「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・黒船来航」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍

2020-04-18 09:28:55 | 温故知新


「歴史の回想・黒船来航」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍
黒船は江戸時代にかけて来航したヨーロッパの木造航洋船、いわゆる南蛮背のこと。船体が黒いタールを塗装した船で黒船と呼んだ。その後日本も技術を取り入れ輸入したりして保有はしていたが、当時の南蛮船はカラック、ガレオンなど大航海時代の主力となった。外洋を航行する堅牢で頑丈な船体作りになっていて、ペリー艦隊四集は蒸気船と帆装船各二隻で強引に鎖国の日本に開国を迫った。目的は捕鯨で鯨油を目当てに寄港できる開港を求めて交渉したがうまく進まず、大砲の空砲で驚かせ交渉しようとしたが国内事情で成立しなかった。何よりアメリカの思惑はヨーロッパ諸国の植民地化に出遅れて焦りがあった。アメリカ合衆のアジア市場への進出に産業革命を迎えた西ヨーロッパ各国は、大量生産された工業品の輸出拡大の必要性から、インドを中心に東南アジアと中国大陸の清への市場拡大を急いでいたが、のちにそれは熾烈な植民地獲得競争となる。市場拡大競争にはイギリス優勢のもとフランスなどが先んじており、インドや東南アジアに拠点を持たないアメリカ合衆国は出遅れていた。当時の人口は、アメリカ合衆が1833年に約1416万人、清が約4億人、日本が1834年に約2760万人であった。アメリカは1833年にシャムとマスカットとの条約を締結することにようやく成功した。1835年には日本と清との条約締結のために特使を派遣することとし、このときに東インド艦隊が設立されている。この試みは成功しなかったが、アヘン戦争後の1842年に清との間に望厦条約を締結し、中国市場へ進出することとなる。この条約の批准のために東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが清に派遣されるが、ビドルは日本との条約交渉の任務もおびていた。このため、1846年に浦賀に来航するが、条約を結ぶことはできなかった。


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