生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

2010年3月12日、札幌にて

2010年03月12日 22時09分35秒 | 美術/絵画
2010年3月12日、札幌にて

 ギャラリー エッセ。
 田村能里子“赫い季節風”展/札幌エスタ11階・プラニスホール/600円。日本画だとおもっていたら、油絵だった。
 抽象3人展。ギャラリー たぴお。てっきり(重い)鉄だとおもって、どうやって壁に掛けているのかと聞いたら、発泡スチロールを塗ったものとのこと。
 芸森の名品展/札幌芸術の森美術館/観覧無料。
 札幌市立大学デザイン学部デザイン学科 第1回卒業研究展。
 大黒淳一/音の彫刻展/CAI02 raum1。

見立て

2010年03月12日 21時52分26秒 | 美術/絵画
見立て

 進藤茂(2008: 112頁)は、
  やつし=姿を変える
  風流やつし=当世風に姿を変える
と定義する。一方、
  見立=異なるものを連想で結び付ける (114頁)
と定義している。
 116頁では、数学の関数論の用語を借りて、
  やつし=transformation
  見立=correspondence
としている。
 そして、やつしと見立は、「全く異なる概念で共通部分が無い」としている。

 さて、絵画に何が描かれているかと思う場合、具体的な物体の種類を言い当てようとしている。抽象の場合でも、内面の感情が描かれていると言うかもしれない。後者の場合は、感情の種類と程度または状態を、何らかの形か色で、あいるは両方で代わって表出していることになる。
代理である。それは、その人の表現体系での選択である。もちろん、その体系はその人個人の置かれてきた経験などによってなんらかの程度に規定または影響されている。
 さて、確かに、見立てるとは、何かのaを何かの種類Bに対応づけること、つまりBという種類に同定するということである。aは個物(たとえば輪郭を持つなどの一定のパターンの絵具の配置)であり、Bは同定のためのカテゴリー(名義尺度の変数)である。
  aは、Bに属する。[a ∈ B]
 ただし、絵画の場合、人によっては、Bに属する特定の、そこにある物体だと見立てるかもしれない。何のために? その絵画がわかった気持ちになるため? 作者はこれこれの気持ちや感情をこの絵の込めました、とかの説明があると納得して、得した気分になる?
 というわけで、抽象絵画はわからない。何が描いてあるのかが、同定できないから。

 ちょっと脱線。
  妬まない、怒らない、愚痴らない。(カツマーの第一目標)
 難しいけど、実入りは大きいに違いない。

 ところで、デフレ脱却が問題なのではない。
 いつもニコニコ、現金払い。さらには現物決算。→物物交換。
 暴走を制御するために、貨幣経済を縮小すること。

[N]
人間文化研究機構国文学研究資料館(編).2008.3.図説「見立」と「やつし」:日本文化の表現技法.viii+226+26pp.八木書店.[ISBN 9784840696685 / 9,800円+税].

ゲーテ色彩論関係本

2010年03月12日 00時24分37秒 | 美術/絵画
ゲーテ色彩論関係本

[G]
ゲーテ,ヨーハン・ヴォルフガング・フォン.(高橋義人・前田富士男・南大路振一・嶋田洋一郎・中島芳郎訳 1999.12)色彩論【完訳版】.工作舎.[ISBN 9784568201574 / 25,000円+税].

[S]
シュタイナー,ルドルフ.1929.(高橋巖訳 1986.11)色彩の本質.1+103pp.イザラ書房.[1,900円]〔(西川隆範訳 2005.12)色彩の本質・色彩の秘密.イザラ書房 [ISBN 9784756500960]があるようだ〕.