北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

福井地裁判決の読み方、活かし方

2014-06-09 | 志賀原発廃炉訴訟


私たちに大きな感動と元気を与えてくれた福井地裁判決。

福井地裁判決の意義、そして運動の中で、そして司法の中でどう活かしていくか、脱原発弁護団全国連絡会の共同代表である海渡雄一弁護士、河合弘之弁護士らが座談会で語っている(岩波書店「世界」2014年7月号)。

判決内容は、文明論的な意味において、これまでの原発裁判の歴史を転換させる画期的な内容だった。
言い換えれば3.11後の国民の常識に立脚した極めて平易で説得力のある論理で構築されていた。
原子力規制委員会の再稼動審査が進められる中、運動面で判決内容をしっかりと活かすことが、まず求められている。

一方、原発推進側からは「非科学的な判決」、あるいは所詮地裁判決であって上級審で覆ると軽視する意見など、判決を批判、攻撃する主張が展開されてる。

こうした中、全国の原発訴訟では、福井地裁判決の成果を自分たちの訴訟に反映させ、勝利判決を勝ち取るための議論が重ねられている。
大きなポイントは、これまでの原発裁判を拘束してきた1992年の伊方原発最高裁判決との関係である。

行政訴訟と民事訴訟との違いこそあれ、原発に求められる安全性についての考え方は共通する。

福井地裁判決が、国民の常識に立ち返り、司法における価値観の転換を図る大胆な内容であったことは間違いないが、判決に至る司法の判断枠組みは決して突拍子もない論理を展開したわけではない。
伊方判決は「災害が万が一にも起こらないようにする」としながら、運転の可否を専門家の判断に委ねてきた。
いま、原子力規制委員会が専門家の立場から再稼働を審査しているが、福井地裁判決は原発事故による「災害が万が一にも起こらないようにする」ために「人格権」の観点から具体的危険性が万が一にもあるかどうかを判断した。
専門家に最終判断を委ねるのではなく、司法の責任を明らかにし、司法の優越を再確認したものとなっている。

志賀原発差止訴訟でも伊方判決との関連は大きな課題と認識しており、第21準備書面であるべき司法の判断枠組みを提示している。

さらに次回7月10日(午後1時30分から)の第10回口頭弁論では、福井地裁判決をふまえた主張を展開する予定である。



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