**私は4年7ヶ月前の2018年1月に「中国の崩壊時期を予言できるか!」というタイトルでブログを書きました。これは私の霊感(インスピレーション)によるものというより、いわゆる占星術的見地からの予言(予測)です。が、この占星術は従来の占星術ではなく、私が創案したもので、「辛亥革命説」と名付けています。日本書紀の編纂者も用いたとされる“辛酉の年に大変革、大革命が起こる”という「辛酉革命説」はほぼ当たっていませんが、辛亥の年には世界史的に見て、大革命、大政変、大事件が他の年と比べて“多発”しているのです。これを参考にして私自身の知見を加えて「辛亥革命説」を提案し、中国の国家崩壊を予言しました。
そして、この予言は“実現”する方向にすすんでいるように見えます。ツイッターでは中国の本格的崩壊は2026年から始まると述べています。
現在、世界はまだコロナ禍の中にあり、ウクライナ・ロシア戦争の最中にあります。私はツイッターで第三次世界大戦はトランプ大統領が中国への渡航と中国からの入国を禁止した2020年1月30日から始まっている、と述べています。ウ・ロ戦争はその一つの現れであり、中国・台湾の緊張状態もその流れの一つだと考えています。
“軍事戦略論”に基づく思考によって、日本の政治家や官僚は内政・外交を考えていかなければならないのですが、果たしてその思考ができるのかどうか心配です。嘘(詭弁)やゴマカシは通用しない時代が来ています。それをまったく理解できていないのが“非ジャーナリスト”の日本のマスメディア(新聞屋)であり、同時に政治家や政党でしょう。
以下に2018年のブログを再掲します。 (2022年8月7日記)
中国の崩壊時期を予言できるか!
The Government by the Chinese Communist Party will begin to collapse some five years before 2031.
「辛酉しんゆう革命説」を否定し「辛亥しんがい革命説」を提唱。
国家崩壊は2031年の辛亥年の数年前から始まる
永井津記夫
中国はもうすぐ“崩壊”するとする経済アナリストや政治評論家が多数いて、ネット上で持論を展開している。彼らの意見を聞くと明日にでも崩壊しそうであるが、中国政府も崩壊を防ぐために必死の努力をしているようである。国家の経済的崩壊が国家自体の崩壊にまで必ずしも結びつかないが、問題を内包する国ほど、経済的崩壊が国家崩壊となる。
どの国も歴史のうねりには抗しきれない時があり、中国にはその時期が近づいているように私にも思われる。「する」「する」と言って崩壊しなければ“スルスル詐欺”になりかねない。それでは、その時期を特定する方法はないのだろうか。その方法は存在すると私は考えている。「辛亥革命説」 がその方法である。これは“歴史の反復原理”にもとづく一種の占星術と考えてもらってよいが、中国“五千年の歴史”にもないもの、私の創案である。
「辛酉革命説」は平安時代の九世紀後半から十世紀初頭にかけて活躍した漢学者の三善清行が主張した考えである。これは「辛酉の年に革命が起こる」というものである。“讖緯思想”の中にある考えで、『日本書紀』の編者も採用したとされる(*注1)。これは一種の占星術と考えてよいが、未来の事件(革命など)を予測・予言するのが本分であるが、年代の不明確な過去の出来事にも適用できると考えられる。実際、『日本書紀』の編者も三善清行よりも二百年も早く辛酉革命説を利用して初代神武天皇の即位年(*注2)を割りだしたものと思われる。
が、この「辛酉革命説」は当たっていない。世界的に、辛酉の年を検討してみても、辛酉年に革命などの大変革は起こっていないのである。三善清行の「辛酉革命説」は謬説といってもよいものであるが、日本の朝廷はこの説に従い、革命を起こされる前に、辛酉の年には「改元」という“疑似革命”を行なって革命の阻止を図った(中国ではどの王朝も“辛酉年の改元”などしてはいない。日本で言う「辛酉革命説」という考えそのものが無いようである)。
辛酉の年には革命は起こらないが、革命や争乱や為政者の暗殺などの異変が“多発する(他の年に比してかなり多い)”年回りは存在する。その年とは、“辛亥シンガイの年”である。
それでは、辛亥年に起こった“革命”や“争乱”や“政変”などを列挙してみよう。辛亥年は六十年ごとにめぐってくるが、西暦で末尾の数字が“1”で終る年となる。
