亡き母の埋葬の手続きをしに笠間へ行きました。
父も眠っているここ笠間には関東でも数少ない樹木葬の代表的な霊園があります。
山を切り開いて造られた園内は自然に帰ることを目的とされ、最近話題になっています。
父がどこかで調べて来たようで、亡くなる前に『こんなところがあるんだ。一度連れて行ってくれないか』と言っていました。
その時はただ見に行っただけで終わってしまったのですが…。
父は訳ありでひとりで暮らしていました。
その後孤独死してしまい、その亡骸を火葬し、ここへ埋葬しました。
その時、自分もこんな風に土にかえりたいと思いました。
母もそれに賛成してくれていましたので、ためらうことなく樹木葬を選択しました。
いざというとき、一日も仕事を休まずに事を運ぶために妻と以前から話し合いをしてきました。
この時のために妻には自由でいてもらいたかったのです。
そしてその時がきました。
妻は『やっと自由にさせてもらった恩返しができる』と言ってくれました。
ほとんどがイメージ通りに事が運び、僕の仕事が休みになる火曜日に通夜無しの家族葬を執り行いました。
家族葬は母の遺言でした。
ちなみに母は『棺は段ボールで』と言っていましたが、それだけは出来ませんでした。
納棺師の方に、とてもきれいにしていただき僕としては非常に満足で、直接お礼を申し上げたいと思いました。
三途の川を渡るため運賃としての六文銭を握らせ、祭壇の花をぎっしりと棺いっぱいに入れ、僕が施設に入った母宛てに送った100通を軽く越える葉書を添えて出棺しました。
喪主の挨拶は毅然とするつもりでいましたが、言葉を発する瞬間に目と鼻の奥がツーンと来てしまい、目に水っぽいものが浮かんで声が震えてしまいました。
それでも、母はとても仲の良い身内の皆に送られて、さぞかし幸せだったことでしょう。
すでに仕事の方も完全に、というより全く支障なく平常通りに動いています。
たくさんのお客様にお悔やみいただきまして、本当にありがとうございました。
父も眠っているここ笠間には関東でも数少ない樹木葬の代表的な霊園があります。
山を切り開いて造られた園内は自然に帰ることを目的とされ、最近話題になっています。
父がどこかで調べて来たようで、亡くなる前に『こんなところがあるんだ。一度連れて行ってくれないか』と言っていました。
その時はただ見に行っただけで終わってしまったのですが…。
父は訳ありでひとりで暮らしていました。
その後孤独死してしまい、その亡骸を火葬し、ここへ埋葬しました。
その時、自分もこんな風に土にかえりたいと思いました。
母もそれに賛成してくれていましたので、ためらうことなく樹木葬を選択しました。
いざというとき、一日も仕事を休まずに事を運ぶために妻と以前から話し合いをしてきました。
この時のために妻には自由でいてもらいたかったのです。
そしてその時がきました。
妻は『やっと自由にさせてもらった恩返しができる』と言ってくれました。
ほとんどがイメージ通りに事が運び、僕の仕事が休みになる火曜日に通夜無しの家族葬を執り行いました。
家族葬は母の遺言でした。
ちなみに母は『棺は段ボールで』と言っていましたが、それだけは出来ませんでした。
納棺師の方に、とてもきれいにしていただき僕としては非常に満足で、直接お礼を申し上げたいと思いました。
三途の川を渡るため運賃としての六文銭を握らせ、祭壇の花をぎっしりと棺いっぱいに入れ、僕が施設に入った母宛てに送った100通を軽く越える葉書を添えて出棺しました。
喪主の挨拶は毅然とするつもりでいましたが、言葉を発する瞬間に目と鼻の奥がツーンと来てしまい、目に水っぽいものが浮かんで声が震えてしまいました。
それでも、母はとても仲の良い身内の皆に送られて、さぞかし幸せだったことでしょう。
すでに仕事の方も完全に、というより全く支障なく平常通りに動いています。
たくさんのお客様にお悔やみいただきまして、本当にありがとうございました。