2010年8月1日-1
渡辺政隆『一粒の柿の種』/ニセ科学/スピリチュアリズム、水の伝言
渡辺政隆(2008)『一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり』を拾い読み。主張の筋がわからない箇所がいくつかあった。文章表現または段落構成を変更して解釈すればわかるのかもしれない。
「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題であるが、テレビなどのスピリチュアルブームの影響は無視できない。」(渡辺 2008: 151頁)。
ここでの影響とは、何に対するどんな影響なのか、わからない。直前では、2007年に実施されたおよそ3000人を対象とした調査で、魂や霊魂の存在を信じるかどうかという質問をした答えの結果は、
男性 女性
ある 46.2% 38.4% 53.9%
わからない 32.4% ほぼ30% ほぼ30%
ない 21.4% 〔?〕 〔?〕
だと(151頁)紹介している。
さて、「テレビで公然とスピリチュアリズムが肯定されるというのは異常である」(151頁)とは、どういう意味からなのか? テレビ番組が人々の考えを多く反映しているとしたら、魂や霊魂の存在を信じる人が信じない人の2倍くらいだから、「公然と」(どういう意味なのか?)?、肯定されるのは異常(これもどういう意味なのだろう?)とは言えないだろう。
あるいは異常というのは、標本となった人々ではなく、科学的な立場からなのだろうか? しかし、「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題である」ならば、科学的立場からは何も言えないはずである。スピリチュアリズムという語で何を指しているのか説明または定義はなかったが、おそらくそれは、魂や霊魂の存在を肯定しているのであろう。とすると、魂や霊魂の存在を肯定する立場は、科学的ではないのだろうか? しかし、魂や霊魂については、渡辺政隆氏の考える科学では扱う対象ではないのだから、言外の仮定または主張があると推定するほかない。それは、読み取れなかった。
「スピリチュアリズムの流行は、水をめぐる悪しき言説へも波及している。……氷の結晶神話「水からの伝言」などはその一端だろう。……「水からの伝言」を道徳の教材に使用する動きはいまだに根絶されていないという。」(渡辺 2008: 152頁)。
「悪しき言説」とは、意味がわからない。「水からの伝言」の主張が、追試されて再現できなかったのであれば、その追試の種類と程度に反確証されたと言える(追試条件が同一かどうかの問題があるので、「その追試の種類と程度に」である。また、それを反確証だとみなすかどうかも、見解は様々であろう。→冷温核融合cold fusion追試または再現の問題(後述))。ならば、一般向けの本であっても、科学コミョニケーションに言及する本ならば、反確証したような文献を引用してほしい。岩波書店発行の『科学』(要、巻号特定;いずれ発掘する)で「水の伝言」が取り上げられた記事があったが、そこでは反確証した追試の引用は無かった。また、否定的に主張した人々は追試したわけでもなかったようである。
「科学者や科学報道に精通しているはずのジャーナリストのなかにも、タバコが肺癌の原因であることを認めようとしないヘビースモーカーは多い。」(153頁)。
疫学的方法は、相関関係を調べて原因を追求するのに有効な手段である。しかし、或る性質をもつ群〔集団〕ともたない群との比較をして差異を見つけた場合では、或る特定の人がたとえば20本/日以上の毒煙を肺に吸入しても、たとえば自分は煙草を吸っても肺癌にはならないような対策(緑黄野菜を取るとか)を取っているとか、あるいは喫煙による(実は嘘の効果でも)気分高揚で免疫が高まったりして、或る個人がして肺癌にはならないという信念を妨げない。
つまり、平均的全体の性質と特定個人の性質は、直接対応しないから、自分は喫煙によって肺癌にはならん、と思うのは、変ではないのである。或る一つの結果は、(生物体内での様々な日常的な恒常性維持作用を含めて)諸力が作用した結果である。
しかし、マウスの実験で咽頭部に損傷が生じるという結果があるらしいから、そして人にもそのような実験での作用結果が同様に適用できるとすれば(そう思う)、やはり、煙草の煙は有害であると思う。喫煙者自身が死ぬのは自由だとしても、受動喫煙の機会を皆無にするように社会的決定をすべきである。池田清彦氏(要出典)はそれは父権主義 paternalismだと言って国家的干渉を嫌うわけだが、むしろ、パターナリズムが意義ある数少ない適用例と言うべきだろう。むろん、喫煙禁止の強要はパターナリズム的だと言う必要は無い。
[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.viii+197頁.岩波書店.
