05’全日本最終戦もてぎ で、全日本ST600ライダー
岡河司郎選手が予選中転倒し亡くなられました。
広島からお通夜に行くことも出来ず(モトルネと日が重なっており)帰省した年末に、お線香をあげにくまさんRT監督と仏前に伺いました。
岡河君との思い出話を簡単に書きたいと思います。
岡河君と私は同い年で、出会いは16,7才の時に、当時走っていた余野という峠で出会いました。私は16歳で70万のローンを抱えたバイク乗りなのでアルバイトに専念しており峠には2回/月くらいしか走りに行ってませんでした。彼は、アグレッシブなフォームで常連の中でも速い組で、又、話し好き&人懐っこい性格で皆に好かれていたと記憶しています。
たまにしか峠に上がらない私も彼とは挨拶をする仲でした。
ある日、私が車で峠に上がった時に彼がNSR250で峠を走っていて転倒し、シルビアに突っ込み、車にバイクと本人を積んで家に送ってあげた事もありました。(フォームもそうですが走りもかなりアグレッシブでした。)
それ以降、峠で会うことも無く(私も走りのスタイルを変え、一区間を往復するのでは無くツーリングのように峠道を一周して帰るようになった)月日が過ぎて行きました。
98年より私がTI英田サーキットを走るようになり(モトルネという草レースです)その時に地方選手権ST600にGSXR600で走っている岡河君に久し振りに会いました。
彼は、当時、地方選ST600のコースレコードを持っており昔の走り屋仲間が、サーキットで活躍しているのを嬉しく羨ましく思ってました。
その後、岡河君は全日本へ参戦し、タイヤも当時私が使っていたメッツラーを履いており、モトルネ等でタイヤサービスの手伝いをしている彼とよく話し込んでいました。相変わらず彼はバイクに対して熱く、全身を使って乗り方等のアドバイスをして貰ってました。バイクの話をする彼はとても明るく、熱く、熱心でキラキラと輝いてました。
プライベート参戦の彼は大変苦労して全日本へ参戦しており、彼のバイクへの情熱が物凄いものだと感じておりました。
05’12/30 仏前に参った時に奥さんより生前の彼がアルバムに綴じていた写真を見せて頂きました。私が走っていた当時の余野の仲間が映っており大変懐かしく又、当時の彼を思い出しました。岡河君の奥さんも高校生時代からの付き合っており、当時の写真を見るまでは気付かなかったのですが峠時代に会った記憶があります。
私とサーキットで再会するまでの彼の足取りも写真より窺う事が出来ました。
岡河君は私が理想とした、バイク人生をずっと歩んできたんだと思いました。
4時間耐久に参戦したり、ずっとバイク一筋で、最終的に全日本ライダーまで上り詰めて・・・
バイクに出会ってからの人生をバイクへの情熱で過ごして来たんだと・・・
応援してくれる方々の為、又、走りで自分の未来へもこじ開けなくてはいけない全日本の中で時には自分の限界も超えながら彼は一生懸命走り続けたんだと感じました。
私は、自分への自身の無さ、将来への展望、色々な事からバイク一筋の人生を諦めバイクは趣味として付き合って行く事にしました。しかし自分の中でやりたいことを思いっきり出来なかった事に対しての悔やみをずっと感じています。
そんなにバイクを愛していた彼だからこそバイク亡くなって欲しく無かった。
お爺さんになってもキラキラした目でバイクを熱く語って欲しかった。
奥さんが、彼が愛していた、彼を連れて行ってしまったバイクを恨んでいなかったのが印象的であり嬉しく思いました。
私はこれからも趣味でバイクを走らせ続けますが、大好きなバイクだからこそバイクで死なないよう無理せず走り続けたいと思います。又、知り合いの中からバイクで亡くなるような事が無いよう説いていこうと思います。
岡河司郎選手が予選中転倒し亡くなられました。
広島からお通夜に行くことも出来ず(モトルネと日が重なっており)帰省した年末に、お線香をあげにくまさんRT監督と仏前に伺いました。
岡河君との思い出話を簡単に書きたいと思います。
岡河君と私は同い年で、出会いは16,7才の時に、当時走っていた余野という峠で出会いました。私は16歳で70万のローンを抱えたバイク乗りなのでアルバイトに専念しており峠には2回/月くらいしか走りに行ってませんでした。彼は、アグレッシブなフォームで常連の中でも速い組で、又、話し好き&人懐っこい性格で皆に好かれていたと記憶しています。
たまにしか峠に上がらない私も彼とは挨拶をする仲でした。
ある日、私が車で峠に上がった時に彼がNSR250で峠を走っていて転倒し、シルビアに突っ込み、車にバイクと本人を積んで家に送ってあげた事もありました。(フォームもそうですが走りもかなりアグレッシブでした。)
それ以降、峠で会うことも無く(私も走りのスタイルを変え、一区間を往復するのでは無くツーリングのように峠道を一周して帰るようになった)月日が過ぎて行きました。
98年より私がTI英田サーキットを走るようになり(モトルネという草レースです)その時に地方選手権ST600にGSXR600で走っている岡河君に久し振りに会いました。
彼は、当時、地方選ST600のコースレコードを持っており昔の走り屋仲間が、サーキットで活躍しているのを嬉しく羨ましく思ってました。
その後、岡河君は全日本へ参戦し、タイヤも当時私が使っていたメッツラーを履いており、モトルネ等でタイヤサービスの手伝いをしている彼とよく話し込んでいました。相変わらず彼はバイクに対して熱く、全身を使って乗り方等のアドバイスをして貰ってました。バイクの話をする彼はとても明るく、熱く、熱心でキラキラと輝いてました。
プライベート参戦の彼は大変苦労して全日本へ参戦しており、彼のバイクへの情熱が物凄いものだと感じておりました。
05’12/30 仏前に参った時に奥さんより生前の彼がアルバムに綴じていた写真を見せて頂きました。私が走っていた当時の余野の仲間が映っており大変懐かしく又、当時の彼を思い出しました。岡河君の奥さんも高校生時代からの付き合っており、当時の写真を見るまでは気付かなかったのですが峠時代に会った記憶があります。
私とサーキットで再会するまでの彼の足取りも写真より窺う事が出来ました。
岡河君は私が理想とした、バイク人生をずっと歩んできたんだと思いました。
4時間耐久に参戦したり、ずっとバイク一筋で、最終的に全日本ライダーまで上り詰めて・・・
バイクに出会ってからの人生をバイクへの情熱で過ごして来たんだと・・・
応援してくれる方々の為、又、走りで自分の未来へもこじ開けなくてはいけない全日本の中で時には自分の限界も超えながら彼は一生懸命走り続けたんだと感じました。
私は、自分への自身の無さ、将来への展望、色々な事からバイク一筋の人生を諦めバイクは趣味として付き合って行く事にしました。しかし自分の中でやりたいことを思いっきり出来なかった事に対しての悔やみをずっと感じています。
そんなにバイクを愛していた彼だからこそバイク亡くなって欲しく無かった。
お爺さんになってもキラキラした目でバイクを熱く語って欲しかった。
奥さんが、彼が愛していた、彼を連れて行ってしまったバイクを恨んでいなかったのが印象的であり嬉しく思いました。
私はこれからも趣味でバイクを走らせ続けますが、大好きなバイクだからこそバイクで死なないよう無理せず走り続けたいと思います。又、知り合いの中からバイクで亡くなるような事が無いよう説いていこうと思います。