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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 110

2014年02月19日 | 日記

 

福音の力を体験せよ  110

最初に着せられる義を「義認」と言い、次に分け与えられる義を「聖化」と言います。ここで、これらの二つが合わさった状態について書かれたことばを読みます。 

“魂のうちに宿られるキリストが変質させる力を発揮し、その外観は、内面をつかさどる平和と喜びを証する。枝がブドウの木から栄養素を吸収するように、我々はキリストの愛を飲む。もしも我々がキリストに接ぎ木され、繊維の一つひとつが生きたぶどうの木とつながっているなら、我々は生ける実という豊かな房をみのらせることによって、それが事実である証拠を生じさせるであろう。”(1SM337) 

“内面の義は、外面に現れる義によって証明される。”(MYP35)

皆さん、小さい枝の外側に現れる義とは何ですか?まさに、それが聖霊の実であります。すなわち、分け与えられる義のことです。それでは、その枝の中にある義とは何ですか?それは聖霊です。実を産み出すための養分です。すなわち、ブドウの木であられるイエス様から送られる聖霊の力のことです。それが着せられる義であります。続きを読んでいきます。

   真のキリスト社の歩むべき道 16

  ⑤ 信仰は天国へ入るための保険ではない 

ある人々は、教会へ行き、お祈りをし、献金を捧げ、神様の話をしたり、奉仕活動をしていながら、聖霊と共に歩む経験をしていません。そのような人にとって、信仰とは、まるで保険に加入するようなものです。そのような人々がキリスト教から願うものは、死んで地獄へ行かず、天国へ無事に入ることです。そのために彼らが支払う保険料は、多少不便さを感じながらも、礼拝日には我慢して教会へ出席することです。彼らは献金を捧げ、悪質な快楽や不道徳なことは避けるでしょう。彼らは保険が無効にならないように、自分なりに教会が要求することを実行していきます。このようにして彼らは、いつか自分自身が死んだら天の御国へ受け入れられることを信じます。

彼らは、聖書に記されている真理を、自分たちの都合にあわせて解釈します。神様の愛や赦しの言葉は好きですが、聖書に書かれた、罪を指摘して悔い改めをうながす言葉や、不従順なものに対する刑罰、最後の審判などの恐るべき言葉は、彼らの目に深くとまりません。このような人々は、キリストの品性を反映することができないので、最後になって「あなたを知らない」と言われてしまうことでしょう。私たちは、聖霊によってキリストに似た者と造り変えられるので,キリストの関係者として「あなたを知っている」と言われ、み国に受け入れられるのです。

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