ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

「芸劇ブランチコンサート、100%ヴィオラの日」を聴き、東武の四川飯店で昼食

2024年04月27日 | クラシック音楽

東京芸術劇場で「芸劇ブランチコンサート、清水和音の名曲ラウンジ」、「100%ヴィオラの日」を聴いてきた。11時開演、12時10分終演、2,400円、1階席は8割くらいの埋まり具合か。

出演

佐々木亮(Va)N響首席奏者
鈴木康浩(Va)読響首席奏者
中 恵菜(めぐな)(Va)新日本フィル首席奏者
清水和音(Pf)

曲目

  • ベートーヴェン:3つのヴィオラのためのトリオop.87(原曲:2つのオーボエとイングリッシュホルンのためのトリオop.87 )(佐々木+鈴木+中)
  • ショスタコーヴィチ:2つのヴィオラとピアノのための5つの小品より(原曲:2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品より)、前奏曲/ガヴォット/ワルツ (中+佐々木+Pf)
  • エネスコ:演奏会用小品 (鈴木+Pf)
  • ヴュータン:無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ(中)
  • ヴュータン:エレジーop.30  (佐々木+Pf)
  • クライスラー:愛の喜び(2つのヴィオラとピアノ版)(佐々木+鈴木+Pf)

このコンサートは平日の昼間の1時間、一流の場所で、一流の奏者が、手頃な値段で名曲の演奏を聴かせるというもので、いい企画だと思っている。今日はピアノ以外の3人は全員ヴィオラ奏者というめずらしいコンサート、ヴィオラ用の作品は少ないがヴァイオリン用の作品をアレンジするなどしてプログラムを組んだのだろう。

このコンサートの特徴は司会をやる人がいて、出演者にインタビューしたり曲の解説をするところだ、いつもは八塩圭子氏が司会だが、この清水和音のシリーズは清水氏が司会兼ピアニストになっているようだ。

今日の清水氏からのインタビューでは、出演者に「なぜヴィオラ奏者になったのか」という質問を投げかけた、答えを正確には覚えてないが、佐々木亮は「アメリカに修行に行ったときに先生から公演会のヴィオラのピンチヒッターでやってくれと言われて、それ以来好きになった」、鈴木康浩は「学生の時からヴァイオリンとヴィオラを両方やっていたが、ヴィオラに惹かれるようになった」、中恵菜は「やはり若い頃から室内楽を演奏していたらヴィオラの魅力に惹かれた」と話していた。それ以外もいろいろヴィオラ奏者ならではの話を聞けてよかった。こういう取組みは普通の公演でもやってほしい、オーケストラの場合でも指揮者が選曲の理由とか曲の解説をしてほしい

さて、今日の曲目だが、「愛の喜び」以外は知らない曲ばかりだが、演奏を聴いて全部良い曲だと思った、ヴィオラの音色もよく響き、ハッキリと聞き取れてよかった。

いいコンサートでした、帰りに6月19日の次回のブランチコンサート「念願のメンバーでピアノ四重奏」のチケットを買った。

さて、昼過ぎにコンサートが終ったので、昼食をどこかでと思い、東武デパートの12階の餃子の天龍か鰻の宮川か中華の四川飯店に行こうと思った。行ってみると、天龍は行列、鰻の宮川は値段が高すぎるため、すぐに入れて手頃な値段の食事ができる四川飯店に入った。ここはつい先日、赤坂本店に行ったばかりだが、池袋店はたまに利用している。今日はランチメニューからランチ御膳(麻婆豆腐)1,700円を選んだ、

味は花椒もよく効いてちょっと辛めの好きな味、おいしく頂きました、ご飯1杯では麻婆豆腐がなくならないのでおかわりした。

ご馳走様でした。私が店を出たときは3,4名の人が順番待ちしていた。


向島「志”満ん草餅」で草餅を買う

2024年04月26日 | グルメ

明治2年(1869)に隅田川の渡し舟の客向けの茶店としてはじまった『志゛満ん草餅(じまんくさもち)』。名物は香り高いよもぎを使う草餅。前から食べたいと思っていたが、そのエリアはあまり行く機会が無いので今まで食べてなかった。この日は歌舞伎観劇の帰り、日が長くなってきたので、車で寄ってみようと思いついた。

店は墨堤(ぼくてい)通り沿いにあり、その前は何度も車で通ったことがある、電車では東武スカイツリーライン東向島駅からも曳舟駅からも徒歩10分程度。

実はこのあたりは先日行った長命寺さくら餅や言問団子など、和菓子店が点在する和菓子好きにはたまらないエリアらしい。ただ、電車で行くには少し駅から歩くし、車で行くには駐車場を探すのが一苦労な場所だ。今日は店舗隣接のTimes駐車場に入れたが、マンションの中庭のような場所にあり入りにくかった。

さて、志゛満ん草餅であるが、創業した当時は、墨堤のよもぎを手摘みして草餅を作っていたそうだ、そして、志”満ん草餅で使用している「よもぎ」は創業当初からこだわりで、「生のよもぎ」を使用している。

また、この志゛満ん草餅という名前だが、店のホームページには特に書いてないのでChatGTPで調べてみたら、諸説あり、中国の詩の中に「志満」があり、これは植物のライチョウをさし、それを名前につけた、或は、日本の奈良時代の僧侶が発見した薬草「志満草」に由来する、とある。


上が「あん入り」、下が「あんなし」

草餅は「あんいり」と「あんなし」の2種類あり、俵型の「あんいり」には北海道十勝産小豆でつくる自家製のこし餡が入る。餅7に対して餡3とやや少ない割合になっているが、これは主役の草餅を楽しんでほしいからということらしい。

