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かりんとうの小部屋Z

このブログでは趣味や仕事や生活について、まったりと語っています。

大学初日

2019年03月10日 14時59分34秒 | むかしばなし
入学式の後、クラスごとにオリエンテーションがあった。
「なるほど、これからクラス単位で動くのか」と
思っていたら、翌日の予定などは言われず、急にオリエンは終了。
びっくりした
放りだされた気分。何をすればいいかわからず「はぁ?」という感じ。
そこでわかった。自分で動かないといけないんだと。
すぐ学生課に行って、どうすればいいか聞いて、何とか学生生活をスタートできた。

今専門学校で働いてて、びっくりするぐらいの構いように驚いている。
専門卒の職員が多いので、大学のシステムを聞いたらびっくりするだろうな。

猩々とその周辺のこと

2012年06月06日 12時53分25秒 | むかしばなし
猩々をやっていた頃のことを誰かに話したことはない。
ほぼ記憶から焼却してしまった。
ただ、忘れられないのは、あの明科の夜のこと、
そしてそれからの落ち窪んだ日々のことである。

5月に連盟の土蜘蛛があって、そのあと、その土蜘蛛を
小学生に見せるために長野県の明科に出張した。
そして明科に行った晩、先生と夕食を食べた。
何かしら先生から小言をもらうのは、昔からあったことらしいので、
それなりに心構えはしていたんだけど。
まあ「ヘタクソ!」とか「ダメだ!」とか言われるかなーと
思っていた。
そして、自分が言われた言葉は、「卑怯者!」だった。
土蜘蛛での地頭としての態度について、らしい。
ショックだった。なるほどね。はぁ、確かにほめられたものでは
なかったかもしれない。でも自分だけが悪いのか?
あと、結局それって4年間の評価ですよね。
4年間いろいろやってきたけど、1点の評価ももらえず
卑怯よばわりされて終わりか。
何だ、先生も表面しか見られないのか。先生の中で
自分は何の心もない卑怯者だったのね。
そう思ったら、今まで色々自分なりに頑張ってきたことが
バカらしくなっちゃって。もういいや、って気になった。
それは6月か7月だったけど、そこから11月まで気持ちは回復せず
消化不良で終わってしまった。
きっと先生は発破をかけるつもりで言ったのだとおもうけど、
それを受けとめられるほど自分は強くなかった。打たれづよいと
思っていたのかもしれないけど、そんなことはなかったし、
心折れるには十分だった。
そして折れてしまった心をどうすることもできず、
消えた火を再びつけることはできなかった。
自分の中ではいい思い出じゃない。積極的に忘れたい。


先生にお会いしてもなんともいえない気持ちになる。
とりあえず近くにはいないようにしようといつも思っている。
おそれと不信が半々ずつ、消えずに残っている。

※これは先生を誹謗するための文ではありません。
また自分を正当化するものでもありません。
ただあの頃の自分を率直に書いてみただけのものです。

んじゅうだい

2009年05月25日 19時27分31秒 | むかしばなし
んじゅうだい

決して立派に生きてきたわけじゃないけれど、

毎日毎日馬鹿だ、とかお前のこと殴りたいとか

そういうことを言われ続けて、でもあまり泣き言も言わ

ずある程度それも運命だと受けいれ、耐えてここまで来

た結果、自分は人に対してほとんど優しさを見せられな

くなってしまった気がする。自分より低いレベルで悩ん

でる人が許せなかったり、どうして谷底に落とされては

いあがる強さをもてないんだろうと思ったり。

そんなんじゅうだいだった。

クラブ活動

2007年07月12日 12時32分36秒 | むかしばなし
中学・高校は陸上部だった。
高校は失敗した。迷わず入部して迷わず退部した。高校のスポーツやるには体力・気力が足りなかった。
高校は、文化部に入ればよかったと後悔した。茶道か、合唱か。

その反省は大学でいかされた(?)。
即決せず、かなり慎重に決めた。入学式後にもらった100枚以上のサークルビラとにらめっこして、
結局3つ選んだ。
能楽部と、
雅楽会と、
聖書研究会である。

聖書研究会に入っていたことは誰も知るまい。
このサークルは、長続きせずやめた。続けていてもよかったかも。週1だったし。でもなんか後ろめたかったの。

雅楽会は、部の発足に関わって、そのあとやめた。

結局続けたのは能楽部だけ。
どうしてやめなかったのか不思議だが、まあ、続けてよかった!

おわり。