2021年各国軍事支出(ストックホルム国際平和研究所SIPRI)
2022年11月22日、NATOのストルテンベルグ事務総長は加盟国の軍事費の目標を現在のGDP比2%から引き上げる可能性があると述べた。 勿論これは、ロシアによるウクライナ侵攻が長引くことに対する対応である。NATOは、2014年以降のウクライナの内紛から、それまで減少傾向にあった軍事費をGDP2%を目標にするように決めていたが、その目標をさらに引き上げる意向を表明したものである。
軍事力増強に突き進む西側
ここには、西側諸国全体に軍事費の増額を要求するアメリカの意向があるのは言うまでもない。ここで言う「西側」とは、アメリカの軍事同盟国であり、NATO加盟国、カナダ、オーストラリア、日本、韓国などの国のことである。それらの国に、前大統領のトランプが、アメリカファーストから単独での莫大な軍事予算の負担を嫌い、同盟国にも相応の負担させると明言していたのだが、バイデンも「民主主義国対専制主義国」の戦いという名目で、各国に軍事力増強を要求し、莫大な軍事予算を同盟国全体で負担するという方針を継承したと言える。
NATO加盟国で、軍事費GDP2%の目標といっても、超えているのは英国(2.1%)、フランス(2.0%)、ポーランド(2.2%)等の東欧諸国などで、ドイツ(1.4%)、スペイン(1.4%)、イタリア(1.6%)は2%を下回っている。しかし、ドイツが2022年6月に1千億ユーロの特別資金を軍事費に拠出する法案を可決し、GDP2%を超えることが明確になったように、NATO加盟国すべてで2%を超える軍事予算を目指すようになった。ストルテンベルグ事務総長は、それをさらに上げる目標を表明しているのである。
また、現在NATO非加盟国のスウェーデンもフィンランドもNATO加盟を目指しており、北欧も軍事力増強、軍事費の増大は避けられない。
太平洋地域のアメリカの軍事同盟国では、ロシアの侵攻以前より、中国の脅威が喧伝されていたが、ロシアと中国を同じ専制主義と見なすことから、軍事力の強化がいっそう強まっている。
3月13日、バイデンは、Aukusの三国軍事同盟に基づき、アメリカ、英国とオーストラリアの原潜協定を発表した。オーストラリアも軍事費は2021年でGDP比率1.98%だったのだが、アメリカから原潜を購入し、インドに次いで7番目の原潜保有国を目指すなど、軍事費は増大し、2%を超えるのは確実となっている。
中でも特に日本は、海外メディアも「平和主義(pacifism)の放棄」と報道しているように、これまでの「専守防衛」をかなぐり捨て、軍事費率GDP2%超を目指し、さらなる軍事力の強化に突き進んでいる。
西側全体の社会のアメリカ化
ロシアによるウクライナ侵攻で決定づけられた西側全体の軍事力増強は、単に軍事力の問題にとどまらず、社会構造全体の変化をも含んでいる。西側全体の社会のアメリカ化である。
第二次大戦後、アメリカが「自由社会」をモットーに「自由」な競争社会を目指してきたのとは異なり、北欧を中心にヨーロッパ諸国や日本では、資本主義システム内で、経済成長を図りながら、社会福祉を充実させることを理想としてきた。それは、資本主義システムでの「自由」が、強者の「自由」を大きくさせ、弱者をより弱める不平等の拡大をもたらすからである。束縛のない「自由」だけでは、富める者はさらに豊かに、貧しい者はさらに貧しくなるからである。アメリカでは「リベラル」がもてはやされるが、ヨーロッパ諸国では「リベラル」は、右派の標語と見なされることも、それを物語っている。
(右派の標語としての「自由」は、良心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由 というフランス革命で表現された近代の価値としての自由は、実際には重視せず、本音は競争における自由が強調され、富を持つ者と持たない者が、強い者と弱い者が「自由」に競争し、当然のことながら、前者の圧倒的な勝利を保証する、というものでしかない。)
イデオロギーで言えば、ヨーロッパ諸国では社会民主主義が浸透し、スウェーデンを例に挙げれば、中道左派の社会民主主義党(SAP社会民主労働党)が政権与党となり、さらに左に位置する共産党や労働者党が、閣外協力などで支え、高度な社会福祉国家を形成してきたのである。その他の国でも、ドイツ、英国を始め、社会民主主義政党と保守政党が政権交代を繰り返すなど、高度な社会福祉体制は一定の制度として定着してきたのである。
そしてその高度な福祉国家の前提は、限られた財源の中で、軍事予算を低く抑え、福祉予算を増加させることであるのは言うまでもない。
ヨーロッパ諸国と比べ、アメリカは社会保障制度は貧弱と言える。
厚生労働省「社会保障制度等の国際比較について 」(2013年データ)
貧弱な社会保障に対し、アメリカの軍事費は世界全体の軍事費の40%を占め、GDP比率でも3.2%程度である。これは、軍事費のGDP比率では2000年以降のEUの平均が1.5%程度、日本1%未満、NATO非加盟のスウェーデン1.28%(2021年)と比べると、著しく軍事費だけが突出していると言える。
このことは国の政策に優先順位を表していると言っていい。アメリカは、共和党も民主党も、社会福祉よりも軍備を優先しているということである。近年ようやく、民主党内にバーニー・サンダースなどの左派が進出し、社会福祉の充実を訴えているが、まだ、その力は大きいとは言えない。