「あんなし」の方は、真ん中がくぼんだユニークな形をしている。「渡し船を模したのでは」という説もあるが、店主は渡し船の客が食べ歩きしやすいよう工夫した形だろうと述べている。大きなくぼみに白みつときな粉をかけて食べる。

この草餅はデパートなどでも何カ所か買えるところがあるが、曜日が限られていたり、浅草松屋では7個の箱入りからしか買えなかったりと制約があるが、ここでは1個から買えるので有りがたい。今日は「あんなし」と「あんいり」と3つずつ買った。今日は4時過ぎに行ったが最後の10個くらいしか残っていなかった、売り切れ次第終了なので偶然とは言え、在庫が有ってよかった。

生菓子なので賞味期限は当日中だが、経験では翌日午前中までなら大丈夫だ。帰宅して夕食のデザートとして食べてみたが、本当においしかった。

ご馳走様でした。


丸山真男「日本の思想」を読む(3/3)

2024年04月26日 | 読書

(承前)

Ⅳ「である」ことと「する」こと(講演記録)

  • 私たちの社会が自由だ、自由だといって、自由であることを祝福している間に、その自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、自由となろうとすることによって、初めて自由でありうると言うことなのです(p159)
    コメント
    その通りでしょう、「自由」を「平和」に置き換えてみても同じでしょう、そして自由や平和になろうとすることとは、自由や平和を戦ってでも勝ち取るものだ、というのが丸山氏の好きな西欧の歴史であり、現にウクライナでは自由を勝ち取るために戦っている。日本だって同じでしょう
  • 人々は大小さまざまの「うち」的集団に関係しながら、しかまもそれぞれの集団によって「する」価値の浸潤の程度はさまざまなのですから、どうしても同じ人間か「場所がら」に応じていろいろにふるまい方を使い分けなければならなくなります。わたしたち日本人が「である」行動様式とのごった返しの中で多少ともノイローゼ症状を呈していることは、すでに明治末年に漱石がするどく見抜いてたところです
    コメント
    丸山氏の指摘するとおりでしょう、漱石の講演録「現代日本の開化」には、西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である、開化の推移は内発的でなければ嘘だと申し上げたいのであります、西洋人が百年の歳月を費やしたものをわずかその半ばに足らぬ歳月で明々地に通過し終えるとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱にかかって、気息奄々(えんえん)として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果として正に起るべき現象でありましょう」と述べている
  • 近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです、もちろん、「であること」に基づく組織(たとえば血族関係とか、人種団体とか)や価値判断の仕方は将来とてもなくなるわけではないし、「すること」の原則があらゆる領域で無差別的に謳歌されてもよいものでもありません(p181)
  • 徳川時代のような社会では大名であること、名主であることから、その人間がいかに振舞うかという型がおのずと決まってきます(p163)、儒教的な道徳が人間関係のカナメと考えられる社会が、典型的な「である」社会だということを物語っております(p164)
  • これに対してアカの他人同士の間に関係を取結ぶ必要が増してきますと、どうしても組織や制度の性格が変ってくるし、またモラルも「である」道徳だけではすまなくなります(p164)、封建君主と違って、会社の上役や団体のリーダーの「えらさ」は上役であることから発するものでなくて、どこまでも彼の業績が価値を判定する基準となるわけです(p167)、一般的にいって経済の領域では、「である」組織から「する社会」組織へ、「属性」の価値から「機能」の価値への変化がもっとも早く現れ、もっとも深く浸透します、ところが政治の領域では経済に比べて「する」論理と「する」価値の浸透が遅れがちだということです(p168)
  • ところが制度を判断する際には、まだ多分にその制度の現実的な働きによってテストしないで、それ自体として、いいとか悪いとか決めてしまう考え方が強く残っています、しかも現代の国際国内政治がイデオロギー闘争の性格を帯びているために、自由世界と全体主義世界とか、資本主義と社会主義とか言う分け方をあらゆる政治現象の判断に「先天的」に適用しようとする傾向が、右のような「である」思考に加乗されることになってきます(p170)
    コメント
    確かに氏の指摘するとおりでしょう、物事を黒か白かと単純に決めつける発想は知的態度とは言えない。例えば、氏は共産主義を悪と決めつけるのは間違えで、共産主義のイデオロギーの中には人道主義といった普遍的価値の側面があると述べている(p171)、ただ、そのような側面は理論上あるだろうが、共産主義の実践においては人権侵害が行われている例も多いので、その理念と実践には大きな乖離がある
  • 政治行動とか経済活動といった社会行動の区別は「する」論理から申しますと当然に機能の区別であって、人間や集団の区別ではない、文化団体である以上、政治活動をすべきではない、教育者は教育者らしく政治に口を出すなというふうに考えられやすいのです、しかし、民主主義は非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によって始めて支えられるといっても過言ではないのです(p175)、政治と文化とをいわば空間的=領域的に区別する論理こそまぎれもなく、政治は政治家の領分だという「である」政治観であります(p177)
    コメント
    誰であれ政治的意見を述べるのは自由であり、それは当たり前だ。それをあえてここで書くのは、この当時、日教組の政治的影響力が強く、また、学生運動が激しい時代だったから、そういうことと関係しているのか、具体的に書かないから何を言いたいのか実にわかりにくい
  • 日本の近代の宿命的な混乱は、一方で「する」価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靱に「である」価値が根を張り、その上、「する」原理を建前とする組織が、しばし「である」社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです(p178)
  • 現代のような「政治化」の時代においては、深く内に蓄えられたものへの確信に支えられてこそ、文化の(文化人ではない)立場からする政治への発言と行動が本当に生きてくるのではないでしょうか、現代の日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないか(p182)
    コメント
    空疎な言葉の羅列で実にわかりにくく、わざと何を言っているのかわからないように書いた文章ではないか。自分は精神的貴族であり、文化の担い手であり、そのよう文化を代表するものたちが政治に意見を言うのは有意義で、それでラディカルな民主主義が実践できるのである、とご高説を述べた選民意識に満ちた文章だ、「ラディカルな」とは字義通り過激なマルクス主義革命のことではないのか、それを巧妙にわかりづらく、しかし、その世界にいる人にはわかるように書いた文章ではないか

