「両手に銃と刀をを持ち、暴力反対」に等しい馬鹿馬鹿しさ
5月19日から、G7広島サミットが開催された。G7首脳らは、岸田首相の案内の下、平和記念資料館を視察し、原爆死亡者慰霊碑に厳かに献花する様子を世界に向けて発信した。G7があたかも、平和を求め、核兵器廃絶に努力しているかのように見せつけた。岸田首相は、米誌タイムズに一時掲載された言葉「軍事大国化する日本」を払拭するかのように、議長国として被爆地広島を開催地に選び、平和を希求するG7をアピールしようとしていることが窺える。しかしそれはすべて、メディア向けの演出に過ぎない。
G7は軍事大国
G7各国は軍事大国の集まりでもある。英国国際戦略研究所の『ミリタリー・バランス』 によれば、世界の軍事費ランキング2021年10以内に、1位米国、4位英国、6位フランス、7位ドイツ、8位日本とG7は5ヶ国も入り、11位イタリア社会、13位カナダと続いている。また、G7全体のGDPは、世界シェアの44%だが、軍事費では52%と、GDPよりも軍事支出の割合の方が異常に大きいのである。
この軍事大国の集まりが、世界平和をアピールするというのだから、「両手に銃と刀をを持ち、暴力反対」と言っているに等しい。
そもそも、原爆を投下したのは、アメリカ政府であるし、そのことをアメリカ政府は、一度たりとも、謝罪したこともないし、反省を口にしたこともなく、今でも、この核兵器使用を正当な行為と公言してはばからないのである。
核兵器を廃絶する気など、さらさらないG7各国
G7各国は、3か国が核保有国であるし、4ヶ国は主にアメリカの核の傘による安全保障政策を実施している。G7各国すべてが、核兵器による安全保障上の抑止政策を採用しているのである。これは、現に戦争をしているロシアと台頭する中国を念頭に、通常兵器と核による抑止論を採用しており、G7の中で核兵器禁止条約の締約国は一つもない。その上、堂々と「われわれの安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争と威圧を防止すべきとの理解に基づく」という「G7広島ビジョン」なるものを発表している。自分たち以外の核兵器は危険だが、自分たちの核兵器は「戦争と威圧を防止」するので保有は必要だと宣言しているのである。核兵器を廃絶する気など、さらさらないのは明白である。
G7各国の抑止論
G7各国に限らず、中ロを含め、多くの国が、強大な軍事力が、仮想敵国の自国への侵攻を防ぐ最善の方法であるという安全保障政策を採用している。それが、抑止論である。日本で言えば、中国、北朝鮮の日本への侵攻を抑止するために、軍事力のさらなる強化を日本政府は進めているが、その理屈の上では、あくまで戦争を抑止するためであって、戦争を望む、ということではない。平和を守るために、強大な軍事力が必要だ、ということである。強大な軍事力があれば、敵と見なす相手国は、侵攻すれば自国の多大な損害が予想できるので、侵攻する意思を失うはずだ、という理屈である。それによって、戦争は未然に防ぐことができる、というものである。
ロシアとウクライナに当てはめれば、もしウクライナがNATOに加盟していれば、米軍を中心とした強大な軍事力の反撃が予想されるので、ロシアは侵攻を辞めたはずだ、ということになる。ロシアの侵攻を恐れたスウェーデンやフィンランドが、NATO加盟を選択したのも、その理屈による。
それは当然のように、通常兵器にだけではなく、核兵器にも適用される。敵と見なす相手国の中・ロが核保有国なのだから、その攻撃を抑止するために、核保有は放棄できない、ということになり、G7各国も核兵器禁止条約などは締約しない。そもそも、通常兵器の戦争が核戦争の危険を増大させるのであり、核兵器だけを問題にしても意味をなさない。ロシアが核使用の脅しをちらつかせたが、それも通常兵器で戦争をしているからである。アメリカの原爆投下も、通常兵器の戦争中に実行されたのである。通常兵器を使わず、核兵器だけの戦争などないのである。世界中、核保有国は強大な通常兵器の軍事大国でもあるのも、そのためである。
