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ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

船橋から届いた夏みかん

2018-03-10 10:51:06 | エッセイ
7日船橋の妹から届いた夏みかんと手作り栞です。

毎年贈って頂いているもので、今までは静岡からのもでしたが、老齢化でみかんの木を伐採、今度のミカンも、船橋の農家の物で、老化で木が大きくなり、伐採しようとしているところで、運よく分けて頂いたという20個です。

甘いものが苦手で、甘夏はダメ、今頂いているのが八朔です。しかし、本物の夏みかんには、独特の酸っぱさがあり大好きです。

山口の萩の街を歩くと、板塀の内側にミカンの木が見えます。戊辰前の武士の生活がうかがえるいい風景です。

壊れたら修理するのが私の常です。ダイソウから300円で買ったスリッパ、カバーのところ破けたので、針と糸で縫い付け利用しています。妹も、私に似ているせいか手作りが大好きで、爪楊枝入れや箸入れなど頂き使っています。この栞は毎日の日記に利用しています。感謝!

「われら賊軍にあらず」大石邦子

2018-03-09 08:15:21 | 問題
大石邦子のエッセイ、今年は戊辰戦争から150年になる。悲劇の激戦地となった白河や、二本松、そして会津では幾つかの記念事業が行われる予定らしい。

よく訊かれたものだった。「会津では、先の戦争というのは戊辰戦争のことで第二次世界大戦ではないんですってね」と、笑って答えてきたが、会津の先人たちの思いを想う時、胸が歴史の闇に哀しく疼いたものだった。昨日は旅ラジで、坂本龍馬の大政奉還など放送していた。

戊辰戦争を戦った人々の最大の無念さは、誰よりも深く天皇の信頼を受け、一切を投げ打って、その義のために生き抜いた人々が朝敵とされ、賊軍の汚名を着せられたことであろう。司馬遼太郎が言う、会津の武士道は比類なき美学と言わしめた徹底した教育の高さが招いた悲劇だったのかもしれない。

かって、会津藩家老山川大蔵が亡くなる前に「われら賊軍にあらず」とつぶやき、戊辰戦争の行動を正しく見直させ、賊軍汚名の返上を弟に託した。その弟は14才で、後日渡米して理学博士、九州京都帝大総長歴任、兄の意志を継いだ健次郎は「会津戊辰戦史」を出版した。

会津の殿様は、「公家の一部が何か悪事を企んでいる。容保、お前だけが頼りだ。」これに和歌まで添えられていた孝明天皇直筆手紙・御宸翰を、容保公は死ぬまでそれを首にかけ、一切公開しなかった。

長年宮内大臣を務めた土佐出身の田中光顕の回顧録に、容保の死後、御宸翰の存在を知った明治政府高官の狼狽ぶりが描かれていた。が恐れてか出版が拒まれたという。歴史は勝者によって創られる。もう150年恩讐を超えて互いに史実を認め合い、新たな一歩を踏み出す時に来ているかもしれないと。

卒業の思い出

2018-03-08 09:05:10 | 問題
昨夜も、矢吹農業短期大学の卒業と進路先、保育園など卒業にまつわるニュースが多い中で、先日スーパーでの買い物終わって、ふと菓子店を眺めると、桜餅が目に留まった。妻に2個買うように依頼すると、賞味期限が15日までの昨日の売れ残りなのか、ジャンガラ2個も頂いた。感謝して頂いている。

私が中学校での卒業に行われた謝恩会での思い出である。女の先生がステージの袖の柱に寄り添いつかまっている。ふと振り向いて「鳴かない蝉です」と言って降りてきた。その謝恩会で頂いた「桜餅」の味が今でも記憶に残っている。謝恩会でその他何をしたのかは何も残っていない。

人より甘いものが苦手な私が、どうして桜餅の思い出が何時までも残っているのであろうと不思議で仕方がない。弁当以外、学校でのものを食べる習慣がないからか。中学校での放課後、校庭で野球の練習をしている時、国語の先生から呼ばれて、毛氈の上に用紙、すずり筆が用意してあり、練習もせず一発で課題の習字を書き、また野球練習に戻った。後日、河北新報賞を頂き、書状・記念品を頂いた記憶も残っている・・・が。

我が家の線量値

2018-03-07 09:17:31 | エッセイ
啓蟄の昨日、朝玄関に冬ごもりさせた鉢物(ゼラニュム、アロエ、サボテンなど)表に出した。春の日差しを浴びてありがとうとお辞儀をしているように見えた。

妻に11日前後に測定するから、区長から堀場環境放射線モニタ借りてくるようにお願いしていた。最近の新聞やテレビなど、3.11関連の報道が多いなか、昨年は3/5に、今年は昨日の午後3時半から、我が家や裏山の線量値を測定した。

家の中、玄関0.108(0.153)μSv/h、台所入り口0.119(0.138)、除染したグミの木の下0.276(0.271)、除染した側溝脇0.131(0.141)、畑端0.184(0.362)、裏山モミの木下2.133(3.430)(2015、3.390)と、測定の一部です。( )内は昨年の測定値。

テレビでは、線量値の結果はいわき0.003~0.116と報道されている。が、測定の結果は除染の基準値0.230を超えている。ましてや裏山のモミの木下は、年間の被ばく線量は18.69mSv/年である。我が家の平均は0.164μSv/hから、1.41mSv/年となり、我々人間の年間被ばく基準値1mSv/年を超えている。

自然被ばく、2.1mSv/年(宇宙0.3、空気中ラドン1.3、食べ物0.33、大地0.33など)、人工被ばく、飛行機旅ニューヨーク往復12.9、胸のX線0.06、胃のx線1.3、CTスキャン12.9、宇宙船の若田さん150mSv/5ヵ月など。