あとがき

  • 私の分析に対する批判の明確な誤解と思われる受取り方の例としては、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとか、いった類いである、これに対する理論的な答えとしては、 「陸羯南(くがなつかん)」の小論や「明治国家の思想」を見て頂くほかはない(p189)。
    コメント
    大事なところなので、理論的な答えを説明してほしかった、(1/3)でもコメントしたとおり、氏の説明は西欧を誉めあげ、日本の状況を批判するというようにしか見えない

本書の読後感であるが、難解な部分も多かった、特に「Ⅰ日本の思想」がそうだった。本書が想定する読者は大学の研究者や日本思想を勉強している学生等なのであろう、難しいことをわざと難しく解説していると感じた。

本書にはデカルト、ベーコン、ヘーゲル、スピノザ、ホッブス、コント、ルソー、スペンサー、バッグなどの哲学者か思想家だろうか、フリードリヒ・ヘール、チャールズ・ビアード、K・レーヴィット、W・ヴンド、A・ローゼンベルグ、E・トレルチ、K・マンハイムなどの研究者だろうか、多くの西欧人や小林秀雄などの日本の知識人の考えをふんだんに引用している、丸山氏は「おれは難しい古今東西の文献に目を通してすべて知っているのだ」と言うことをひけらかしているように思えた

丸山氏は進歩的文化人のリーダー的存在だったのだろうが、なぜ「進歩的」などと言われるのかよくわからない、西欧の思想やマルクス主義を信奉するのが進歩的なのか、もっとも、もう進歩的文化人など死語になっているが

最後に、丸山氏であるが、弟子の中野雄氏が書いた「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)という本があり、随分前に読んだことがある、この本を読むと丸山氏はかなりのクラシック音楽ファンであることがわかる。この機会に再読してみたくなった。

(完)


四月大歌舞伎(昼の部)を観る

2024年04月25日 | 歌舞伎

歌舞伎座で四月大歌舞伎昼の部を観てきた。座席はいつもの3階A席、6,000円、リーズナブルな値段で楽しめる良い席だ、新国立劇場の4階席より舞台がずっと近く見えるので毎月に観に行く人はこの席が一番良いと思う。ただ、オペラグラスは持って行った方がよいでしょう。今日の3階席はななり空きが目立った、7割くらいの入りか。11時開演、15時30分終演。

双蝶々曲輪日記(引窓)(1時間13分)

出演
濡髪長五郎(尾上松緑)
母お幸(中村東蔵)
南与兵衛後に南方十次兵衛(中村梅玉)
女房お早(中村扇雀)
平岡丹平( 松江)
三原伝造(坂東亀蔵)

義太夫狂言の名作である、「双蝶々(ふたつちょうちょう)」と言う題名の由来であるが、濡髪長五郎と放駒長吉(「引窓」には出てこない)という、二人の「長」の字を名にもった角力取りを主人公にしていることに由来し、喧嘩早い角力取りの達引(たてひき、義理や意気地を立て通すこと)を中心とした話、「曲輪(くるわ)」とは、山崎屋与五郎と遊女・吾妻(両方とも「引窓」には出てこない)、与兵衛と遊女・都(後に身請けされ、お早となる)という二組のカップルの大阪新町の廓での色模様を描いたことから名づけられた。

母お幸のところに、幼い頃に養子に出し相撲取りになっていた実の息子濡髪長五郎が戻ってくるが何か浮かない顔、再婚して義理の息子与兵衛がいる、浪人であったが郷代官に任ぜられ、初仕事が人を殺めた長五郎の捕縛、家に帰ってくると長五郎がいることを知り、とらえて手柄をあげるか見逃すかで悩む。

「引窓」とは屋根に空けた採光用の空間、滑車と紐が付いていて、紐を引いて窓を閉じ、紐を離すと窓が開く。窓が開いて部屋が明るかったとき、手水鉢の水に二階にいた長五郎の姿が映って二階にいることがバレる。

見所としては、母親と実の息子、義理の息子とその妻(扇雀)のそれぞれが相手を思いやるばかりに、それぞれが義理と人情の板挟みになり葛藤する、そして郷代官に任ぜられた義理の息子がすべてを悟り、誰の顔も立つ捌きをする、というところ。

中秋の名月の前日、満月の出た夜、翌日に石清水八幡宮の放生会(ほうじょうえ、捕らえられた生き物を解き放つ)を控え、引窓から入る満月の月明かりと放生会が物語の「鍵」となるよく考えぬかれた筋書きである。

出演者が少ない演目なのでじっくり演技を見られた、東蔵、松緑、梅玉、扇雀がそれぞれいい持ち味を出していた。

七福神(18分)

