。土日は混んでどうしようもないだろうなと思ったが、まだ穴場かもしれない。

事前にネットでどんな店があるか調べていたら、この森JPタワープラザ1階にあの蔵前のペリカンカフェがあるのを見つけてびっくりした。下町のパン屋さんがこんなすごいところに進出したなんて・・・

このあと、ヒルズの中をぶらぶらして、11時過ぎにランチを食べ(これは別投稿で)、そのあとビルの外に出て、外からビルを見る、ビルの全貌は見えないのでいつもテレビなどに出てくるグニャグニャ曲がった特徴ある外観をしているビルの角で写真を撮った。

そのあと、地上階をちょっと歩いたら、バターで有名な「エシレ」があったのでのぞいてみると、クロワッサンが650円と高い、エシレバターが高いのでそれを使って作ったクロワッサンも当然高いか。缶入り焼菓子を見ると一番小さいのでも4,500円くらいと高い、さすが、高く売るのがうまい欧州企業だ。中身も良いのだろうが、見た目と値段で高級感を出すのがうまい。今日はパスして、今度、嫁さんの誕生日プレゼントにでも買うことにしよう、と買わない理由をつけた。

エシレと言えば、丸の内に店があるのは知っていたが、先日パンを買った池袋西武地下の「LE BIHAN」(「ル ビアン」)の横にも店があった、こちらの方は何となく入りにくい雰囲気があった。

そのあと、もう一度B1フロアをぶらぶらしたら「%」というカフェがあった。ここは、「スペシャルティコーヒーロースター、アラビカ東京」という店で、日本人オーナー(東海林克範氏)が2013年に香港でスタートし2014年に京都にフラッグストアをオープンしたスペシャルティコーヒーブランド、創業10年で、世界の20以上の国と地域に、150店舗を超えて展開中で東京初出店、同じヒルズの4階にもあるようだ。

ここは普通のカフェと違って、店内には座席はわずかしかなく、テイクアウトが主なのかもしれない。店内を見ると、生のコーヒー豆も販売し、かつ、右側のガラス張りの部屋には焙煎機があり、店内で焙煎して抽出しているようだ。

焙煎した豆を店頭で挽いて、そのあとは多分エスプレッソマシンで抽出しているようだ、今日は店頭で酸味のない味が良いというと、ブレンドが良いと言われ、アメリカンブレンド450円を注文した。カップは結構大きく、値段は良心的だと思った。

さて、麻布台ヒルズであるが、設計については、森ビルと日本設計、日建設計、日建ハウジングシステム、山下設計の各社が分担し、 グニャっとした形状の低層棟の設計とランドスケープデザインを担ったのはイギリスのヘザウィック・スタジオが担当した。また、施工については、清水建設、三井住友建設、大林組がそれぞれ担当したとwikiには出ていた。

お上りさんとして楽しめました