中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

ギザジュウ

2005年05月30日 | 日常
10円硬貨のふちにぎざぎざのついた、いわゆる「ギザジュウ」。価値があるからとの話を聞き、しばらく溜め込んだことのある人もいるのではないだろうか。ある世代以上の人は特に。

かくいう自分も小学生の頃、その噂を真に受け友達と収集数を競った思い出がある。いや、ここで正直に告白しておくと、これは思い出には終わっておらず実はいまも続いていたりするのだが…

今となっては額面金額以上の価値がないこと十分承知しているのだが、それでも継続している理由は、小学生からの始めた継続的な行為をなんとなく止められない、と言う部分がひとつ。あとは、一種のノスタルジーというか、思い入れの部分だろうか。いい年した大人がある意味恥ずかしいけれど…

この「ギザジュウ」、発行されたのは昭和26年から33年まで約8年(昭和31年は製造していないので、その意味では7年間)。そう、自分が生まれる遥か昔に作られ、これまで半世紀、世間のどこかでずっと使われつづけていたのだ。そう考えるとそれを手の平に握り締めたとき、なぜかそのまま自分の手元に置いておきたくなってしまう。

ギザジュウ収集歴20年以上の経験からして、さすがに最近、この硬貨を手にする機会がめっきり減った感がある。集め始めた小学生の頃は、数日に1回は目にする、くらいだったと記憶するが、今は年に数度、といったところだろう。発行から半世紀近く経過していれば、年々その数が減っていくのはあたりまえのことだ。そしてまた、これがギザジュウ集めの楽しみ、でもある。日々希少化しているものがふと手の中に舞い込むことの楽しさ。ちょっと格好つけ過ぎかもしれないが。

ネットで検索をかけるとやはり、というかギザジュウ専門サイトというものが見つかった。発行枚数等結構情報豊富なので、少しでも集めた「前科」のある人は一度参照あれ。(Googleを「ギザジュウ」で検索すればすぐに見つる)

先日、20数年の蓄積結果を数えてみたところ合計483枚、4830円相当を「留めて」いることがわかった。期間と数を考えると、なんだかプロ野球のホームラン記録みたいだ。

このささやかな楽しみについて、一つだけ悩みがある。もしも自分が突然の不幸に見舞われた場合、遺品整理で瓶に詰まった10円玉をみた家族はどう思うか。「この人はまだあんな噂を信じていたなんて…」遺族に余計な涙を流させてしまいそうだ…

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