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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 115

2014年02月24日 | 日記

  

   福音の力を体験せよ 115

“どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように。また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに超えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。”(エぺソ3:16-19)

イエス様は、彼を心から愛し、信じるクリスチャンのために、すべてのお膳立てを整えておられます。イエス様は、「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう」と言われました(ヨハネ15:4)。さらに、「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」と言われました(ヨハネ15:5)。 

“信仰によって神のみ子を常に食するとき、みたまの実はわれわれの生活の中に見られ、一つとして失われることはない。”(DA676)  

    十字架に対する大きな誤解 (デビットカン聖書研究シリーズ) ①

なぜ、キリストの十字架が必要だったのでしょうか?人類の救いのためなら、何か他の方法があったのではないでしょうか?無限の知恵で満ちておられる神様が、御子イエス・キリストの犠牲を通してでなければ、人間の救いを成し遂げることはおできにならなかったのでしょうか?神様は、別の計画をお用いになることはできなかったのでしょうか?

≪宇宙を支配なさる神様が、人間をもと通りの状態に回復するためには、別の方法でのプレゼントを準備することはできなかったのでしょうか?人類の身代わりとして、天使が死ぬことはできないことだったのでしょうか?≫

イエス様がカルバリへ行かれたのは、他の道が全くなかったためです。イエス様が死なれた理由は、人類を彼らの罪から救うためだけではありませんでした。そこには、サタンとの全宇宙的な規模の争闘が含まれています。神様とサタンとの闘争は、十字架において最高潮に達しました。しかしその戦いは、十字架で始まったのでもなく、終わったのでもありません。十字架は、人間の創造以前から、神様の心に秘められていたものでした。もしも、自由意思を与えられた人間が、その選択により神様に反逆して罪を犯した場合には、イエス・キリストの十字架の犠牲と恵みを通して、もう一度救いを与えるための計画が、永遠の昔から神様のみ胸に秘められていたのでした。