羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

母と惑星について、および自転する女達の記録

2019-03-12 23:14:15 | 日記




 初演は観ていないが志田未来ということで、芳根より小柄でコミカルでしかしより情動と母性が強い表現がされていたんじゃないかな、と想像される。それが芳根に代わったことで子供としての記憶より大人になっても消えない痛みや、気安いやり取りが思ったより多い中でも家族の中で一人だけ違うという疎外感が強調され、自身の情動よりもまだ自己の固まっていない娘が他人の情動を抱えきれない様子や母性を上手く把握できない困惑もより際立たされたんじゃないだろうか。人が代わって印象が差し替わったのはまるで違う斉藤由貴からキムラ緑子になった母役にも言えたはず。たぶん女が強い斉藤と母性が強いキムラであったと思う。鈴木杏と田畑智子は役の深度を強めたろうし、再演は効果的だったんじゃないかな。広告を引っ張ってこられるクラスのシオ役のよく似合う小柄な若手女優が今後も繰り返し演じてゆく舞台になる気がする。実写化するなら母は独自色の強い設定になり、どの世代の人物なのかもよりはっきりしそうだ。現代設定だとやっぱり原爆は曾祖母の話になっちゃってくる。あとは逆にバリバリ稼ぐ弁護士や不動産屋や税理士でも面白いかも。三姉妹の育ち方や母の死後の資産云々も変わったりして。結局寿司代と葬式代しか遺さず次女がガッカリ、みたいな。返って災いを招かないように、ってね。呼び水になるやり取りがあればいきなりトルコに飛べてしまうのは舞台的で楽しかった。初演から数年経ってるからSMSの文章がちょっと古いのはご愛嬌。でも笑えた。どちらかというと男性的な母親への視線があったと思うが、生身の女優達の身体を通して峰子を含めて娘達の想いに昇華していた。さ迷い話し合って自身の行いを少し許せるようになって母を見送る様子は清々しく、微笑ましい。花粉症を堪えつつ、後半ヒートアップしてゆく華奢な芳根京子に目を見張っていた。