夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「学術会議の任命拒否」とマスメディアの中で影響力が強大な読売新聞

2020-10-27 15:33:50 | 政治
 政府は学術会議の6名の学者の任命を拒否したが、この問題について、各メディアによって、取扱いがまったく正反対になっている。在京の一般新聞では、朝日、毎日、東京が政府の対応に極めて批判的であるのに対し、読売、日経、産経は問題はないという論調を崩さない。では、海外メディアや当の学界はどう反応しているのか?

学問の自由を侵害する民主主義の危機
 海外メディアでは、コロナ危機と米大統領選という大問題にぶつかっているのと、もともとアジアでの日本の相対的影響力は低下しているので、あまり多くの反応は見られない。その中で、英フィナンシャルタイムズが「菅政権の蜜月時代を脅かす 」(10.6)と報じたが、「蜜月」とは菅のソフトイメージのことであり、「非情な黒幕」という顔が明るみに出そうだという記事である。また、仏ル・モンドや米ロイターもスキャンダルが浮かび上がるという記事を掲載した。
 しかし、やはり鋭い反応を示したのは学問の世界の科学誌だった。英ネイチャーは社説(10.6)で「政治家たちが学問の自由を守るという原則に反発する兆候がある 」として、ブラジルのボルソナロ大統領とともに任命拒否問題を挙げ、「ネイチャーは黙ってみているわけにはいかない」と批判したのだ。また、米サイエンスも同様に批判的な意見を載せている。
 日本では、任命拒否の6人はもとより、100以上の学界が菅政権に批判する声明を発表していることが報道されている。大学でも国立では東大の五神真総長が「憂慮」、「同会議からの要請に対する真摯な対応を、政府には望みます 」(10.9)と声明を出した。私立の法政大学の田中優子総長が政権を鋭く批判し、国際基督教大学の岩切正一郎学長が「現政権の意向にそわない者を学術団体から排除する挙措なのではないかと、明白な証拠(エヴィデンス)のない憶測へ追い込まれて しまう」(10.7)という声明文を出している。
 そもそも、法的には日本学術会議法には、第7条「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、第17条で「日本学術会議は、……会員の候補者を選考し、……」となっている。つまり、明らかに選考するのは学術会議なのである。これは事実上の任命は学術会議が行うという意味で、特別職公務員なので形式として総理大臣が「任命」の形をとるということである。ほとんどすべての法律家がこの解釈をしているので、法学会を含む多くの学会が抗議の声明を挙げているのである。
 まともに考えれば、やってはいけないことなのは、明らかである。

日本のマスメディア
 日本のマスメディアは、自公政権擁護の姿勢が目立つ。特に民放テレビの情報番組は、テレ朝羽鳥慎一の「モーニングショー」とフジテレビ坂上忍の「バイキング」を除き、すべて政権擁護の姿勢を徹底して貫いている。例えば、極右のポピュリズム政党の創始者である橋下徹などがTBS「グッとラック!」 やフジ「日曜報道 ザ・プライム」 でデマを含む学術会議攻撃を繰り返している。(因みに、「バイキング」でフジ上席解説委員の平井文夫 が、学術会議会員が年金をもらっているなどというデタラメを言ったのは、そうでも言わないと反論できないからである。)
 しかし民放テレビ局は、元来視聴率とスポンサーに強く影響され、「面白おかしさ」が報道より優先される。公共放送であるNHKは政府権力に影響されやすい。その意味で、報道の自由度が比較的高いのはやはり新聞なのである。また、人びとの意識に対する直接的な影響力はテレビが突出しているが、情報の信頼度や、テレビの放送姿勢に対する影響力(テレビ局制作上級スタッフやコメンテーターのほとんどの者が、新聞を熟読している。)は新聞にあると言っていい。

読売新聞とは
 日本の新聞で右派の論調が著しいのは、産経、読売、日経の順だが、(朝日、毎日、東京が左派というがわけではなく、論調としては中道右派に近い。概ね、英国保守党、独CDUの政治的立場と同一である。)産経は徹底してナショナリズム、排外主義、差別主義、歴史修正主義の立場にあり、発行部数も少ない。日経は専門が経済であるので、一般紙とはやや異なる。そう考えれば、重要なのは、やはり読売新聞ということになる。
 読売新聞は日本(世界でも)最大の発行部数を誇る。その読売新聞が学術会議問題では社説で何と書いたのか?
 10.6付けの社説の見出しは「学術会議人事 混乱回避へ丁寧な説明が要る」である。本文でまず、事実の経緯があり、「菅首相は、判断の根拠や理由を丁寧に語らねばならない」 とも書いている。確かに、ここまではもっともらしい。しかし、その後に「(拒否された)6人は自由な学問や研究の機会を奪われたわけではなく、野党の指摘は的外れ」、「(学術会議は)『軍事目的の研究を認めない』という立場を維持している」、「科学の研究に「民生」と「軍事」の境界を設けるのは、無理がある。旧態依然とした発想を改めることも必要ではないか」と書いている。また、「学術会議のあり方も」「改善を図ってもらいたい 」とも書いている。
 これは、菅政権と政権擁護の右派勢力と主旨がまったく同じである。要するに、政治勢力が学問の領域に圧力をかけていいのかという民主主義の問題はどうでも良く、軍事目的の研究を批判する学術会議は、態度を改めろと言っているのである。橋下徹が「学術会議は軍事研究の禁止と全国の学者に圧力をかけている 」とテレビで言ったことと符合している。つまるところ、このことは、この問題の根底にあるのは、戦争に加担しないという平和主義の立場に立つ学術会議と多くの学者の姿勢が、右派勢力が支援する政権には都合が悪いということを表しているのである。
 自民党は、平和主義の憲法を改変することを結党以来の党是としてきた。それは、戦前の富国強兵という国家を再現したいという願望と同時に、直接的には軍事産業を育成したいという意味を持つ。今回の学術会議に対する対処は、その軍事産業の育成に反対する学者を、何がなんでも、やってはいけないことをしてでも、萎縮させたいという意向の現われである。それを読売新聞は自民党の意向どおりに社説にしているのである。
 現在では「御用新聞」化した読売新聞だが、以前はこのような「社論」(新聞社の基本的な論調)は見られなかった。いつからこのようなものになったのかと言えば、渡邊恒雄が1985年6月に「主筆」になってからである。渡邊自身が「僕は死ぬまで主筆だと言っている。主筆というのは『筆政を掌る』のが役目。分かりやすく言うと、社論を決めるということ。読売では、僕が主筆なんだ。僕は社長を辞めても、主筆だけは放さない。読売の社論は僕が最終的に責任を持つ。」(1999年著書『天運天職』 )と言っているくらいである。
 渡邊が歴代総理大臣や「大物」政治と極めて密接な親交があったことは、本人が文芸春秋digital(1月20日)に「渡辺恒雄・読売新聞主筆が語る、“盟友”中曽根康弘・元総理との60年間」で明かしている。つまり、渡邊は権力中枢と密接な関係にあり、権力側に多大な影響力を持っているということである。その人物が読売新聞の「社論を決め」ているのである。そのことは、むしろ読売新聞が権力と一体化しており、権力中枢の意思形成の役割を担っていることを意味している。

 
 
 
 
 
 
 

 
コメント
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