北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

揚浜塩田の日

2013-03-30 | 活動報告
 先日紹介した世界農業遺産(GIAHS)記念フォーラム「能登塩田の歴史とこれから」に参加。

 フォーラムに先立ち午前中は石井かほり監督の「ひとにぎりの塩」を鑑賞。珠洲市内で興味のある人は昨年の作品完成後の上映会ですでに見ている人も多いかもしれない。あいにく私は都合がつかず見れなかった。その後、金沢などでも上映され、評価が高かったことは承知しているが、なおさら見ていないと言いにくくなり、どこかで見る機会がないものかと思っていたところの上映会である。今度こそは見逃すわけにはいかない。

 能登の気候や風土、暮らしの中での揚浜塩田、戦前、戦後から今日に至る揚浜塩田の歴史、さらに揚浜塩事自体の魅力などを知るうえでとてもよくまとまった作品だが、なにより興味深いのは、角花豊さんや登谷良一さん、横道嘉弘さん、中前さん、山岸さん、小谷内さん、さらに昨年亡くなられた門寺巧さんら浜士(塩をつくる人)や塩士(塩田を経営する人)として活躍している人たちにたっぷりスポットを当て、それぞれの微妙な立場の違いを浮き彫りにする中で、揚浜塩田の魅力や課題をより鮮明にしているところである。監督の手腕が冴えわたる。

 午後はフォーラムである。

 記念講演は世界農業遺産認定の仕掛け人、あん・まくどなるどさんである。
 認定に至る裏話からGIAHS関連の最新の世界の動き、能登の里山里海の特徴など、彼女しか語れない密度の濃い講演であった。
 もっとも興味深かったのは、揚浜塩田が陸(里山)と海(里海)をつなぐ活動で、GIAHS申請の目玉であり認定のきっかけだったということ、にもかかわらずにGIAHS認定後の取り組みで揚浜塩田に象徴される里山と里海のつながりという原点が生かし切れていない、行政関係者は申請書を読んでいないのではないかという厳しい指摘であった。
 なぜどこにでもあるかのような能登の里山里海が世界農業遺産に認定されたのかという原点が彼女には鮮明に見えているが、能登に暮らす私たちは、認定後少しは理解が進んだかもしれないが、依然わかったような、わからないような漠然としたところがあるのも実態だろう。そこを端的に指摘した発言だった。

 塩田作業の労苦を歌った砂取節のアトラクションをはさんで次は長山直治さんの基調講演。長山さんはかつて、珠洲市史を編纂するときに塩田を担当した主任専門委員である。


 詳細な史実と豊富な資料を基にしての「能登揚浜式製塩の歴史」という講演はまさに塩田を切り口にした能登の歴史の解説で、基調講演にふさわしいものだった。
 中でも、あんさんの講演との関連で注目されたのが海岸沿いの製塩をおこなっていた村々と「里方・山方」の村々との関係である。柴代、割木代や奉公人などの支払い関係から里山と里海のつながりが歴史的、経済的にも裏付けられている。

 
 フォーラムの最後はあんさん、長山さんに珠洲の西山郷史さん、金沢・金城楼社長の土屋兵衛さん、そして角花豊さん加えたゲストによるトークセッションである。
 長山さんは、揚浜式塩田は歴史の積み重ね(江戸時代どころか最古は奈良時代にまで遡る)の中で最高水準に達していることを今後、強調すべきと訴える。
 
 西山さんは揚浜塩田の功労者として藻寄行蔵は知られているが(と言っても私は数年前に知ったばかりだが)、忍久保善太郎、橋元勗(つとむ)といった人の存在も忘れることはできないと指摘。さらに今では各学校で取り組まれているふるさと教育だが、20年以上前にすでに西部小学校での塩づくりを通じたふるさと教育が取り組まれていたことも紹介した。

 あんさんは里山と里海をつなぐ21世紀型の取り組みについて、政策立案に向けた行政の取り組みを要請。さらに消費者とのつながりがなければ塩田の継続は難しいと課題を語った。

 土屋さんは、揚浜塩はうまみのある塩であり、カツオや昆布のうまみにかけ合わせることによってさらに魅力が増すとし、基本的に何にでも合うが、魚や能登牛など動物性の食材で特に食材の味を引き立てるという。と言いつつもやはり一押しは塩むすび。

 角花さんは製塩の具体的な作業にあたっての工夫や難しさを語る。天候や季節によっての海水の撒く量は違い、窯での最後の煮詰め方が最も難しいという。単純に水分を飛ばせばいいというものではない。流下式とは味が違うとも力説。揚浜式を引き継いできたプライドがのぞく。道具をつくる職人の確保も今後の課題と指摘する。

 以上、豊富な内容のフォーラムのほんの一部の紹介である。ひとにぎりの塩の奥は果てしなく深い。

 最後にもう一つおまけの一言。
 専売法が1997年に撤廃された当時は、まだ珠洲原発の計画があった頃である。今日の映画にも登場する新規の製塩業者の方の中には、並行して原発誘致に積極的に取り組んでいた方も何人かおられる。その後、珠洲原発は終わり、いまや歴史と伝統、里山・里海を守る揚浜製塩に全力を傾注しておられることは大いに敬意を表するところだが、映画の中でも今日のフォーラムでもこうした問題を完全にスルーして手放しで称賛する論調にいささか違和感を感じるのは私だけか。
 原発がたとえ傍にあっても揚浜塩、なくても揚浜塩。製法が同じだからいいじゃないか、里山を活かしているからいいじゃないかという問題ではないと私は思う。
 別に昔話をひっくり返すつもりはない。要は、命の源ともいえる塩に対する考え方、捉え方が変わったのかどうか、率直なところを聞きたいなぁと思う。

 映画の中では故・角花菊太郎さんも紹介されている。戦時中、塩づくりの経験があるということで戦地から珠洲に送り帰され塩づくりを命ぜられた。命を育む塩で自らの命を救われたという。その思いが長年の塩づくりの人生の根底にあったとのこと。
 命を育む塩だからこそ、もっともおいしく栄養も豊富で、もちろん大前提は安全でなければならない。角花豊さんは、天然塩がブームだからと言ってそんな簡単に儲かるものではないと指摘する。同感である。 

 


2 コメント

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Unknown (尾形です)
2023-10-27 17:11:43
今更ながらですが、このフォーラムの記録集なんてあるですか?
Unknown (北野)
2023-10-28 23:36:12
う~ん見たことないし、作ったという話も聞いたことないような。
図書館の蔵書検索でも出てこないし、ないんじゃないかな。
記録集じゃないけど、ケーブルテレビ用の映像なら残っているかも。

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