渡辺政隆『一粒の柿の種』/ニセ科学/スピリチュアリズム、水の伝言
渡辺政隆(2008)『一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり』を拾い読み。主張の筋がわからない箇所がいくつかあった。文章表現または段落構成を変更して解釈すればわかるのかもしれない。
「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題であるが、テレビなどのスピリチュアルブームの影響は無視できない。」(渡辺 2008: 151頁)。
ここでの影響とは、何に対するどんな影響なのか、わからない。直前では、2007年に実施されたおよそ3000人を対象とした調査で、魂や霊魂の存在を信じるかどうかという質問をした答えの結果は、
男性 女性
ある 46.2% 38.4% 53.9%
わからない 32.4% ほぼ30% ほぼ30%
ない 21.4% 〔?〕 〔?〕
だと(151頁)紹介している。
さて、「テレビで公然とスピリチュアリズムが肯定されるというのは異常である」(151頁)とは、どういう意味からなのか? テレビ番組が人々の考えを多く反映しているとしたら、魂や霊魂の存在を信じる人が信じない人の2倍くらいだから、「公然と」(どういう意味なのか?)?、肯定されるのは異常(これもどういう意味なのだろう?)とは言えないだろう。
あるいは異常というのは、標本となった人々ではなく、科学的な立場からなのだろうか? しかし、「霊魂の存在云々は科学の埒外の問題である」ならば、科学的立場からは何も言えないはずである。スピリチュアリズムという語で何を指しているのか説明または定義はなかったが、おそらくそれは、魂や霊魂の存在を肯定しているのであろう。とすると、魂や霊魂の存在を肯定する立場は、科学的ではないのだろうか? しかし、魂や霊魂については、渡辺政隆氏の考える科学では扱う対象ではないのだから、言外の仮定または主張があると推定するほかない。それは、読み取れなかった。
「スピリチュアリズムの流行は、水をめぐる悪しき言説へも波及している。……氷の結晶神話「水からの伝言」などはその一端だろう。……「水からの伝言」を道徳の教材に使用する動きはいまだに根絶されていないという。」(渡辺 2008: 152頁)。
「悪しき言説」とは、意味がわからない。「水からの伝言」の主張が、追試されて再現できなかったのであれば、その追試の種類と程度に反確証されたと言える(追試条件が同一かどうかの問題があるので、「その追試の種類と程度に」である。また、それを反確証だとみなすかどうかも、見解は様々であろう。→冷温核融合cold fusion追試または再現の問題(後述))。ならば、一般向けの本であっても、科学コミョニケーションに言及する本ならば、反確証したような文献を引用してほしい。岩波書店発行の『科学』(要、巻号特定;いずれ発掘する)で「水の伝言」が取り上げられた記事があったが、そこでは反確証した追試の引用は無かった。また、否定的に主張した人々は追試したわけでもなかったようである。
「科学者や科学報道に精通しているはずのジャーナリストのなかにも、タバコが肺癌の原因であることを認めようとしないヘビースモーカーは多い。」(153頁)。
疫学的方法は、相関関係を調べて原因を追求するのに有効な手段である。しかし、或る性質をもつ群〔集団〕ともたない群との比較をして差異を見つけた場合では、或る特定の人がたとえば20本/日以上の毒煙を肺に吸入しても、たとえば自分は煙草を吸っても肺癌にはならないような対策(緑黄野菜を取るとか)を取っているとか、あるいは喫煙による(実は嘘の効果でも)気分高揚で免疫が高まったりして、或る個人がして肺癌にはならないという信念を妨げない。
つまり、平均的全体の性質と特定個人の性質は、直接対応しないから、自分は喫煙によって肺癌にはならん、と思うのは、変ではないのである。或る一つの結果は、(生物体内での様々な日常的な恒常性維持作用を含めて)諸力が作用した結果である。
しかし、マウスの実験で咽頭部に損傷が生じるという結果があるらしいから、そして人にもそのような実験での作用結果が同様に適用できるとすれば(そう思う)、やはり、煙草の煙は有害であると思う。喫煙者自身が死ぬのは自由だとしても、受動喫煙の機会を皆無にするように社会的決定をすべきである。池田清彦氏(要出典)はそれは父権主義 paternalismだと言って国家的干渉を嫌うわけだが、むしろ、パターナリズムが意義ある数少ない適用例と言うべきだろう。むろん、喫煙禁止の強要はパターナリズム的だと言う必要は無い。
[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.viii+197頁.岩波書店.