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神話という「言語化」

 環境の中の「意味ある出来事」をすべて表現し尽そうという人間の願望。しかしその努力を人々がすればするほど、「表現できない」ものたちの多さもまた同時に明らかになっていったのです。
 
もともと環境の中の「意味ある出来事」は、ヴィジュアル的な情報だけではなく、様々な関係・対応・経験の蓄積の総体としての「まとまり」として人々に記憶されていったものでしたから、原始の人たちは、それがたとえ言語(文字)によって「表現できない」ものであっても、人々は共通の環境基盤の中で「理解」しあっていました。そして彼らはその言語(文字)によっては「表現」しがたいけれども「理解」はしてきたものを、スピリットというひとつの「まとまり」として意識し、「表現」してきたのです。
 
スピリットは、もともとはこのような身近の様々な自然現象と結びついた具体的なイメージをもった精霊的な存在*01でしたが、それらは、私たちに押し寄せる現実世界の側にあって、いわば人間の能力の対岸にあるものとして、いまわれわれが捉えているような「カミ」という概念に近い存在としてあったのです。
 ところが「言語化」のプロセスは、コミュニケーションの伝達範囲を拡大し、もともと人々が共有する環境世界の中に存在していたはずの「意味ある出来事」を、その前提となる環境世界から切り離してしまいます。その過程で、スピリットとしての「カミ」もまた、共通の「言語」をもつ地域、民族の中で、「神話」として「言語(文字)化」されていったのです。
 
評論家の川添登さんによれば、ほとんどが面対面コミュニケーションによって成り立っていた原始・未開の社会から、国家とか文明とかとよばれるような広域的な社会が形成されてくると、共同体をこえた、より大きな社会に共有される精神世界の構築が求められるようになった*02といいます。それが「神話」の誕生だったのですが、こうした神話世界の構築こそが国家や文明を成立させるための前提となった、というのです。


Timaeus_trans_calcidius_med_manuscript
ギリシアの哲学者プラトン(
BC427347)は、その著書「ティマイオス」*03の中で、「アニマ・ムンディ《宇宙(世界)の魂》」という概念を紹介しています。それは「数理や調和の一面を具えており、およそ理性の対象となり常にあるところのもののうちでも最もすぐれたもの」であり、「宇宙は自らのうちに、生きとし生けるものの全種族を含む」ものだ、というのです。

01:シュルレアリスムと〈手〉/松田和子/水声社 2006.12.15
02:「木の文明」の成立(上)―精神と物質をつなぐもの/川添登出典:日本放送出版協会 1990.11.30
03:「ティマイオス」プラトン/種山恭子訳 プラトン全集12 岩波書店 1975.09.13

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