やさしい家で やさしい暮らし

めざすは一生暮らせる木のおうち。建て主と建築業者を結び、安心を与えるのが私の仕事なのです。

正しいと楽しい

2008-07-16 16:57:52 | Weblog
そろそろ梅雨明けなのでしょうか?
みなさま ごきげんよう

今日は、母の8年目の命日
お墓参りをして、あれこれ報告してきました。
母は、笑ってきいているかしら?
それとも「バカだねぇ・・・」と、あきれてため息をついているかしら?

わたしは、ここ2、3年、「正しい」を選択しない相方を、見て見ぬフリをしてきました。
わたし自信も「正しい」を選択していなかったことになります。
なぜ? だってそのほうが「楽しい」から。
でも、正しいを選択しないことは、月日がたつと、自分を苦しめ出します。
神様は、きちんと見ているんですね。
「正しいを選択しない楽しい」は、一瞬で消えます。
そのときだけの楽しさで、満足感も達成感もありません。
でも「正しいを選択した結果得られるもの」は、とてもさわやかで気持ちいいものです。
そうなるはずです。

具体的に何がどうなって、どうなったのかは、
書くことはできませんが
そんなことを母に報告してきました。

来年は、もっといいこと報告したいものですね。

暑いですね~

2008-07-14 17:04:12 | Weblog
暑いですねぇ~~~~~
みなさま ごきげんよう。
犬も猫も暑そうにしてます

今日は黙々と作業をしよう!と
Tシャツにジーンズで、パソ君に向かっておりました。
そんな私の気持ちをわかっているのか
「静か」です。
だーーーーれも来ません。
来るはずありません。
だって・・・・カギをかけて、ブラインドおろしたまま、お昼になっていたんだもの


そんなわけで、今日のノルマ、早めに終了!
おいしビールでも飲みましょか?

ははっ、ただの日記になっちゃいました。

ホントにもつのか?200年住宅

2008-07-11 16:29:08 | Weblog
朝の雨があがって、蒸し暑くなりました。
みなさま、ごきげんよう。
昨日のイライラする計画図を、なんとかまとめたわたし。エライ!

数年前は図面を届けるのも、一仕事だったけど
今はメールでチョチョイノチョイ!
楽になったものです。  こんなところに年を感じる?
今、重油の高騰により、ガソリンをはじめ、さまざまなものが値上げ。
この便利なメール、使えなかったらどうなるんだろう?

さて、国の政策のひとつ、200年住宅
その、第一回「超長期住宅先導的モデル事業」募集が4月11日~5月12日までになされ、603件の応募の審査結果が7月7日に発表されました。

http://www.kenken.go.jp/chouki/pdf/1st-kekka.pdf
興味のあるかたは、↑をどうぞ

日本に古来から伝わる木造建築、ヨーロッパに残る木造住宅
共通していることが多々あります。
欧米のティンバーフレームは、日本の伝統的な建物に似ているし
なんといっても、土地に余裕があること。
どんなに壁体内が結露しないように手をかけても
街並みが窮屈では、建物は長持ちしないでしょう。
東京都では、東京駅を高層化することにより
空き地をつくり、風が流れるようにする計画があるとか?(ない?)
住宅地には、太陽と風が必要なのです。
壁にも日光が当たり、風が流れてくれないと困るのです。
土地があって家がある。
建物にばかり目がいきがちですが、街をどうつくるか。
これからの課題かもしれません。

そうそう、ティンバーフレームの家、興味のあるかた
一緒に勉強しませんか?
いま、非常に建ててみたい工法なのです。

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餅は餅屋

2008-07-10 13:15:27 | Weblog
イライラしながら図面作ってます。
だって、某会社の営業さんから渡されたスケッチ
おさまっていないんですもの。
鉄骨造、木造と違うんだから、階段、これじゃぁできませんの。

なーんて、グチってしまいました。
みなさま、ごきげんよう。
営業さん、ゴメンなさい。
でもね、やはりおさまらないものは、おさまらないの!

