生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

システム的接近とは

2015年08月04日 14時25分58秒 | システム学の基礎
2015年8月4日-1
システム的接近とは

1. システム的接近 systemic approach、システム主義 systemism

 システム的接近〔アプローチ〕 systemic approach、またはシステム主義は、マリオ ブーンゲ Mario Bunge (1999, 2003) の哲学辞典では、次のよう説明されている。

  「
システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach
 【a 概念】あらゆる物は、↑【システム】であるか、システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で、よって、あらゆる物は、その原理にしたがって研究され扱われなければならない。↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ、↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ、および↑【全体論】的アプローチに反対する。【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは、システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ、つまり構成、構造、環境、またはメカニズムを見落としている。こうして↑【全体論】は、あらゆるシステムを一つの単位として掴み、システムをその構成、環境、そして構造へと分析することを拒否し、したがってそのメカニズムも見逃してしまう。↑【個体主義】は、構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し、それゆえ構造とメカニズムを見落とす。↑【構造主義】は、構成、メカニズム、そして環境を無視し、それに加えて、諸関係を、諸関係の上または先に、関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる。最後に、↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も、システムの内的構造とメカニズムを見逃し、したがって変化の内的源を見逃すこととなる。【c 利点】システム的アプローチを採用すると、理論的に都合が良い。なぜなら、あらゆる物は、一全体としての宇宙を除いて、他のいくつかの物と繋がっているからである。同じ理由によって、それは実践的にも好都合である。事実、自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【切断主義〔分割主義〕】的 sectorial 〔sectoral?→第二版はどちら?〕であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。」
(Bunge 2003, p.285)。
 〔【切断主義〔分割主義〕】の項目または事項は、初版では参照項目とはなっておらず(ただし、Sectorial Approachの項目では、反対語として【systemic approach】を参照のこと、となっている)が、第二版でシステム的アプローチからの参照項目となっている。〕

 システム的接近〔システム的アプローチ〕とは反対の接近は、下記の切断的接近である。

  「
切断的接近〔切断的アプローチ〕 sectoral approach〔Bunge哲学辞典の初版 p.263は、sectoral〕
 世界と世界についてのわれわれの知識の、システム的本性を見逃す専門家によって、典型的に採用される接近〔アプローチ〕。狭い問題であるように見える物事に取り組む場合にだけ適する。反対語↑【システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach】。

(Bunge 1999, p.263)。


文献(機構 mechanism についての文献を含む)
  Bechtel, W. 2006. Discovering Cell Mechanisms: the Creation of Modern Cell Biology. xii+323pp. Cambridge University Press. [B2008110]

  Bunge, Mario. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [B19991213, $41.97+48.65/7]

  Bunge, Mario. 2003. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books.

  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

  *Couch, M.B. 2005. Functional properties and convergence in biology. Philosophy of Science 72: 1041-1051.

  *Craver, C.F. 2009. Mechanisms and natural kinds. Philosophical Psychology 22: 575-59.

  *Fagan, Melinda Bonnie. 2012/10. The joint account of mechanistic explanation. Philosophy of Science 79(4): 448-472.

  *Fagan, Melinda. 2013. Philosophy of Stem Cell Biology: Knowledge in Flesh and Blood (New Directions in the Philosophy of Science). Palgrave Macmillan.

  Machamer, P., Darden, L. & Craver, C.F.2000. Thinking about mechanisms. Philosophy of Science 67: 1-25.

  *Magnus, P.D. 2012[/11/27]. Scientific Enquiry and Natural Kinds: From Planets to Mallards. 210pp. Palgrave Macmillan.


