著書「シン・日本共産党宣言」(文春文庫)を掲げる松竹伸幸
事実経緯
2月6日、主に「党首公選制」を主張し、党外メディアでそれを喧伝した日本共産党党員松竹伸幸が、党を除名された。そのことから、多くのマスメディアは、党中央への批判を許さない「言論封殺」(京都新聞)だとして、激しく批判し始めた。朝日新聞は、社説で「国民遠ざける異論封じ」と題し、「党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい。 」(2月8日)と断罪したが、ほぼすべての新聞各紙が、「異論封じ」「言論弾圧」だと批判的な論調を展開した。
それは新聞各紙だけではなく、評論家の内田樹も「組織改革を提言したら、いきなり『除名』処分というのは共産党への評価を傷つけることになると思います。(2月6日 )」とツイートするなど、日頃比較的日本共産党に概ね好意的な「識者」も批判的な意見を寄せ、今回の日本共産党の対応を擁護する意見は皆無と言っていい。
日本共産党側は2月6日、党京都南地区委員会常任委員会、京都府委員会常任委員会名で、①「『党首公選制』という主張は、『党内に派閥・分派はつくらない』という民主集中制の組織原則と相いれない 」、②「『安保条約堅持』と自衛隊合憲を党の『基本政策』にせよと迫るとともに、日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して『野党共闘の障害になっている』『あまりにご都合主義』などと攻撃 した」、③党を「『個人独裁』的党運営」「などとする攻撃を書き連ねた 」 鈴木元著「志位委員長への手紙」を擁護した、④松竹は「自身の主張を、党内で、中央委員会などに対して一度として主張したことはないことを指摘されて、『それは事実です』と認め 」た、そしてそれは、「松竹氏の一連の発言および行動は、党規約の『党内に派閥・分派はつくらない』(第3条4項)、『党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない』(第5条2項)、『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』(第5条5項)という規定を踏みにじる重大な規律違反です。」と除名理由を明らかにしていた。
除名処分後のマスメディアの報道に対し、9日、党政治部長中祖寅一名で朝日新聞報道を「『結社の自由』に対する乱暴な攻撃」として反論し、同日、
委員長志位和夫は記者会見を行い、「異論を持っているから排除するということをしたわけではない 」、「あれこれの異論を、党内の党規約に基づく正式のルートで表明するということを一切やらないまま、突然、外から党の規約や綱領の根本的立場を攻撃するということを行った。これは規約に違反する 」と異論の問題ではなく、あくまで党規約に違反したからだと協調した。
事実の経緯だけを捉えれば、安全保障論や党組織論という党の根幹において党綱領と党規約に大きく逸脱した松竹の除名もやむを得ないと言える。松竹自身も「党内で党首公選制を主張したところで、結果は火を見るよりも明らか」「外部に公開するしか選択肢がありませんでした」(文春オンライン2月9日)と言っているように、党内ではなく、党外から行動することで、党の変化を狙ったからである。それが直ちに「分派活動」とは言えないにしても、党首公選制自体が主張の異なる勢力の存在が前提になるので、党規約の第3条「(一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。」「(二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。 」第5条「(二)党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。 」に抵触するのは明らかだ。
瓦解したユーロコミュニズムの苦さ
この日本共産党の対応は、党規約第3条にもあるとおり、「民主集中制を組織の原則とする 」による。この「民主集中制」とは、フランス共産党員でもあった哲学者のルイ・アルチュセールによれば 「党組織の各段階 (細胞,次いで地区,堤,そ して大会)で,諸決定は規約に基づき自由に討議され,民主的に採用される。ひとたび党大会で採決されれば,決定は行動面ですべての党員の義務となる。この規律を受け容れさえすれば 自分の意見を保持することができる 」(アルチュセール「第22回大会」新評論 1978年 )というものである。端的に言えば、党内で多数決で決定されたものに、全党員は従わなければならない、というものだ。これは、「革命党にふさわしい組織形態として民主集中制を導入したのはレーニンである」と アルチュセールが言うように、民主集中制はレーニンの時代からの労働者階級の前衛党・革命党の組織論であり、第二次大戦後のヨーロッパ諸国で、各国共産党は勢力を拡大したが、戦後の状況の変化により、西欧最大の共産党だったイタリア共産党が1970年代に、フランス共産党は1994年に、その他のヨーロッパ諸国の共産党も随時放棄したものである。
しかし、このユーロコミュニズム諸党は、現在では著しく低迷している。イタリア共産党は、主流派が「左翼民主党」、「民主党」と党名変更し、中道左派政党となり、他の中道政党と見分けがつかなくなったことで、多数の支持者は離れていった。一部の非主流派は再建派として残っているが、弱小政党となっている。フランス共産党も、かつての労働者の支持はなく、昨年の大統領選では、社民系の中道左派を除く、左派の中央の地位をジャン・ルュック・メランションの「不服従のフランス」に譲り渡している。概して言えば、ユーロコミュニズム諸党は、日本共産党の以上に低迷しているのである。