「餅は餅や」
営業さんは営業活動に専念する。
プランを考えるのは、設計スタッフ。
そのほうが、絶対いいものできます。
住宅は、素人でもプランを考えることができることから
一生懸命方眼紙など使って考えていらっしゃいます。
ちょっと建築をかじった営業さんなら、できないはずがありません。
でも、やはり素人は素人。
多方面から、いろんなことを考慮してプランするのが設計士の役目。
カッコイイものをつくのではない。
「もうずーっと、そこに住んでいる気がする」
「ずーっと住みつづけていきたい」
悲しいことに、それができない設計士が多すぎる!

「一歩、離れて見ること」を、わたしは生花の先生から教わりました。
手の届く位置からばかり見るのではなく、一歩引いて見る。
そうすると、違うものが見えます。
近くで見ると、画面いっぱいでも、離れることによって
同じ物が小さく見えます。
そこで、もっと奥行きを広げたように見せるには?
手前の足元を隠すには?
と、考えます。
プランニングも、これが大事なんです。

今日はイライラしているせいか、まとまりのない文章になっちゃいました。
誰ですか?いつもめちゃくちゃだと笑っているのは?

やはり、わたしの育った環境は恵まれていたってことですね。

さて、あと半日、おさまっていないプランを、どうやっておさめるか
考えることにしまーす

環境が教えてくれたもの

2008-07-08 10:30:12 | Weblog
蒸し暑い週末、そして、梅雨らしいシトシトと降る雨。
みなさま ごきげんよう。
あじさいの綺麗な季節ですね。
「あじさい」 っていうのは、
その木によって色がちがっていて
さらに、ひとつひとつの花びらの色が微妙に違ってます。
同じ根 から出た 同じ枝の花でも。
人も、同じ環境で育っても、顔も違うし性格も違う。

実はわたしは、龍生派(いけばな)の家元教授だったりする。
中学のときから先生について習っていた。
小学校のときは、ピアノを習っていた。
こんな環境だけ見れば、恵まれた裕福な家庭で育った人 と思うかもしれない。

子供の頃、わたしは6人家族で
兄は、知的障害があり、小学校の頃はイジメにあっていた。
当時のイジメは、そのもズバリ「バカの妹ぉ~」と、大声で言われることだった。
学校から一番近い家なので、知らない人はいない。
父、手製のブランコに乗り、大声で歌をうたっているのだから
そりゃぁイジメの対象にならないわけはない。
何度も泣いて帰った。

高校を卒業して、ある程度自由に遊べるようになった頃
祖母がボケだした。
我が家は母がずーっと仕事をしていたので
留守番は、祖母が障害のある兄を見ながらしていた。
その祖母がボケてからというもの
我が家の歯車は、フル回転していたように思える。
今のように介護制度は整っていなかったし
「アルツハイマー」という言葉も浸透していなかった。
もちろん、「知的障害」という言葉も。

こんな私が育った環境は、恵まれていると思うだろうか?

わたしはこんな、今で言う「グループホーム」のようなところで育った。
ボケ老人をお風呂にいれるのは、男の力がいる。ってことや
叱りたくないのに、叱ってしまう。ってこと
どんな障害があろうとも、自分から言葉を発することはできないけれど「意思」がある。
ってこと
などは、身体で感じてくることができた。

祖母が亡くなり、一人暮しをしながら働いていた頃
わたしの介護生活を語ると「そんな人には見えない!」と言われた。
何不自由なく暮らしてきたお嬢さん、と思われていたし、そう演じていた。
時はバブル。
だって、楽しかったもの。不安なんてなかったもの。

たぶん私は、普通の人が見ることのできるものの
何倍ものいろんなものを見てくることができたんだと思う。
経験しなくともいいことまで経験してきたんだと思う。
そして、今の仕事、今できる提案は、そんな経験があったからできるんだと思う。

そんな意味では恵まれた環境に違いない。

などと、今日はシミジミと自分のことを書いてみたのであ~る。