やさしい家で やさしい暮らし

めざすは一生暮らせる木のおうち。建て主と建築業者を結び、安心を与えるのが私の仕事なのです。

環境が教えてくれたもの

2008-07-08 10:30:12 | Weblog
蒸し暑い週末、そして、梅雨らしいシトシトと降る雨。
みなさま ごきげんよう。
あじさいの綺麗な季節ですね。
「あじさい」 っていうのは、
その木によって色がちがっていて
さらに、ひとつひとつの花びらの色が微妙に違ってます。
同じ根 から出た 同じ枝の花でも。
人も、同じ環境で育っても、顔も違うし性格も違う。

実はわたしは、龍生派(いけばな)の家元教授だったりする。
中学のときから先生について習っていた。
小学校のときは、ピアノを習っていた。
こんな環境だけ見れば、恵まれた裕福な家庭で育った人 と思うかもしれない。

子供の頃、わたしは6人家族で
兄は、知的障害があり、小学校の頃はイジメにあっていた。
当時のイジメは、そのもズバリ「バカの妹ぉ~」と、大声で言われることだった。
学校から一番近い家なので、知らない人はいない。
父、手製のブランコに乗り、大声で歌をうたっているのだから
そりゃぁイジメの対象にならないわけはない。
何度も泣いて帰った。

高校を卒業して、ある程度自由に遊べるようになった頃
祖母がボケだした。
我が家は母がずーっと仕事をしていたので
留守番は、祖母が障害のある兄を見ながらしていた。
その祖母がボケてからというもの
我が家の歯車は、フル回転していたように思える。
今のように介護制度は整っていなかったし
「アルツハイマー」という言葉も浸透していなかった。
もちろん、「知的障害」という言葉も。

こんな私が育った環境は、恵まれていると思うだろうか?

わたしはこんな、今で言う「グループホーム」のようなところで育った。
ボケ老人をお風呂にいれるのは、男の力がいる。ってことや
叱りたくないのに、叱ってしまう。ってこと
どんな障害があろうとも、自分から言葉を発することはできないけれど「意思」がある。
ってこと
などは、身体で感じてくることができた。

祖母が亡くなり、一人暮しをしながら働いていた頃
わたしの介護生活を語ると「そんな人には見えない!」と言われた。
何不自由なく暮らしてきたお嬢さん、と思われていたし、そう演じていた。
時はバブル。
だって、楽しかったもの。不安なんてなかったもの。

たぶん私は、普通の人が見ることのできるものの
何倍ものいろんなものを見てくることができたんだと思う。
経験しなくともいいことまで経験してきたんだと思う。
そして、今の仕事、今できる提案は、そんな経験があったからできるんだと思う。

そんな意味では恵まれた環境に違いない。

などと、今日はシミジミと自分のことを書いてみたのであ~る。