出演
恵比寿(中村歌昇)
弁財天(坂東新悟)
毘沙門(中村隼人)
布袋(中村鷹之資)
福禄寿(虎之介)
大黒天(尾上右近)
寿老人(萬太郎)

福をもたらす賑やかな舞踊である、若手の踊りで目を楽しませてくれた。

夏祭浪花鑑(並木千柳 作、三好松洛 作)
(序幕住吉鳥居前の場、二幕目難波三婦内の場、大詰長町裏の場)(2時間)

団七九郎兵衛/徳兵衛女房お辰(片岡愛之助)
団七女房お梶(中村米吉)
伜市松(秀乃介)
三河屋義平次(嵐橘三郎)
一寸徳兵衛(尾上菊之助)
玉島磯之丞(中村種之助)
傾城琴浦(中村莟玉)
釣船三婦(中村歌六)
おつぎ(中村歌女之丞)
下剃三吉(坂東巳之助)
大鳥佐賀右衛門(片岡松之助)

大坂で実際に起こった事件をもとに、浪花の俠客、魚屋の団七の生き様が描かれる義太夫狂言

  • 喧嘩沙汰から牢に入れられていた団七、女房お梶と息子市松は、釣船三婦とともに出牢を許された団七を住吉神社の鳥居前で迎える。団七夫婦は、大恩人の息子である玉島家の跡取りの放蕩息子磯之丞と身請けした琴浦の面倒をみているが、磯之丞は奉公先の番頭の伝八を殺めてしまい窮地に陥る(住吉鳥居前の場)
  • 義理と人情に厚い団七は、大恩人の息子である磯之丞と琴浦の危難を救うため、釣船三婦や義兄弟の一寸徳兵衛、徳兵衛女房お辰らと奔走し、磯之丞をしばらく大阪から離れさせることにした(難波三婦内の場)
  • そこに強欲な舅の義平次が琴浦を大鳥佐賀右衛門に渡して金をもらおうとするので、団七はついに大阪の高津神社のお祭りの日に義平次と諍いになり、ついに・・・(大詰長町裏の場)

この演目は昨年、博多座の公演のテレビ録画で観た、その時の団七、舅の義平次、釣船三婦は今回を同じメンバーだった(その時のブログはこちら)。もう慣れたものだろう。

自分がよかったと思う見所は、

  • 住吉鳥居前の場では、団七の女房のお梶を演じた中村米吉の演技である、若手女方では一番好きだ、女の色気を感じるし、声も通って聞きやすいし、身のこなしもうまいと思う、ただ、そんなに出番は多くなかったのが残念だ
  • 難波三婦内の場では、徳兵衛女房お辰(愛之助)が磯之丞の玉島への帰還に同行してほしいと釣船三婦の妻おつぎから言われて了解した後、三婦から美人であるお辰が同行して間違えがあってはいけないと反対される、するとそばにあった火鉢で自分の顔の一部を焼き、そんな間違えなど起きないので同行すると言う場面
  • 大詰長町裏の場(泥場)は、もうこの場全体がこの演目の最大の見所であろう、団七は琴浦を金儲けに利用しようと連れ去ろうとした義父を止めたが、言い争いになる、団七は昔義父に助けられた恩がある、そして親でもある、しかし義父の義平次は金に汚くどうしようもない人物、恩着せがましいことを言われ、団七は苦し紛れに30両持っているのでそれで勘弁してくれと言うが、その嘘がバレて更にののしられるとついに刃傷沙汰に、義父を切りつけ泥沼に落とし、自分も泥だらけになる、表通りには祭りの竿灯傘が提灯のあかりを綺麗につけて通り過ぎる、修羅場とまつりの灯りのコントラストが素晴らしい

今回、愛之助は団七と徳兵衛女房お辰の二役を演じた八面六臂の活躍だった、最後の泥場では実際の水をかぶるなど迫力ある演技を見せてくれた。もうすでにこの演目を十八番にしているようだ。また、団七の義父義平次を演じた嵐橘三郎(1944、伊丹屋)もこの演目と得意としているのではないだろうか、実にうまく憎まれ役を演じていた。2時間という長い演目だが、3場に別れており、変化もあり見所も多く言い演目だと思った。

さて、観劇の際のいつものお楽しみ、幕間の昼食だが、いつもの通り開場前に銀座三越のデパ地下に行き、今月は地雷也の天むす(花てまり、1,080円)にした。現役の頃、名古屋出張の帰りによく買って、新幹線の中で食べたものだ。甘味は仙太郎の柏餅にした。

よい1日でした


根津神社のつつじを観て、松屋「ごろごろ煮込みチキンカレー」を買う

2024年04月24日 | 街歩き

文京区の根津神社のつつじが満開になる時期になった、今年も是非観に行きたいと思っていたが、混むので平日に行こうと思っていた、3月30日から4月30日までが文京つつじまつりの期間だ。しかし、平日も何かと用事があり、時間が取れそうもなく、最盛期を過ぎてしまってはまずいので、28日の日曜日に観に行った。早い時間に行くと混むと思い、夕方4時頃行ってみた。

到着してみるとやはり想像していたとおり、ごった返すような混雑ではなかった。境内にいたる参道には店がいっぱい出ており賑わっていた。来ているのは外国人観光客が多かった。

ここは根津神社の境内、神社内の敷地から隣接する住宅にかけて上り坂のちょっとした丘になっており、その傾斜一面につつじが植えられている、そのつつじが4月の下旬頃からゴールデンウィークにかけて満開になり、実に素晴らしい景色になる。約3000株、100種のつづじが植わっているというからすごい。

