「今にも落ちてきそうなあの雲の下で。」
空には白い雲が漂っている。山の頂上で見る雲は近く、自分の眼下に漂っている。
こう見ると、自分は空の上にいるのか、大地に立っているのかわからなくなる。
ここは雲の上。大地の上。と言う事は、空の中なのだろうか?
遠くの眼下に広がる町は、玩具のように小さく、精密で、動き、そこに生きている。
ここから見ると、自分はいかにちっぽけなところに住んでいるのかと思う。
だが、そこに帰れば自分もちっぽけなものになる。
でも、そのちっぽけな町には、大切な家族、仲間、ものが詰められている。まるで宝箱のように。
山を降りると、雲の下に出た。まだ雲は近い。それに色が灰色になっていいる。雨が降ろうとしているのだろう。急いで家へと帰る。
その途中雨にぬれた。傘を差して雨を避ける人の中、傘を忘れたオレは、早足に家路につく。
びしょぬれになりながら玄関をくぐる。母が出迎えタオルを用意していた。
「ハイ。風を引かないように。それと、お風呂も沸いているから。そのあとご飯ですよ。」
父が帰っていた。
「災難だったな。早く風呂には入れ。」
姉が通りすがりに言った。
「なんで傘持ってかなかったの?バカ。」
妹が走ってきて言った。
「山、どうだった?風景、綺麗だった?」
兄が怪訝そうに言う。
「拭いてから入れよ?」
オレは言った。
「ただいま。」
みんな言った。
「お帰り。」
やっぱり、ちっぽけじゃない。
今にも落ちてきそうなあの雲の下、ぬれて帰るのもいいもんだな。
・あとがき
したきりすずめの話を、チョットアレンジするとこうなるのでしょうか?
ちがうかもしれませんが、大切なものって、案外近く似合って気づかないものだとよく言いますが、まさにその通りです。
かといって、世界にはもっと不幸な人がいる、と言いますが、それって失礼じゃないでしょうか?
彼らは彼らなりにがんばっているので、それを否定する言い方になり兼ねないからです。
でも、支援するなと言いません。通りすがりの人が倒れていて、大丈夫かと手を差し出すのは好意からであり、
相手が望んでいなくとも間違ってはいないのです。
ただ、小さな親切大きなお世話にはならないように。
かつて阪神大震災の被災者の方々もこう言いました。
「がんばれって、これ以上どうがんばればいいんだ?」
押し付けのがんばれも、当事者には強制的なものになるときがあるのでしょう。
そんなときは、応援しますで十分でしょう。
とにかく、家族はいいものです。そうでない人もいますが、真の家族と言える人ができればわかるでしょう。
空には白い雲が漂っている。山の頂上で見る雲は近く、自分の眼下に漂っている。
こう見ると、自分は空の上にいるのか、大地に立っているのかわからなくなる。
ここは雲の上。大地の上。と言う事は、空の中なのだろうか?
遠くの眼下に広がる町は、玩具のように小さく、精密で、動き、そこに生きている。
ここから見ると、自分はいかにちっぽけなところに住んでいるのかと思う。
だが、そこに帰れば自分もちっぽけなものになる。
でも、そのちっぽけな町には、大切な家族、仲間、ものが詰められている。まるで宝箱のように。
山を降りると、雲の下に出た。まだ雲は近い。それに色が灰色になっていいる。雨が降ろうとしているのだろう。急いで家へと帰る。
その途中雨にぬれた。傘を差して雨を避ける人の中、傘を忘れたオレは、早足に家路につく。
びしょぬれになりながら玄関をくぐる。母が出迎えタオルを用意していた。
「ハイ。風を引かないように。それと、お風呂も沸いているから。そのあとご飯ですよ。」
父が帰っていた。
「災難だったな。早く風呂には入れ。」
姉が通りすがりに言った。
「なんで傘持ってかなかったの?バカ。」
妹が走ってきて言った。
「山、どうだった?風景、綺麗だった?」
兄が怪訝そうに言う。
「拭いてから入れよ?」
オレは言った。
「ただいま。」
みんな言った。
「お帰り。」
やっぱり、ちっぽけじゃない。
今にも落ちてきそうなあの雲の下、ぬれて帰るのもいいもんだな。
・あとがき
したきりすずめの話を、チョットアレンジするとこうなるのでしょうか?
ちがうかもしれませんが、大切なものって、案外近く似合って気づかないものだとよく言いますが、まさにその通りです。
かといって、世界にはもっと不幸な人がいる、と言いますが、それって失礼じゃないでしょうか?
彼らは彼らなりにがんばっているので、それを否定する言い方になり兼ねないからです。
でも、支援するなと言いません。通りすがりの人が倒れていて、大丈夫かと手を差し出すのは好意からであり、
相手が望んでいなくとも間違ってはいないのです。
ただ、小さな親切大きなお世話にはならないように。
かつて阪神大震災の被災者の方々もこう言いました。
「がんばれって、これ以上どうがんばればいいんだ?」
押し付けのがんばれも、当事者には強制的なものになるときがあるのでしょう。
そんなときは、応援しますで十分でしょう。
とにかく、家族はいいものです。そうでない人もいますが、真の家族と言える人ができればわかるでしょう。