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大石邦子の「元日の地震」を読んで

2024-03-22 04:59:53 | エッセイ

友だちから頂いたおせちを夕食にと思っていた矢先、家が揺れ掛け軸がひらめき、3.11の恐怖が過った。

12年前より短い緊急速報メールが鳴り響き、能登半島を襲った元日の地震だった。

あれから2週間、死者は230人を超え、3万人超の避難者、インフラが人手不足、祖父母に合わせたくて里帰りで、子ども達が犠牲に。

母から子への手紙コンテスト審査員で、3.11の折の一文があった。

震災直後の電話で帰宅してもいいかという医師資格取りたての大学院生の福島の母への電話で、帰宅の息子を見て愕然とする母に、

僕は医師には向かない。僕は強くない。

死者のあふれる医療現場に、大学院生が駆り立てられ、検死の仕事で、死を判定しなければいけない。

母はしばらく仕事を休むように説得したが、翌朝彼は黙って被災地へ帰って行った。

その日の最初は、ランドセルを背負い、黄色い帽子をかぶった泥だらけの子供だった。彼は用具を用えず、自分の手で、顔の泥を拭き取り、髪の泥も、襟首の泥もふきとりながら、涙が止まらなくなっていた。あどけない可愛い女の子だった。

何故、こんなに幼くして死ななければならないのか、彼の涙は心を揺さぶり、その死に向って誓いを新たにしていた。

どんな人の命をも救う医師になる。犠牲になった人を番号や色分けせず、名前で家族に渡してやりたい。必ずそうした医師になる。

あれから12年、彼は立派な医師として福島の病院におられるという。

涙は力でもあることをしみじみ思う。ハイ!みんぽう3月号より。

地震列島に生を受けて、犠牲者は必ず出る。生死の境は運としか言いようがない。

トルコでも起きているが、できるだけ犠牲の少ない建造物にしたい。

津波は防波堤よりも、女川のように、逃げ道をしっかりと造ることである。写真はよつくら港道の駅、5:30撮影

 

 



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