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神智学文献1:リイドビーター『神秘的人間像』(今春聽 訳 1940)

2014年03月20日 09時49分03秒 | 秘教/オカルト科学
2014年3月20日-1
秘教文献4/神智学文献1:リイドビーター『神秘的人間像』(今春聽 訳 1940)
 
 神智学文献で初期に出版された訳本として、『神秘的人間像』という、今春聽(今東光の法名。1898~1977)によるものがある。
  リイドビーター,1902?(今春聽 訳 1940/11/10).
  神秘的人間像.[1}+4+18+12色彩図版+323pp.
  文曜書院.[定価 5.50円][Z19850614][Rh1985???? ]
  
それは、おそらく、『可視と不可視の人間:訓練された透視力によって見られた様々な型の人間の例』:
  Leadbeater, C.W. 1903[first edition:1902/12]. Man Visible and Invisible: Examples of Different Types of Men as Seen by Means of Trained Clairvoyance. [5+]144 pages+frontispiece+3 diagrams+22 color plates. John Lane: Bodley Head, New York.
[http://blavatskyarchives.com/theosophypdfs/leadbeater_man_visible_and_invisible_1903.pdf。画像ファイル。受信:2014年3月20日]
と同様の本文の1902年の初版か1903年版あたりの初期の版を底本として訳したものであろう。
 というのは、その本の10頁の4行目から7行目に、
  'those specially interested in the specially interested
  in the matter may be referred to Mrs. Besant's
  article upon Occult Chemistry in _Lucifer_ for
  November 1895.'
となっていて、この部分が今春聽の1940年訳本では訳出されているからである。
 ところで、
http://www.theosophicalsociety.co.uk/man-visible-and-invisible.pdf[受信:2014年3月19日]
からは、本文が画像ではなく、文字列がコピペできるPDFとなっている(日本の若者たちのコピペ文化(?)は、最近ますます血気盛んとなっているようである)。「Presented ?to ?you ?by ?www.DodoPublishing.com ?and www.MasterHilarion.com ?on ?behalf ?of ?the ?Winchester Theosophical Lodge」の表記が各頁にあって、頁番号づけは無くて、段落 paragraph 毎に通し番号がついている。これは、手元にある、
  Leadbeater, C.W. 1925[Eighth Adyar edition, 1971; Third Quest printing, 1980, (abridged)]. Man Visible and Invisible: Examples of Different Types of Men as Seen by Means of Trained Clairvoyance. 1 [frontispiece] color plate, [xii+] 126 pages, color plates I to XXV and 1[=XXVI]. A Quest Book. The Theosophical Publishing House. [B19850817] [$ ??.??]
と本文は同じで、「Mrs. Besant's article upon Occult Chemistry」の下りは無い。第2章冒頭の「In order to enunciate...」の1文も省かれている。
 この省略は、Occult Chemistryと題した本が後に出版されたからかもしれない。
 
 第2章の『The Planes of Nature 自然の諸界』の冒頭段落では、「最初に明瞭に把握されなければならない重要なことは、われわれを取り巻く世界の素晴らしい複雑さである。すなわち、日常の視覚の範囲内でもたらされるものを途方もなく越えるものを、〔訓練された透視力によるものは〕含んでいるという事実である。」[20140320試訳]と、述べている。
 下記の『神秘的人間像』(今春聽 訳 1940/11/10)からの引用では、旧漢字を新漢字に置き換え、現代かな使いに変更した。

  「玄妙化学(Occult chemistry)の示すところによれば、吾々の知
っているすべての物質は、瓦斯体よりも一層、高い程度の他の状態に
変形し得るのである。その状態をエーテル体と称して居る。科学で
エーテルと称しているものは、純一な或る種の「体」(4) でなくして、
   [〔302頁の註(4)。〕bodyは体と訳してあるが仏教の所謂、
    物の一定不変にして差別せる支分の所依根本という意味
    での体なのである。]
物質が或る状態に変形したもので、固形態とか瓦斯態とかいうよう
な変化に過ぎないのである。例えば水素を瓦斯体の代りに、エーテ
ル態とすることが出来る。また金や銀のような固形態を流動態に
も、また瓦斯態にも、またエーテル態にも、変ずることが出来るの
である。
 吾々の世界では、金のような元素は固形を常態とし、水銀は流動
体を常態とし、酸素のようなものは瓦斯体を常態として居る??そ
のようにエーテルを常態としている物質もある。それは或る特殊の
方法を用うれば瓦斯体となり、さらに他の方法に依ってはエーテルよ
りも微細な状態に変化させることも出来るのである。」
(今春聽 訳 1940/11『神秘的人間像』,14~15頁。)

  「 これまで述べて来たところの原子と称するものでさえ、単に物質
界の原子というに過ぎないので、尚その物質界の原子をも、ある方
法によって分割することが出来る。そうする時には、全く自然の、
別の世界に属する物質となり、熱を加えても膨張させることも出来
ず、また冷却しても収縮させることも出来ない物となるのである。
この高級な物質も決して単成なるものではなく、悉く複成のもので
ある。恰もそれは物質界の物質に固形、流動、瓦斯、エーテルの諸
体のあるように、その物質にも、それと類似の種々なる状態が存す
るのである。更に此の分割作用を継続する時に、別個の原子に到達
する。その原子の属する世界を、玄妙学では欲情界【アストラル・プレーン[「欲情界」にルビ]】(astral plane)
と称して居るのである。」
(今春聽 訳 1940/11『神秘的人間像』,18~19頁。)

  「神智学では、自然の、是等の異った区分をば屡々、界【プレーン[「界」にルビ]】(plane)と
いう名称で呼んでいる。何故なら、その各界を造っているところの
物質の密度の異った度合によって、一界は、他の界の上に重ってい
るように形成されるということは、吾々の研究の上に白く便利な点
があるからである。本書の(第二図)は此の様式によって描かれたも
のである。しかしながら此の様式は、単に便宜上、象徴として採用
されたものであって、実際には是等の諸界の相互関係を如実に表現
したものではないということを、明記しておかなければならない。
決して本棚のように一つずつ重っているのではなく、異った密度は
同一の空間を充し、互に穿入して居るものであるということを能く
記憶して置いて頂きたいのである。如何に堅い物質に於いても二個の
原子は決して接触していないということは、科学で能く知られてい
る事実である。常に各個の原子は、自由に活動し、振動する余地を
有って居るのである。それ故に原子間、分子間には如何なる事情の
下に於ても、常に空間を有して居るのである。物質界の各原子が、
欲情界の海に泛〔うか〕んでいるという謂は、物質を囲繞している欲情界の
物質は、この物質界の物質原子間の空隙を充填して居るということ
である。エーテルは最も緻密な固形体でも亦、最も稀薄な瓦斯体で
も、あらゆる物質に穿入しているということは一般に知悉されてい
るのであるが、そうしてより緻密な物質の分子間に、完全に、自由
に動いているように、欲情界の物質はエーテル間の分子の間に、自
由に穿入し、且つ動き廻っているのである。理智界の物質も同様に
欲情界の物質間に完全に、自由に穿入し且つ活動して居るのであ
る。そのように自然の、凡て是等の異った世界は、決して空間に於
て別な場所を占有しているのではない。悉く吾々の周囲に存在し、
現在、今、此所に在るのである。それ故に其等の異った物質を見た
り、研究するために、空間の他の場所へ行く必要はない。吾々が、
それを見ることが出来るように、吾々の有っているところの特殊の
感覚を鋭敏にさえすれば好いのである。」
(今春聽 訳 1940/11『神秘的人間像』,20~23頁。)