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読み解く「夢」のつづき

 環境世界の中にある「意味ある出来事」を自分以外の他者へ伝達する能力を獲得することによって文明化への道を歩み始めた人類は、当初は共通の環境基盤の中で「理解」する存在であったスピリットとしての「カミ」を、「神話」として「言語化」し、「表現できる」ものに組み換えることによって国家や文明といった広域的な社会を支える、共通の精神基盤を構築していきました。しかしそのプロセスを通じても「神話」に吸収されずに取り残される「表現できない」ものが存在したのです。
 
それらを人々は、言語(文字)化の進展の中で人々の「意識」の上から拭い去ってしまいます。人々は無意識の領域へとそれらを追いやって、追いやったこと自体を忘れてしまったのです。特に古代ギリシア文明の流れを汲む西欧世界はそれが顕著でした。さらには一神教の絶対神の登場がそれに拍車をかけたといってもいいでしょう。
 
この世を構成するすべてのものを数的に、論理的に解き明かし、環境の中の「意味ある出来事」をすべて表現し尽くそうとした人々は、一神教の神のもとで、ある意味曇りひとつない、完璧な世界像をつくりあげていったのです。しかしそれはひとつの閉じた世界であり、その世界の中だけで通用した完璧性でもありました。
 
ニーチェが「神は死んだ」と宣言して以降、人々は「神」という人々の共通基盤を支えた普遍性を失います。人々は残された「表現できるところ」ですべての事柄をカバーしようと奔走し、その結果たどりついたのが理性万能主義でしたが、しかし同時に「神」の存在によって覆い隠されていた「表現できない」ものの扱いが無視できないものとなっていったのです。このような状況の中では、フロイトの「無意識」や「夢」の発見は、ある意味必然の流れだったといえるのかもしれません。
 
このようにして再び「表現できない」で取り残されてきたものの存在に気付いた人々は、あらためてそれらを解き明かし、「表現」しようと試み始めました。まずは「夢」のつづきから。
 
フランス文学者の巖谷國士さん*01によれば、シュルレアリスムは単なる詩や芸術の方法などにとどまらず、むしろ「人生の要請、倫理的な性質の問いかけにこたえ、集団の《場所と公式》(ランボーの言葉*02)を確立することこそが、その役割だった」といいます。彼らは「たえず探索の旅をつづけながら、人生を《暗号のように》読み解くことを目ざしていた」のです。

01:後記/巖谷國士/シュルレアリスム宣言 溶ける魚 アンドレ・ブルトン 學藝書林 1974.04.25
02:イリュミナシオンより「放浪者たち」(1874)/アルチュール・ランボー
夜を眠らせてくれない「惨めな兄」に対し、太陽の子である原初の状態を取り戻させるために、洞窟の酒と街道のビスケットを糧にさまよい、場所と呪文(公式)を探し続けるという内容の詩。


Les Illuminations de Rimbaud

 

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