① 辛亥革命(1911年)…中国
②ナポレオンⅢ世のクーデター(1851年)…フランス
③太平天国の乱(1851年)…中国
④林彪副主席のクーデター未遂事件(1971年)…中国(文化大革命中[1966-1976]の事件)
⑤西ゴート王国滅亡(711年)
⑥ササン朝ペルシャ滅亡(651年)
⑦高句麗・安蔵王暗殺(531年) (*新注1)
これらの事件以外にも世界史上においていくつかあるが、ここで“圏”という考え方を取り入れたい。“革命”などの政変は瞬間的に起こって、すぐ終了するものではなく、“前奏的な”始まりがあって、“中心部”があり、終わりがある。つまり、かなり幅(期間)があるのが通常である。この幅をいちおう前後二年ずつとすると、革命など事件はもっと増える。前後二年と中心年を入れて“五年間”を“圏”としたい。つまり、“辛亥革命年圏”という捉え方である。
この“辛亥革命年圏”に起こった革命や政変を挙げよう。
⑧日韓併合(1910年)…日本・朝鮮
⑨リビア革命(1969年)…リビア
⑩アサド国防相によるクーデター(1970年)…シリア
⑪ロン・ノルによるクーデター(1970年)…カンボジア
⑫三島事件(1970年)…日本 (三島由紀夫が自衛隊にクーデターを呼びかける)
⑬フランス革命(1789年)…フランス (新憲法制定は1791年の辛亥年)
⑭源頼朝が鎌倉に幕府を開く(1192年)…日本
(作家の司馬遼太郎によると、鎌倉幕府の誕生は日本最大の革命で、“武装農民(=武士)”が天皇を中心とする貴族から政権を奪い取ったという事件、つまり、革命である。)
⑮隋が中国全土を統一(589年)…中国
⑯崇峻天皇暗殺事件(592年)…日本
というような革命や政変が“辛亥革命年圏”には起こっている。“辛亥年”とその前後の年は非常に危険な年回りなのである(逆に、変革を求める者には利用することができる)。
中国はいつ国家的に崩壊するか、「辛亥革命説」をもって推定するなら、“2031年”の辛亥年である。その崩壊は数年前から始まると考えられる。1971年の辛亥年を中心とする中国の“文化大革命”は1966年から始まり、1976年に終息したが、そのピークは1971年、つまり、辛亥年の共産党副主席・林彪のクーデター未遂事件であったことも参考になる。次の2031年の辛亥の年も同様なことが起こるかもしれない。
2031年は中国にとってだけではなく、ヨーロッパ(EU)やアメリカ合衆国にとっても危険な年回りである。いや、全世界的と言ってもよい。
日本は、中国の崩壊とその周辺地域の争乱に対して明確なシナリオを描いて対処する必要がある。日本自身の存亡にかかわることである。私は、中国は三分裂か四分裂くらいするのではないかと考えている。おとなしく分裂して収まればよいが、そうは行かない可能性も高い。“武装難民”、とくに、“核でおどしながら”(難民と称して)武装難民(=武装兵)が押し寄せてくるかもしれない。これにどのように対処するのか、ということがある。
現在、北朝鮮から漁船が流れ着き、盗みをはたらく乗組員もいて、大きな問題となっている。しかし、警察や海上保安庁は適切に(厳しく)対処しているのであろうか。私たち日本人は遠い昔に豊臣秀吉によって“武装解除(刀狩り)”されており、一般市民は“武器”を持っていない。これは米国などに比して素晴らしいことであるが、暴徒には弱い。米国なら“不審者”と見なしたら一般市民でもライフルをぶっ放す状況があるが、日本はそうではない。
警察、海上保安庁、いや、自衛隊も含めて武器を持っている組織は日本国民を守るために躊躇なく行動する勇気が必要であり、組織の長や為政者にも勇気ある決断が求められる。不法入国者は、まず(有無を言わさず)、逮捕をして適切な処置をしなければならない。日本の為政者はまず不法入国者は“逮捕”ということすら決断する勇気のない者が多いのではないか(*注3 )と私は心配している。
日本は中国が内部崩壊、分裂したときの危機に備えて、十分な準備をしておくべきである。これは軍事戦略的思考の欠落した政治家や外務省の官僚では無理であろう(百人のうち、2,3名は対応できる思考を持っている者がいるかも知れない…非常に失礼で無礼な言い方をしているのは百も承知であるが、私は本当に心配しており、敢えて言っている。日本には軍事戦略論を教える所など存在しない)。