システム的接近、またはシステム主義の基礎(2)

2015年08月03日 17時14分18秒 | システム学の基礎
2015年8月3日-3
システム的接近、またはシステム主義の基礎(2)

 Bunge (2013) 『Medical Philosophy 医学哲学』の続き、p.16からを下記に訳出する。

  「
 明らかに、システムの構造は、すなわちその諸部分間の繋がりの集合は、諸部分と同様に重要である。たとえば、細胞が死ぬと、その膜が崩壊し、蛋白体合成と代謝を止めるとき、分子の集合となる。生きているという性質は、考えることや社会化することという性質と同様に、創発的である。そして創発的性質は、システムに特有であり、収集体または集合 collections or sets とは背反する。
 分析的なものとシステム的なものとの間の関係と差異をより良く理解するには、現代解剖学地図帳〔図表集〕を中世のものと較べると助けとなる。後者では、諸器官は互いに離ればなれとなっているのに対して、現代的地図帳では相互に繋がれたものとして示されている。いくつかは直接に、他は脳を通じて繋がれており、脳は中央的制御システムとして作動する。そのうえ、現代の医者は、分子的水準から社会的水準まですべての水準で患者を検査し治療する。たとえば、お定まりの血液分析は、特定の蛋白の同定を含んでおり、臨床診察は、家族、仕事、そして近隣状況さえまで、それらについての事実を見い出すことを含むかもしれない。そしてまさに、より良い近隣へ引っ越すことが、主観的な健康に対して、強力で持続する効果を持つ可能性がある(Sampson 2012)。教訓:上向きと下向きの両方の流れを探しなさい。
 要するに、現代医学はシステム的であり、それゆえまた分析的であったが、他方、伝統的医学は全体論的であった。患者を一全体として扱うように主張するとき、伝統的治療者は、諸部分の特異性を見落とした。この特徴によって、全体論的療法の無効性は説明される。すべての細胞の膜は、_受容器_を含んでおり、それらは特異的である。すなわち、或る型の分子によってのみ刺激されるまたは抑制される(遮断される)システムだからである。

(Bunge 2013: p.16)。


Bunge哲学辞典 国際通貨基金

2015年08月03日 16時20分44秒 | 政治経済社会学
2015年8月3日-2
Bunge哲学辞典 国際通貨基金


 前回のギリシャ危機の前から、国際通貨基金(IMF、International Monetary Fund)については、批判が強まっていた。
 Bunge (2003) の哲学辞典の「システム的アプローチ systemic approach」の項目(p.285)では、国際通貨基金(IMF)への言及がある。
  
  「自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【切断主義〔分割主義〕】的であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。」
(Bunge 2003: 285)。

と書かれている。
 国際通貨基金による救済は、金融支援を受けた国ではその後に、社会格差をもたらしたり(例:韓国)するからである。


  「
切断的接近〔切断的アプローチ〕 sectoral approach〔Bunge(1999) 哲学辞典の初版 p.263は、sectoral〕
 世界と世界についてのわれわれの知識の、システム的本性を見逃す専門家によって、典型的に採用される接近〔アプローチ〕。狭い問題であるように見える物事に取り組む場合にだけ適する。反対語↑【システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach】。

(Bunge 1999, p.263)。

システム的接近、またはシステム主義の基礎(1)

2015年08月03日 12時39分02秒 | システム学の基礎
2015年8月3日-1
システム的接近、またはシステム主義の基礎(1)

 物体であれ、構築体であれ、ものごとには、様々な側面がある(と捉えることが、われわれにはできる)。分析することで、或る対象の振る舞いや生存状態を制御 control ないし統御する govern ことができる。
 なんらかの対象を分析し統合するという方法や手順を整備するには、その対象をシステムとして捉えるのが最も有効である。見落としが少ないからである。

  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717, paperback 6016円+0=6016円amz]

 上記のMario Bunge (2013)の本、『医学の哲学 医学における概念的論争点』で、システム的接近またはシステム主義について述べている箇所を、下記に訳出することにする。なお、下線 _ で挟まれた語は原文では斜体である。
 現代医学に触れてシステム的接近を導入するあたりから、以下に訳出する。〈1.3節 Contemporary Medical Quackery 当世の偽医療行為〉の p.13の第4段落からp.15の最後までの訳である。
 なお、2.3節は、The Sytstemic Approach システム的接近、である。


