用事がある時だけ、実家に行っているパンダです。
前回もお話ししたように、私は母85歳が苦手でして、用がなければいきません。
妹は今日遊びに行こーっと、という感じで気軽に行けるらしいので、どうしてこうなった感が否めませんが、これで釣り合いが取れているんでしょう。
何しろ、私の方が家が近く時間に融通が効くので、何かあればとりあえず私が行って、あとは妹と相談しながらやる、という感じです。
気が利いて、賢い妹で本当に助かっています。
妹が私のことをどう思っているかは知りませんが、忌憚なく話せて、やりとりがスムーズな姉で助かる、とは思っていそうです。
今まで、何かで衝突することもなく、必ずどちらかがいい塩梅で引くので、喧嘩もないです。
昨日は母のインフルエンザの予防接種に付き添いで行ってきました。
その時に、先週の健康診断の結果を教えていただいたのですが、肺のレントゲンで白くなっているところがあるから再検査するように、と市立病院紹介状をもらいました。
去年のレントゲンにもうっすらあるのが、今年は白いね、とわかる程度にはなっていました。
看護師さんが奥で「肺がんの・・・」と言っているのが聞こえたので、病院側の見立てとしては肺がんの予想なのでしょうけれども、先生は私たちには病名はおっしゃいませんでしいた。
再検査してみないと正確にわからないだろうから、あやふやなことを言いたくないのでしょう。
私もなんとなくで話をしてもらってもしょうがないので、別に聞きませんでした。
母も聞いていて、わかってるんだかわかってないんだかって感じでした。
家に帰ってから、一応レントゲン写真を見ながら説明しました。
母は「老人性結核かしら〜、市立病院行きたくない、面倒臭い、もう何もしなくていい」と愚痴っていました、笑。
母は最愛の父が亡くなってなんとなく日々を過ごしているので、そんなに長生きしたい気持ちもなく、いつお迎えが来てもいいと思っています。
11人いた兄弟姉妹も少なくなってしまいましたし、近所の中の良かった方もとっても減りました。
朝が来て目覚めない終わりがいいなと思っているらしい(自分の祖母、母がそうだった)けど、今の医療だとそうは問屋が下さないってところが辛いですね。
母が病気になったらどうして欲しいかとか、葬式はどうするとか、皆さんのご挨拶はどうするとか、大体決まっています。
それは本当に助かるかなあ。
遺言も書いてあって、家をどうするかとかも決まっています。
母のことは苦手だし、なんでも割り切っていたけれど、やっぱり肺がんかもしれないということはじわじわと私の感情を侵食していて、なんとなくしょんぼり気味です、不思議ですね。
私は義母を肺がんで亡くしているんです。
なので、また繰り返されるのかとちょっと胸が痛いです。そのせいかな。
義母の肺がんがわかった時はステージ4で、余命半年の宣告を受けたのですが、それから1年くらいでしたか・・・
本人の気持ちを優先して、治療はせず、緩和ケアの方向で進めていました。
最後の入院をするまで、一人暮らしてした。
ちょっぴり気難しい義母でしたが、でも寂しがりだったのではないかなと思うこともあって、最後まで寄り添うことができていなかったのではということがとても心残りです。
今でも時々思い出して、悲しくなります。
義母が食事をする気がなくなってきて、最後の入院で緩和ケアになったのですが、チューブで栄養をとるだけとなり、トイレにも行かせてもらえなくなり、本当にかわいそうでした。
その入院の数日前まで普通に生活をしていて歩き回っていたのに、突然寝たきりにさせられるなんて、本当に辛かったと思います。
亡くなるまでの2ヶ月間、毎日先生に「死なせてくれ」と頼んでいたそうです。
人の最期の過ごし方について、本当に考えさせられました。
自分たちの無知(緩和ケアのやり方など)がそうさせた気もしていて、それも後悔の一つです。
人間、食べられなくなったらそのまま静かに逝くのが一番いいよなあと思います。(法律上は虐待になるのかもしれません、苦笑)
本当に、義母に辛い思いをさせてしまって申し訳なかった、苦労してきた義母だから最期は穏やかに逝かせてあげたかったです。
そして、妹は胃がんを患って、手術、療養をしていた過去があります。
10年経ったかなあ。
なので、癌の治療については妹の方が詳しいかなと思います。
まだ母が肺がんと決まったわけではないのですが、ネットでいろいろ検索した感じでは濃厚ですね。
再検査は来月の母の予定が済んでから行こうと思っています。
あれこれ予定を入れると、母が混乱して大変になってしまうのでね〜。
しんどくなったら、またここにきます。
では〜。