しかし、この抑止論が戦争へのリスクを高める軍拡競争を招くことは、部分的には抑止論を肯定する国際関係論の専門家にも、広く認識されている(例えば、藤原帰一東大名誉教授等にも)。一方の抑止論に基づく軍事力強化は、相手国の脅威と認識され、相手国も軍事力強化に進むからである。アメリカの強大な軍事力は、敵視されている国からは脅威であり、それらの国は軍事力強化を図る。すると、それを脅威と認識するので、それ対して、さらにアメリカとその同盟国は、軍事力強化を図る。中国や北朝鮮が軍事力を強化しているのもそのためである。それは、どちらが先に軍事力強化に進んだかは、相手側を相互に脅威と認識したためであり、どちらが先かなどは意味を持たない。相手方が認識する脅威をお互いに無視しているのであり、悪循環に陥っただけのことである。
ロシアの場合も、ロシア国境まで迫ったNATOの東方拡大は、ロシアにとっては脅威であり、狂気とも言うべきロシア側の軍事侵攻を誘引している。西側は、そのロシア側が認識している脅威を完全に無視しているだけである。
また、「ウクライナのNATO加盟が早ければ、ロシアは侵攻しなかった」という主張は、その前の加盟の動きの段階で、ロシア側の軍事侵攻を誘発することになり、もっと以前にロシアは侵攻を開始しただろう、ということにしか結びつかない。
世界を敵と味方で区分すれば、戦争は必至
このところ度々使われる言葉に「権威主義」がある。この言葉の使い方は、「権威主義」本来の意味はさておき、バイデン流の西側は「民主主義国」であり、主に中・ロは「権威主義国」と世界を二分した、そのように使われる「権威主義」である。それは、西側と中・ロの「どちらに付くのか」とそれ以外の主にグローバルサウスに属する国々に選択を迫るとともに、西側の結束を促すために使われる。
この「民主主義」も、西側政治指導者とそれに追随する「知識人」が、自分たちの国は「民主主義国」だと自画自賛しているに過ぎず、「人民による統治」というリンカーンの言葉でも表現されている真の意味と同じではない。西側の統治は、バーニー・サンダースが言うように、「寡頭政治家は米国も運営しています。それは米国だけではなく、ロシアだけでもありません。ヨーロッパ、英国、世界中で、少数の信じられないほど裕福な人々が自分たちに有利に物事を進めている(英紙ガーディアンのインタビュー)」のが実態である。
当然、この区別は、「民主主義国」=善、「権威主義国」=悪、という意味を持つ。これは極めて効果的に、中・ロは悪であり、それと対峙する西側は善というように、人びとに刷り込まれる。軍事分野では、西側の核兵器は、防衛のための善であり、放棄すれば、悪の核兵器を持つ中・ロに有利となるので、放棄してはならないし、アメリカが世界に強大な軍事力を展開しても、それは善であり、中国が対抗して軍事力を拡大することは、悪となる。経済分野では、西側が何をやろうとそのルールは善であり、中・ロが影響力を行使するルールは、悪である。このように、知らず知らずのうちに人びとは思い込むのである。日本でいつの間にか、憲法9条改変が多数意見になったのも、日本の軍事力拡大は、悪い中国(と北朝鮮)から善い日本を守るため、と認識されるようになったことが大きい。通常の心理において、「悪い国と話し合え」とはならず、「悪い国は警戒しろ」となるのは、ごく自然である。当然、「警戒しろ」が、軍事力強化につながる。
さらにたちの悪いことに、この「民主主義対権威主義」の区分は、西側の政治権力を擁護する右派勢力だけではなく、いわゆる「リベラル」や社会民主主義的左派にまで、深く浸透し始めていることである。それは例えば、自民党を擁護する右派の読売新聞や産経新聞だけではなく、リベラル右派(リベラルは政治的左右とは別の概念であり、リベラルの中に左派と右派が存在する。)の朝日新聞(この新聞が新自由主義を肯定的に扱っていることを見れば、右派に属するのが理解できるだろう。)が、ここ数年来、徹底して掲げている反中国の論調は「民主主義対権威主義」に基づいていることにも表れている。