  「
 _全体論 holism_ は、ニューエイジの標語の一つである。というのは、分析と理屈reason の対極を示唆するからである。それはまた、近代性の敵たちの標的である。全体論的医学は、通常新奇なものとして宣伝されるが、そのような種類のものでは決してない。実際、患者を一つの全体として扱うことは、原始のおよび古代の内的医学の特徴である。すなわち、彼らは患者を黒箱 black box〔ブラックボックス〕として扱わねば_ならなかった_。なぜなら、彼らは解剖学、生理学、生化学のいずれも知らなかったからである。対照的に、科学的医学は患者を透明箱 trnasluscent box のように扱う。すなわち、諸システムは、現代生物学の助けによって、分解する dismantle ことが少なくとも概念的にできるのである。つまり科学的医学は、システム的である。
 具体的システムの概念的または経験的分析は、原子から身体から社会まで、そのシステムの構成 composition、環境 environment、構造 structure、そして機構 mechanism を同定することにある。これらの構成要素は、図式的に次のように定義されよう:

 _構成_ =或る水準(分子の、細胞の、などの)での構成要素の集合 set of constituents【p.13/】
 _環境_ =直接の周囲(家族、職場、など)
 _構造_ =構成要素 components 間の諸結合の集合(靭帯、ホルモン的信号、など)
 _機構_ =システムをそういうものとして維持する〔支える〕(諸)過程(細胞分裂、代謝、血液の循環、など)

 この分析は、六つの群の存在論的(形而上学的)教義を引き起こす。そのうちのいくつかは、古い由来を持っている。六つの教義とは:

 環境主義 environmentalism 環境は絶大な力を有する。例:行動主義、そして、すべての病気は『瘴気〔不健全な雰囲気〕』かあるいは社会的諸条件かのどちらかによって引き起こされるという仮説。
 構造主義 structuralism 一つの全体は網状組織 network、その諸部分間の繋がりの集合、である。例:コネクショニスト心理学、そして交信の網状組織〔コミュニケーション ネットワーク〕だけが重要なのだという、まるで節点〔ノード〕無しのグラフがあり得るような、社会学的テーゼ〔定立〕。
 過程主義 processualism 一つの具体物は一束の過程である。例:アルフレッド ノース ホワイトヘッド Alfred North Whitehead の形而上学。
 全体論 holism 全体はその諸部分に先立ち支配する。例:アリストテレスの形而上学とアジアの伝統的医学。
 個体主義 individualism 全体はその諸部分の集合 set である。例:古代の原子論、健康はもっぱら個体の習性に依存する(それゆえ衛生的方策は役に立たず、したがって無駄である)というテーゼ。
 システム主義 systemism 宇宙はすべてのシステムのシステムである。例:ドルバック d'Holbach (1770)、ベルタランフィ Bertalanffy (1950)、そしてブーンゲ Bunge (1979)。

