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絵画の定義(集の一つ)

2012年03月27日 13時15分45秒 | 美術/絵画
2012年3月27日-5
絵画の定義(集の一つ)

絵画の定義1a:
 絵具がなんらかの物体の表面に分布しているものを、一つの個体と見なされたとき、かつ、そのときに限り、その個体は一つの絵画と『成る』。

 絵画とは、絵具のシステム物体である。
 絵具が或る不透明な物体の内部に(たとえば注射器によって)注入されたとき、その絵具という存在者は、人(=Homo sapiensに属する生物体)には(透過眼力を持つ者を除いて)見えない。見られない物体は絵画ではない。
 しかし、透明物体に注入すれば、見えるから、絵画とみなされ得る。その場合、かなり立体的にすることができる。たとえば正方体にあちこちから絵具を注入分布させれば、である。あるいは、アクリル透明板で直方体を作り、そのなかで絵具を浮遊させれば(どのようにしてかは、色々と方策があり、企業秘密事項である。ここで、すぱいが活躍する。相互に情報疎通過多気味になるほど、世界は平和であるかもしれない。たとえば、彩色鉄粉を磁力で操作する。あるいは、水を入れて、ゲル的に泳がせる。物真似泥棒は創造への第一歩である。模倣される作品は、その都度栄光が増す。)、これまた楽しい絵画となるかもしれない。
 またたとえば、天井から三枚のアクリル透明板が吊るされ、そこに絵具が付着していれば、絵画とみなされ得る。1m四方の透明板に、0.1mm直径の円状の白い絵具があったとしよう。それは、近づいて虫眼鏡で見れば認識できるとする。そのとき、それは絵画である。
 では、透明板を日本刀で傷をつけるとか、(可能だとして)切り裂くとか、ドリルで穴を開けるとする。それもまた、絵画である。支持体そのものが加工されれば、かつ認識されれば、それは絵画である。
 では、(大阪大学の人が開発したような)透明和紙を(たとえば風船形状にしてヘリウム気体を入れて)浮遊させる。見えないが、或る背景のもとでは見える。ならば、そのときそれは(通常の意味での絵具は存在していないが)絵画である。
 無いこと、欠落によって、存在する存在者。あるいは、この世界の構成素子とは、巨大な存在者の内部の、つまり構成体または構成場の欠落自体ではないのか。
 絵具概念の拡張。→加工。
 それはさておき、既製品 a ready-made (article) について考えることは、支持体製作者、絵具製作者、加工者、展示者、などの関係を考える好機となる。

 〔腹が減っては戦ができぬ……〕