諸々雑記メモワール

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「村井弦斎と食(くい)道楽展」,豊橋市立中央図書館で開催

2015-11-18 12:11:06 | 日記

現代のグルメ小説の先駆者ともいわれる村井弦(げん)斎(さい)(1864~1927)の展示会「村井弦斎と食(くい)道楽展」が,豊橋市立中央図書館で開催されている(11月1日~29日)。

弦斎は三河吉田藩(現・愛知県豊橋市)の儒者の家に出生(1864.1.26)。東京外語ロシア語科を中退し,サンフランシスコに渡る。帰国後,報知新聞社社長矢野龍渓(1850~1931),森田思軒(1861~97)の知遇を得て同社の客員となり,処女作『小説家』『小猫』『日の出島』などを次々と発表して作家としての地位を築く。

38歳の時,1903年(明治36)1月2日から和食,洋食,中華料理をテーマにした家庭小説『食道楽』を「報知新聞」に連載を始め,同年12月27日まで1日も休まず掲載した。お登和嬢を主人公に料理の手解きを説くというストーリーで,大好評になり同年6月には上記連載をまとめて,『食道楽』正編春の巻を著わし,2年足らずの間に38版を数える大ベストセラーとなる。04年(同37)3月の冬の巻で一応完結するが,好評のため続編,続々編を書く。『食道楽』で取り上げた献立は約700種に及び,05年(同38)2月には歌舞伎座でも上演され好評を博した。

当時,毎月銀行に振り込まれる印税が多額に上っていたので,銀行の支店長は息子を小説家にしたいと真剣に考えたというエピソードが残っている。

 04年(明治37)暮れに『食道楽』で得た巨額の印税で神奈川県平塚町(現・平塚市八重咲町・松風町)に1万6,400余坪の土地を購入し,高嘉子夫人と3男3女の子供(長女は女流登山家の草分けとして知られる随筆家の村井米子〈1901~86〉)と移り住んだ。広大な土地を求めたのは,菜園,果樹園,畜舎,鶏舎などを作って,アスパラガス,セロリ,パセリ,トマトなど当時としては極めて珍しい野菜を栽培したり,ニワトリや山羊を飼育して食材を自ら調達するためであった。東京から一流の調理人を呼び,招待者の舌を楽しませたという。 

今日,食育の必要性が強調されているが,すでに110余年前に『食道楽』の中で「小児には徳育よりも智育よりも食育が先」と説いている。

晩年は断食の実践や山中で穴居に住むなど特異な生活を送り,27年(昭和2)7月30日,63歳で没した。 

弦斎を記念して旧居住地の八重咲町に村井公園(現・村井弦斎公園)が設けられ,58年(昭和33)に記念碑が建立された。記念碑には『食道楽』の次の一節が刻まれている。

 「いまや 我が家の食道楽趣味は 漸く田園趣味に進みゆきぬ 出ては菜果の露滴らんとするを摘み 入っては珍膳をそなえて富岳の清巒に対す 悠々たる清興 人生の幸福 この中にあり。」

 2000年(平成12)から毎年秋に,村井弦斎公園で「村井弦斎祭り」が開催されている。今年は第16回を迎え9月27日(日)開催され,多くの人で賑わいを見せた。公園の南側約500mは「弦斎通り」の愛称が付けられている。

 


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