 最初の五つの教義は、論理的に正しくない。全体論と個体主義は、全体と部分の概念がお互いを定義しているゆえに、すなわち片方は他方無しには存在できないゆえに、間違っている。環境主義は、あらゆる具体物は活動的があるがゆえに、すなわち或るものは確かにその環境によって影響されるけれども、環境だけによって全的に生成されるわけではないゆえに、偽りである。構造主義は、定義によって、節点(個体)無しに網状組織は無いから、偽りである。最後に、過程主義もまた、誤りである。なぜなら、あらゆる過程(たとえば成長)は、なんらかの具体物の一連の諸状態であって、つまり物無しの諸過程でも不変の諸物でもないからである。
 結論すると、上に列挙した六つのすべての構造的存在論のうちで、システム主義だけが残る。(なお、三つの可能な実体存在論 substance ontologies がある。すなわち、唯物論 materialism、唯心論 spiritualism〔唯霊論〕、二元論 dualism である。)このシステム主義という存在論は【p.14/】、ポール-アンリ ティリ〔、〕ドルバック男爵 Paul-Henri Thirty, Baron d'Holback によって啓蒙運動の中期にはじめて提唱されたが、あらゆる真に(物質的に)存在する物は、一つのシステムであるか、何らかのシステムの一つの構成要素である。論証できるように、システム主義は、量子力学と生物学から心理学と歴史学まで、現代諸科学に適合する唯一の存在論である(Bunge 2012a)。そして、システム主義は、創発主義を内含するから、様々な形態の還元主義を、とりわけ機械論、生物学主義、そして社会学主義を、乗り越えている。
 科学的医学もまた、システム的である。解剖学と生理学に基づいているからである。両者は、身体の諸部分は、別個のものだが、相互に繋がっていることを示している。たとえば、脳はうまく灌注されなければ、正常に感じたり、考えたり、意志決定したりしなくなる。そして、言葉をよむと(それは頭頂葉皮質で起きる一過程なのだが)、脳の後部で視覚像を呼び起こすかもしれない。また、様々な種類のホルモンは、化学的『伝言 messages』を運ぶのだが、身体のあらゆる部分に届く。
 しかしもちろん、科学的医学は、システム的であると同様に分析的である。別個の諸器官を区別する。それぞれはすべて、特異的諸機能、すなわちそこにおいてだけ生じる諸過程を持つ。さらに、システム性は分析性を含意する。というのは、システムを理解することは、それを分析することを伴うからである。システム性はまた、全体論の妥当な成分を含んでいる。つまり、『全体は、その諸部分の集合を越えるものである a whole is more than the set of its parts』というテーゼである。それは、システムは、その諸部分が持つことのない全体的諸性質を持つと主張する。
 このような全体的またはシステム的性質は、_創発的である emergent_(Bunge 2003aを見よ)と通常呼ばれる。例:固体状態や、生きているという性質。すべての病〔疾病 disease 。気を病むの病気という訳語は避けることにする〕は、創発的過程である。なぜなら、初期には健康な有機体にのみ起きるからである。癌やダウン症といった幾つかは分子的根本〔基礎 roots〕を持つのに対して、他はストレスといった社会的原因を持つが、どのような場合でもそうである。
 注意。_創発_についての先の定義は、標準的な辞書が与えている定義とは異なる。後者によれば、創発的とは、いかなる分析をも拒むとしている。この定義に従うと、『創発』は、認識論的カテゴリーに入り(あるいは知識に属する)、存在論的カテゴリーには入る(あるいは世界に属する)ことにはならないであろう。たとえば、エピクロス Epicurus 以降の根元的〔急進的〕還元主義者たちは、有機体の基本的構成要素は保全されるから、死は無いと主張する。そしてリチャード ドーキンス Richrad Dawkins は、彼にとっては遺伝子だけが重要だから、有機体の存在そのものが逆説的なものだと見い出すのである。実は、生命無き生物学 a biology without _bios_ だけが、逆説的なのである。【p.15/】

(Bunge 2013, pp.13-15)。


===
・2015年7月30日-1 マリオ ブーンゲのシステム主義
・2015年7月31日-2 マリオ ブーンゲのシステム主義(2)
を取り込み済み。

===
 ところで、索引では vitalism 生気論の頁は、p.33とp.125となっている。

美術修行2015年8月2日

2015年08月02日 21時03分30秒 | 美術/絵画
2015年8月2日-1
美術修行2015年8月2日


1. ハルカヤマ藝術要塞2015









 

 ハルカヤマ藝術要塞2015
http://otaru.gr.jp/ハルカヤマ藝術要塞2015/

 2015/07/14
 ハルカヤマ藝術要塞2015 プレオープン
http://blogeidetic.blogspot.jp/2015/07/2015.html



2. 抽象絵画/天海珈琲



 ネット上で知って、前から気になっていた店である。石狩海岸の近くに立つ、
スベシャルティコーヒー
http://www.amagai-coffee.com/hpgen/HPB/categories/7344.html
を味わえる、絵画や版画が飾ってある珈琲店。テーブルまたはソファのある部屋が六つほど開放的に繋がっている。美術関係の本が数か所の壁の棚に並んでいる。
 店には10数個の壁に、藤原瞬さんの油彩の抽象絵画などが設置してある。
 銅板を丸鋸で切り取って虚の線が集積した絵画についてお訊きしたら、抽象絵画が展示してあるギャラリーを見せていただいた。
 店内からの眺望も、素晴らしい。




















 自家焙煎&Art Gallery
 天海珈琲
http://www.amagai-coffee.com/

 天海珈琲~藤原瞬 油絵制作中
http://amagaicoffee.blog25.fc2.com/blog-entry-32.html

 2011-11-27 16:26:50
 天海珈琲
http://ameblo.jp/macrowavecat/entry-11090872858.html