中国が崩壊するとしたら、その時期は2031年かその4,5年前である。残されている時間は10年もないかも知れない。私たちは真剣に対応を急がなければなければならない。
(*注1) 「讖緯」の“讖”とは「予言」の意味で“緯”とは「書」の意味で、直訳すれば「予言書」という意味になる。中国では秦と漢の時代に多数つくられて発達したが、それ以後の王朝の為政者からは政権を脅やかす危険な書として禁圧され散逸した。「辛酉革命説」も「讖緯」の中で説かれている考えで「辛酉の年に革命し、甲子に革令する」というものである。また、この説には「二十一元(=1260年=一蔀)ごとに大革命が起こる」という理論も含まれている。
(*注2) 神武天皇の即位年は『日本書紀』によると紀元前660年となり、これは縄文時代の晩期に相当し(この時期には稲作が行われており弥生時代に入るとする研究者もいるが、まだ、鏡が使われる時代ではない)、神武天皇の時代とは大いにずれていることになる。なぜなら、『日本書紀』によると、神武天皇の前の神代には鏡や剣が出てきて、弥生時代に相当すると考えられるからである。
神武天皇の即位年は、安本美典氏の「古代天皇の在年数は約10年(古い天皇は約9年)」という年代論と“辛亥革命説”を用いて、第21代の雄略天皇の即位年の471年からさかのぼると、「291年」ということになる。私は神武天皇の即位年は西暦291年と考えている。471年も291年も辛亥年である。
※471年については『季刊邪馬台国67号』(1999年梓書院刊)の拙論「辛亥の変とワカタケル」または、『東アジアの古代文化76号』(1993年大和書房刊)の拙論「辛亥の変とワカタケル」に雄略天皇の即位年としての説明がある。
(*注3) 2001年、当時の北朝鮮の最高指導者の金正日の息子の金正男が日本に不法入国して逮捕された。当時の小泉政権はこの不法入国者を簡単に中国の北京への強制退去という形で解放した。だれでも少し考えれば思いつくことであるが、この「金正男」と名乗る人物を利用して北朝鮮に拉致されている日本人拉致被害者と交換することができなかったのかということである。
武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のような武将ならずとも戦国時代の武将なら「人質外交」の重要性、有用性を熟知していた。が、日本には軍事戦略論を学ぶ場がないためか、政治家、官僚、学者、経済人、マスコミ、ジャーナリストなどを含めて“軍事戦略論的思考”が欠如していると思わざるをえない(自衛隊の幹部は“軍事戦術論”は熟知しているはずであるが、“(政治と一体化して動く)軍事戦略論的思考”は持っていないと思われる)。
金正男を人質として活用するにはそれなりの戦略が必要である。もう一つ必要なのは勇気である。腰抜けではできない。私なら「金正男」をかたる“北朝鮮籍”の不法入国者として北朝鮮と交渉する。いろいろと理由をつけて長期間勾留して北朝鮮に“脅し”をかけるのである。そして、拉致被害者、たとえば、百名以上となら交換する、というような条件を出せばよいのである (もちろん、北朝鮮側の対応がどうであれ、この不法入国者を金正日の長男とは認めず、“長男と騙る男”としてあくまでも扱う)。
北朝鮮がミサイルで脅してくるとか、日本国内にいる北朝鮮工作者やシンパがテロを起こすとかとおびえる人がいるが、日本の警察や、場合によっては自衛隊がそれに対処できないはずはないし、波風を立てるつもりで実行すれば、今のような核ミサイルで吠える北朝鮮の状況にはならなかったのではないか。日本は米国に高いprotection (用心棒代) を払っている (払わされている) のだから、勇気をもって当時の北朝鮮と交渉すればもっと良い結果が生まれていたように思う。
付言すると、1991年8月19日、、ソ連でクーデターが起こり、ゴルバチョフ大統領を排して、ヤナーエフ副大統領が八人のメンバーからなる国家非常事態委員会を代表して大統領に就任した。ヤゾフ国防相もこの委員会の一員であった。クリミヤで静養中のゴルバチョフ大統領の拘束には成功したものの、エリツィンロシア大統領の拘束には失敗した。エリツィンの逮捕に向かった戦車隊がヤナーエフ“大統領”の命令に従わず、ロシア政府ビルを守る形となり、クーデターは失敗した。8月21日にはゴルバチョフが復権し、国家非常事態委員会の八人組のクーデターは三日天下で終わった。八人組の中には全ての軍事知識を持っているべき国防相のヤゾフもいたが、クーデターや革命のやり方は知らなかったようである。つまり、軍事戦略論も知らないし、クーデター攻防論も知らない。もし、この中に戦国武将の秀吉か家康 (側近の軍師も含んでいる) でもいれば、このクーデターは成功していたと思われる。秀吉や家康ならエリツィンの逮捕・拘束に向かう指揮官の操縦法 (および人選) と“人質”の使い方を熟知しているからである(この“人質”は特殊な人質である)。 (この注3は1月31日に追記)
