「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

歴史の回想「江戸の絵師・写楽」電子書籍紹介。アマゾン・楽天・グーグル・角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-06-16 05:56:08 | 投稿済C

「江戸の絵師・写楽」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
東洲斎写楽(生没不詳)江戸後期の浮世絵師。寛政6年(1794年)5月から翌年正月まで、当時上演された歌舞伎狂言に取材して多くの役者絵版画(一部相撲絵)を集中的に制作、その後は浮世絵界との関係を絶って、消息をほとんど伝わっていない。「謎の浮世絵師」として関心をひかれ、同世代の有名・無名の人物に仮託する想像説が多く提出されてきたが、いずれにせよ根拠が乏しく仮設の域を出ていない。在世期に近い信ずべき文献資料としては、大田南畝原撰の「浮世絵類考」にみえる「写楽これまた歌舞伎役者の似顔絵をうつぶせが、あまりにも真を画館としてあらぬ様にかきしかば、長く世に行われず、一両年にして止む」の記事や八丁掘地蔵橋居城と文政元年(1818)以前に死没の事実を伝える「江戸方角分」報告例などが、わずかに上げらえるに過ぎない。幕末の斎藤月岑は「俗称斉藤十郎兵衛居江戸八丁堀に住す、阿波候の能役者也と考察(増補浮世絵類考)しており、注目されるが、未だ確認されていない。版画作品総計142枚(143~145枚と学者により数が異なる)が現存しており、いずれも蔦屋重三郎を版元としている。それらの作画期は取材狂言の上演時期に応じて、次のような4期に区分される。「第一期」寛政6年(1794)5月計28枚、すべて大判の黒雲母摺による役者大首(半身像)28枚落款は東洲斎写楽」「第二期」寛政6年7月~8月、景8枚、
8枚の大判雲母摺と30枚の細判はすべて全身像の役者絵。落款は「東洲斎写楽」「第三期」寛政6年11月~閏11月、計64枚、細伴全身像役者絵47枚、間伴役細伴役者追善絵2枚、間伴相撲絵1枚、大判相撲絵3枚(三枚続)落款は原則として「写楽画となる。「第四期」寛政7年(1795)計12枚細伴全身役者絵10枚、間判相撲絵2枚、落款は「写楽画」これらのうち、もっとも優れたもの内容もつは第一期の大首絵連作であり、妥協のない似顔表現と大胆なデフォルメ、戯画的な誇張の奥の深刻な心理描写など、前例のない個性的な役者絵となっている。以後世の不評判に逆らって出版点数を増大させるが、作品は質急速に衰えていった。写楽の役者顔絵の形式的な模倣は歌舞伎狂言作者2代目中村重助の画名によってなされているが、むしろ本質的な理解は先輩格の勝川春英や歌川豊国、さらに美人画家北川歌麿などによって深められた。


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