なぜ、ここにつつじがこんなにあるのかを調べると、「境内地となる以前、綱吉の兄・甲府藩主綱重の下屋敷だった頃、屋敷西側の丘につつじの名所館林よりキリシマツツジを移植したことに始まり、つつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝でした。 現在のつつじは、戦災で被災した社殿の修復が終わった後、荒れていた丘に3,000株を増植したもの」とある。

つつじの種類により早咲き、遅咲きがあるのだろう、この日見たところでは半分より上はほぼ満開で下の方がこれからという感じだった、全体として7割くらいは咲いていた、見物するには十分だと思った。

この日は下の方から観ただけだが、500円払えばつつじの丘の中に入れて上の方まで行ける。上から見下ろすのも圧巻であろう。

満足しました、来年も来ます

さて、今夜は嫁さんが出かけているので晩ご飯はテイクアウトで何か買ってきて欲しいとのリクエストがあったので、最寄りの駅の駅前にあるいつもの松屋で「ごろごろ煮込みチキンカレー」780円を2つたのんで帰宅してから食べた。人気があったので期間限定メニューでまた発売しているようだ。

相変わらずおいしかった。ご馳走様でした。


丸山真男「日本の思想」を読む(2/3)

2024年04月23日 | 読書

(承前)

Ⅱ近代日本の思想と文学

  • 文学と政治の駆け比べの意味転換(国勢と文学はかけ離れていたが、政治の走路が「民間」的な文学にぐっとすり寄ってきた)と、文学に対する「論理的構造を持った思想(マルクス主義)」の切り込み(プロレタリア文学の誕生)と、この二つの軸が「台風(マルクス主義とコミュニズム)」の基本構造を形成している、しかもこの二つの軸は「政治は、より正確にはプロレタリアートの立場に立つ政治は、科学の意識的適用である」という命題によって内面的に離れがたく結合されていた(p89)

Ⅲ思想のあり方につて(講演記録)

  • インテリという等質的な機能で結ばれた層が存在しないということは、文学者、社会科学者、自然科学者それぞれがいわば一定の仲間集団を形成し、それぞれの仲間集団が一つのタコツボになっている、こういう事態として現れています(p142)
  • ただ、日本の特殊性はどこにあるかというと、ヨーロッパですとこういう機能集団の多元的な分化が起っても、他方においてはそれと別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがございます、例えば協会、クラブとかサロンとかいったものが伝統的に大きな力を持っていて、これがコミュニケーションの通路になっているわけです(p143)
    コメント
    こういう記述にも西欧は日本より優れているという意識が垣間見られる
  • ただ、日本の場合注意しなければならないことは、現在の日本全体としては必ずしもクローズド・ソサエティではない、それどころか日本全体としては、世界中に向って開かれている、タコツボ化した集団がインターナショナルに外に向って開かれているということ、そういう所ですからいわゆるナショナル・インタレストというものが、ハッキリした一つのイメージを国民の間には結ばないのは当然であります(p146)
  • 数年前に吉田首相が全面講和を唱えた著名な学者のことを曲学阿世という言葉で罵倒したが、その学者を知る人はそれからもっとも遠いことは明らかでした。ところが日本のオールド・リベラリストの人々の少なからずが、その吉田さんの言葉にひそかに、あるいは公然と喝采をおくった、そういう人たちの現代日本についてのイメージは、自分たちが圧倒的な力を持つ進歩的勢力に取り巻かれているというものだが、実は進歩派の論調は一、二の総合雑誌でこそ優勢だけれども、現実の日本の歩みは大体それと逆の方向を歩んできた、吉田さんに喝采した人たちはマイノリティどころかマジョリティーの上にあぐらをかいていることになるわけです(p148)
    コメント
    吉田首相の曲学阿世発言は言い過ぎだろうが、結局、吉田首相の判断が正しかったことは明らかであろう、学者が自分の信念で理想論を言うのは問題ないが、現実を無視した理想論は国家を危うくするのは今も昔も同じでしょう
  • 戦前の日本では、こういうタコツボ化した組織間の間をつないで国民的意識の統一を確保していたものが天皇制であり、特に義務教育や軍隊教育を通じて注入された「臣民」意識でした、戦後は、共通の言語、共通のカルチャーを作り出す要素としては何と言ってもマスコミが圧倒的な力を持つということになります(p150)、ただ、マスコミによる驚くべき思考や感情、趣味の画一化、平均化が進行している、民間放送がいくつできても放送内容はどれも大体同じものになってしまう(p151)
    コメント
    マスコミの驚くべき思考の画一化は丸山氏の指摘するとおりでしょう、しかも、マスコミ、特に新聞は自分たちの信ずる主張を振り回すだけで、それとは異なった見方があることを読者に紹介しない、世論誘導してるといわれても仕方ないでしょう

(続く)


ゴールデンレイクスでゴルフ、帰りに「さくら坂VIVACE」でイタリア気分に

2024年04月22日 | ゴルフ

栃木県真岡市のゴールデンレイクスカントリークラブでゴルフをしてきた。何回も来ているコースだ。費用は2人で12,400円。天気は曇り、気温20度、春のゴルフとしては汗もかかずに快適に回れた天候だった。

27ホールあるコースで今日はグリーンコースからブルーコースと回った。カートのホール内乗り入れ可能で楽なラウンドができた。カートにはナビがついている。

このコースはアメリカンスタイルのコースレイアウトで面白い、大きなワングリーンでアンジュレーションもあり難しい。バンカーはあまりないが、非常に大きいフェアウェイバンカーがところどころにある、ホールはあまりアップダウンがないが、傾斜が結構キツいところがある。池やがけがところどころにある。飽きさせないレイアウトである。

