「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「近衛家一族の群像」アマゾン電子電子書籍・ 五摂家の一つ。平安末期の摂政藤原基実(1143~1166)に始まり、家号は彼が父忠通から伝領した弟(近衛

2019-10-26 06:08:37 | 温故知新
「近衛家一族の群像」アマゾン電子電子書籍・
五摂家の一つ。平安末期の摂政藤原基実(1143~1166)に始まり、家号は彼が父忠通から伝領した弟(近衛殿による。基実が若くし没したのち、摂政・関白の地位と氏長者を受け継いだ弟の松殿基房はやがて平氏と対立し失脚する。一方、基実の子近衛基通は兵士に後援されて基房の跡を襲伊、後白河院の寵愛設けてその地位を維持をした。後に院と対立し源頼朝によって基通はその地位を追われ、叔父の九条兼実に取って代わられたたが、兼実が失脚すると再び返り咲いた。
この時に頼朝の圧力から後白河の庇し、基通が保持し恵当た摂関家領の多くが、以降、近衛家領となる。このように平安末期から鎌倉初期の摂関家は、政治状況の変転によって分裂と相互対立の様相を呈し、特兼実の家系(九条家)と基通の家系(近衛家)とが摂関を出す家格として並ぶに至った。これが五摂家分立の始まり、鎌倉中期にはさらに近衛家を継承した兄兼経とは別に、鷹司家を立て、分立の形成が定まった。江戸初期の近衛家には天皇家から信尋が入って家を継いだ。
明治以降、家族となって公爵を受けられた。首相になった近衛文麿は、昭和戦前の政治史に残る重要な位置を占めている。


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