テレビ局は、ようやく生放送のニュースやワイドショーでは、キャスターやコメンテーターどうしの距離を1メートルほど開けるようになった。といっても、それはその出演者間だけであり、その番組で放送される内容では、たっぷりと「濃厚接触」の映像が繰り返される。収録したのが「コロナウイルス発生の前だから」と言い訳するかもしれないが、明らかに最近の収録だと分かるものの方が多い。その中でも、政治家、有名人、その他街頭での人びとへのインタビューでは、平気で至近距離でマイクを向けている。
また、ドラマ、バラエティ番組、CMではまったくコロナウイルスなど無関係というように、人と人が「濃厚に接触」する映像を流し続けている。ドラマは、視聴者もつくられた映像として現実とは別のものだと認識するので、いくらかましかもしれない。しかし、バラエティ番組はテレビ局スタジオで収録されたもので、現実の極めて「生」なものだ。例えば、4月2日、日テレ「ダウンタウンDX」では、ダウンタウンは50㎝の距離で二人が並び、20数名の芸能人が肩が擦れ合うほどの位置で椅子に座り、かなりの大声で発言し合っている。これが、なぜ感染の危険性がある濃厚接触のイベントでないのか、まったく理解しがたい。その同じテレビ局がワイドショーで、数人の感染が確認された京都産業大学の学生による懇親イベントを非難しているのだ。放映された「ダウンタウンDX」と懇親イベントはどう違うのか。感染確認者が出れば、非難されるべきで、出なければ問題なしということか。
マクドナルドとフォルクスワーゲンは、海外CMでは、ロゴを離した、つまり、人と人との距離を開けることのの重要性を発信している。しかし、日本のテレビでのCMは「濃厚接触」の映像が延々と流される。
テレビはすべて「つくりもの」で現実とは無関係だと言いたいのかかもしれない。しかしこれでは、それらを見せられる視聴者は、理屈とは別に、「濃厚接触」は特に気にする必要はないのではないかと、感性として刷り込まれたとしても、決して非難できる筈はない。
日本の「専門家会議」と称する事実上の政府機関が、「オーバーシュート」や「クラスター」などと専門家風の言葉を多用するが、日本以外の世界中でもっとも肝心なこととして使われている「social distancing社会的距離をとること」という言葉を使わないことが、恐らくはこの問題の根幹にあるに違いない。