1990年代以降の新自由主義の影響で、ヨーロッパ諸国でも市場経済優先から公的部門の縮小が徐々に進み、高度な社会福祉制度は後退しつつある。経済成長の鈍化が税収の伸びを鈍化させ、社会福祉を維持する多額の財政負担に耐えられなっているからである。そこに、軍事予算を増加させる軍事力の増強という選択を迫られれば、社会福祉は必然的にさらに後退することになる。要するに、強大な軍事力と貧弱な社会保障というアメリカ化が、西側全体に及ぶことになるのである。
日本でも、岸田政権は、NATO並みの防衛費(軍事費)GDP2%を目安に軍事力増強を図ろうとしているが、財源の捻出は極めて困難な状況となっている。このまま軍事力増強に走れば、増税と同時に社会保障費の減額は絶対に避けられないのは明らかである。
西側の混乱と地盤沈下
ロシアに対する制裁から燃料費が高騰し、それを主要因とするインフレが世界的に進んでいる。賃金はそれに追いつかず、必然的に生活困窮層の増加が世界で蔓延している。それに対する庶民階層の怒りは、多くの国で抗議デモやストライキの形で現れている。特に、左派が一定の勢力を持つヨーロッパ諸国では、その運動が活発化している。フランスでは、政府の年金開始年齢の引き上げ案に抗議するデモとストライキがかってない規模で続いている。これも、生活の困窮化が根底にあり、おさまる気配はない。ドイツでも英国でも賃上げを要求する労働者のストライキが続発し、政府と企業側は、鎮静化に躍起となっている。
西側各国の中央銀行は、インフレ対策として金利の引き上げ策を選択せざるを得ないが、それは当然に景気の後退をもたらすのは、「経済学の教科書」のとおりである。
IMFが20223年2月に公表した2023年の実質GDP伸び率は、西側が多くを占めるの「先進国・地域全体」では1.2%、その他の「新興市場国・発展途上国」では4.0%となっている。その内訳は、ユーロ圏0.7%、英国ー0.6%、アメリカ1.4%、日本1.8%であるのに対して、中国は5.2%、インドは6.1%である。
「新興市場国・発展途上国」の内、アジアは5.3%、中南米・カリブ諸国1.8%、中東・中央アジア3.2%、サブサハラアフリカ3.8%、南アフリカ1.2%となっている。
これを見れば分かるとおり、世界経済の牽引役は、中国、インド、アジアであり、それは中東・中央アジア、サブサハラアフリカと続き、西側先進国の経済は、相対的に低調だと言える。
2023年2月23日、国連総会はロシア非難の決議案を採択したが、賛成が141ヶ国となり、西側は大多数の国が賛成したと自賛した。しかし、ロシアに対する制裁に参加しているのは主に西側だけであり、アジアも中南米も中東もアフリカもほんのわずかな国しか加わっていない。ブラジルの新大統領のルーラは、ロシアの侵攻を非難はするが、バイデンからのウクライナ軍事支援を拒絶し、ロシア制裁には加わらない姿勢を崩していない。ルーラは、大統領就任以前からロシア非難と同時に、侵攻にはウクライナのゼレンスキーや西側にも責任があると明言しているのである。恐らく、これが西側主導のロシア制裁に加わらないアジア、中南米、中東、アフリカの政府と人びとの思いを代表していると思われる。もはや、欧米の言いなりにはならない、という強い意思である。それは、西側は経済の低迷とともに、世界を支配する政治力も衰退しつつあることを示している。
ヨーロッパ諸国では、概ね中道派が政権を担っているが、庶民階層の窮乏化から、ストやデモの続発は左派の勢力拡大を招くと同時に、それに反発する極右の勢力拡大も促す。それは、政治的な混迷とともに、経済の低調をさらに加速する。
日本では、政権与党の保守派を中心に、明治以降の欧米崇拝から根底では抜けきれず、欧米に追随する姿勢が基本にあり、西側の一員であろうともがき続けている。特に、アメリカに追随する姿勢は第二次大戦後から変わらずに続いている。
西側の衰退・アメリカ化は、社会変革への胎動
世界的には、経済的、政治的な西側の地盤沈下は止まらない。そしてこの地盤沈下は、アメリカ化という公的部門の縮小を伴う庶民階層の窮乏化を意味している。それは、1970年代終盤以降の新自由主義の進展の果てにあり、富める者はさらに豊かになり、貧しい者はさらに貧しくなるという窮乏化であり、政権の権力側は、それを是正する社会保障制度をも後退させようとしている。しかしそれらを人びとはおとなしく受け入れるかと言えば、それは絶対にあり得ない。庶民階層の窮乏化は、庶民階層の抵抗を生むからだ。社会の矛盾は、社会変革の胎動につながる。
アメリカでは、政権与党の民主党内にサンダースやエリザベス・ウォーレン、オカシオ・コルテスらの左派が現れ、一定の影響力をもつ。このように、公然と社会主義者を自認する議員が国政議会に出現することなど、過去にはなかったことだ。かつてアメリカでは、共産主義者や社会主義者は、悪魔(devilまたはevil)と同義語だったからだ。その自称社会主義者とそれを支持する人びとが、民主党の大統領候補選を争い、一握りの富裕層に有利な制度を変えろと公然と主張している。
ヨーロッパ諸国でも上述したとおり、ストやデモが頻発しているが、それが収束する気配はない。
西側は、世界的に見れば、確かに一定の民主主義を実現してきた。そしてその民主主義は、代議制という意味以外にも、人びとが抵抗し、要求を突きつける勢力を拡大させてきたのも事実である。それが高度に発展した資本主義システムを、もう一つの(alternativeな)システムへ変革していく勢力であるのも、間違いないだろう。