生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

科学コミュニケーション?/IPCC問題シンポ

2010年05月23日 01時13分26秒 | 生命生物生活哲学
2010年5月23日-1
科学コミュニケーション?/IPCC問題シンポ

 小沢環境大臣が、2010年5月11日の記者会見で、2010年4月30日の日本学術会議によるシンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」に関連した質問に答えて、次のように発言しているとのこと。

  「ただ問題は、いつも言っているのですけれど、IPCCの組織論を申し上げたのですが、例えば1000人の賛成と1人の反対みたいな話でも、新聞紙面で書くと1対1になっちゃうんですよね。1000のボリュームと1のボリュームというふうにならないので、そこは本当にメディアの皆さんには是非御注意いただきたいという話をいつも言っているんです。こういう意見もあると、こういう意見もあるよねって必ず言うのですけど、こっちの意見は何万人の意見で、こっちの意見は本当に少ないという、そこを見極めて書く能力こそ、正にメディアが問われている能力で、一般の素人の人たちはそこは分かりきらないわけだから、そこをミスリードしていただかないように皆さんには是非お願いしたいなと思うのですけどね。」(小沢大臣一般記者会見録(平成22年5月11日(火)http://www.env.go.jp/annai/kaiken/h22/i_0511.html)。

 ある主張に対して賛成と反対があれば、どちらも紹介し、同程度の紙幅を割くのは当然だろう。「こっちの意見は何万人の意見で、こっちの意見は本当に少ないという、そこを見極めて書く能力こそ、正にメディアが問われている能力」で、何を言いたいのか?
 賛同者の数については、見極めることではなく、国民の意見を調査すればよいことである。(ただし、設問の仕方によって、回答は異なるだろう。)

 主張の論理的整合性、「その時点での」科学的知識との整合性、その主張自体の経験的証拠、これらに照らして、また記者自身の経験に照らして、主張内容が妥当かどうか、本当に根拠があるのか、未来のついての主張ならばそれが実際に当たりそうか、をよく考えて書くことである。そのためには日頃から問題意識を持ち、相手の主張をうのみにせず、自分でよく考え、安易に納得しないという態度でことに当たるのが良いと思う。

 「例えば1000人の賛成と1人の反対みたいな話でも、新聞紙面で書くと1対1になっちゃうんですよね。」というのは、シンポでのパネリストだった横山広美氏の発表「IPCC問題・科学コミュニケーションの立場から」で、似たような文言があったような気がする。それは、「日本のメディアの対応」と題したスライドに、
  「科学的事実の重みが
   1対1に見える
  (本当は1対100のところ)」
であった。科学的事実の重みづけなんてできるのだろうか? 科学者の賛同者数を指標とするのか? 科学的主張についてであれば、多数決で決めてはならない。
 (「科学コミュニケーション」って何だろうか。その教科書は? 藤垣裕子・廣野喜幸(編)2008.10『科学コミュニケーション論』東京大学出版会、から勉強するのがよいのだろうか?)

 そして、IPCCが用いたデータとそれにもとづくあるいはもとづかない主張自体が、疑われているのである。学術会議によるシンポでは、何の結論も出したわけではなかったので、IPCCの予測はまちがっているということになったのではなかった。しかし、IPCCの主張については、立証責任はIPCC側にある。莫大な予算措置をともなっているのだから。懐疑論について反論するだけでなく、予測してたとえば或る年の全球平均気温を当てることだ。これが連続して10年あたれば、少しはそのさらに10年先の予測くらいなら当たるかもしれないと思うようになるかもしれない。


  「会場からの質問者の中に、その意味で長期と短期の区別がついていないのに、詰問調で迫るかたがおられて、江守さんが匙を投げてしまいましたが、ああいう詰問調は事業仕分けの真似なんでしょうか。こういう場面では、詰問調で迫ろうがおだやかに質問しようが、出てくる答は同じです。じっくり説明を聞く気がないなら、質問しないほうが他の人のためです。
  あとでさらに追記すると思います」(posted by きくち at 11:36 pm。http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1273674969)。

 「その意味で長期と短期の区別がついていない」(「長期と短期」とは気温変化についてのことだろう)とか、「じっくり説明を聞く気がないなら、質問しないほうが他の人のためです。」とはどういうことなのか、追記を待とう。