「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・シベリア抑留」電子書籍紹介・アマゾン・グーグル。楽天。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍

2020-04-18 09:33:43 | 温故知新


「歴史の回想・シベリア抑留」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍
シベリア抑留、昭和20年(8月15日1945)のポツダム宣言受諾後、無条件降伏を受けた日本にソ連の満州、北朝鮮、樺太、千島で敗戦を迎えた日本軍に将兵約60万を軍事捕虜としてシベリアを中心とするソ連各地におよびモンゴルに抑留、強制労働を課した。厚生省援護局の資料によると、抑留された者焼く7万5000人、現在まで帰国したもの47万③000人、死亡したと認めらえるもの約5万5000人、病弱などのため入ソ直後に満州や北朝鮮に送還された者4万7000人、ソ連から中国に戦犯として引き渡された者969人である。しかし、ソ連側の記録ではその実数は把握されていない。この中には開拓団員、満州国の官吏「、満鉄の幹部なども含まれ他に婦女子(主として従軍看護婦)も含まれていた。収容所は000か所、東はカムチャッカ半島から西はドニエプル川の流域、北は北極圏から南はパミール高原の西麓まで、全ソ連地区といえる範囲に及んだ。労働は地域によって異なったが、建築・道路・鉄道工事や森林伐採やその関連作業、鉱山、探鉱作業、農業作業その他の戦後ソ連の復興の必要な広い分野にわたり、環境の激変した抑留初期に、厳寒に飢餓・重労働の3重苦による犠牲者が集中した。抑留者は1950年4月末までほとんどが帰国、戦犯として残留したものもスターリンの死後1956年末までに釈放された。抑留者名簿の公表、墓参は、補償要求など残された問題は多い。復員引き揚げ問題、第二次世界大戦で海外在留の日本軍人・軍属および一般日本人の帰還問題、特にソ連、中国の本土地域からの引き上げが遷延した問題。復員は動員体制の軍隊を平時の体制に戻すことを指すが、第二次世界大戦後の日本では軍の解体で、召集が解かれ、兵役が解除されるまでをいう。引揚者は敗戦時に海外在留の軍人・軍属・一般人が帰国することをいう。厚生省の調べで敗戦時の旧陸軍海軍・軍属の総兵力が陸軍550万、海軍役242万、このうち内地部隊は陸軍200万弱であった。内地部隊の復員は陸軍は1945年8月末日までに8割が帰郷をした。また外地部隊の復員はアメリカ管理地域から始まったが、順次実施され1948年1月まで一応完了した。その他の国々からは順次引き上げ、幅員が進められたが、一番最後まで進まなかった、引き上げが遷延した地域はソ連・中国であるが、サンフランシスコ講和では両国は除外されたので国交も回復せず引揚・復員は政府間の交渉は遅々と進まず困難を極めた。





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