これらのユーロコミュニズム諸党では、民主集中制を放棄したことから、様々な思想潮流と主張が噴出し、内部分裂が起こり、党勢の減少につながったことは否めない。かつて、外部からの日本共産党の党名変更論に対し、日本共産党前委員長の不破哲三は、「イタリア共産党のようにはならない」と党の原則論を堅持すべきだと言ったが、日本共産党中央は、民主集中制の放棄は、ユーロコミュニズムのように党として自滅する道と捉えているのである。一見頑な今回の除名という対応は、その現れであるのは間違いない。
「党綱領・規約を改正しろ」に等しいマスメディアの主張
松竹伸幸の安全保障論、党首公選論や、それらを外部からの圧力によって変革しようとした行動を認めるのは、党綱領と規約を改正しない限り不可能である。それらを認めろというマスメディアの主張は、「党綱領・規約を改正しろ」と言っているに等しい。改正には、憲法の改正が、憲法で規定された手続きを経て改正しなければならないように、党規約に沿った手続きを踏まなくてならない。それらを無視して、単に「異論封じ」などと言うのは、非論理的な無茶な言い分としか言いようがない。
避けられない党の衰退
日本共産党は、党員数、機関誌「赤旗」発行部数、国会議席数、国政選挙得票数すべてにおいて、減少し続けている。今回の除名問題が、上記のようにマスターの報道が「非論理的な無茶な言い分」だとしても、党の外にいる多くの人びとは、「赤旗」から事実を知るのでなく、マスメディアを通じて何が起きているのかを知るのであり、党勢拡大の観点からは、マイナスに働くことは間違いない。
そもそも、日本の多くのマスメディアは、商業ジャーナリズムの域を出ず、政治的には右派・保守派である。経営の観点から、広告主に忖度しなければならず、国民の多数派である保守層への「受け狙い」から脱することは難しい。
また、レーニンの党組織論に由来する民主集中制を理解しろといっても、いわゆる「リベラル」な新聞も評論家にも、到底無理である。だから、今回の除名問題は、左派である日本共産党への格好の攻撃材料(それを意図していないとしても)としかならないのである。
「共産党以外の左派勢力は無力」という悲劇
ヨーロッパ諸国において、確かにユーロコミュニズム諸党は混迷を極めている。しかし、左派全体が退潮しているかと言えば、そうではない。フランスでは、上述の「不服従のフランス」を中心に、フランス共産党をも含めた多くの左派勢力がNUPES「新人民連合 環境・社会」を形成し、フランス議会で第二勢力となっている。スペインでは、社会労働党に、ウニダスポデモス、統一左派という左派政党の連合が政権に参加している。欧州議会でも統一左派・同盟(GUE/NGL) は、705議席中39議席を占めている。また、左派政党が支援する労働者中心のデモやストライキは、大規模に実施できる力を有している。
また、左派政権が続々と誕生している中・南米も、一つの左派政党ではなく、左派連合として政権に参加するかたちが増えている。ブラジルの新大統領ルーラも労働者党、社会党、共産党、緑、その他左派6党の支援を受けている。
右派にも左派にもさまざまな思想潮流があり、それは第二次大戦後、メディアの発展とともに、さらに百家争鳴のように数多くの主張が展開されることになった。それは、マルクスに関しても数多くの解釈があるように、特に左派のあいだで際立っている。その状況の中で、ユーロコミュニズム諸党のみならずは、一定の枠内での政治的志向で収まっていた左派政党は、数多くの主張の展開から、分裂、集散を繰り返し、多党化したのである。しかしそれは、自然の流れでもある。そして、多党化した諸政党は、より大きな政治的勢力をつくるために、比較的近い主張の範囲で、同盟allianceを組むことになったのである。
このように日本以外では、多くの左派政党が一定の勢力を持ち、一つの左派政党だけが突出した勢力を保持するということは稀である。日本では、社会党の崩壊以来、後継党の社民党は国政議会で辛うじて全滅を免れている程度であり、新社会党も極めて小さいままである。日本共産党を除く、それ以外の左派政党は、国政議会に議席を有していないのである。維新は自民党より右であり、中道の立憲民主党や国民民主党は中道左派ではなく、れいわ新選組は、明確な方針を持っていない。
日本共産党が近い将来、民主集中制を放棄することはないだろう。この党の高齢化は著しく、どうしても変化には現状肯定の「保守的」な壁が高いからだ。つまり、方針の大きな変更はなく、現状の逓減状況は変わることはないだろう。しかしそれは、他の左派勢力が伸長しない限り、左派全体が低迷のまま進むことを意味している。
左派とは、イタリアの政治・歴史哲学者ノルベルト・ボッビオの言うとおり(ボッビオ「右と左 政治的区別の意味と理由」参照)、社会主義者や共産主義者だけではなく、社会的不平等の解消を何よりも優先する政治的立場とする勢力のことである。その勢力の低迷は、現状の社会システムが作り出す社会的不平等によって、社会階級の下層に位置する人びとや生活苦に陥る人びとを始め、あらゆる不平等に苦しむ人びとを解放する政治的勢力が低迷し続けることを意味する。それは、社会的不平等に苦しむ人びとにとっては、まさに悲劇であることは間違いない。