※※「辛酉革命説」、「辛亥革命説」は、長くなりすぎることもあり、このブログで全て述べることはできない。「辛亥革命説」に関しては、辛亥年という要素のほかにあと二つ付け加えるべきことがある(このうちの一つは上に少し述べている)。これについては別の機会に述べたい。「天地が秘蔵する謎(秘密)を漏らしてはいけない」とされている。「辛亥革命説」はこの謎(秘密)に相当するかどうかはわからない。ただ、今、日本の置かれている危機的状況に対して少しでも役立てば、という気持ちでここに公開した。
※※2031年の辛亥年の変革、変動は総体的に見た場合、よい方向に向かうものと私は考えている。しかし、そのためには傍観しているだけで良い方向に向かうわけでは決してない。日本としても、日本国民としてもそれぞれ最大限の奮闘努力がなければ良い方向に向かわずに変動の惨禍に巻き込まれないともかぎらない。
※※2031年の次の辛亥年は2091年である。私はもう存在していない遠い未来のことであるが私の子孫たちは生きている年代である。この“2091年”は2031年よりもさらに激しい変化をともなう年になると思われる。人類が大量に宇宙に飛び出して行く時代になるのかもしれない。2091年が“なぜ大変動の時期なのか”については別の機会に述べたい。
※※私のこのブログは予言に近いものだが、完全に確定したものではない(未来は完全に確定してはいない)。「このままで行けば(嘘を重ね、真実をねじ曲げた反日教育を子供たちにして反日政策に凝り固まり、周辺の少数民族を迫害、弾圧、殺戮、処刑を重ねていれば)、2031年に中国は国家として崩壊する」という“警告”である。私としては中国が崩壊して三分裂しようが五分裂しようが構わないのであるが、それは日本自身に重大な影響を及ぼすので、このブログを書いたのだ。本来、このような“予言”はしない方が良いことは承知しているが、日本の防御体制があまりにも準備不足であるように感じ、このような内容を書いて発表したのである。
この私の小論は“中国の国家崩壊”について述べているのであるが、同時に日本に対する警告でもある。智恵と勇気と実行力に欠ける“政治家集団”や“官僚集団”が国家の多数を占め、「文句を言わさず、国民を適当に養っていけばよい」というような“甘い考え”で国家を運営するなら、日本も中国の崩壊やその他の国々の崩壊に巻き込まれ崩壊するかもしれないのだ。米国を含め他国に頼る気持ちは捨てたほうがよい。“頼れるのは己おのれだけ”という気概、“独立自尊”の精神をもって全ての日本人がこれからの難局に立ち向かわなければならない。 (2018年1月4日追記、1月22日追記)
(*新注1)『日本書紀』はこの安蔵王暗殺事件を『百済本記』の記事として引用し、同時にこの531年の辛亥年に「日本天皇及太子皇子倶崩薨」という記事も載せている。これは「(531年に)日本の天皇と太子と皇子がともに亡くなった」という内容となり“大事件”を示している。 『日本書紀』の編者はこの記事にもとづいて継体天皇の没年を531年と定めたが、「太子と皇子が亡くなった」という部分は切り捨て採用しなかった。ここから日本史研究者の間で「辛亥の変」という大事件あったとする説と「辛亥の変」はなかったとする説が対立することになった。 私は「辛亥の変」は531年ではなく、さらに60年前の471年の辛亥年に“辛亥の変”が起こったとし、これは、雄略天皇が有力皇位継承候補者の兄弟、従兄弟を皆殺しにして皇位を継承した事件を指している、とした。雄略天皇に関しては雄略の兄の安康天皇が暗殺されたあと、短期間に、雄略は二人の兄と三人の従兄弟を殺害した。これが、『百済本記』の伝える“辛亥の変”であろう。これについては上記の(*注2)の中に示す拙論「辛亥の変とワカタケル」に詳述している。 (2018年7月9日追記)