テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

生々流転

2013-10-09 23:55:21 | 日記
小さい頃から、少年時代まで良く親しんだ、とある臨海工業地帯のハズレの私鉄沿線沿いを通ってきました。
昔は工場群で働く人々が数多く乗降し、賑やかで華やかだった駅前のロータリーの中央部分の花壇も、いまは残骸でしかありませんでした。また、ロータリー内のアスファルトのひび割れから生えた雑草が、背が高いままで茂って、枯れており、おそらくはその雑草たちを踏みしだく車もまれにしか通らない、そんな様子をうかがわせていました。
その昔、駅のすぐ山側には、モデルハウス展示場があり、なかには近未来的なデザインの家なども有って、電鉄会社の宅地開発と、工場の隆盛に伴い、駅の至近の踏切など、混雑していたことを憶えています。

工場のプラントが省力化、無人化され、遠隔操作による集中制御になり、とどめに各企業の合弁合併吸収廃業により、その駅の利用者はぐんぐん減り、モータリゼーションの普及が追い打ちをかけ、今の状態になったようです。
その過程では、シネコンなども、中核都市に先んじて建設され、帯状に連なる車の流れに、道路の拡幅整備工事も追いつかない、そんな時代もありました。
まだまだ稼働しつづける港湾施設も、いまはコンテナ船がほとんどで、その積み下ろしにも活気は感じられません。
住む人がいなくなり、更地に戻された区画も散見します。
この街の昔、黒く焦がした板塀が立ち並ぶ様から、工場群の勃興、住宅地の隆盛、商業施設の躍進、そして、それぞれが、やがて衰えていく様を、夏の終わりの雨とともに、感じた日でした。