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『ニッチ構築:忘れられていた進化過程』の訳文検討

2010年06月09日 08時30分45秒 | 生態学
2010年6月9日-1
『ニッチ構築:忘れられていた進化過程』の訳文検討

Odling-Smee, F.J., Laland, K.N. & Feldman, M.W. 2003.(佐倉 統・山下篤子・徳永幸彦訳,2007.9)ニッチ構築:忘れられていた進化過程.viii+400pp.共立出版.[y5,040]

Odling-Smee, F.J., Laland, K.N. & Feldman, M.W. 2003. Niche Construction: The Neglected Process in Evolution. xii+472pp. Princeton University Press. [B20031006, y4869+243=y5112]

 本の副題である「neglected process」を「忘れられていた過程」と訳しているが、(neglect to doの場合ならばともかくとして、)忘れることと無視することとは別のことである。そもそも、ニッチ構築〔ニッチ建設、またはニッチ建造〕が進化過程(本文ではプロセスと訳されている。過程は静態的で、プロセスは人によっては現象を作り出すような「力」があるかのように使っているように思われる)として話題になったことは(おそらく)なかったので、この本が書かれたのではなかったか。話題にも上らないものを、忘れることはできない。

  翻訳は、おおむね良好だが、正確さや(や=and/or。しかしA and/or Bは、A or B or bothの省略形である)精確さに欠けるところが散見される。また、そのままカタカナにしている語で、やはり日本語に直してほしい語があった。エージェント(あちこち)、ケース(たとえば、33頁と125頁)、セット(33頁)、アドレス(34頁→住所)、スキーム(34頁)、サブシステム(34頁→下位システム)、ソース(34頁では()内に供給源も掲げている→ソースをやめて給源、123頁)、シフト(111頁)、レシピエント(88頁)、プラス(124頁→正)、マイナス(124頁→負)、タイムラグ(124頁)、キャパシテイ(122頁、124頁)、などなど。また、habitat単独では、生息場所と訳しているが、habitat selectionではhabitatを生息地と訳しており、一貫しない。

 具体的に、33頁の訳文のほとんど1頁分を検討することにする。1行目の「しかしそこには」から、最終行の「側面にすぎない」までの33行分であり、2.2.1節の10文(原文で10文)と2.2.2節の7文(原文で7文)である。原文では、p.39の8行目のHoweverから、p.40の17行目のlatterまでに相当する。
 
