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かりんとうの小部屋Z

このブログでは趣味や仕事や生活について、まったりと語っています。

りつめいどこへゆく

2006年04月12日 21時35分13秒 | むかしばなし
高校の校風が、とっても古臭かったので、新しい感覚をもった大学に行こうと思って
りつめいにいったのですが。
全然大学改革のスピードについてゆけなかったですたい。
なんか、異常だった。いまも異常が続いてると思うけど。
学生をおいてけ堀にしてどんどんどんどん変えるわ変えるわ・・・
(一番とりのこされてたのが文学部か?

今後どうなっていくんだろう。
日本がなくなってもこの大学だけはなくならないような気がする。今のところ。

男らしさと人は言う

2006年03月31日 23時04分31秒 | むかしばなし
人生のはじめのはじめで拒否した。
小さい頃から男らしいとか女らしいとかそういう分け方をされるのが嫌いでした。
男の子がみんな青い服を着ている!僕もきなけりゃいけないのか、ヤダナア・・
どうしてそんな分け方するの・・・青いものを身につけるのが耐えがたい苦痛で、
好きな色は中性的な緑とかきいろとか。徹底して男イメージを避けた。

自分の呼び方・・
幼稚園ぐらいからみんな自分を「おれ」っていった。
自分もまねして言ってみたけど、背中がぞくぞくってしてすぐやめた。
「僕」って言うのも恥ずかしくなっちゃって・・
おれもぼくも言えない。わたしも使えない・・
自分を指す言葉をずっとなくしてた。
大変つらいこと。だった。

車とか乗り物とかロボットとか
全く興味がなかった。幼稚園の時、卒園製作で絵本を書いた。
僕をのぞく男の子はみんなロボット、機械ネタだった。
腹立ちや!
そんなロボットがすきならロボットになれ!つぶやいた。
ちなみに僕は、「ある日あひるが家出する話」でした。
ある日とあひるが似ていたので思いつきました。
今と思考パターン同じです。

僕は今でも全く男らしくありません。男らしく生きたいなんて毛ほども思っていません。
僕にとって「男をひきうける」ってことはとっても重荷だったんです。今でも。
それがいいことかどうかはわかりません。わからないまま生きるでしょう。これからも。

女装でもしてみよっか?
男でも女でもなくなる瞬間ていいなとおもってるから。女装ってそれが叶いますよね。
でもたぶんしない。解決しない苦しみを負ったまま何もできずに手をこまねいてこのまま。

2度も私をあざむいて

2006年03月20日 22時44分30秒 | むかしばなし
APUの企画をはじめにしようと言ったカグラ部仮名Aちゃんの話。
企画立ち上げ2ヶ月ぐらいで彼女はくじけた。おもいっきしくじけた。
「かりんとうさん・・・APUの学生センターに話をもっていったんですけど、
全然とりあってくれなかったんです・・・」
「神○部のメンバーに話をしたんですけど、みんな聞いてくれなくて・・」
もうだめだから私は降りたい、この企画もなかったことにしたい、と言い出した。
もしかりんとうさんがやりたいなら私抜きで勝手にやってください、とも言った。
APUの学生センターは厳しく、手におえないと涙ながらに言ってた。
毎日のように電話して毎日こんな感じだった。ヒドイネ。
そんときはああ、大変なんだなと単純に僕は思いましたが、
後で気付きました。これらはみんな嘘なんじゃないかな?って。
(多分嘘でした。)
神楽の人にあとで話を聞いたら、Aちゃんから企画の相談を受けたことは一度もないって
いうし、学生センターのひとも、僕の話を初耳~ってかんじで聞いてたし。

どうも彼女は自分がやばくなると簡単に人を裏切るらしいこともあとで聞いた。

でもあんまり彼女を企画の外には出したくなかったんだな、わたしゃ。なんでだろ。
やっぱり発起人をカヤの外に追い出すのはなんとなくしのびなかったからかな。
まあ、彼女が魅力的っだったてのもあるけど。
裏切られても、憎めない子だった。

結局彼女を切るしかなくて、他の交渉人を紹介してもらうことを条件に
企画から降りてもらったんだが、もしあのまま彼女をかばってたら
沈没してただろうな。絶対。

APUが終わってからも彼女との交信はなぜか続いた。
そのあともういっかい、「ああ、またダマサレタ-」のがあったんだけど。
それはまた別の話。

この前携帯をかえたのを知らせなかったから、もう多分話しすることないだろうな。
・・ちょっとさみしい

何の話かさっぱりわからない人ごめんなさい。
大学時代の話なので・・・ご勘弁を


ゼンリンさん

2006年03月15日 21時41分43秒 | むかしばなし
去年1ヶ月だけ、住宅地図のゼンリンでアルバイトをしました。
しごとは、「地図作成のための調査」です。
前回の地図と地形が変わっていないか、新しい建物は建っていないか、
民家の場合、家主がかわっていないか、番地に誤りはないかなどを歩いて
調べるのです。
表札がない家は、必ずききとり調査をしなければなりません。
何度も不審がられて追い返されましたよ、「誰だお前は。サッサと帰れー!」みたいな
こと言われて。

でもこの仕事は嫌いじゃなかったですね。というか、宇都宮駐在の人たちが
みんないい人ばかりだったので、とても楽しかったんです。
ずっと、仕事に対して、「労働は神から与えられた罰だ」のような考えを
もっていた私でしたが、ここで初めて、仕事ってたのしいかもと思えました。
毎日毎日歩いて歩いて大変でしたが、ここでの経験はとても貴重なものになりました。
宇都宮駐在のひとにまた会いたいです。みなさん元気かなあ。

ゼミなき子

2006年03月13日 22時25分04秒 | むかしばなし
4回生の時のゼミの先生は、5月にイギリスにいったきり戻ってきませんでした。
中間発表も経過報告もなんにもしなくていいー(ラッキー!)
ので、締め切り2週間前まで全くの白紙!なんもかいてない!あはあは!!
でした。
多分僕が卒業できたのは先生がいなかったおかげです。ありがとう!


前世の話

2006年03月03日 21時32分07秒 | むかしばなし
私の前世は女性です。
70年代半ばまで生きましたが事故で死にました。
まだ、20代だったんです。

小さな港町が彼女のふるさとです。
工業化の流れにうまくのっかって、海辺に工場が立ちならびました。

そんな町で彼女は青春期を過ごしました。

高校を卒業して、あこがれだった東京の大学に入ります。
狭い路地の裏側にある小さな下宿屋の二階で毎日楽しく暮らしていたようです。
ま、多少「すれ」ましたが。
二階から、路地をゆく人々を見るのが大好きだった。

事故は唐突で、彼女の記憶には残っていません。
道を歩いていて、うしろから突然「何か」が来たんです。
ふっ、と後ろを振り向いて・・振り向こうとして・・そこで記憶は終わりです。

というのが私の前世です。


これは、当然フィクションです。が、
単なるフィクションではなくて、
自分自身で説明がつかないいろんなもの、たとえば
「どうしてこんなものが怖いんだろう、苦手なんだろう」
「なんでこんなものがすきなんだ、こだわるんだ、懐かしく感じるんだ」
というような「ずっとこころにひっかかっていたこと」を集めて作ったものです。


自分の恐れ、嗜好、感情は前に生きていた女性から引き継いだものではないのだろうか。

なんというか自分はいつもその女性と併走しながら
生きているような気がするんです。
彼女がたどりつけなかったゴールにじぶんはなんとしてでも
行かなくては。と思うんです。

私の脳みそは半分くさっているのかもしれませんが、
意外と正気なんです。
これでいいんです。
思考は無限ですから。