プレーの進行は前半のハーフは何も問題なし、2時間かからなかったが後半は少し待たされることがあったが許容範囲内だった。お昼ご飯は普通か。

ゆっくり楽しめました。

さて、この日は1時過ぎにはコースを後にしたので、いつもの通り少し寄り道をした。先ずは、ゴルフ場から15分くらい南下した筑西市にある「道の駅グランテラス筑西」に寄った、1回来たことがあったところだったが忘れていた、地元の農産物などを売っているのでちょっと見て、地元のお菓子「館最中」と「期間限定桜かすてら」を、あとお茶を二つ買い、スタバで自宅用のコーヒー豆(スマトラ)を一つ買った。

次に、常磐高速の谷和原インターから15分くらいにある「さくら坂VIVACE」に寄ってみた、昨年始めて訪問し、今回は2回目。ここは守谷のはずれの丘の上、木々に囲まれた静かな場所にある古民家カフェトラットリア、イタリアで過ごした時間を切り取ったようなちょっと日常から離れた、季節と自然に触れ合う空間、守谷でイタリア気分が味わえるところとしてテレビで紹介されたこともある。

敷地内にはレストラン、ショップ、あとは何をするところかはよくわからないがイタリア風の小屋がいくつかある、そしてその敷地の奥の端からは広々とした田園の風景が見える、もうちょっと後に来れば田植えが終った田園地帯になるのだが。車でないと来れないと思うが結構客が来ていた、みな女性客である。

今日は、私はハーブティー、嫁さんは紅茶、そしてケーキ(アップルパイ)を一つたのんだ、値段は全部で1,600円ちょっとでリーズナブル、味はいずれもおいしかった。喫茶のあとは屋外を散歩してもOKなので、一渡り敷地内を歩き、ショップをのぞいて庭に植える花を2つ買って帰った。

ご馳走様でした。


丸山真男「日本の思想」を読む(1/3) 

2024年04月21日 | 読書

丸山真男「日本の思想」(岩波新書)をKindleで読んでみた。1961年発刊の古い本だ。丸山真男といえば戦後の進歩的文化人の代表とも言える存在であり、いまだに年配者を中心に支持者が多いようなので、一度読んでみようと思った。

この本を1回読んだだけで理解することなど無理だが、学生のように本書ばかりを何回も読み返すわけにもいかないので、無理を承知で著者の主張を章を追って順に見ていき、それらについての私の感じたことをコメントとして書いてみたい

Ⅰ日本の思想

  • 著者が本書を書いた問題意識は、あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった、というものだ(p10)
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    著者はあとがきで、本書は、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとかいった類いの批判は誤解であると述べているが、そうとも思えない。一例をあげれば、まえがきで、各時代のインテリジェンスのあり方や世界像の歴史的変遷を辿るような研究が第二次大戦後に西欧やアメリカでは盛んになってきた、このようなアプローチはヨーロッパの思想史学では必ずしもめずらしいものではなく、History of western ideasとかGeistesgeschichte(独語「知的歴史」の意)とかいったいろいろの形で行われてきたものである、と述べており、日本にはそれがないとしている(p8)、これなどは日本は遅れており、西欧が優れていると言っているのと同じではないか
  • 一方、著者は、およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、そこから出てくるさまざまの思想的問題の構造連関をできるだけ明らかにすることにある、とも述べている(p189)
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    本書の中で著者がどのようにその構造連関を明らかにしたのかわからなかった
  • そして、本書はこうしてわれわれの現在に直接に接続する日本帝国の思想史的な構造をできるだけ全体的にとらえて、現にわれわれの当面しているいろいろな問題(知識人と大衆・世代・思想の平和的共存など)がその中で発酵し軌道づけられてゆくプロセスなり、それらの問題の「伝統的」な配置関係を示そうという一つの試図に過ぎない、としている(p191)
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    著者には、自分を知識人として大衆と区別する優越意識があるのがここだけではなく本書の他の部分でも出ているのは残念だ
  • 著者は開国の意味するところを、維新を境にして国民的精神状況においても個人の思想行動を取ってみても、その前後で景観が著しく異なって見えるとしている(p16)。そして、伝統思想が維新後いよいよ断片的性格を強め、諸々の新しい思想を内部から整序し、あるいは異質的な思想と断固として対決するような原理として機能しなかったこと、まさに、そこに個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取は外見的対決の仕方において「前近代」と「近代」とがかえって連続する結果が生まれた、としている(p16)
  • この結果、新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利は驚くほど早い、過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍に追いやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるの、という(p18)。
  • しかし、ヨーロッパ哲学や思想がしばしば歴史的構造性を解体され部品としてドシドシ取入れられる結果、高度な抽象を経た理論があんがい私達の旧い習俗に根ざした生活感情にアピールしたり、「常識」的な発想と合致する事態がしばしばおこる、これを精神的雑居性と言った、この雑居性の原理的否認を要請したのがキリスト教とマルクス主義だ(p21)
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    維新後の状況についての著者の指摘はその通りであろう、今に続いていると言える。マルキシズム、戦勝国史観、新自由主義などに感化されてしまう浅はかさ、丸山氏はそうではなかったと言えるか
  • 維新後の日本には二つの思考様式の対立がある、一方は「制度」、もう一方は「自然状態」だ、日本の近代化が進行するにしたがって官僚思考様式(制度)と庶民的思考様式(精神)とのほとんど橋渡しし得ない対立となってあらわれるが、それは一人間の中に共存し、使い分けられることもある、これは日本における社会科学の「伝統的」思考形態と、文学におけるそれ以上に伝統的な「実感」信仰の相交わらぬ平行線も同じ根源に帰着する(p60)
  • 戦後にわが国で社会科学的思考を代表し文学的「実感」の抵抗を伝統的に触発してきたのはマルクス主義であり、そうなったのは必然性がある、例えば、日本の知識社会はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連付けて総合的に考察する方法を学んだが、それが悲劇の因をなした(p63)
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    その素晴らしいマルクス主義も今では西欧思想史として学ぶことはあっても、革命を起こそうなどと考えている人はごく少数になったでしょう
  • マルクス主義はいかなる科学的研究も完全に無前提では有り得ないこと、科学者は一定の価値の選択のうえにたって知的操作を進めて行くものであることをあきらかにした、そしてマルクス主義は「党派制」というドラスティックな形態ですべての科学者に突きつけた、そして、世界を変革することを自己の必然的な任務としていた、おおよそデカルト、ベーコン以来近代的知性に当然内在しているはずの論理は、わが国ではマルクス主義によって初めて大規模に呼び覚まされたと行っても過言ではない(p64)
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    以上のような記述を読むと丸山氏はマルキシズムを評価していたと言えるのではないか、そして変革、すなわち革命思想を信奉していたのではないか、このような思想の流入と戦わず持ち上げていたことは先に述べた維新後の状況の指摘と矛盾してないか