またそれは、ロシアの軍事侵攻をウクライナへの軍事支援だけで対応する、多くの西側諸国の姿勢にも大きく影響している。西側諸国の主要メディアは、ロシアの軍事侵攻をプーチン政権が西側からの「民主主義」の浸透を嫌ったことも大きな要因だとする論調で貫かれている。ここには、明らかに「民主主義対権威主義の闘い」だとするバイデンの主張が見て取れる。ロシアを「やっつける」ことが、「民主主義」になってしまっているのである。だから、ロシアを敗北させないことは「民主主義」に反し、現時点での停戦などしてはならない、という主張に結びつく。西側諸国の圧倒的多数の政治勢力が、ウクライナへの軍事支援を優先する政策を支持する大きな圧力ともなっているのである。
当然それは、ロシアより強大な「権威主義国」の中国を「やっつけろ」という次の戦争への備えに通じる。それが、西側諸国が軍事力強化を進めなくてなという強い衝動になって現れているのである。
はっきり書かなければならないが、西側の中でアメリカとの軍事同盟そのもの、NATOや日本で言えば日米安保そのものに反対する勢力は、平和主義者の一部、左派の一部ににしかいない。「民主主義対権威主義」の区分が、「リベラル」や社会民主主義的左派にまで浸透していることが、少数の者しか、ウクライナへの軍事支援に反対しない現実を作り上げているのである。
偽善と欺瞞だらけのG7
G7は、原爆投下地の広島を開催地に選び、可能な限りの平和への希求を演出した。そして、ゼレンスキーを参加させ、グローバルサウスのインドやブラジル等を招待した。それはロシア・中国との対決を、西側だけでなく、グローバルサウスも西側の隊列に加わるよう促す狙いである。しかし、インドのモディもブラジルのルーラも、G7の言いなりにはならず、中・ロと西側との中立を保つ姿勢は崩さなかった。招待国インドネシアの有力紙「コンパス」も「世界で重要性を失ったG7」「米国の野心に彩られている」と記し、同ベトナムの首相ファン・ミン・チンも「ベトナムはどちらか一方を選ぶのではなく、正義と平等を選択する」とサミット会場で演説したのである。グローバルサウスは、G7の偽善と欺瞞を、とっくに見抜いているのである。
核戦争のリスクを高めるG7
G7の最中に、アメリカのバイデンは、F16戦闘機のウクライナへの提供を容認した。それもG7の偽善を物語っている。確かに、NATOの協力な軍事支援によって、数年後か十数年後かには、ウクライナ領土からロシア軍を駆逐できるかもしれない。その間に、ウクライナ・ロシア両者に膨大な数の死者を生むことになるが、また、ウクライナは破壊尽くされるだろうが、それでも、ロシアよりはるかに強大な西側の通常兵器の軍事力をもってすれば可能だろう。しかし、ウクライナからロシア軍を駆逐しても、ロシア側の攻撃能力は、ロシア本土からのものであり、攻撃能力は残り続ける。だから、一部の反ロシア東欧首脳の「第二次大戦のドイツのように完膚なきまで叩き潰さないと、ロシアの脅威はなくならない」という声が出るのである。それは、ロシアの脅威をことさら唱え続ける限り、消えることはない。それをロシア側から見れば、西側はロシアを壊滅させようとしていると映る。その時は、ロシア側は西側に負けない兵器に頼るという選択肢を選ぶだろう。勿論、それは核兵器である。
岸田首相はバンバンザイ
しかしそれでも、G7の演出に努力した岸田首相には、大きな利益になっただろう。読売・産経の応援団新聞以上にテレビ各局は、長々と大々的に生中継で放映したからだ。そこには、ジャーナリズムの権力への批判精神など皆無である。平和への希求という演出は大成功と言っていい。既に、岸田政権の内閣支持率は上昇基調だったが、さらに上昇するに違いない。今夏の衆議院解散が囁かれているが、そうなれば、自民党は圧勝し、岸田首相のG7演出への努力は報われ、バンバンザイということになる。