9月5日現在、安保関連法案は参議院で審議中で、その成立は必ずしも不可避とは言えない状況である。自公政権が来年の参院選への影響を考え、60日ルールなどの強行採決を避ける姿勢を見せているためだ。野党が内閣不信任案等で抵抗すれば、廃案に持ち込める可能性もゼロではなくなった。そういった状況の中での8.30安保法案国会前抗議行動は、全国規模での抗議活動と同時に、それ以前からの国会前抗議行動と比べ、格段に大規模に行われた。
当然のことだが、デモはその場に居合わせた者以外には、それを直接伝えることはできない。デモ参加者やその支援者はネット等で広範囲に伝達しようと努力はしているが、限界があり、マスメディアの報道にはかなわない。結局のところ、マスメディアの報道の仕方で「世論」なるもの、突き詰めれば内閣支持率に大きく影響する。では、実際にマスメディアはどう報道したのか?
新聞はその報道方針によって、明らかに違いが出た。法案に批判的な東京、毎日、朝日は一面で大きく扱い、当然のように、法案に賛成の産経、読売は社会面の小さな扱いとなった。この辺の状況は、毎日新聞の「メディア万華鏡」(2015.9.4付)が詳しい。その中で、テレビ報道についても、主要なニュース番組、テレ朝「報道ステーション」、TBS「NEWS23」、NHK「ニュース7」「ニュースウオッチ9」、日テレ「NEWS ZERO」、フジ「みんなのニュース」でも、系列の各新聞社と同様な傾向があり、安保法案に批判的なテレ朝、TBSと、賛成の日テレ、フジの各ニュース番組で差が出ていると記している。勿論、安倍晋三の「お友達」である籾井勝人が会長のNHKが、申し訳程度にしか放送しなかったことは予想されたことだが、実際の民放の報道の仕方は、各テレビ局で違いがありながら、これまでのデモの扱いと比べ、8.30には若干の違いが出てきている。テレ朝「報道ステーション」、TBS「NEWS23」だけでなく、日テレ「真相報道バンキシャ!」でも、参加者のインタビューが報じられている。特に、組織の参加者や高齢者だけでなく、個人参加者や若年層も多く見られること、また、創価学会員までもが参加していると報じられていた。これらのことは、系列新聞社の意向だけでは、テレビは制作されないことを示しているのだろう。例え、読売新聞は小さな扱いで報道したいとしても、系列の日テレは視聴者の意向を無視することはできないからだ。安保法案には、賛成よりも反対ないし懐疑的な意見の方が多いというのは、各世論調査で明らかになっている。そこで、大規模な反対デモをあまり無視する訳にはいかないというのは、視聴率を考えれば当然なことだ。
デモの規模を表すのに、最も簡単なのは参加人数である。8.30では主催者は12万人と言い、最近ではなかった警察発表が今回に限りあり、3万人程度だと言う。では、実際にはどうであったのか? 面白いことに、安倍政権支持派の産経新聞は、国会前空撮写真から割り出して、3万2千人以下だとしている。「面白いことに」というのは、むしろこの記事が3万2千人どころか、その数倍のデモ参加者が国会周辺にいたことを証明しているからだ。産経新聞は国会正門に垂直に交差する道路だけの写真を使って、そこにいたのは3万人程度だとしている。実はこの写真に写っているのは参加者の一部に過ぎない。実際のデモ参加者は国会を四方から取り囲み、さらに霞が関、日比谷公園まで、ところどこで一か所あたり数千人で集会を開き、抗議行動をしていたからだ。さらに、どこに行っていいか分からず、国会周辺の道路全体に法案反対の意思表示をしながら歩いていた人びとがいたし、地下鉄の国会議事堂前駅からは、警察が規制線を張っているので、中々進まず、国会前にたどり着けない多くの人びとがいたからだ。つまり、産経新聞の写真に写っていない人びとが数倍いたということを、逆に産経新聞は証明していることになる。産経新聞は愚かにもその意図に反し、警察発表の数倍の参加者がいたことを証明したのである。もし仮に、国会正門前にだけ限れば3万人で、嘘はついていないと主張したいのなら、正直にその周りについては知らないと書くべきである。しかし、このようなことは驚くに当たらない。都合の悪いことはないことにするという、産経新聞がよって立つ、極右歴史修正主義の常套手段だからだ。恐らく、産経新聞の記者全員が歴史修正主義者ではないだろうから、書いた記者は事実と異なることを承知しながらも、「白いものも都合が悪いから黒」というように、上から書かされたのだろう。デモの現場に実際には行ってないとしても、国会正門前以外にデモ参加者はいないなどとは誰も考えないからだ。産経新聞記者は、良心の痛みは感じるのだろうが、給料をもらっている以上仕方がないと割り切っているのだろうか。
今回のデモの参加人数が正確に12万人いた、と言っているわけではない。12万という数は、主催者が参加組織の予定人員と、ある程度の実カウント人数から推計したものに過ぎないからだ。これは、1月に起きたシャルリー・エブド紙襲撃へのパリでの追悼デモが100万人と報道されていることと同じことだ。(これについては、産経新聞も実際にはそんなにいないとは、一行も書いてはいない。警察発表が何人とも書いてはいない。産経新聞にとって都合が良くも悪くもないためである。)これは、本当に100万人のデモがあったという意味ではない。そのくらいの大規模なデモがあったという意味である。要するに、およそどのぐらいの規模のデモがあったかの目安としての数字なのである。8月30日に国会周辺で、60年安保以来の大規模なデモがあったという意味なのである。だからこそ、主要なテレビ局は無視することができなきなかったのだ。
大阪市長の橋下徹がツイッターで「たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて、民主主義の否定だ」と書き込んだ(毎日新聞2015.8.31)。自らに権力を独占したい橋下らしく、デモに対する嫌悪感がにじみ出ている発言である。橋下が言わなくとも、デモで「国家の意思が決まる」ことなどありえない。しかし、影響力はゼロではないのだ。安保関連法案を廃案に持ち込めるかどうか、それは、次の世論調査での内閣支持率の動きによるだろう。「国家の意思」ではなく、国民の意識にどれだけ、デモが影響を与えることができるのかにかかっている。第2、第3の大規模デモが必要なのは言うまでもない。