 →の後に、わたしの訳例を示した。
 1. 1行目。「経験的、概念的な問題点」→「経験的かつ概念的な難点」。原文は、empirical and conceptual difficulties。このandの意味がよくわからないが、忠実に「かつ」としておく。次に挙げられている二つの難点ともに、経験的かつ概念的なのか、あるいは、一つは経験的難点で、もう一つは概念的難点なのか。
 2. 2行目。「ハッチンソンの多次元ニッチという概念は、可能性としてそのとおりかもしれないが」→「ハッチンソンの多次元ニッチ概念は、精確なものになり得るが」。そのとおりとは、一体、どのとおりなんやろ? 原文は、Hutchinson's multidimensional niche concept is potentially preciseで、preciseの語の訳が付近にも見当たらない。
 3. 1行目。「第1に」→「1つは」。One difficultyであって、Firstではない。OneとAnotherが呼応している。訳文では、「第1に」と「もう1つ」となっていて、おかしい。「第2」は出てこない。
 4. 6行目。「競合している」→「競争している」。competeには競争を当てるのが通例だと思う。競合は、良い意味での競い合いという場合に取っておきたい。
 5. 7行目。「競合」→「競争」。原文では、competition。
 6. 10行目。「概念」→「概念化」。原文は、conceptualizationであって、conceptではない。
 7. 10行目。「隠れ家」→「凹所」。a recessは、nicheに相当する語で、figurative sense(比喩的意味)でのrecessということだから、隠れ家といった解釈が入った語に訳すのは、良くない。
 8. 11行目。「ケース」→「場合」。
 9. 12行目。「集団」→「個体群」。populationの訳語は、集団遺伝学はpopulation geneticsの訳であるし、この本ではその分野のモデルを使っているから妥当な訳ではあるが、
groupを集団と訳す場合も多いから、できるだけ英語と日本語を一対一対応させたいことと、この本では生態学分野もまた主要な部分であり、生態学ではpopulationは個体群と訳しているので。なお、統計学的意味の場合のpopulationは、現状では母集団と訳さざるを得ない。
 10. 12行目。「ヒストグラム」→「柱状図」。わたしなら、柱状図として、ヒストグラムとルビを打つ。
 11. 13行目。「に属する」→「を構成する」。原文は、of。
 12. 17行目。「また現代のニッチ理論は」→「現代のニッチ理論も」。原文のalsoは、Hutchinsonのニッチ概念と同じく、現代のニッチ理論も、ということである。
 13. 17-18行目。「また現代のニッチ理論はニッチの重複を、種の共存の程度を考慮に入れ、それを定めることができる競争係数という概念と関連づけている。」
   原文は、"Modern niche theory also relates niche overlap to competition coefficients, a conceptualization that both allows for and determines the degree of the coexistence of species." である。訳文は、不精確である。
  →「現代のニッチ理論も、ニッチ重複を競争係数に関係づけているが、この概念化は、種の共存の程度を、考慮もするし決定もするというものである。」
 14. 19行目。「1つまたは複数の」→「1つ以上の」。原文は、one or more。「1つまたは1つより多くの」は、「1つ以上の」で済む。
  中学英語の教科書で、「more than」を「以上」と脚注で記してあったのを見たことがある。この国の教育はどうなるのだろう。コンマ一つで、文意が反対にもなり得るので、ゴルゴ13がどちらにも決定できないように、書類の一つのコンマを見事打ち抜いたのは、記憶に新しい。(てことはないか?)
 15. 19行目。「ニッチ分化」→「ニッチ分離」。原文はniche segregationであって、niche differentiationではない。
 16. 19行目。「形質置換など、ニッチの変化」→「形質置換といったニッチ変化」。原文は、A, B, and Cという並列である。訳文では、「ニッチ分化と形質置換(など!)を例としたニッチ変化」というように、受け取れる。それは、C such as A and Bという形式になってしまう。誤り。
 17. 20行目。「数式で導かれている」→「数学的定式化では~を導いている」。原文は、Mathematical formulations drive。わかりやすいように意訳したのかもしれないが、先の概念化を受けての話であろう。formulationsは、formulaeまたはformulasではない。
 18. 24行目。「進化も含めた概念」→「進化的でもある概念」。原文は、one [=concept] that is also evolutionary。このように訳すと意味が異なるだろう。a concept including evolutionならば包含関係であるが、also evolutionaryは形容の追加である。
 19. 25行目。「単純で実用的な最低限の定義」→「単純で実用的で最小主義的な定義」。原文は、a simple, pragmatic, and minimalist definition。一つの、A、B、かつCな定義である。また、minimalistであって、minimalではない。
 20. 26行目。「自然選択圧の総和」→「自然淘汰圧すべての和」。原文は、the sum of all the natural selection pressures であって、the sum total of the natural selection pressures ではない。別の箇所の頁に、choiceとselectionの両方が出てくるところがあるが、どちらも選択と訳していて区別できない。mate choiceといった場合は、natural selection でのselectionとは意味が違うので、selectionには淘汰を当てて、区別すべきである。
 21. 29行目。「生物」→「生物体」または「有機体」。原語はorganisms。organismは頻出するが、翻訳書では生物と訳されたり生物体と訳されたりとまちまちである。organismは、レベル構造を仮構した場合の一つの階層を指したりして、たとえば、個体数を数える場合の一つの単位となり得るものである。生物という語は、lifeやcreatureやliving beingsの訳語でもあり得るように、いくつかの意味を持つし(多義的)、また漠然とした意味合いで使われる場合もある(曖昧)。本書のような理論に関わる本では、organismにはすべて、生物体または有機体という訳語を当てるべきである。
 22. 30行目。「相対的」→「関係主義的」。原語はrelativisticで、relativeではない。「相対主義的」と訳すと、原著者の意図とは、ずれるだろう。なお、"Like Hutchinson's, this definition is strongly relativistic in that selection pressures are only selection pressures relative to specific organisms." のなかでのものである。specificは、どう解釈すればよいのかわからない。原著自身があまり厳密な議論をしておらず、冗長だったりするので、あれこれ考えても確定困難だから、憶測は止める。
 23. 31行目。「資源や許容限界の多次元空間」→「資源と耐性限界の超容積」。原文は、a hypervolume of resources and tolerance limits。tolerance limitsは、Hutchinsonのニッチ概念のところなので、生理的耐性を指している。また、n次元空間を仮構した場合に、それの或る領域を占めるのが、Hutchinsonのニッチを表現する超容積 hypervolumeである。
 24. 32行目。「「n個」の自然選択圧のセット」→「「n個」一組の自然淘汰圧」。

   以上。

 わが標語。<精密科学exact scienceは、精密思考exact thinkingから>。