(続く)


サザコーヒー本店に行ってみた

2024年04月20日 | カフェ・喫茶店

茨城県ひたちなか市のサザコーヒー本店に行ってみた、ちょうど国営ひたち海浜公園に花を見に来た帰りにちょっと寄ってみようと思った。場所はJR勝田駅の直ぐそば。駐車場も隣接する場所にかなりの台数が収容できる広さが確保されているので車で来るにも便利である。

店の正面はそんなに目立つ感じではなく、SAZA COFFEEの文字看板がある。正面入口から入るとそこはショップとなっており、コーヒー豆やカップなどを販売している、喫茶の入口はその左横にあり、そこから案内されて入店する。

入ってみると結構広く、洒落たカウンターの背面にはいろんなコーヒーカップが収納してあり、客席の外には庭園がる、今日は初夏のような陽気なためか喫茶室は開け放たれており、テラス席もある、庭園の緑がまぶしい。室内インテリアはアフリカ仮面やパナマ民族の彫刻のようなものが飾られていて何となく南国の熱帯雨林の中に喫茶店があるという雰囲気で大変洒落ている。テレビのカンブリア宮殿にも紹介されたことがあるそうだ。

通常の2人がけテーブル、4人がけテーブルの他に、大テーブルもありカウンター席もある。

メニューを見るといろんな種類のコーヒーがあり選ぶのに迷う、以前、筑波大学店や大洗店に寄ったことがあり、その時のコーヒーの印象は酸味の強いものだったので、今日はアールグレイティーにし、嫁さんはアメリカンコーヒーにした、このアメリカンは酸味があまりない。そして、ロールケーキも一つたのんだ、ここのケーキはサイズ大きめでおいしそうだ、合計で2,200円。

コーヒーの値段は700円から900円くらいで結構高めだ、店内やコーヒーの味に自信があるのだろう。コーヒーカップなどの食器類も高そうなものを使っている。コーヒー豆については世界の産地に赴き、直接購入しているそうだ。パナマのゲイシャコーヒーが自慢の一品だ。コーヒー豆選定のポイントは「香り」、それを日本の店で焙煎し、抽出して提供している。また、サザコーヒー所有のコロンビアの農園もあるというから相当な情熱でやっている。

コーヒーの世界で一番飲まれているハンドドリップ的なコーヒー(機械式エスプレッソ的なコーヒーではない)の世界一を決めるブリューワーズカップの日本代表選でサザコーヒーの飯髙亘氏が2023年度のチャンピオンになったと店内に掲示されていた、日本一のバリスタということでしょう。

何から何までかなりこだわりがあり、アメリカ資本のスタバとはひと味もふた味も違う経営の仕方に感心した。とかく、欧米式に感化されやすく、スタバやディスニーランドなどにすぐ飛びつく日本人が多く、また、それを真似たチェーン店舗を始めるなど独自性に欠ける傾向を如何なものかと思っていたが、ここはそれらの二番煎じをやらない新興珈琲店の一つだろう。以前紹介した高倉町珈琲もそうだし、星野珈琲店などもそうだろう。頑張って欲しい。

来店する客を見ているとコーヒーの値段からして、所得に余裕のありそうな感じのご婦人が多いと感じた、この辺は日立の工場もあり地域全体が豊かなのではないか。

非常に良い雰囲気の中でゆっくりくつろげました。ご馳走さまでした。


テレビ録画で喜歌劇「こうもり」を鑑賞

2024年04月19日 | オペラ・バレエ

テレビで放送していた喜歌劇「こうもり」を鑑賞した。収録は2023年12月28・31日、バイエルン国立歌劇場での公演だ。昨年ミュンヘン旅行に行ったとき、この歌劇場を訪問し見学ツアーにも参加し、バレエ公演も観た。今回のテレビはそのバイエルン国立歌劇場での大好きな「こうもり」の公演とあっては観ないわけにはいかない。15日に放送したばかりだが早速観た。

