生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

鯉杉光敏 詩集/神々の戯れ(2)愛の火花

2010年08月12日 14時47分07秒 | 詩 poetry
2010年8月12日-4
鯉杉光敏 詩集/神々の戯れ(2)愛の火花
 
  
                    第一幕   
 
 
 
 
   愛の火花
 
  
表街道の悲哀を知り尽くした男と
裏街道の歓楽を味わい尽くした女が
ポツン ポツ念と
公園の石ベンチに
折りしも降る雨に濡れしょぐれて
手をたずさえるとき
この世の戦争は終わり
肩を組むとき
この世のしがらみは消え失せ
蒼然としたビルディングが群れなして
崩壊する
雨打つ音のガード下を
去り急ぐ男女の群れ
戯れに恋はすまじと
酔っぱらっていた呟きは
今しもドップラー効果の
電車に轢き殺される
急ぐまい
夜は
朝まで夜なのだ
バイ人たちは更けてからの
売り買いを嗚咽する
 
人生の歓喜と悲哀を奏で尽くした
かのような男女が一組
怱然と立ち現われては
去ってゆく
裏通りの裏通りに
今しもふり注ぐ光の束
惜しみなく自分を投げ捨てるとき
陽は束の光となって
そこに峻立している
日輪のなかの哀しみを
柄杓で汲み出したら
どうだろうと
ひねもす
うつら考えていた
雑踏の青年は
今しも
夜を毀そうと
さらに酔っぱらっていた
 
陶然と流れる雨粒が
海のように広がった
木の葉一枚
そこに映し出される
尽くしてしまったかのような男と
尽くされてしまったかのような女
 
   ☆   ☆   ☆
 
出会うは愛。
裏切りは愛。
別れは愛。
曲線のギザギザ。
白いなめらかさ。
うすぐろい細裂のすじ
にそってオンナは歩き
黒い小石ごと
粟粒をほおばる。
たとえ炎であったとしても
たとえ氷の刃であったとしても
みじろぎもせず
酒盃の一滴のように
のみほし
すする。
 
許し、わが身をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすへと
つなぐ。
 
 
出会うも愛。
裏切るも愛。
別れるもまた愛。
たどたどしい歩み。
オトコはたじろぐ。
つねに何事かであるように
なにごともなく
十年の夏が過ぎ
二十年の冬がこと切れる。
たとえ眼に見えず
たとえ耳に聴こえずとも
毒盃の一滴も残さず
最期の希望のように
身に浴び
そそぐ。
 
だが許し、わが魂をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすなきあすへと
つなぐ。
 
(オマエはまぶしすぎるほど)
(したたかに)
(さわやかだ)
(オレはココには)
(生きられない。)
(だからオレの影を)
(オマエに残しておこう。)
(その影をオマエが見つけるとき)
(もう一つの影がその上に)
(倒れている。)
(そして火花のにおいをそこに)
(確かめるだろう。)
 
   ☆   ☆   ☆
 
ひとしい朝
街が雑然と目覚めるとき
扉が開けられ
愚かしい一日をまた
積み重ねようと
エネルギーが充満発情する
 
ひとしい道
おしゃべりに没頭する
少女たちが
きらら
をこぼしながら
通り過ぎる
鬱蒼たる木洩れ火が
陰鬱の雲を散りばめて
そこかしこ射抜いている
 
  それもまた愛
  あるいは愛に満たされた裏切り
  わたし=わたしたち=映像の影
  ゆれはねて
  それゆえ 愛は
  生けるものたちの影をも つらぬき
  それゆえ 愛は
  世界を反転させ
  いのちを超えていく
 
  裏切りは
  己れを切り刻むゆえに
  ひとは愛を横切り 葬っていく
  切り刻みの果てに
  独り 世界を背負うことを
  あまねく 一個の火花になることを
  夢見る