今年の正月にウィーン国立歌劇場のストリーミングサービスで昨年末の公演「こうもり」を観たが(その時のブログはこちら)、ミュンヘンでも年末は「こうもり」で行く年を笑って忘れようということでしょう。

ヨハン・シュトラウス 作曲
演出:バリー・コスキー(1957,豪)
出演
アイゼンシュタイン:ゲオルク・ニグル
ロザリンデ:ディアナ・ダムラウ
フランク:マルティン・ヴィンクラー
オルロフスキー公:アンドリュー・ワッツ
アルフレート:ショーン・パニカー
ファルケ:マルクス・ブリュック
ブリント:ケヴィン・コナーズ
アデーレ:カタリナ・コンラディ

合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団
管弦楽:バイエルン国立歌劇場管弦楽団
指揮:ウラディーミル・ユロフスキ   

開演前の歌劇場の外の様子やホワイエの様子などをカメラで写していたが、昨年訪問したことを思い出してうれしくなった。

演出のバリー・コスキーはウィキペディアによれば、作品の大胆な再解釈を行いながら多彩な色、動き、手法を用いた鮮やかで審美的な舞台の人気は高く、ヨーロッパを中心に活動する現在世界で最も多忙な演出家の一人である、また、自身を「ゲイでユダヤのカンガルー」と形容してるそうだ。

今回の演出はウィキにあるとおり、カラフルで、いろんな創意工夫がなされており、ワクワクするような演出で、観ていて楽しかった。これだけの演出を思いつくというのはやはりたぐいまれな才能だろう、人気があるのもわかる。ただ、第3幕の刑務所の場面で刑務所長フランク(マルティン・ヴィンクラー)がパンツ1枚の姿で出てきてしばらく演技する場面は如何なものかと思った、LGBTのコスキーらしさか、また、コスキーの演出はこの演目だからこそその能力が活かされる面があると思う、少し前、彼の演出した「金鶏」というオペラをテレビで観たときはそんなに感動もしなかった。「魔笛」とか「セビリアの理髪師」とかをやらせたら素晴らしい舞台を作ってくれるような気がする。

あと、第2幕のオルロフスキー公邸宅での仮装パーティーの時に大騒ぎするポルカ「雷鳴と電光」だが、多分男性陣だと思うがラインダンスをして盛り上げるが、私はイマイチ盛り上がらなかった、なぜなら一番はしゃぐはずのアイゼンシュタインが先頭にたってダンスをしたり、跳んだりはねたりするのが少ないからだ、最大の盛り上げ場面でのフラストレーションでありこの場面は1986年のオットー・シェンクに軍配をあげたい思った。

出演者については、どの演目でもそうだが、役者を選ぶオペラであると思う、それぞれの役の役柄にピッタリ合う歌手を選ばないとこの演目は台無しになる。その中でももっとも重要な役がロザリンデである。そのロザリンデを演じたのがソプラノの第一人者、ディアナ・ダムラウ(1971、独)であり、これは完璧に役柄にはまっていた配役であった。彼女はフランスのバス・バリトン、ニコラ・テステと結婚、2010年と2012年生まれの2人の息子がいる。ロザリンデは中年で亭主を愛するが若いテノール歌手とのアバンチュールも楽しむ美人でセクシーなマダム、ダムラウはロザリンデにぴったりのイメージだ。その期待に応えて実に味のある演技を見せてくれた。私が好きな1986年の同じ劇場での「こうもり」でロザリンデを演じたパメラ・コパーンと同じイメージで感動した。

特にロザリンデがいいのは第1幕だ、第2幕ではハンガリー婦人に仮装するためマスクをつけているので、この時のロザリンデのイメージはあまり好きになれない、また、第2幕でチャルダッシュを歌うその最後の声を張り上げる場面は声が出ていなかったように思えた、難しい曲なので無理もない。油の乗りきった今の彼女は、ばらの騎士の元帥夫人やフィガロの結婚の伯爵夫人なども最も適役だと思うので是非観てみたいものだ。昨年、テレビのクラシック倶楽部でダムラウとカウフマンのデュオコンサートを放送した時も彼女の歌を聴いたが素晴らしかった(その時のブログはこちら)

他の歌手もみんな頑張って歌って、精一杯演技していたと思うが、もう少しあげるとすれば、ファルケ博士役のマルクス・ブリュックだろう、1986年のファルケ役のヴォルフガング・ブレンデルとはイメージが違うが、ブリュックはこれで結構役柄に合っており、かつ、声量も豊かで素晴らしいと思った。

あと一人あげるとすれば、フロシュ(刑務所職員)だ、通常の語りの他にタップダンス&ボディパーカッションをしていたのが印象に残る、これはコスキーのアイディアであろう、こんな第3幕は初めてだ。

さて、最後に指揮者のウラディーミル・ユロフスキ(1972、露)である、この歌劇場の音楽総監督であり、2021年からバイエルン州立管弦楽団の指揮も担当している、彼の指揮による演奏は1986年カルロス・クライバーの演奏に勝るとも劣らない素晴らしいものだった、そしてカーテンコール時に舞台上の歌手たちがオーケストラに向って「さあどうぞ」とばかりに手を差し伸べる仕草をすると、ユロフスキとオーケストラは待ってましたとばかりにこれに応えてチャルダッシュの演奏し、観客席も手拍子をしてカーテンコールを大いに盛り上げた、こんな粋な計らいも初めてだ、彼のアイディアかどうかわからないが、いい指揮者だと思った。

いずれにしても素晴らしいオペレッタでした、満足しました